第2話 4

 魔道に限らず、実技の授業は基本的に二クラス合同で闘技場で行われる。


 座学ならともかく、実技を教えられる教師はいわば専門職に分類されて、数が限られるからだ。


 帝国全土の男爵位以上の子息令嬢が集められる為、一クラスは三十人で一年生だけでも九クラスある。


 三人の皇子殿下が生まれた年に当たる二年生はもっと多い。


 妃殿下方のご懐妊を知って、多くの貴族家が我が子を皇子の学友にしようと奮起したのか、十二クラスもあるほどだ。


 三年生は六クラス。通年ならば多い方だったというから、御学友狙いの貴族がいかに多かったのかがよくわかる。


 一年生が通年より多いのは、皇子同様に姫様が生まれた年だからだ。


 元服の際にご成婚された御館様は、同時にエルディオン公国の大公となられた。


 譜代家臣に囲まれている州総督家――併合された旧国家の王族より、新興公国の後継の方が取り入りやすいと考えた貴族達が、やはり御学友狙いで奮起した結果というわけだ。


 そんなワケで、闘技場の舞台では現在――停学中のサイベルト派生徒を除いた、四十八名の生徒が魔道実技の真っ最中だ。


「――そう! 攻性はいかに正確に喚起詞を唄えるかにかかっているんだ!」


 魔道実技教師のホーラン先生が、たった今、風精を喚起した女生徒に声をかけている。


 俺はそれを壁際に座り込んで、眺めていた。


 要するに見学だ。


「……魔術、魔術ねぇ……」


「はは……大魔道のシャルロットさんには、つまらない授業だよね」


 俺の呟きにそう声をかけてきたのは、同じく隣に座り込んで見学をしている男子生徒――ライだ。


「そういうおまえも、参加できなくて退屈でしょう?」


 平民特待生の彼は、小麦色の後頭を掻きながら、碧い目を細めて苦笑する。


「まあ、唱器エコーどころか喚楽器デバイスにさえ魔道を通せないんだから、仕方ないよね……」


「というより、この授業のあり方こそ、あたくしはおかしいと思うわ」


 姫様もきっと同じことを言うと思う。


 ――魔道実技。


 つまりは魔道の扱いを実践を通して教える授業だ。


 一年生のカリキュラムでは、基礎的な魔道――喚楽器デバイス唱器エコーの扱いを教え、本格的な攻性魔法は二年で専攻分けしてからという理屈はわかる。


 だが、ホーラン先生が教えるのはばかりで、魔法にはまるで触れないのだ。


 そして、俺がこうして見学しているのも、それが理由だ。


 先週の初授業。


 ――さあ、シャルロット様。大魔道と謳われるそのお力を、みんなに見せてやってください!


 というホーラン先生に促されるままに、俺は攻性魔法を披露した。


 大魔道の肩書を持つ姫様の為にも、成り済ましている俺が無様を晒すわけにはいかないと、そりゃもう全力だったさ。


 一般的な六精に分類される攻性魔法だけではなく、俺が喚起できる中で最上位の攻性魔法――<星堕としサテライト・ストライカー>まで喚起して見せた。


 だが、ホーラン先生には気に食わなかったらしい。


 ――喚楽器デバイスはどうしたのですっ!?


 と、彼は怒りに顔を真っ赤に染め上げて、俺を叱責した。


 ……いや、いまさら魔術なんて――


 そう苦笑したのが、火に油。


 ――良いから魔術を使いなさい!


 そうしてホーラン先生は俺に簡易喚楽器デバイスの刻印符を握らせたんだが――まあ、符の刻印は俺の魔動に触れた瞬間、焼き切れてしまったんだよな。


 その後も各属精対応の専用喚楽器デバイスを試させられたが、どれも同様の結果だった。


 まあ、正直なところ魔動を抑えて魔術を喚起するのはできない事はないんだが、姫様と共に魔道を学んだ俺が、いまさら魔術の授業から得るものなどない。


 ――どうも、あたくしは授業のお邪魔なようね。見学している事にするわ。


 なおも魔術にこだわるホーラン先生にそう告げて、俺は晴れて実技授業への参加は免除とさせたわけだ。


「学園の魔道実技……異なる知見を得る、良い機会だと思って期待してたんだけどなぁ……」


 膝を抱えて、思わずボヤく。


 ぶっちゃけ姫様の魔道はぶっ飛びすぎていて、俺には世の中の魔道士の『普通』がわからないんだ。


 姫様に命じられる素材集めも、基本は独りだったし。


 だから、それを知る良い機会と考えてたんだが……


「――どうもホーラン先生は革新派みたいだしね」


 と、俺のボヤきに、ライは声を落としながら教えてくれる。


「ああ、やっぱりそうなのね……」


 あの魔術へのこだわりようから、そうじゃないかと思ってた。


 革新派――それは魔法を古式や旧式と呼び、魔術こそ新たな、そしてこれからの魔道を担っていく技術と謳う魔道士の派閥だ。


「事象が固定化された魔術なんて、実戦ではものの役に立たないと言うのに……」


「え? 実戦?」


 おっと、思わず素が出ていたようだ。


 首を傾げるライに、俺は照れ隠しに見えるように笑みを浮かべて見せた。


「え、ええ。研究の素材を集めに、魔境に赴く事があるのよ。その時、魔獣相手に、ね」


 主にグレイが、だがな。


 採取する素材によっては、姫様もくっついて来る事もあるから、まったくの嘘ではない。


「ほら、魔術っていうのは、喚楽器デバイスに定型詞を唄って喚起するでしょう?」


 今、舞台の上で生徒達が練習しているのが、まさにそれだ。


「だから、喚起される魔道事象は喚楽器デバイスによって固定化されちゃうのよ」


 例えば火精なら弦楽器型の喚楽器デバイス、風精なら笛型だ。


 土精は太鼓型で、水精は鍵盤楽器というように、魔術というのは、喚起する魔道事象に応じて喚楽器デバイスと名付けられた魔道器を使った――姫様風に言うならば、劣化魔法なんだ。


 メリットは魔法が得意でない者でも、一定の魔法が使えるという点。


 デメリットは、俺のように喚楽器デバイスに刻まれたものより強力な魔法を自前で喚起できる者にとっては、枷でしかないという点だ。


 元々は魔動が弱く、貶められていた貴族の子供の為に生み出された魔道器だったそうなんだが、時代の流れと共にそんな開発経緯は忘れ去られ、一部の貴族や魔道士達は革新派なんて名乗り、『魔術こそ真の魔道』などと言い出す始末。


 ちなみに昌器エコーというのは、喚楽器デバイスの発展型魔道器で、自身が喚楽器デバイスで奏でた魔術を刻印として刻みつけ、いつでも何度でも繰り返し喚起できるようにしたものだ。


 革新派の間では、この昌器エコーに刻んである魔術の数で魔道士としての優劣が決められるんだとか。


「つまり魔術っていうのは、魔法の劣化版――魔道器によって引き起こされる魔道事象でしかないから、魔獣相手にはまるで役に立たないのよ」


 正直、複数の刻印を組み合わせた、魔芒陣の方がまだ汎用性がある。


 軍や騎士団が魔術を用いないのもそうだ。


 いつだろうと同じ威力を発揮できる魔術は、見世物としては良いのだろうが、臨機応変な対応を求められる戦いの場では、敵ごと味方まで巻き込んでしまう恐れがあるからな。


 だから生徒に魔道を教えるのなら、魔術をきっかけにするのは良いとして、そこから刻印や魔芒陣、簡易魔法などを教えた方が、よっぽど将来の為になるはずなんだが……


 俺の説明に、ライは困ったような笑みを浮かべた。


「それでも……魔道が壊れてる僕にしてみたら、魔術でも喚起できたらなぁって思うよ……」


 寂しげにそう呟き、ライは胸の前で拳を握る。


 ――魔道が壊れてる。


 それこそが彼が俺と一緒に見学している理由だった。


 喚楽器デバイスを喚起するには、自らの魔道を刻印に通して定型詞を唄う必要がある。


 だがライの魔道は、幼い頃に罹った病で狂っているらしく、喚楽器デバイスだけではなく、魔道器すべてが喚起できなくなっているらしい。


 彼に見学しているよう告げた時の、ホーラン先生の見下したような――侮蔑混じりの表情が脳裏に蘇る。


「……病、ねぇ」


 どちらかというと、毒――それも霊薬級のモノの症状に思えるんだが。


 とはいえ平民のライにそんなモノが使われる理由が思いつかないし、俺が知らないだけで、本当にそんな病もあるのかもしれない。


 ライは舞台の上で喚楽器デバイスを奏で、定型詞を唄う生徒達を羨ましげに、憧れの表情で見つめている。


 ……ふむ。


 当たり前の事ができない苦しさを、俺はよく知っている。


 この身体を姫様が造ってくれるまで、俺は手足の欠けた役立たずだったからな。


 姐さん達に世話をされて、日々、申し訳ない気持ちで過ごしていた。


 ライの気持ちすべてを理解できるとは言わないが……


 彼の苦しみの一部は、かつて俺が抱いていたものと同種のものに思えたんだ。


 俺は姫様に拾ってもらって、こうして満足な身体まで造ってもらえた。


 ……じゃあ、ライは?


 こうして理不尽な身の上に諦めを抱いている者を前にして、姫様は黙っているだろうか?


 いいや。そんなはずない!


 断じてない!


 それなら、そもそも俺はここに居ないんだ!


 ならば――シャルロット・エルディオンに成り済ましている俺がすべき事はひとつだろう?


 俺は立ち上がり、膝を抱えて生徒達を見つめるライを見下ろす。


「――まー! 羨むのなら、なぜそこで諦めてしまうのかしら!?」


「へ? シャ、シャルロットさん?」


 戸惑いの色を浮かべるライに、俺は腰を屈めて顔を寄せる。


「……ねえ、ライ。

 この世界は、悲しみと理不尽に満ち満ちていて――あたくし達は、いつだってそれに翻弄されるしかないんだわ」


 それは姫様あいつが俺にくれた、大切な言葉宝物


 きっとあいつなら、ライにも同じ言葉をかけたはずだ。


「でもね、それに抗い続ける者には、一歩でも前に進もうともがく者には――そういう者にこそ、救いの手は差し伸べられるのよ……」


 だから、俺は姫様あいつに代わって、同じ言葉を送った。


 そして、あいつが俺によくする不敵な笑みを浮かべて。


「ライ、おまえ……足掻いてみる気はあるかしら?」


 彼を見下ろして、俺はそう訊ねた。


「ど、どういう事?」


「魔法を喚起できるようにしてあげるって言ってるの」


「――ホント!?」


 途端、ライは立ち上がって、俺の顔を食い入るように見つめてきた。


「魔道医達も、完治は無理って匙を投げたんだよ!?」


 呻くように告げるライに、俺はより笑みを濃くする。


「まー! そこらのヤブ医者とあたくしを比べるなんて、おまえ、不敬だわ!

 この大魔道シャルロット・エルディオンの力を見せてあげる!」


 そう宣言し、俺とライは放課後に寮の裏庭で落ち合う事を約束した。

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