第1話 2

 そもそもの話だ。


 俺は本来ならば貴族の子息令嬢が集う、この帝立学園に通えるような身分ではない。


 平民どころか、親の顔さえ知らない浮浪児だったんだ。


 それがこうして性別まで変えられて通っているのは、ひとえに俺の主たる姫様――シャルロット・エルディオンがゴネた所為だった。


 事の始まりは三週間前――





 春の花々が綻び始めた城の東庭園で、エルディオン大公家の従者である俺は、いつものように東屋で読書する姫様にお茶の用意をしていた。


 春めいて柔らかくなり始めた午後の日差しに、まだ青さを残した花の香りを乗せた風がそよぐ。


 姫様の美しい銀髪がふわりとなびいて、くすぐったかったのか姫様の金色の目が細められた。


 白い指先が髪をほつれた髪を掻きあげて耳にかける。


 生け垣に咲き始めた花々がその光景を、よりいっそう美しく際立たせた。


 まるで絵画芸術の一枚のよう。


 俺はすっかり馴染んだ手付きでお茶をカップに注ぎ込み、ソーサーに載せて姫様の前に運ぶ。


 姫様は膝上の本に視線を落としたまま、やはり馴れた動作でカップを口元に運んだ。


 かすかな吐息が漏らされる。


 長い付き合いだ。


 俺達の間に言葉はいらない。


 姫様の好む茶葉、好む味でお茶を淹れ、最適な位置にサーブした。


 ――だから、


 緊張を悟られないよう、努めて表情を消しつつ――俺は祈る気持ちで東屋を出て給仕台のそばに戻ろうとした。


 ……だが。


「――ねえ、グレイ?」


 透き通った声で、姫様は俺の名を呼ぶ。


 聞き違いという事にしたかったが、コツコツと石テーブルを叩かれては、そうもいかない。


「……はい、シャル姫様」


 笑顔を貼り付けて振り返れば、姫様はテーブルに両手を組んで整った顎を乗せ、上目遣いで俺を見据えていた。


「すっかり春めいて来たと思わない?」


「そ、そうですね……」


 刺激しないよう、俺は細心の注意をもって応じる。


「知ってたかしら? あたくし、来週には帝都の学園に入学しなければいけないそうなのよ?」


 知らないはずがない。


 それに合わせて、師匠は上屋敷の人員配置変更やらで大忙しだし、姫様専属の俺やリィナ姉は何日も前から学園寮への引っ越しの用意をして来たんだ。


「へ、へ~、そうだったんですか~」


 ぶっちゃけ知らされてなかったのは姫様だけだ。


 ステルシア帝国の子息令嬢は、十五歳――元服を迎える歳には帝都にある帝立学園への入学が義務付けられている。


 それは皇族であっても例外ではなく、当然、自治を認められているここエルディオン公国の姫君――シャルロット様もまた、その範疇に含まれる。


 そう、知らないワケがないんだ。


 ……よっぽどの世間知らずでもなければ。


 そして我が主は、その『よっぽど』だった。


 興味のある事には異常な執着と集中力を見せるシャル姫様だが、興味のないことは一切眼中に収めようとしない悪癖がある。


 生来、社交的でないこの御方は、貴族の子らが初めて人脈を築き上げる場である学園の事など、まるで関心を持っていなかったんだ。


 だから、敬愛するお館様――大公閣下は、俺達家臣らに戒厳令を敷いて、あえて姫様に入学を伝えないまま、なし崩しに入学させてしまおうと目論んでいた。


 ――最悪、眠らせて寮に放り込んでしまえば、諦めてくれるんじゃないかな?


 昨晩、困り顔で俺達に告げたお館様の心痛、察してあまりあるほどだ。


 だから、俺はお館様のお心に従ったわけだが……


「そ、そんな事より、お茶のお代わりでもいかがですか?」


 ……おかしい、なぜ姫様は眠らない?


 クスリはとっくに効いて良いはず。


 師匠が手配した、大型魔獣さえ昏倒させるという睡眠薬だぞ?


「……何杯飲ませても無駄よ?」


 にっこりと、両手に顎を乗せたまま、姫様は首を傾げて告げる。


 ……なん……だと?


 戦慄が背筋を駆け抜けた。


「あたくしに薬や毒物の類が効くわけないでしょう?」


 と、姫様は顔をあげて、右手で首元のペンダントを示した。


 親指の爪ほどの銀晶の表面で、虹色の輝跡――刻印が走っている。


 ――魔道器だ。


「あの時の事を考えれば――当然、魔道器を造れるようになったら真っ先に造るでしょう?」


 かつて俺と出会った時の事がきっかけになったあの事件で、姫様は確か睡眠薬を飲まされて拐われたのだったか……


 クソッ! あんな些細な事――その後のハチャメチャな日々を思えば、とっくに忘れていると思っていたのに!


「……あんた、ひょっとしてあたくしの事をバカにしてない?」


 まるで俺の内心を見透かしたかのように、姫様が笑顔のまま訊ねてくる。


「な、なんの事やら……」


 俺は顔に焦りを浮かべないよう、努めて笑顔で応える。


「そう。そういう態度なのね」


 と、姫様は鼻を鳴らして、睡眠薬入りのお茶を一口。


 あの魔道器がある限り、どんなに強力な薬だろうとただのお茶と変わりがないという事だろう。


 ならば、まだ言い逃れは利く。


 俺は姫様に一服盛ってなどいない――そういう態度を貫き通して、なんとか学園の話題から話を逸らす!


 俺は思考を高速で巡らせる。


「――ところで……」


 だが、それより早く姫様が口を開いた。


 姫様の方から話題を変えた? ならば、それに全力で乗る!


 そう考えた矢先――


「……リィナとのデートは楽しかった?」


 微笑みと共に放たれた言葉に、俺は反射的に叫んでいた。


「――デート!? フザけんなよ!? 大型家具運びをデートというなら、世の中の配送屋はモテモテの女たらしのジゴロだバカヤローっ!

 ちくしょうめぇ! 少しでもドキドキした俺の純情を返せ!」


 早口で先日の甘えた仕草と口調で、城下に誘ってきたリィナ姉を罵って――そこで俺は我に返る。


「ふふ……さからしげな愚者ほど、聞き手もないのに良く謳う――だわね」


 古い言い回しでもって、俺を揶揄してくる。


「――ハ、ハメやがったなっ!?」


「きっかけは先日――あたくし専属が揃って休めば、不思議に思うものでしょう?

 それで少し調べさせてもらったのよ!

 ――さあ、観念なさい。あんた達が入寮用意を進めてるのは、とっくに調べがついてるのよ!」


「クソ! 誰だ! 誰が漏らしやがった!」


 俺もリィナ姉も、細心の注意で準備を進めてきたんだ。


 家具の買い出しだけは、ふたりで出かける事になったが、それだけで入寮用意にまで姫様が思い至るはずがない。


 ――なにせ姫様は、学園という制度そのものを知らないはずなのだから。


「答えはこうよ!」


 パチリと姫様の指が鳴らされ、途端、そのすぐ左の景色が陽炎のように揺らいだ。


 ……隠蔽の魔法。


 姫様はそれを解除したのだろう。


「――ん~っ! んん~!!」


 次の瞬間、そこには犯罪者拘束用の黒縄でぐるぐる巻きにされ、猿轡まで噛まされたイケメン中年が転がされていた。

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