月夜の農場で会いましょう

くれは

余所者頑張る

 お祖父ちゃんの農場のことは、うっすらと覚えている。たくさんの作物がどこまでも並ぶ、広い農場だった。蝶々が飛んで、陽の光を燦々と浴びて、たくさんの葉っぱが、花が、空に向かって伸びていた。

 夜の農場はまた違う雰囲気で、幼い頃のわたしは少し怖くもあったのだけど、月明かりに輝く夜露や降ってきそうな星々がきらきらとして、昼間とは別の綺麗さがあった。それに、夜には他にも誰か──よく覚えていないけど、お祖父ちゃんの友達だっていう人がきていたような。

 そんな思い出を胸に乗り継いだ馬車は終点に到着した。幾らかのお金を払って降りると、春の風に茶色のおさげ髪が揺れる。大きなトランクを手に、わたしは記憶を頼りにお祖父ちゃんの農場へ向かった。

 村の人が物珍しそうにわたしを見ている。

「こんにちは、あの、村外れの農場に越してきました。リーナといいます。よろしくお願いします」

 わたしがぺこりと頭を下げると、よそよそしい表情で視線をそらされた。

「ああ、あの荒地の……物好きだね、あんた」

 そう言って、そそくさと立ち去られた。ここでのわたしはまだ他所者だし、歓迎されているわけでもないみたいだった。


 お祖父ちゃんの農場は見る影もなかった。

 土地は荒れ放題。雑草だらけ、なんならどこかから飛んできた木の実が芽を出したのか、ちょっとした木まで生えていた。

 お祖父ちゃんはこの農場を大事にしていたけれど、最後の数年間は体が弱っていて何もできなかったらしい。そのままお祖父ちゃんは死んでしまって、わたしがこの農場を継ぐことになった。

 農場の片隅で、わたしは呆然と雑草だらけの荒地を眺める。わたしにできるだろうか。ううん、でもやりたい。お祖父ちゃんがやっていたみたいに。

「よし!」

 気合いを入れるために声を出す。今日はもう夕方が近い。働くのは明日からにして、まずは家の様子を見なくちゃ。家もきっと荒れてるんだろうな、と恐る恐る、農場の傍にあるお祖父ちゃんの家の様子を見に行った。


 意外なことに、家の中はさほど荒れていなかった。埃もない。まるで、たった今まで誰かが掃除をしていたようだった。寝室のベッドはしっかりしていて、布団はお日様によく当たったにおいがして、ふかふかだ。

 さらに不思議なことに、野菜がたっぷりのシチューが用意されていた。最初は気味悪く思ったけど、お皿の上で湯気を立てるシチューはあまりに良いにおいで、わたしは夢中で食べてしまった。本当に美味しかった。

 そうして満腹になって、ふかふかのベッドに包まれて、わたしは長旅の疲れを癒したのだった。


 朝起きて、井戸で水を汲もうと家のドアを開ける。その玄関先に、薔薇が一輪置かれていた。明らかに誰かが手入れして咲かせてそれを摘んで、ここに持ってきたものだ。棘も取られていた。

 拾い上げると、華やかなにおいが胸いっぱいに広がった。誰かはわからないけど、これはきっと歓迎の印なのだと思うことにした。誰かがわたしを見守ってくれている、そう思うのは心強かった。


 顔を洗って家に戻ると、家が荒れてなかった謎の答えがわかった。

 台所に、銀の髪の女性が立って料理していたのだ。ううん、料理かどうかはわからない。だって、その女性は手を使わずにフライパンを操ってベーコンエッグを焼いていたから。

 ぽかんと見ている間に、ベーコンエッグが焼けてお皿に移される。女性が手を振れば、お皿もひとりでに飛んできた。

 女性はわたしと目が合うと、ちょっと驚いたような顔をして、それからウィンクした。

「さあ、座ってちょうだい。朝ごはんにしましょう!」

 楽しそうな声で言われて、食卓に誘導される。パン、ベーコンエッグ、りんご、牛乳。立派な朝ごはんが出来上がっていた。

「あ、あの、あなたは……?」

 わたしの驚きに、女性は微笑んだ。

「わたしは<陽の光>、この家を護る精霊なの。あなた、ノアのお孫さんでしょう? 久し振りにこの家に人が来るのが嬉しくて、わたし、張り切って用意したの! ぐっすり眠れたかしら?」

「ええっと……はい」

 戸惑いながらも頷くと、<陽の光>さんはふふっと笑った。

「あら、その手にしてるのは薔薇ね。どうしたの?」

 わたしはそのときまだ、玄関先に置かれていた薔薇を手にしていた。そのことを<陽の光>さんに話すと、彼女は「まあ!」と声をあげた。

「それは素敵ね! 早速飾りましょう!」

 そう言って、<陽の光>さんはどこかから出してきた花瓶に薔薇を活けてくれた。華やかなかおりが部屋に広がって、その赤さが部屋を明るくした。

「さ、ともかくあなたは朝ごはんを食べて頑張ってちょうだい! あなたが頑張れば、ほかの精霊たちもきっとこの農場に戻ってきてくれるから!」

 そう言って励ましてくれる<陽の光>さんの言葉は嬉しかった。わたしにとって、薔薇の誰かの次にできた味方だ。

 それにお祖父ちゃんの農場は、精霊にも愛されていたんだ。もう一度そんな素敵な農場になるように、わたしは頑張らなくちゃ。

 そうしてわたしは今日から頑張るために、<陽の光>さんが用意してくれた朝ごはんを食べたのだった。


 まずは草取り。農業に使う道具は小屋に揃っていた。どれも古ぼけてはいたけれど、手入れはされている。これも誰か精霊のおかげかもしれない。

 鎌を手に、慣れない草取りを始める。しばらく放置されていた土は硬くなっていて、草の根っこは地面に深く根ざしていた。だいぶ時間をかけてふと立ち上がって見ると、広い農場のほんのこれっぽっちしか綺麗になっていなかった。

 溜息をつきたくなったけど、仕方ない。これがわたしの精一杯なんだ。わたしはまた地面の雑草と向き合う。地道にやっていくしかない。

 ある程度整えたら、次は畑にしていかなくちゃ。ちゃんと耕して、肥料をまいて、それから──種や苗は買えるのかな。村で手に入るだろうか。

 ──物好きだね。

 ふと、最初に挨拶した村の人の声を思い出す。わたしは歓迎されてないかもしれない。村で買い物させてもらえるだろうか。

 ううん、大丈夫。

 弱気になった自分を無理矢理元気にさせる。わたしが頑張ってこの農場を素敵にしたら、もう荒地だなんて言われなくなるはず。だったらわたしは頑張るだけだ。

「リーナ!」

 呼ばれて振り向けば、<陽の光>さんが家の前で手を振っていた。

「お昼の休憩にしましょう! サンドイッチを作ったの!」

 見上げれば、陽は高い。わたしは立ち上がって、<陽の光>さんに駆け寄った。


 それから何日も、雑草との戦いは続いた。時には鎌じゃなくて、鍬を持ち出して、木の根っこを引き抜いたりもした。野菜や花を育てるどころじゃない。この荒地をまともな農場に戻すことすら、まだできないでいた。

 一向に進まない状況にわたしは焦っていた。それでもひたすら頑張るくらいしかできることが思い付かず、わたしはただただ疲れていた。

 村に買い物に行ったときのことも、疲れや焦りを加速させられた。村人に遠巻きに見られて「ほら、あの荒地の」と囁かれた。

 お店のおじさんに元気良く挨拶してみたものの、あまり愛想の良い対応はされなかった。手早く無言で食材や雑貨品を渡される。わたしは溜息をつきたくなるのを我慢した。

 夜にはくたくたになる。<陽の光>さんはいつも優しく部屋を整えて食事を用意してくれる。その温かさに甘えつつ、自分が情けなかった。

 きっとわたしはもっと気楽に考えていたのだ。まるで魔法のように農場は整い、作物がいっぱいに実る。花はいいにおいで季節を知らせ、農場を綺麗に彩る。そんな光景は、わたしが頑張って頑張って、さらに頑張ったその先にしかない。

 ふかふかの布団が嬉しかった。沈み込んで眠る。

 二輪目の薔薇が届いたのは、ちょうどそんな翌日だった。薔薇を拾い上げて、そのかおりを胸いっぱいに吸い込む。頑張れって励まされているみたいだった。


 雑草との戦いはまだ続いていた。もうひとりの精霊と出会ったのは、そんなとき。

 どこかから鳥が持ってきた木の実が芽を出して、若木になっていた。わたしはその木の根元をノコギリで切り落とし、鍬で根っこを掘り出していた。

 ふと視線を感じて振り向くと、しゃがみ込んでわたしの様子をじっと見ている男の子がいた。くりくりっとした緑の瞳はなんだか不思議な雰囲気で、わたしはそれが<陽の光>さんと同じ精霊なんだって気がした。

 それでそっと、声をかけた。

「あの……こんにちは」

 その男の子はわたしの声にびっくりしたように目を見開いて、それから嬉しそうに笑った。

「君は僕のことが見えるんだね!」

「ええっと、そうね。あなたも精霊なの?」

 戸惑いつつもそう尋ねたら、男の子は大きく頷いた。

「僕は<眠る大地>。ノアの孫が来たって聞いて、見にきたんだ。そしたら、君、すごく頑張ってるから。僕も何かお手伝いしようって気になってたんだよね」

 その男の子──<眠る大地>と名乗る精霊は、そう言ってにこにこと笑った。可愛い笑顔だった。

「手伝ってくれるの? 嬉しい! 何かお礼は必要?」

「僕、ミルクが好きなんだ。毎朝ミルクが欲しいって<陽の光>に言っておいて!」

「わかった。よろしくね、<眠る大地>くん」

 わたしが差し出した手は泥だらけだった。それでも<眠る大地>くんは、気にせずに握手してくれた。そして「じゃあ、また来るね」と言って姿を消してしまった。風にでもなったかのように、空気の中に、ふわりと。

 新しい仲間ができたのが嬉しくて、わたしは<陽の光>さんに報告しに駆けていった。

 そして翌日から、<眠る大地>くんの不思議な力でのお手伝いのおかげで、雑草との戦いは劇的に進むようになったのだった。


 その日の夜、わたしにホットミルクを作ってから<陽の光>さんは姿を消してしまった。<陽の光>さんはその名の通り、昼間にはいっぱい働いて夜はお休みするらしい。

 わたしはなんとなく眠れなくて、ホットミルクを飲んだ後もぼんやりと窓の外を眺めていた。そこに月が見えて、ふと、お祖父ちゃんと夜空を見上げたことを思い出した。

 それで、一枚上着を羽織って家の外に出た。

 夜の空気はひんやりと心地良かった。月明かりに照らされる農場は、昼間とは違う雰囲気に見えた。<眠る大地>くんは植物とお話して雑草や木を農場から消していった。それらがどうなったのか、わたしにはわからないけど、おかげで農場はすっきりと見渡せるようになった。

 村で肥料を買ってきて、土を耕して柔らかくしながら肥料を混ぜてゆく。もうじき作物を育てることができるようになる。まだまだ始まったばかりだけど、農場は確かに元の姿に近づきつつあった。

 今はまだ寂しい農場の脇を歩きながら、夜空を見上げる。今日は月明かりだけで、じゅうぶんに明るい。深い暗い空に散らばった星も、きらきらと綺麗だった。お祖父ちゃんの姿を思い出して、懐かしくなる。

 ああ、でも、あのときは他にも誰かいなかっただろうか。お祖父ちゃん以外に──誰か──。

 その姿を思い出そうとしていると、ふと、行く手の楓の木の下に誰かがいることに気づいた。びくりと足を止めて目をこらす。

 その人が、木の陰から月明かりの下に出てくる。細身で背の高い男の人だった。月の光に照らされて、青白い顔が暗い中に浮かんで見える。真っ黒い長い髪を肩に流していた。

「誰……ですか。ここは、うちの農場ですよ」

 咎める声は、少し震えてしまった。

「すまない。俺はその……ノアの古い友人なんだ。最近また農場が手入れされていると気づいて、それで様子を見に」

 男の人の声は夜に遠慮するように静かだった。少なくとも、わたしに敵意や害意がありそうには思えなかった。

 お祖父ちゃんの友人、というには少し若すぎるように思えた。わたしより少し年上くらいにしか見えなかったから。でも、嘘をついている気はしなかった。

「わたし、リーナです。ノアの孫です。祖父は死んでしまって、それでわたしがこの農場を継ぎました」

 わたしの言葉に、男の人はうつむいたようだった。

「そうか……ノアにはもう会えないのか。儚いな」

「あなたの、名前は?」

 尋ねるとその人はわたしを見て微笑んだ。金色の瞳が細められる。

「ああ、すまない、名乗っていなかったな。俺はヴァレンだ。村外れの……この近くに住んでいる」

 ヴァレンと名乗ったその人の笑みは、月明かりの中で、なんだかとても優しそうに見えた。綺麗な人だと思った。綺麗すぎて、どこか人間離れしているようにも見えた。

 それでふと、思い出す。お祖父ちゃんと星空を見上げたあのとき、そこにいたお祖父ちゃんの友達も、とても綺麗な人だった。それに、ヴァレンさんによく似ていなかっただろうか。いや、でも──。

 わたしはヴァレンさんの姿をじっと見つめる。幼い頃のわたしの記憶と、あまりにも同じすぎる。もう何年も前のことだっていうのに。まるで歳をとってないみたいに。だとしたら、やっぱりわたしの記憶違いかもしれない。

「では、また様子を見にくる」

 わたしがぼんやりと考え込んでいる間に、ヴァレンさんはそう言い残して行ってしまった。暗闇にしか見えない森の中に。暗い森を歩くなんて、灯りも持たずに大丈夫だろうか。そう思ったときにはもう、姿が見えなくなっていた。

 ヴァレンさんが立ち去った後、ふわりと良いかおりが残っていた。それは、時折届く薔薇のかおりに似ている気がした。


 農場は少しずつ、それらしくなっていった。<眠る大地>くんにも手伝ってもらって、地面を耕し、作物を育てられるようになったのだ。

 季節はもう夏だった。村のお店でキャベツの種と種芋を買ってきて植えた。お店で品物を受け取るときに「まだ諦めてないのかい、あんたは」と言われた。未だにわたしはこの村で他所者だった。

 通りすがりの人に挨拶しても、そそくさと立ち去られてしまう。挨拶を返してもらうことすらできない。仲良くなれるかもしれないという期待は、少しずつすり減っている気がしていた。

 それでも、農場を豊かにしていけばいつかは認めてもらえるはずと思って、わたしは毎日作物のお世話を頑張っていた。まだ小さな畑だけど、いつかもっと広い畑にしたい。

 それに、<陽の光>さんや<眠る大地>くん以外にも、精霊たちがお手伝いに来てくれるようにもなった。

 物静かな<朝の虹>さんは、毎朝の水やりを手伝ってくれた。<朝の虹>さんは薄く透き通る翅があって、畑の上を飛び回る。そうして、作物に、地面に、きらきらと輝く朝露を振りまいてくれた。

 丸くて小さい葉っぱの塊のような<もじゃもじゃ葉っぱ>は、他の精霊みたいに喋ることはできないけど、作物の虫除けをしてくれているみたいだった。わたしが畑仕事をしていると、その小さい体が作物の間を行ったり来たりする様子が見えて、思わず笑ってしまうくらいに可愛い。

 道具の手入れをしてくれているのは、<鋭い石>さんというらしい。<陽の光>さんが教えてくれた。姿を見せてはくれないけど、おかげで道具はいつもぴかぴかだった。

 精霊たちはみんな、お祖父ちゃんのことを知っているみたいだった。それで、その孫のわたしを手伝ってくれるのだという。精霊たちにとっても、この農場が豊かになるのは嬉しいことみたいだった。

 そうやって手伝ってもらえるのが、味方になってもらえることが、何よりも嬉しい。

 そして、時々玄関の前に一輪の薔薇の花が届く。鮮やかな真っ赤な薔薇は、わたしの気持ちを元気にしてくれた。花瓶に活けられた薔薇を見るたびに、見えない誰かに励まされている気分になる。

 それに、薔薇のかおりを吸い込むたびに、あの夜に出会ったヴァレンさんのことを思い出す。ヴァレンさんもきっと、わたしを見守ってくれているひとりなのだ。


 大抵は疲れ切っているから夜はぐっすりと眠れるのだけれど、時々なんだか眠れない日がある。疲れすぎているのか、昼間の興奮が残っているのか。

 そんな夜には家の外に出て、星空を眺める。そうしているといつも、いつの間にかヴァレンさんがやってきて、そばにいてくれる。

 その日は玄関ポーチの段差に座って空を見ていて、やってきたヴァレンさんはわたしの隣に座った。ふわり、と薔薇のようなにおいが香る。それでわたしは、時々置かれているあの薔薇の花はきっとヴァレンさんのものだって思うようになっていた。

 本人に直接確かめたわけじゃないから、本当のところはわからないけれど。

 ヴァレンさんはいつも、夜の空気に溶け込むように静かだった。時折二人でぽつりぽつりと話す。お祖父ちゃんの思い出話とか、農場での出来事とか、精霊たちのこととか。わたしの話すことをヴァレンさんは微笑んで聞いてくれた。受け入れてもらえた気がして嬉しかった。

 ヴァレンさん自身のことはあまり話してはくれないけれど、お祖父ちゃんのことは話してくれる。その話は、わたしにとっても懐かしかったり、お祖父ちゃんの知らない一面を知れたりして、楽しいものだった。

 農場の裏にある山には宵茱萸よいぐみという珍しい果実の木があって、お祖父ちゃんはそれ目当てで秋に山に行っていた。そして、道に迷って夜になっても帰れず、ヴァレンさんが助けに行ったのだという。

 そのお礼にお祖父ちゃんは宵茱萸のジャムをヴァレンさんにわけてあげたらしい。それは甘酸っぱくて良い味だった、とヴァレンさんは懐かしそうに目を細めた。

「自分では作らないんですか、ジャム」

 わたしが聞くと、ヴァレンさんは寂しそうに首を振った。その表情になんだか苦しくなって、わたしは自分の胸を押さえた。

「試したことはあるが、思ったような味にならなかった。ノアが作ったジャムの方が、ずっと美味しかったんだ」

 その横顔を見て、わたしは宵茱萸のことを記憶に留めておく。夜になってもにおいで場所がわかるほど良いにおいだから宵茱萸という名前だったはず。それが家の近くにあるというなら、採りに行っても良いかもしれない。

 それで、わたしもジャムを作ってみよう。うまくいったらヴァレンさんにあげようか。お祖父ちゃんのジャムほど美味しくはできないかもしれないけど。でも、いつも見守ってもらっているお礼を何かしたい。

 良いことを思いついた気がして、わたしはまた星空を見上げる。小さな宝石がばら撒かれたような星空が、どこまでも続いていた。


 秋になって、キャベツやじゃがいもを精霊たちと一緒に収穫した。作物は早速、村に売りに行った。

 どんなことを言われるかと思っていたけど、意外なことにお店のおじさんはわたしを労うように声をかけてくれた。

「見事な野菜だ」

 認められた気がして嬉しくて、わたしは泣いてしまった。泣きながら買い取ってもらったお礼を言う。おじさんは少しバツが悪そうに、頬をかいた。

「他所者だからって今まで悪かったな。最近はあの荒地が見違えるようになって……あんたが頑張ってるって、よくわかったよ」

「……ありがとうございます」

「この村にはまだ、あんたを警戒してるやつもいる。でも頑張っていればそのうち馴染めるようになるよ、きっと」

「はい……」

 涙を拭って、改めて頭を下げた。ちょっとずつでも、見てもらえていた。認めてもらえた。そのことが胸に沁みて嬉しかった。

 帰り道に出会った人に挨拶しても、返事はやっぱり返ってこない。それだっていつかは、挨拶してもらえるようになるんじゃないかって、そんな気がした。

 翌日に届いた薔薇の花に、なんだかお祝いしてもらったような気分になった。


 そして山が色づく頃、わたしは宵茱萸よいぐみを探しに山に入った。そんなに奥まで行くつもりはなかった。でも、ヴァレンさんにジャムを作ってあげたい。

 それで、においを頼りに宵茱萸の木を探す。最初はなかなか見つからなかったけど、少し進むと甘酸っぱいにおいがわかった。においの方に進めば、そこには宵茱萸の木がいっぱいあった。

 わたしは夢中で、食べ頃の実を探し、それを採っていった。ほどほどで帰ろうと思っていたのに、秋の日は短い。気づけば夕暮れになってしまっていた。

 宵茱萸でいっぱいになったバッグを背負って、わたしは慌てて山を降りる。でも、その途中で日はすっかり暮れてしまった。うっかりしていた。明るいうちに帰るつもりだったから、灯りを何も用意してなかった。

 木の葉を通して、月明かりが差し込んでくる。それと足元の感触を頼りに、わたしは山を下っていた。とにかく、帰らないと。<陽の光>さんが休む時間までに帰れなかったから、きっと心配されているだろう。

 溜息をつく。転ばないように手をついた木の幹はざらりとしている。山はどこまでも暗い。なんだか方向感覚も鈍っていた。それでも、うっすらと見える獣道を辿って下っていけば大丈夫なはず。そう思って足を動かしていた。

 そうして恐る恐る確認しながら踏み出していた足が、落ち葉を踏んで滑った。わたしの体はそのまま大きく傾ぐ。慌てて踏み出した先に、地面の感触がない。先は真っ暗闇。

 崖、だったのだろう。わたしの体は宙に放り出された。手を伸ばしても何も掴めない。

 落ちる──!

 そのとき、何か羽ばたくような音が聞こえて、次の瞬間にはわたしの体は何かに受け止められた。いつもの、薔薇のかおり。

 暗い中、瞬きをする。目の前には、月明かりに照らされたヴァレンさんの顔があった。ばさり、と羽音がして、よく見ればヴァレンさんの背にはコウモリのような羽があった。わたしを抱えたヴァレンさんは空を飛んでいた。耳を風がなぶる。

「ヴァレンさん……?」

 わたしの声に、ヴァレンさんは困ったように眉を寄せた。

「リーナが無事で良かった」

 ヴァレンさんの顔色が、いつもよりも一層青白く見えた。そして、わたしはヴァレンさんに抱えられたまま、農場の端にある自分の家の前に到着した。そっと地面に降ろされる。

 地面に降り立つと、わたしが瞬きをしている間にヴァレンさんは一歩、わたしから離れた。

「俺は、ヴァンパイアなんだ。人間とは生きる時間が違う」

 そう言うヴァレンさんの顔は、寂しそうに見えた。

「だからもう、リーナも俺に会わない方が良い。今まで、黙っていて悪かった」

 そのまま立ち去りそうになるヴァレンさんの服を、わたしは慌てて掴んだ。

「待って!」

「離してくれ、気味が悪いだろう」

「そんなことない!」

 わたしは必死にヴァレンさんを見上げる。ヴァレンさんがヴァンパイアだからなんだというんだ。だってヴァレンさんは、わたしをずっと見守っててくれたじゃないか。

 ヴァレンさんの手がわたしの手を解こうとする。それに逆らって、わたしは力を込めて服を握り続けた。

「わ、わたし、ヴァレンさんのために宵茱萸を採ってきたんです! ジャムを作るんです! だから、食べてもらわなくちゃ!」

「俺が怖くはないのか? ヴァンパイアだぞ?」

 ヴァレンさんの表情は必死だった。でもわたしだって必死だ。

「怖くなんてない! だって薔薇を置いてくれたの、ヴァレンさんですよね!? わたし、とっても励まされたんです! だから、お礼をしたくて!」

 戸惑うように、ヴァレンさんは瞬きをした。

「知っていたのか?」

「だって、ヴァレンさんいつも、薔薇のにおいがするから」

「そうか……」

 ヴァレンさんは口元に手を当てると、何か考えるように横を向いた。その青白い頬が、月明かりの中で、今はほんのりと赤く染まっていた。

「とにかく、もう会わないなんて嫌です! これからも、様子を見にきてください! お願いします!」

 わたしの必死のお願いに帰ってきたのは、小さな溜息。それから、静かな笑い声。

「リーナには、敵わないな」

 そうしてヴァレンさんは、服を掴んでいるわたしの手を取って、両手でそっと握った。わたしの顔を覗き込んでくる。

「また来る。きっと、きっとだ。ジャムを楽しみにしている」

 投げかけられた微笑みの美しさにぼんやりしている間に、ヴァレンさんはまた飛び立ってしまった。


 宵茱萸よいぐみのジャム作り。新しい作物。精霊たちとの賑やかな日々。ヴァレンさんと過ごす星空の夜。農場の日々はあっという間に過ぎる。

 村ではまだぎこちないけど、少しずつ挨拶してもらえるようになっていた。秋の終わりのお祭りにだって、招待してもらえた。状況は確実に前進していた。

 そして、冬の夜。空気まで凍るような、透き通って冷たい夜空を見上げながら、隣にはいつものようにヴァレンさんがいる。その存在でわたしの心はあたたかくなる。

「ヴァンパイアで良いのか?」

 時折聞かれるその言葉に、わたしはいつも笑顔を返す。

「ヴァレンさんが良いんです」

 冬の空気は冷たいけれどどこまでも澄んでいて、頭上にはこぼれ落ちんばかりの星が見えていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月夜の農場で会いましょう くれは @kurehaa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画