第1話 5

 ――学園に通うよう命じられ、俺は即座に反論した。


「――み、身代わりで良いのなら、侍女の姐さん達に頼むべきでしょう!?」


 だが、姫様はそれを否定した。


「バカね。あたくしは大魔道なのよ? もし魔法について知見を求められたらどうするのよ?」


 様々な特技を習得している大公家の使用人達であっても、姫様ほどの魔道知識は持ち合わせては居ない。


 一方、俺は幼い頃からずっと姫様の学習や研究に付き合ってきたから、それらの問答にもある程度なら答えられる。


 また、侍従や騎士団の兄貴達と違って女慣れもしているから、学園内で女生徒と友人関係を構築するのにも適していて、人脈コネを作って欲しいという御館様の要望にも叶うというのだ。


「……なるほど。それなら確かにシャルは帝都などに行かず、この城にいられるね……」


 この段階で、御館様は姫様の屁理屈を受け入れてしまっていた。


 もともと御館様は姫様に激アマなお方だ。


「グレイがシャルの身代わりとして友人にふさわしい相手を見極め、その後<伝話チャット>で対話して仲を深められるならば、わざわざ城を出る必要もない、か?」


 ――そんな事まで言い出していた。


 ……御館様から寄せられる信頼を、辛いと思ったのは始めてだ。


 だから――俺は最後の抵抗とばかりに、覆しようのない現実に縋った。


 大抵の無理無茶無謀は、持ち前の強大過ぎる魔動と知識でゴリ押してきた姫様だったが、そろそろ叶えられないわがままもあるのだと知った方が良い――そんな風にも思った。


「――そもそも俺は男ですよ? 女装するにしても、体格はどうしようもないでしょう!?」


 拾われたばかりの頃はガリガリに痩せ細り、拾われてからしばらく経ってもチビのままだった俺だが、城の食事がよかったのか、それとも顔も知らない親の遺伝なのか知らないが、十三の夏から急に背が伸び始め、今では一八〇に届きそうなほどになっている。


 姫様の魔道器研究に使う素材を集める為に鍛えたから、騎士団の兄貴達ほどじゃないが、筋肉だって付いている。


 俺自身としてはもっとムキムキになって、団長のようになりたいのだが、師匠が言うには従者は他家のお客様と接する事もあるから、余りにも筋肉を付けすぎると威圧しているように捉えられてよろしくないそうで……だから、いわゆる細マッチョに留めている。


 とはいえ、あくまで男同士で比べたなら細く見えるというだけだ。


 こんな体格の女性はありえないだろう。


「そんなワケで姫様。世の中には、どうしたって覆らない道理があるんです。

 現実を受け入れて、学園でどう過ごすか考える方が建設的ですよ?」


 しかし、姫様は諦めの色を浮かべるでもなく、まして悲しんでいるようでもなかった。


 代わりに浮かんでいるのは、事が上手く運んだ時に見せる、満足げな微笑。


「……ふふ。グレイ、知ってるかしら?

 魔道を志す者が、死ぬまでにぜひ一度は口にしてみたい言葉ランキング、不動の第一位を……」


「は? なに言ってんですか? なぜ今、そんな……」


 首を傾げる俺に、姫様は最後まで言わせなかった。


「――こんなこともあろうかとっ!」


 高らかにそう言い放った姫様は、俺に一歩歩み寄り、爪先立ちになって俺の顔の前に拳を突き出す。


 その手がクルリとひるがえされて、開いた手の平には百合の彫刻が施された細い銀色の指輪があった。


 よく見ると彫り込まれた百合の線一つ一つが、微細な魔道刻印が刻み込まれていて、姫様からこぼれ出る魔動を受けて、虹色の燐光を放っている。


「――魔道器?」


「そう、魔道器よ!

 あんた言ったわよね? どうしたって覆らない道理がある?

 魔道ってのはね、それをぶち壊す為に――埒外の理でこの世界を書き換える為に存在するのよ!」


「……ま、まさか――」


 イヤな予感を覚えて一歩後ずさるが、姫様は念動の魔法で俺を捕らえて身動きを封じた。


「さあ、覚悟なさい!」


 俺の意思に反して左手が掲げられ、同時に姫様の手から指輪が浮き上がる。


 そして、有無を言わせぬ勢いで、指輪は俺の左手中指へとねじ込まれた。


「――ガアアァァァァ!?」


 直後、身体中に激痛が走って、たまらず俺は絶叫した。


 全身から汗が噴き出し、発熱しているのがわかる。


 ゴキゴキと骨を折った時のような音が身体のあちこちから響き、同時に腹の中を弄られているような感触に吐き気が込み上げた。


「初回だから、痛いのは我慢しなさい。

 一度構築に成功して記録させれば、次回からの再構築はあんたの魔動と精霊を転換して速やかに行われるようになるわ」


 という、姫様の声がひどく遠くから聞こえてくる気がした。


「シャ、シャル。おまえ、グレイになにをしたんだい?」


 ああ、やはり御館様はお優しい。


 姫様と違って、ちゃんと俺の心配をしてくださっている。


 一方、この激痛を俺にもたらした張本人はというと、御館様に自慢げに絶壁の胸を張ってみせて――


「――なにって、グレイを女にするのよ!」


 意識が遠のき、真っ白に染まり始めた視界の中、姫様の自信たっぷりの声だけは、やたらはっきりと聞こえた。




 そうして俺はことごとく反論の術を封じられ、姫様の身代わりとして、ここ帝立学園に通うハメになったというわけだ。


 姫様の命令オーダーは単純明快だ。


 国内に流布されている姫様に関する噂話――妄想の中の聖女像を打ち砕き、皇子達に姫様を諦めさせる。


 それに加えて、御館様からは学生達と交流して人柄を見極め、姫様の人脈コネを構築するよう仰せつかっている。


 ――もし失敗しようものなら、あんたが皇子の妃になるのよ?


 などと恐ろしい言葉で釘を刺されて、俺は城から送り出されたんだ。


 だから、俺は失敗するわけにはいかない。


 なんとしても皇子達の愚行を――姫様を妃に望むなんていう愚かな野望を打ち砕く!


 組紐で結い上げた髪を解き、左手から指輪を抜き取れば、俺の身体を虹色の燐光が包み込み、瞬く間に本来の――男の身体に転換される。


 長かった髪が舞い散って燐光に転じ、舞い落ちる雪のように、床に触れる前に溶けて霧散した。


『は~、何度見ても不思議だよねぇ。すべての生き物は霊脈を介してその身体構造が世界に記録されているはずなのに』


 と、俺の手から指輪を取り上げて眺め回し、フェルが感嘆の声で呟く。


「俺も正確には理解してないけど、むしろその記録こそを書き換えているとか姫様は言ってたな」


 <伝話チャット>もそうだが、この指輪もまた、外部に漏らせないエルディオン大公家の最重要機密になっている。


 ――<身体転換器ライフ・リライター>と名付けられたコレが世の中に出回ってしまったなら、帝国貴族の家督継承制度が大混乱に陥ってしまう事だろう。


 だから俺は、男に戻った時もこの魔道器を肌身離さないようにしている。


『あ、あたしが結んであげる!』


 と、フェルが俺の手から組紐を取って抱えていた指輪に通し、俺の首に組紐を回して後ろで結わえてくれる。


 込められた魔道効果もそうだが――実はこの指輪、見る人が見れば使われている素材もあって、かなり高価なものだとわかるだろう。


 魔境の奥深くにしか生えない深妖樹しんようじゅの雌花を芯に使い、銀晶で皮膜しているんだ。


 鋼鉄より硬く、魔剣に用いられる事もある深妖樹を加工するには、やはり限られた土地でしか根付かない光曜樹こうようじゅを用いた道具が必要となり、それを造るのにも特別な魔道器が必要になるという――素材としては非常に厄介なシロモノだ。


 いつもなら姫様は俺に素材採取をさせているのだが、今回は俺に秘密で事を進める為に、銀行に死蔵させていた資産を惜しみなく放出して冒険者を雇ったらしい。


 冒険者に払った報酬だけで、俺の生涯賃金の三倍……それに加えて姫様の未知の魔道技術で加工されている指輪の価値は正直考えたくもない。


 首から下げた組紐の結わえ具合を確かめ、しっかりと結ばれている事を確認した俺は、クローゼットから戦礼装バトル・スーツを取り出す。


 これもまた姫様が生み出した魔道器だ。


 全身を包み込むツナギのようになった造りで、身体の要処を大型魔獣の甲殻を加工した装甲が覆っている。


 生地も魔狼のたてがみを織り込んだもので、耐刃性に優れている。


 今ではエルディオンの騎士団も制式採用している防具だ。


 重い金属甲冑と同程度の防護性を持ちながら、衣服と変わらない軽さだから、兄貴達にも好評だ。


 そして、制式採用された戦礼装バトル・スーツ原型オリジナル――試作品となる俺のには、姫様の奇抜すぎる様々な発想による機能がこれでもかと盛り込まれている。


『――その格好してるグレイを見ると、出会った時のコト、思い出すなぁ。

 すごいよね、その服。大トカゲに噛みつかれてもビクともしないんだもん』


「……やめろ! 思い出させるな!」


 あれもまた、俺の数ある忘れ去りたい過去トラウマのひとつなんだ。


「そんな事より、リィナ姉は?」


 と、俺は話題を変える為に、この部屋に居ない人物の名前を挙げる。


 いつもならこの時間は、夕飯の支度前の小休憩おやつタイムのはずなんだが。


『えとね、グレイが決闘するのを教えたら、根回ししてくるって出てったよ?』


「根回し?」


『勝負のあとで、言い逃れできないようにしておくって言ってた』


「ああ、なるほど……」


 決闘そのものは、ダッグスの独断で決まったものだが、ヤツは第三皇子サイベルト殿下の名前を出して決闘を申し込んできている。


 当然、負けたなら殿下の名前を汚す事になる為、なにかしらの屁理屈をこねて強引に無効にする事も考えられるのか。


 師匠の娘で、おかみさんから直接侍女教育を受けているリィナ姉は、俺が苦手とする諜報・工作活動に長けている。


 そんなあの人が「やる」と言ったなら、ダッグスがどうゴネようと逃げ道は徹底的に潰されるだろう。


『それが終わったら騎体整備をしておくから、駐騎場で合流しようってさ』


「わかった。んじゃ、行くか」


『ほいさ~』


 フェルが俺の肩に腰を降ろし、俺は部屋を出て兵騎蔵に向かう。

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