ファインダーの向こうへ

武田 信頼

ファインダーの向こうへ




 私は、しがない風景カメラマンである。

 昨今デジカメも含め画素の進化は著しい中、私のこだわりはフィルムである。しかし今日、首から下げている私の相棒『ライカⅢaクローム+エルマー』はビジネスだけの意味を持たなかった。

 私は原爆ドーム前でファインダーをのぞいているときだった。


「ふーん……。あなたが相原あいはらさんね」


 突如、背後から声を掛けられて思わず身を引いた。見れば多分高校生くらいだろう、濃紺のジャンパースカートに薄青色のブラウスの少女が立っていた。

 栗色の髪を耳元で切りそろえ、利発そうな大きな瞳が私を好奇心いっぱいに見つめていた。


「本当にいるだなんて、驚いたわ。てっきりファンタジーだと思ってたのに」


 私は少なからず狼狽ろうばいした。突然、美少女に声を掛けられたのだ。三十前の独身には刺激が大きすぎる。だが、そんな乱心ぶりも気にせず、少女は続ける。

 

「あ、気にしないで。これ、学校の制服だし。そもそも、頼まれごとだからお洒落して会う必要もないしね」


 無邪気に笑う少女に反して私は憮然ぶぜんとした。しかし私の態度に少女は少々機嫌を害したらしい。白い頬を膨らませ眉を寄せる。


「意味もなく、初対面の男性に声を掛けませんッ! あたしだって結構緊張してるんですよ? これを見て思うことはありますか?」


 少女は二枚の写真を私に渡す。印画紙が茶色に変色し、端は切れてボロボロになっていた。私はその写真を見て大きく嘆息した。目の前の少女をまじまじ見れば確かにあの人の面影がある。そして、すべて理解した。


「……あ、あの」

 

 十歳以上も年下の少女に対し狼狽うろたえながら言葉が見つからない。が、先に少女は言った。


「あたし、唐原からはら花蓮かれん。ここで話すのはなんだし、お城へ行こうよ」




 広島城。別名『鯉城りじょう』とも呼ばれるお城は典型的な平城だ。

 私は花蓮かれんとともに、二の丸の橋を渡り、御殿跡もしくは陸軍第五師団司令部跡を横切る。左側に護国ごこく神社をながめながら、私と花蓮かれんは本丸下のベンチへ腰かけた。


「……君は、その、信じるのかい?」


 私の喉の奥からひねり出すような声に花蓮かれんは明るく笑う。


「ぜんぜんッ!! これっぽっちも信じてないよ。この写真だって、おばあちゃんの嘘だと思ってた。でも相原あいはらさんがここにいたってことは偶然じゃないよね?」


 そうだ。昭和二十年代にあるはずもない平成の渋谷駅前のスクランブル交差点の写真。奥には有名なレンタルビデオ屋のビルが映っている。そしてこれは私がった写真だ。花蓮かれんはおもむろにカバンから年季の入った『ライカ』を取り出した。


「これ、もう使えないけど、おばあちゃんがずっと大事に取ってたらしいよ」


 私はそれを受け取り製造番号を見る。今、私が首から下げている『ライカ』と同じだった。花蓮も横から覗きながら、「へえー」と感心している。


「同じ製造番号ってあるんだァ」

「それは、絶対にありえないッ!」


 私は即座に否定する。そして私もカバンから一つのファイルを取り出し花蓮かれんに渡した。それを開いた花蓮は驚愕きょうがくな表情を見せる。私は未だに判明できない珍事ちんじを話さざるを得なくなったのだ。




 あれは数日前から始めた企画だった。渋谷駅前の再開発にともない日々変わっていく姿を写真に収めようと、桜丘さくらがおか町から鶯谷うぐいすだに町、猿楽さるがく町まで足を延ばし、恵比寿まで行った時の写真を現像していたときだった。

 とった記憶もない街並みが次々を浮かび上がる。しかも、どこの街並みかもさっぱり分からない。最後に浮かび上がった写真はセーラー服の少女だった。活発そうな少女が写真の中で、にっこり笑って、こっちを見ている。私はすっかり、その子のとりこになってしまった。

 そんな出来事から二日後。代々木から初台はつだいまでの風景の写真を現像しているときだった。やはり撮ったはずの絵ではなく見知らぬ街の風景だった。しかし最後に一枚の手紙が映し出された。


『わたしは、三枝さえぐさ舞姫まきといいます。なぜか私のった写真ではないのです。不思議な街の写真です。もし、これを撮った方が見たら御返事ください』


 私はまず我が目を疑った。そして何度も読み返した。だが間違いなく、そう書かれている。ここで私はありえないはずだと頭では理解していながらも他人が撮った絵が自分のネガに転移しているのだと合点した。

 そんな思いに至ったのも、どこかで写真の少女に逢えるかもしれないという非現実な思いがあったのだろう、私は手紙を書いてシャッターを切った。

 それから不思議な文通が始まった。風景カメラマンが風景も撮らずに手紙を撮るという珍妙な日が続いた。そして彼女はどうやら広島の人だという事が分かった。文通が続く中で、私は完全にかれてしまっていた。

 私は勇気を振りしぼって『ぜひ広島に行きます。なにか目印になる場所の写真をください』という内容の手紙をった。もしかしたらこれで嫌われるかもしれない。いや、そもそも好意以前に向こうも単なる気まぐれで続けているだけなのかもしれない。私は少なからず自己嫌悪におちいった。

 が、返事は色よかった。『ぜひ、いらしてください。産業奨励しょうれい館で会いましょう』

 私は年甲斐もなく喜び、場所をインターネットで検索する。しかし、その場所へは決して行けない事実におののいた。

 今まで現像した彼女の写真を徹底的に調べた。最後に撮った写真には明らかに暦が写っていたのだ。


 『昭和二十年八月四日』


 私はもだえ苦しんだ。どうしたら、何をしたら……。私はこの先起きる出来事を知っている。

 しかし、手段は一択だ。私のいる戦後の世界。八月六日に起きる不幸。そして出来るだけ遠くに逃げること。遠くに逃げれないのなら閃光せんこうけることができる、市内の反対側になる比治山ひじやま、もしくは金剛山こんごうやまに逃げること。持てる情報の全てを書いてシャッターを切り続けた。


 そして最後に、


 『私は、貴方に逢いたい。だから絶対死なないで。生きてほしい。

  令和〇年八月六日に逢いましょう。産業奨励しょうれい館で待ってます』


 しかしその後、手紙は一切現像されなかった。カメラもったままの絵だった。



花蓮かれんちゃん……だっけ。普通は、こんな話信じないよね」


 花蓮かれんは大きく伸びをしながら言う。


「まあ、普通は、ね。でも……」


 花蓮かれんは私に古くくたびれたお守りを渡した。眼で開けろとうながす。開けてみると、最後に送った私の手紙の印画紙が折られて入っていた。


「たまたま、被爆を逃れたおばあちゃんが、ね。ずぅーと肌身離さず持ってたみたいでェ、今回あたしにたくされたってわけ」


 花蓮かれんは立ち上がりくるくる回りながら微笑む。しかし私はその微笑みを違った解釈として受け取り項垂うなだれた。


「そっか、舞姫まきちゃんは、もう……」


 キョトンとする花蓮かれん。そして私の意図いとに気づくと、満面の笑みで笑い出した。


「そーいうことを気にしたのねッ! 安心して。おばあちゃんは、まだピンピンしてるよ」


 花蓮かれんは私の手を取り、走り出す。

 

「ふふふ。悪いけど少し試してた。あたしも相原あいはらさんのこと気に入ったわ。だから、おばあちゃんのところへ連れて行ってあげる」


 すでに日が傾き天守の長い影に別れを告げる間もなく、私は花蓮かれんとともにお城を後にするのだった。

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