第1話 4
決闘の用意をする為、俺は一度、寮へと戻った。
広大な敷地を持つ帝立学園は、当然、学生寮のサイズも大きい。
国内の貴族の子を集めているのだから当然だが、その大きさや警備の厳重さから、もう城塞と言っても良いような規模だ。
家格に応じて与えられる部屋の大きさも異なり、傍流とはいえ王族に数えられるシャルロット・エリュディオンに与えられたのは、寮の南東フロアをまるごと占有した場所だった。
寮室と言われてはいるものの、入り口を抜ければそこはひとつの屋敷のような造りになっている。
玄関となるロビーがあり、そこを抜けると来客をもてなす客室まである。
浴室やトイレも専用のものが室内に設けられ、給仕用の簡易厨房まで用意されているんだ。
使用人の部屋も十室ほどあるんだが、現在はロビーに近い二部屋しか使われていない。
そのうちの一方が、本来の俺――グレイとしての俺自身に与えられた私室だ。
結い上げた灰色髪に、やや吊り上がり気味の紅い目。
そこには姫様とは似ても似つかない――演劇なんかに出てくる悪女のような女の顔があった。
「……
城のみんなの反応から、不細工ではなく――むしろ美人ではあるらしい。
ただ、姫様の外見が――あくまで外見だけだが――儚げな美少女なのに大して、俺のこの姿はどう見ても悪女だ。
それもマフィアのボスなんかを手玉に取って、高笑いしているようなタイプの。
――だから良いのよ!
と、強く主張したのは姫様だ。
曰く――尾ヒレが付きまくって捏造された、あたくしを称賛する噂を消すには、過度なインパクトこそ重要なのよ!――だそうだ。
そう。姫様はいま世の中に出回っている、ご自身を褒め称える噂が気に入らないらしい。
――魔道士は畏怖されてこそでしょう? なんで聖女みたいに思われてるのよ!
まあ、それで皇子様方に妃にとまで望まれているのだから、それを消し去りたい姫様の気持ちもわからないでもない。
<
だから姫様の姿はご両親――御館様や、今は亡き奥様の姿絵から、様々に想像されていて、噂の尾ヒレをさらに長く引き伸ばしていたんだ。
入学式の日には、その姿をひと目見ようと、生徒だけじゃなく父兄まで集まってたくらいだ。
そこに現れたのが、この顔だ。
集まった人々のなんとも言えない微妙な表情が忘れられない。
あからさまにホッとした表情を浮かべる高位貴族家と思しきご令嬢達。
ああ、こんなものかとばかりに――明らかに失望を浮かべた男もいたな。
その夜、俺は泣いたよ。
そりゃあ、俺だって姫様ほどの美少女のつもりはなかったさ。
でもさ、悪女顔とはいえ、城のみんなは美人だって言ってくれてたから、多少はそのつもりになってたんだよ!
それが俺が馬車から姿を現した途端、歓声が凍りついて、波が引くように人々は散っていって――ぶっちゃけあの朝の出来事は、決して平穏ではなかった俺の人生の中でもトップクラスのトラウマだ。
「クソ……そもそも男の俺が、なんで女なんかに――」
『ま~たグチってるの? 入学して二週間になるんだから、いい加減諦めなよ~』
と、そんな甲高い子供声が脳裏に響き、同時に鏡に映った俺の背後から、ひょこりと小さな女の顔が飛び出す。
――幼いのではなく、文字通り小さな身体の女だ。
「フェル、起きてたのか」
そう俺が声をかけると、ヤツは俺の肩に立ってうなずく。
『うん。シャルに頼まれてた仕事はだいたい終わったからね~』
俺の頭とほぼ同じくらいの大きさの身体は、触れている感覚があるのに半透明。
空のような青い髪を左右二つに分け結い、くりくりとした丸い翠の目には呆れの色が浮かんでいて、背には刻印めいた虹色の線が明滅する
こいつ――フェルは、とある事情で知り合った
本来
やたら小うるさいのが珠に疵だが、人には扱えない
どうも俺を相棒と捉えているらしく、大人しく城に残っていれば良いものを、学園まで一緒についてきたんだ。
ここ最近のフェルは、姫様から頼まれた『内緒の仕事』とやらで、毎晩夜更けに出かけては夕方まで眠るという昼夜逆転生活を送っていたんだが、どうやらそれも終わったらしい。
『それよりさ~、グレイってばずいぶん派手にやらかしたじゃん?』
霊脈に暮らし、虚実の狭間に生きる
「それが姫様のご要望だからな」
言いながら女子制服を脱いで、ハンガーにかける。
『あ~! グレイ、またブラ着けてないじゃん!』
途端、フェルが小さな手で俺の頭を叩いた。
「ちゃんとサラシで締めてるだろう?」
いかに女の身体にされて姫様を演じていようとも、俺自身は男なんだ。
アレまで着けたら、なにかが終わってしまう気がする。
『も~、せっかくイイモノ持ってるのに!』
そう言いながらフェルは俺の肩から飛び立ち、サラシの端を持って周囲をクルクル回りながら解いていく。
こぼれでた自分の胸を見て、俺は思い出し笑いした。
俺が女にされた直後、俺に女服を着せようとした姫様は、この乳を見て絶望の表情を浮かべたんだ。
――まーっ!? まーっ!! 従者のクセになんて生意気なの!? 処刑よ! 処刑だわ!
自分の外見にほとんど頓着しない姫様だったが、俺に胸のデカさで負けたのは悔しかったらしい。
真っ赤になって目に涙まで浮かべながら、ひとしきり俺の胸を叩き続けていたっけな。
『自分の胸見てニヤニヤするとか、グレイ、変態っぽいよ~?』
「――バッ!? そもそも俺が女の乳なんか見てニヤけるか!」
からかってくるフェルの言葉を、俺は即座に否定する。
物心付くか付かないかの頃、路地裏で行き倒れていたところを姫様に拾われた俺は、大公家に仕える女達を母親代わりに育ったんだ。
それはもう、入れ替わり立ち替わりで世話を焼かれ、浴場もトイレも女性用を使わされていたのだから、いまさら女の身体を見たくらいで劣情を催したりしない。
ましてそれが自分の身体となればなおさらだ。
……まあ、だからこそ、姫様の身代わりという、この役目を仰せつかったとも言えるのだが……
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