メリッサは悠然としている
みこと。
全一話
マライア・ウィルクス伯爵夫人は、徹底した階級意識の持ち主だった。
だから長男アレクシスが、名字のない恋人を連れて来た時、機嫌の悪さを隠そうともしなかった。
「初めまして。アレクシス様と交際させていただいております、メリッサと申します」
「あら、そう。一応、挨拶は出来るのね」
アレクシスからの紹介を受け、優雅なカーテシーを披露した娘を、マライアは軽く一瞥する。
(私たちに会うために、猛特訓でもしたのかしら)
しかし、家名を名乗らないということは、つまり平民。
そんなゴミみたいな存在が、客として屋敷に足を踏み入れるだけでもゾッとする。
平民なら平民らしく、裏口で恐縮していれば良いものを、正面玄関を使うとは。
精一杯、着飾っているようだが……。
最高級の絹地、手の込んだレース、希少な宝飾品。
到底平民ごときが、手を出せる
(きっと浅ましく、息子に
アレクシスはというと、メリッサの手を引き、嬉しそうに微笑んでいる。
その眼差しがあたたかく、恋する男のそれであることをマライアは見逃さなかった。
大切に育ててきたはずの長男が、タチの悪い金食い虫に捕まったことに落胆しつつ、さっさと引き裂いてやらねば、と決意を新たに気合いを入れる。
渋々と客間に通し、さて化けの皮を
(
「メリッサさんのおうちは、どちらかしら。地図で教えてくれない?」
マライアの質問に、初めてメリッサが困ったように眉根を寄せた。
「すみません。地図では……示せないのです」
(ふんっ。当然よね。土地なんて持ってないだろうし)
やはり平民で間違いなかった。
あまりに令嬢然とした
マライアはさっさとメリッサを
そのまま夕食に誘い、「あなたの口にあうかどうか、わからないけど」と席につかせる。
家族の前に並ぶ豪華な食事とはあからさまに違う、粗末な料理をメリッサの前に並べさせた。
古びたパンに、具のないスープ。
(さあ、歓迎されてないとわかったら、さっさとお帰り)
「なっ、メリッサ嬢の食事だけ、なんだそれは」
いち早く気づいたアレクシスが、厳しい表情で給仕を
伯爵夫人の命令に従っただけの使用人は、板挟みで青ざめた。
「まあ。私が急にお食事までいただくことになったせいで、食材が足りなかったのですね」
当のメリッサは、表情を曇らせることもなく、ゆったりと頷いている。
"伯爵家の厨房を馬鹿にするな"と怒鳴りそうになったマライアは、続くアレクシスの言葉に目を
「とんでもない失態でお恥ずかしい、メリッサ嬢。私のものと取り換えてください」
「っつ。そんな真似はさせられないわ! 早く料理長に言って、同じものを用意させなさい。それから料理人たちには、後で責任を問わせてもらうから」
ぎょっとしたのは使用人たちだ。
命令に従っただけなのに、罪を押し付けられるなんて。
その上マライアは目配せして、「わかってるわね」と念を押す。
"アレクシスの恋人に、嫌がらせを続けるように"という命令だ。もちろん、伯爵家の潤沢な食料を見せつけながら。
使用人たちは頭を抱えながら、即座に同じ料理を供し、そして骨付きの巨大な肉まで持ち込んだ。
まるまるとした豚の丸焼きが一頭、運ばれる。これは主に、メリッサに取り分けて食べさせるよう言われている。
「遠慮せずに食べてちょうだい」
「まあ。まああ。こんなに歓迎していただけるなんて」
にこにことメリッサが喜ぶ。
(食べ残したら、責めてやろう)
マライアの思惑は、成就しなかった。
メリッサが大量の肉をものともせずに、平らげたのだ。完璧なマナーで、美しく完食。
(なんて、
始終笑顔のメリッサが帰った後、マライアは息子を責めたてた。
メリッサを送って戻ってきた息子も、母の態度に思うことがあったらしい。
夜の伯爵家が、口論で荒れる。
「あんな娘は認めない! どうしても"愛"を取るというなら、勘当よ。この家と縁を切ってもらうわ! 家は次男のベンジャミンに継がせる」
ここまで言えば息子は家に残る。そう思ったマライアの予想は外れた。
「残念です」
そう言いながら、アレクシスはあっさりと家を捨て、メリッサを選んだ。
両親が止めるのも聞かず、アレクシスは去り、そしてその行方は、
それから数年。
ウィルクス家は伯爵が早世すると、次男ベンジャミンが爵位を継いだ。
けれども末っ子として甘やかされてきた次男は、我慢や努力を知らなかった。
伯爵家の財政は瞬く間に傾き、領地を手放し、屋敷を手放し、あっという間に転落したマライアは、
使用人たちには、あっさり見捨てられた。
そんな折、国の上空に"浮遊大陸"が遊行した。
国中こぞって、天を見上げる。
王宮のバルコニーでは、"空中帝国"の要人を迎え、歓迎セレモニー後のお手振りが行われていた。
浮遊大陸は、竜人族が住む巨大な帝国。
それは地上の人間たちにとっては、憧れの別世界だった。
人の波に押されながら、マライアの目はバルコニーに釘付けになった。
見知った顔があったのだ。
「あ、あれは……。ねえ、あの、陛下のお近くに立つ女性は誰?」
「ああ。お美しいよな。竜皇女メリッサ殿下だよ」
「竜皇女……ですって……?」
竜の皇族は、唯一無二の存在。戸籍に載る必要もないため、名字を持たない。
浮遊大陸は、地図には書けない。
(それで"メリッサ"とだけ……?)
マライアは自分でも気づかないうちに、震えていた。
メリッサの横には、懐かしい自身の息子、アレクシスの姿がある。
王族に負けない立ち居振る舞いは立派で、しっかりとした貫禄があった。
聞いたことがある。
竜人族の姫たちは、年頃になると"婿探し"に地上に降りる。
その際、正体は明かさない。
打算無しの、純粋な愛を得るためだ。
そうして竜の婿に選ばれた実家は、地上の王になれるほどの恩恵を得る。
事実、現在の王家は、何代か前に竜人族の婿に選ばれて、成立した。
「あっ、あっ……」
(かつて息子が連れてきた相手は、竜の皇女だったのね……!)
だから豚の丸焼きを、ものともしなかった。
その本性は、絶大な力を持つ竜なのだから。
バルコニーのアレクシスとメリッサは、群衆の中に混じるマライアに気づくことなく、民に手を振り、にこやかに空中帝国へと
(アレクシスと……、縁を切るのではなかった。あの時彼女を、迎え入れていれば……!)
足から力が抜けたマライアは、その場にしゃがみ込んだのだった。
メリッサは悠然としている みこと。 @miraca
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