第2話 5

「――遅くなってごめん!」


 待ち合わせ場所である寮の裏庭で待っていると、ライは慌ててやって来た。


「いえ、あたくしも準備があったから、それほど待ってないわ」


 彼が息を整えるライに、俺はそう応じる。


 実際、リィナ姉とフェルに事情を説明していたから本当に待ってはいないのだが、生真面目なライは深呼吸してから、改めて謝罪を告げた。


「別に構わないと言っているでしょう。

 というか、なんで遅れたのかしら?」


 むしろ俺の方が待たせてしまうと思っていたから、不思議に思って訊ねてみる。


「……掃除で時間がかかっちゃってね」


 眉尻を下げて困ったように、ライは応えた。


「掃除? おまえが? なぜ?」


 貴族家の子らが通う学園では、清掃などは専門の業者が雇われていると聞かされたのだが……


「――姫様。平民特待生の皆様は、将来貴族に仕える事になる事もあるので、いくつが課外業務が義務付けられているのです」


 と、リィナ姉が説明する。


「ああ、つまり平民特待生は清掃業者として雇われてる形になるのね」


「はい。基本的に平民特待生の授業料や衣食住にかかる費用は免除されておりますが、お金はそれ以外にも必要になりますからねぇ」


 休日に友人達と街に繰り出す事もあるだろう。


 そんな時に貴族の子なら、親からの仕送りでいくらでも賄えるだろう。


 同じ平民でも商家の生まれならば、多少の仕送りもあるかもしれない。


 だが、たいていの平民特待生はそうは行かない。


 自分で稼ぐ必要があるのだ。


 学園側としてはそんな彼らにも学生時代を謳歌して欲しいという考えで、課外業務という形で労働に従事させ、その報酬という形で小遣いを与えているという事なんだそうだ。


 俺はスカートの隠しから、懐中時計を取り出して時間を確認する。


「――あ、姫様。型が崩れるからそこに入れちゃいけないって言ってるでしょう?」


「……これくらい良いじゃない?」


 俺がそう微笑むと――


 ――そういう些細なところから、成り済ましがバレちゃったりするのよ?


 と、リィナ姉は指信号ハンドサインで俺に注意を促してくる。


 ――次から気をつけるよ……


 そう返して懐中時計をポケットに戻さずリィナ姉に預け、俺はライに視線を戻す。


「それはさておき、掃除が終わるのは、いつもこの時間になっちゃうのかしら?」


「ん~、普段はそれほどでもないんだけど、遅いとこのくらいになる時も……」


 平民特待生という事は、ライは寮の食堂で夕食を取っているはず。


「となると食事の時間を考えたら、放課後に使える時間は二時間しかないじゃない。

 ねえ、リィナ。課外業務は義務って言ってたけど、どうにかならないの?」


「特待生の課外業務は、あくまで賃金を与える為の名目ですからね。

 例えば別の稼ぎ口があるのならば、その義務は免除されます」


「ああ、なら簡単ね」


 俺とリィナ姉のやり取りに、ライは不思議そうに首を傾げている。


 その顔目掛けて、俺はビシリと指を突きつけた。


「ライ、おまえは今日からあたくしの研究被検体よ!」


「え? ええぇぇぇ!?」


 彼は驚きに目を丸くしたが、姫様を忠実に再現している俺は構わずに続ける。


「ええとね、ライくん。そういう形で君を雇用して、お給料を出す事にするのよぉ」


 そして、リィナ姉もまた、姫様が一緒の時のように補足説明する。


「姫様に伺ったけど、病によって魔道が壊れているという君は、非常に珍しい症例――検体なの。

 だから治療という形で治験データを取れるというのは、お金を払ってでもお願いしたい事なのよ」


 これは事前の打ち合わせでも、リィナ姉が主張していた事だ。


 姫様の助手としての観点からも、錬金術士としての観点からも、ライの治験データは姫様の研究に役立つんだとか。


「良い? 明日からは掃除はナシ! 給料については、あとでリィナと相談して決めてちょうだい」


 正直、俺には謝礼の相場がどのくらいなのかわからないからな。


「う、うん。わかった。でも、良いのかなぁ。治療してもらって、お金がもらえるなんて……」


「なら、借りとでも思っておきなさい。将来、偉くなってあたくしの力になればいいわ」


 姫様あいつが照れた時のように、俺は腕組みして顔を逸して見せる。


「……わかった。きっと君の力になって見せるよ」


 と、ライは驚いたような表情を見せた後、そう真剣な顔で強くうなずきを返してきた。


「――さてさて! そうと決まれば時間も押してる事ですし、ちゃっちゃと進めて行きましょう!」


 リィナ姉は両手を打ち合わせて<保管庫ストレージ>を喚起し、その中から一本の小瓶を取り出す。


「まずはこの霊薬を飲んでもらってぇ」


 素材集めなんかの荒事ならともかく、魔道知識や技術が必要となるライの治療に関しては、リィナ姉に丸投げだ。


 今、俺がすべきなのは全部わかってる顔で、リィナ姉の行動にうんうんうなずく事くらい。


 打ち合わせの時に、俺の説明でリィナ姉もフェルも「なんとかできる」って言ってたから、多分、大丈夫なはずだ。


「……こ、これを飲むの?」


 リィナ姉に差し出された霊薬の小瓶を見て、ライはあからさまに怯んだ。


 うんうん、わかるぞ。どう見てもドブの色してるもんな。


「安心なさい。味もそのままドブ味――いいえ、それ以上にひどいから」


「それのどこに安心する要素がっ!?」


「効きだけは確かなのよ……」


 思わず遠い目をして俺は答える。


 そう。あのドブ水、厄介な事に効き目だけは本当にやばいんだ。


「数年前、グレイが火山で大トカゲに襲われた時、火の息を吐きかけられても治ったわ」


「――待って! トカゲは火を吐かないでしょ!? 竜っ! それ、絶対に火竜だよね!?」


 ……そう思っていた時期が、俺にもあったなぁ。


 だから俺は、あの時の姫様の言葉をそのままライに送る。


「まー! 平民は無知ね! しょうがないから教えてあげる。

 ――竜属というのは、自らの意思で時空干渉を行えるのが最低限。時には異なる世界へ渡航できる生物の事をそう呼ぶのよ!」


「じ、時空かん? 異なる世界?」


 わかる。わかるぞ。俺もホンモノの竜に出会うまでは、意味がわからなかったからな……


 いや、出会った今でも、アレは大トカゲなんかゴミクズにしか感じられない――という程度にしか理解できてないけど……


「わからないなら、とにかくグレイが遭ったのは、ただ火を吐く大トカゲと思っておけば良いわ。

 今、大事なのは、そのドブ水――じゃない、霊薬の効き目が抜群って事なんだから」


「……自分でもドブ水って言ってるじゃないか!」


「ああ、もううるさいわね! さっさと飲みなさい!」


 と、俺はリィナ姉からドブ水もとえ霊薬の小瓶を受け取り、ライの口を開かせて飲み口をねじ込んだ。


「――ん~っ!? んんん――ッ!?」


 目を見開くライの口て手を当てて、決して吐き出せないよう押さえつける。


「ん、ぐぅ……」


 ライの喉が動いて、飲み下されたのを確認して、俺は手を離した。


「ひ、ひどいよ。シャルロットさん……おえぇっ」


 涙ぐみながら抗議するライ。


「はいは~い。ライくん、このお茶を飲むと、多少、後味が楽になりますよ~」


 そんな彼にリィナ姉は、<保管庫ストレージ>からティーポットとカップを取り出し、ポットの中身をカップに注いでライに手渡す。


 ――なん……だと?


 俺は思わず目を見開く。


 ――おい、リィナ姉。そんなものがあるなんて、俺は聞いてないぞ。


 指信号ハンドサインを送るが、リィナ姉は無視しやがった。


 ひでえよ。


 あのひどい味と、三日は消えてくれない後味がイヤで、いつも俺は死にかけるギリギリまで、霊薬を使うのを躊躇してたんだ。


 そんなものがあったなら、あの時もあの時だって――


 そんな事を考えている間にも、ライはリィナ姉からお茶を受け取って飲み干す。


「ああ、ホントだ。ぜんぜん臭いがしなくなった」


 そこまでの効きなのか……


 ジト目をリィナ姉に送るが、やはり無視された。


 と、さすが姫様特製の霊薬だ。


 もう効いてきたのか、ライの顔がみるみる赤くなっていく。


「んん? なんだかめまいが……身体も暑くなってきたんだけど……これ、お酒じゃないよね?」


「壊れ、歪んだ状態で固定されていた魔道を、霊薬の作用によって一度ほどいたの。

 めまいや発汗はその副作用ね」


 リィナ姉はライをその場に座らせ、そう説明する。


「……君の場合、いまの壊れた状態が正常と魂が記憶してしまっているから、ここからはちょっと特殊な方法でいくわね」


「……とくしゅ?」


 ろれつの回らない口調で問いかけるライの目の前に――


『――は~い! あたし、参っ上~!』


 フェルが横ピースしながら姿を現す。

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