第2話 6

『――は~い! あたし、参っ上~!』


 フェルが横ピースしながら姿を現す。


 ……一緒に来たはずなのに、さっきから姿が見えねえと思ったら、あいつ、これを狙ってやがったな?


 霊脈に潜んで、機会を見計らってたに違いない。


「――な!?」


 ヤツの目論見通り、驚愕の表情を浮かべるライ。


『いえ~い! 大っ成功~』


 フェルは腹を抱え、脚をバタつかせて笑い転げている。


「――リ、妖精リ・ト……? シャルロットさん、君ら、妖精リ・トを飼ってるの?」


 途端、フェルは笑い転げるのをピタリとやめて、目を吊り上げてライにその小さな指を突きつけた。


『むぅ! アンタ、そういう言い方、よくないんだよ?

 あたし達は人類会議にも承認された、<既知人類圏ノウンスペース>を構成する、れっきとした人類の一員なんだからね?』


「……のうん、なに?」


 フェルの意味不明な説明に困惑するライ。


 俺も出会った時に似たような事を言われたな。


 この世界の外にも様々な世界があって、それらを治めている組織に妖精リ・トもまた人として認められているんだとかなんとか……姫様はその説明で理解できていたようだが、ステルシア帝国から出た事のない俺にとっては、世界の外とか、規模が大き過ぎて想像すらできない話だ。


 きっと平民のライにとっても同じだろう。


「この子はフェル。見ての通り妖精リ・トだけど、自分も人と同じだって言いたいのよ」


 重要なのは、その点だ。


「決して飼ってるわけじゃなくて……むしろ勝手に住み着かれたというか……」


『んふふ~、照れなくても良いんだよ? グレイの相棒だって、言ってくれちゃっていいんだよ?』


 得意げに胸を張りながらそう言い、俺の頬を突いてくるのがウザい。


「――まあ、そういうつもりみたいなのよ……」


 と、俺はフェルを手で押し退けながら、ライにそう説明した。


「つ、つまりこの子――彼女は、グレイさんの仲間で、シャルロットさん、君の友人ってことで良いのかな?」


「そうね。そう覚えてくれると助かるわ」


 俺のパートナーという認識には異議を唱えたいが、ややこしくなるので黙っておく。


「なるほど……フェルちゃん、失礼な言い方してごめん」


『ま、あたしはカンヨーな女だからね。赦したげるよ』


 フラつく視線でフェルを見つめながら、ライは生真面目にそう謝罪した。


 と、リィナ姉がフェルを後ろから両手で掴まえ、ライの目の前に突き出す。


「ちなみにこの子の力で、君の魔道を整えてもらうのよぉ?」


『そうそう。霊脈ユニバーサル・スフィアの整調は、あたしらの業務のひとつだからね~。

 それを構築してるローカル・スフィアを整え直すのなんて、朝飯前だよ~』


 言うが早いか、フェルはリィナ姉の手から飛び立ち、荒い呼吸で説明を聞いていたライの胸に、伸ばした人差し指で触れた。


『――接続アクセス。非定義ユニット<青翠-DS4936-88a>……』


 妖精リ・ト特有の古代語による喚起詞を唄い出したフェルだったが、不意にそこで目を見開く。


『――んん? よんきゅ~さんろく?

 ……この管理コードって……』


「フェル、どうかしたの?」


『ん? や、たぶんあたしの勘違いだと思う。あたしなんかのトコに、あんな重要案件が回ってくるワケないしね~。

 気を取り直してもう一回!』


 へらりと肩をすくめて笑ったフェルは、再びライの胸に人差し指を向ける。


『――接続アクセス。非定義ユニット<青翠-DS4936-88a>……ソーサリー・サーキット、フルオープン!』


 フェルは今度こそ喚起詞を唄いあげた。


「あ――――…………」


 ライが不意に白目を剥き、その口から「あ」の単音が止めどなく溢れ出た。


 刹那、彼の身体に、まるで刻印のように七色の線が浮き上がる。


 ――おそらくアレが、ライの魔道なのだろう。


 それはひどく捻じれ、歪み、あちこちで途切れていた。


「お、おい。大丈夫なのか!?」


 思わず素でフェルに声をかけると――


『大丈夫、大丈夫! この手の作業は、アンタで経験済みだしね~』


 フェルはその小さな手でライの身体に走った線をなぞりながら、そう笑った。


「あん? 俺で? いつ? なんで?」


『アンタを今の身体に移した時だよ~。

 や~、あの時は空虚躯体ブランクドールズに、シャルの指示だけを頼りにゼロからサーキットを彫り込んでいかなくちゃで、ホントに大変だったんだよ~……』


「あの時グレイは、今のライくんみたいになってたからねぇ。覚えてなくても仕方ないわぁ……わたしも姫様の助手させられて、本当に本当に大変だったけどねぇ……」


 リィナ姉も遠い目をしている。


 よくわからないが、きっと姫様のハチャメチャに巻き込まれたんだろうという事だけはよくわかった。


 そうしている間にも、シャルの手は絶え間なく動き続け……やがて、歪み、途切れていた線は、いまや綺麗な直線を描いてライの身体中を巡っている。


『ほい、完成!

 ――ソーサリー・サーキット、ドライブ!』


 という喚起詞と共に、フェルがライの胸を叩けば、ライの身体に浮き上がっていた魔道は霧散した。


「……僕、は?」


 意識が途切れていた為か、ライは頭を振りながら呟いた。


 そんな彼の前に腰を落とし、リィナ姉は汗拭き用にハンカチを差し出す。


「お疲れ様。ライくん。無事、魔道の治療は完了したわ」


「え? 完了?」


 意味がわからないというように首を傾げるライ。


「――治ったって事よ」


「なお……った?」


 俺の言葉に、ライの目が驚きに見開かれる。


『あ~、と言ってもさ、まだ馴染んでないから魔法は禁止ね! リハビリして、徐々に身体に定着させてかないと、またすぐにバーンってなっちゃうんだから!』


 俺もこの身体になった時に、似たような事を言われたっけな。


 フェルの言う「バーン」は、文字通りの「破裂バーン」だって、姫様に脅されたっけ。


「しばらくは魔道器の使用も禁止ね」


 リィナ姉の言葉に、ライはうなずいた。


「元々、使えなかったから持ってないしね」


 そう苦笑するライ。


「でも、本当に……疑うような言い方で悪いと思うけど、本当に治ったの?」


 まあ、そうだよな。


 俺の時のように、目に見えて身体に変化があったわけじゃないもんな。


 だから俺はフェルに問いかける。


「……魔道に干渉するのは問題ないのよね?」


『それはいいよ~。アンタなら加減もわかってるだろうしね。あの時の感じでやるなら、問題な~し!』


 フェルの了承を受けて、俺はライの前にしゃがみ込み、彼の手を取る。


「今からおまえの魔道に触れるわ」


「え? シャ、シャルロットさん?」


 俺は魔道を伸ばして、ライの魔道に接続。


 ゆっくりと、慎重に、俺の魔動を流し込んで行く。


「……わかる、かしら?」


 ライの見開かれた目から、大粒の涙がこぼれた。


「……わかる。ああ……すごい……ちゃんと流れて……」


 彼が自らの魔道を実感できたのを確認して、俺は魔道を切り離した。


「今の感覚で、自分の魔道を巡らせるのはリハビリになるから、意識して行うと良いわ」


 かつて俺もそうしていた。


 そう考えると、リハビリに関してはグレイが一番うまく教えられるんじゃないだろうか?


「そうね。リハビリに関しては、グレイに任せる事にしましょう」


 打ち合わせにない事だから、リィナ姉に反対されるだろうか?


「そうですね。わたしが付き沿うとはいえ、婚約者でもない男女がふたりで頻繁に会うのは、世間体がよろしくありませんから」


 と、リィナ姉もまた、名案とばかりに俺の言葉に同意してくれた。


「……グレイさんに?」


 俺達の会話に、ライがもう何度目になるかわからない驚き顔を見せる。


「あら、いや?」


「ち、違う! 僕、昨日のサイベルト……殿下との決闘を見たからさ。あんなすごい人に付き合ってもらえるなんてって……」


 そう応えるライの目は、俺が騎士団の兄貴達に向けるのと同じ――憧れの色が浮かんでいた。


 なんだか、ひどくくすぐったい気分だ。


「あ、あんなの大した事はないわ!」


 思わずそう呟けば、成り済ましを知っているリィナ姉とフェルは吹き出して笑う。


「と、とにかくおまえは明日もまたここに来て、グレイとリハビリする事!

 あと、リィナとフェルの言いつけは守るのよ!」


「わかった。本当にありがとう! シャルロットさん!」


「――感謝するなら、早く偉くなることね」


 そう言い残し、俺は深々と頭を下げるライに別れを告げて、寮に足を向ける。


「――本当に、ありがとう……」


 ライの噛み締めるような、絞り出すような嗚咽混じりの感謝の言葉が再び俺の背にかけられるのを聞きながら、くすぐったい表情をリィナ姉やフェルから隠して、俺は足早に部屋に戻ったんだ。





 ――翌日から、俺は放課後になるとグレイに戻って、ライのリハビリに付き合うのが日課になった。

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