第1話 6

 学生寮の南――本校舎の南西には巨大な円形闘技場が設けられている。


 帝都城下にある国立闘技場と同型の建築物だ。


 生徒すべてを収容してもまだ席に余裕があるほど広く、普段は実技の授業に活用されているのだが、放課後には今の俺達のように決闘の場として生徒に開放されている。


 ――決闘は帝国貴族の華。


 皇帝陛下自らがそう謳うほどに、帝国貴族は決闘好きだ。


 これは別に帝国貴族が荒い気性をしているというわけではなく、その歴史に由来するのだが――まあ、わかりやすく言えば、大貴族や州総督同士による内戦を防ぐ為だ。


 ステルシア帝国は広大な領土を持ち、州総督には一定の自決裁量権すら許している。


 となれば、州同士の諍いは絶えないわけで――かつてはそれで内戦が起こり、国を割りかけた事さえあったそうだ。


 その為、時の皇帝陛下は貴族同士の戦争行為を禁止し、諍いごとは代表者を選出しての決闘によって収めるよう、帝国臣民による紛争行為禁止法――いわゆる決闘法を制定したんだとか。


 そんなわけで、学園では決闘を推奨こそしてはいないものの、揉め事解決の手段として容認している。


 併設された兵騎蔵に向かう為に闘技場の横を通ると、すでに多くの生徒達が客席に詰めかけているのが見えた。


 リィナ姉の根回しは順調らしい。





「――も~! やっと来た!」


 兵騎蔵のエルディオン大公家専用に割り当てられた駐騎場までやってくると、リィナ姉が腰に手を当てて頬を膨らませた。


 一見すると十代前半のロリメイド。


 だが師匠の娘である彼女は、公都にある士族学校を昨年しっかり卒業した成人淑女――元服済みの十八歳だ。


 一五〇に届かない背丈は、どうやらおかみさんに似たらしい。


 クリクリとした大きな鳶色の目も、その幼さい見た目に一役買っているように思える。


 だからこそ、侍女らしくシニヨンにまとめられた髪が、年齢に見合わない背伸びをしているように見えて、ひどく似合ってないんだ。


 ――ヘソを曲げてしばらく口を聞いてくれなくなるから、絶対に口には出さないけどな。


 どうもリィナ姉の中では、シニヨンは大人の女性の証という事になってるらしい。


 まあ、城のベテランの姐さん達がシニヨンだもんな。


「済まない。あえてゆっくりと歩いて来たんだ」


「むぅ……どういう事?」


「リィナ姉の根回しに時間がかかると思ったのと――」


 途端、リィナ姉は爪先立ちになって、俺の顔に人差し指を突きつける。


「このわたしが、あの程度の噂を流すのに手間取るわけないでしょ~!!」


 まあ、そうだろう。


 リィナ姉はこの歳でおかみさんから<影>の名を受け継いでいるのだから。


 俺は突きつけられたリィナ姉の指先を手で押しのける。


「最後まで聞けって。あとはダッグス達を苛立たせる為だ」


「……ああ、なるほどねぇ」


 と、リィナ姉は納得してくれたようだ。


 基本的に貴族の待ち合わせとは、格下が先に出向いて相手を待ち受けるものだ。


 今回の場合、本来ならば従者の俺がダッグスより先に入場するのが礼儀といえる。


 だが、俺はあえてヤツより後に入場しようと考えていた。


 俺自身は浮浪児上がりの従者に過ぎないのだが、この決闘においては姫様の代理人で――エルディオン大公家の名を背負っている以上、子爵家であるダッグスより格上の振る舞いをしても許されるんだ。


 とはいえ、普通の従者ならばそれを実行する事はないんだけどな。


 ダッグスもそう考えているはずだ。


 だからこそ、俺は奴より後に入場して、立場をわからせようと考えたんだ。


 やたら自尊心の高いダッグスは、きっと今頃激昂している事だろう。


 怒りは冷静さを失わせ、普段はしないようなミスを呼び込む。


 騎士団の兄貴達と違って武に秀でているわけではない俺が、決闘慣れしている貴族に勝つには、こういう小賢しい策を弄するしかないのだ。


「そんな事しなくても、グレイとこの子なら、たいていは難なく勝てると思うけどねぇ」


「それはリィナ姉の――身内の贔屓目だよ」


 実の弟のように接してくれるリィナ姉は、俺を過大評価し過ぎる悪癖があるんだ。


「俺自身の実力は、俺が一番、よく知ってる」


 騎士団の兄貴達に比べれば俺なんてまだまだだ。


 兄貴達は俺みたいに、大トカゲ相手に苦戦して半べそ掻いたりしないもんな。


「ああ……姫様と騎士連中の教育方針の弊害だわ……」


 と、よくわからない事を言うリィナ姉から――


「――そんな事よりさ」


 俺は駐騎場内で固定器に鎮座した、俺の相棒――寸胴短足な巨大な甲冑に視線を向ける。


 兵騎だ。


 狼を模した兜から、真紅のたてがみが背部へと流れている。


 派手好きな姫様によって設計された装甲の色は銀。


 兄貴達の公国制式騎と違って、腕を覆い隠すほどに巨大な肩甲が特徴的な騎体だ。


 五メートルほどの巨躯のその胸部装甲は左右に開かれ、騎乗部――鞍房あんぼうを覗かせている。


「騎体整備、ありがとな」


「それもあるから、わたしが一緒に来たようなものだしねぇ」


 同じく騎体を見上げながら、リィナ姉は苦笑。


 そう。諜報工作だけなら、別にリィナ姉が学園まで同行する必要はなかった。


 おかみさんの教えを受けた侍女は、城には数多くいるんだ。


 姫様専属という立場を考えれば、リィナ姉はむしろ姫様のおそばにこそ侍っているべき人材だ。


 それでも姫様があえてリィナ姉を選んだのは、錬金術士としての国家資格を有しているから。


 幼い頃から俺と一緒に、姫様の学習に付き合っていたリィナ姉は、魔道知識においては姫様に次ぐ能力を持っていて、今では姫様の魔道器開発の助手を務めるほどなんだ。


 姫様特製の俺の騎体をいじれるのは、姫様以外にはリィナ姉しかいない。


 日常的に決闘騒ぎが繰り広げられる学園で、兵騎の整備を行える人材は必須という事もあって、リィナ姉は俺と一緒に学園にやって来たというわけだ。


「――前に騎体が重く感じるって言ってたでしょう?

 同調器リンカー・コアの封印を一段階解除しておいたから、感覚の違いに気をつけるのよ~」


「――わかった」


 リィナ姉にそう応じて、俺は固定器に設けられた階段を登り、騎体の胸――鞍房あんぼうへと身を滑り込ませる。


 鞍のようになった座席に腰を降ろし、その左右に設けられた円筒――固定具に四肢を通せば胸部装甲が閉じられ、俺の顔に同調器リンカー・コアと接続する為の魔道器――仮面が現れて、装着される。


 胸の奥にあるという魔道器官を意識すれば、一瞬、感覚が喪失した。


「――目覚めてもたらせ……」


 騎体を喚起するうたを唄えば、仮面に覆われていたはずの視界が開けて、感覚が戻って来た。


 いまや俺の身体は兵騎そのもの。


「――どう? 違和感はない?」


 そう訊ねてくるリィナ姉を、俺はうなずいて見せる。


「うん。大丈夫みたいだ」


 むしろ以前の方が、騎体が重くて違和感があったくらいだ。


「そう、よかった。

 ――じゃあ、送るわね~?」


「ああ、行ってくる!」


 そう応じれば、リィナ姉は固定器に設けられた転送刻印を喚起する。


 視界が真っ白に染まり――次の瞬間、俺は闘技場へと移動していた。

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