鳥と白骨

@masudo_yuu_kiji

鳥と白骨

 一説によると、鳥を飼う人は寂しがり屋で自由を愛しているらしい。特に根拠も無いただの俗説だが、なるほど、言われてみると納得がいきはする。明るい鳴き声で寂しさを紛らわせてくれるが、鳥籠で居住スペースが遮られているぶん、犬や猫ほど飼い主を束縛しない。……だからといって全ての鳥飼いをその枠に括るのは暴論だろうが、いざ愛鳥を失ってみると、一人の部屋はあまりにがらんとしていた。

 

 桐枝柊一(きりえだ しゅういち)と鳥羽雲雀(とば ひばり)の初めての出会いは、夜のゴミ捨て場だった。

 ちょうどその頃桐枝が家の断捨離をしていて、その一環で枯れてもう再生の目処がたたない観葉植物を捨てに行ったのだ。

 枝切り鋏で何等分にも切った観葉植物を詰めたゴミ袋を持ってゴミ捨て場まで歩いていくと、ゴミ捨て場の前に一人の男が立っているのが見えた。さっさと立ち去ってくれればいいのに、男はじっと桐枝のほうを見て、しかも話しかけてきた。

「お兄さん、それいるやつ?」

「は?」

 この場合のそれ、は一体何を指しているのだろう。考えようにも、今の持ち物なんてこの枯れて茶色くなった観葉植物が入ったゴミ袋だけだ。いるやつ? と聞かれても、いらない。だから捨てるのだ。

「いらないですけど……。でもこれ、中身枯れた観葉植物しか入ってないですよ」

「大丈夫。いらないんだったら俺に譲ってくれる?」

 男はわざとらしく首を傾げてかわいこぶってくる。深く被ったパーカーのフードから、派手な原色のレモンイエローの髪がちらちら覗いていた。お兄さん、と言ったが、こちらより年上に見える。二十代後半くらいだろうか。その見た目の派手さに怖気ついたわけではないが、変に諍いを起こすのも得策ではないだろうと踏んで、大人しく相手の要望を叶えてやることにした。持っていたゴミ袋を男に差し出す。すると、男は桐枝が思っていたより丁重にゴミ袋を受け取った。パーカーの袖から覗く指先は黒を基調としたネイルで彩られていて、ゴミ袋を持つのにはひどく似合わない。男は会釈をひとつすると、桐枝が来たのと正反対の方向に向けて去っていった。

 ……妖怪か何かとの遭遇話だと思われそうだが、これが桐枝と雲雀の出会いであった。

 

 ファーストコンタクトこそゴミ捨て場だったが、今現在の雲雀が桐枝のバイト先のバーの常連になっているのにはその話はほぼ関係ない。ゴミ捨て場で遭遇した翌日に雲雀がこの店に偶然訪れて、そこから居着いているのだって単純に店を気に入っただけらしい。

 よくわからない出会いだったが、雲雀は面白い人間だった。話は面白いし、酒に酔って迷惑をかけるようなこともない。定期的に訪れて金を落としてくれる姿はどこから見ても模範的な常連客だったし、反感を買う要素はひとつもなかった。けれど、だからこそ、何故あんなゴミを欲しがったのかは未だに聞けていないのだが。

「そういえば俺、フルネームがめちゃくちゃ鳥なんだよね」

 ミックスナッツをつまみながら雲雀が言う。ウルフカットに整えられた派手なレモンイエローの髪の毛が、店内の薄暗い照明を反射してちらりと光った。ミックスナッツをちまちまつまむその仕草が何より鳥に似ているが、自覚はあるのだろうか。

「フルネームが鳥……ってなんですか。ああ、鳥羽さんだから?」

「そうそう。鳥羽雲雀。こんなに鳥だらけにしなくていいのにね」

「統一感あっていいじゃないですか。俺も木だらけですよ」

「え、桐枝くんの苗字知らないかもー。なになに?」

「ヒイラギに一で、柊一ですよ。桐枝柊一」

 それを聞いた雲雀は大きい声で笑い始めた。他の客から注目を集めているのでもう少し声を小さくしてほしい。だが、これが彼のいいところと言えばそうだった。いつでも楽しそうで、そのくせどこか陰がある。つまり大層モテそうな男なのだった。

「木偏がリーチしてるじゃん。……でも似合ってるしいいんじゃない? 俺さ、未だに桐枝くんが大学生って信じられないもん。俺より背でかいのにね」

「正真正銘大学生ですよ」

「たはは。最初のころ、俺みたいなダメなフリーターなのかと思ってた。大学生か……もしかして、今後シフト減ったりする? 桐枝くんがいないの寂しいよう」

「はいはい……。鳥羽さん、そろそろ怒られますよ」

 というような会話でわかる通り、雲雀はバーの常連だった。そして、やたらと桐枝に懐いていた。ほぼ毎回雲雀と話す羽目になっていたのは、この陽気でありつつも弁えている男が新人教育に丁度いいと思われたからだろう。彼は桐枝が忙しそうにしているときは独りで飲んでいたし、話す余裕がありそうならにこやかに声をかけてきた。客として申し分ない。

 だが桐枝としては、初対面のゴミ捨て場の件がどうしても心に引っかかっていた。店で会う姿があまりに気のいい青年なので、あの夜なぜあんな場所にいたのか、渡したものをどう使ったのか、聞きたいことはあっても尋ねることができなかった。雲雀が見せる快活さが、防御壁のように立ち塞がっている。結局何も聞けずに、ただ日々が過ぎるばかりだった。

 

 それから一ヶ月ほど経った夜のことだ。

 桐枝はとっぷりと暮れた夜の街をコンビニに行くため歩いていた。時間帯が時間帯だ、周囲には誰もいない。いつかのゴミ捨て場の前を通りすぎて、そういえば最近雲雀を見ていないなと思い出す。

 もう飽きたのだろうか。鳥羽雲雀は、最近バーに来ない。まあ、見るからに趣味の新陳代謝が早そうな男だ。飽きて来なくなってもおかしくはないが、なぜか胸の中がすーすーする。客と従業員の関係だけでなく、あの日の夜のゴミ捨て場が初対面だったせいで上手く割り切れていないのだろうか。なぜだか桐枝は雲雀のことが結構好きだった。あんなに軽薄そうな男だというのに、それが魅力的に見えてしまう。

 そんなことを考えて歩いていたから、鳥羽雲雀の姿を見つけてしまったのかもしれない。

 視界の右端、アパートの二階の階段に雲雀はいた。あのレモンイエローの髪は暗い中でもよく目立つ。何かを抱えて運んでいるようで……その何かは、目を凝らさなくても正体がわかった。

 青ざめた顔をした、女だった。死体には詳しくないが、もう死んでいるんじゃないかというくらい肌が白い。おそらく、もうあれは死体なのだろう。予感のようにその言葉がよぎった。逃げればよかったのに、目を離せない。そして、その視線を感じたのだろう、慌てたように雲雀が振り返って、……目が合った。

 目が合ってしまったので、もう駄目だった。雲雀が、死体を抱えて泣きそうな顔をしていたからだった。

 

「ごめんね。悪いことに付き合わせちゃって」

 シートベルトを締めながら、雲雀が言う。死体遺棄を悪いことで括るなよと思いながら、実際に発言はしなかった。

 いつも笑っているイメージだった鳥羽雲雀は、こんなときでも笑っていた。スマホの地図アプリを見ながら、口元だけ微笑んでいる。自分でもすごく馬鹿なことをしているなあと思った。今から、二人は死体を埋めにいくのだ。

「鳥羽さんって」

「なあに?」

「ヤクザかなんかだったんですか」

「違うよ。ごめんね、流石にビビるよね。……俺はしがないフリーター。あれはただの痴情のもつれ」

 喋りながら、雲雀が車のエンジンをかける。ちなみにこれは雲雀の車で、運転しているのももちろん彼だ。おそらく殺人犯である男の車に構わず乗り込んでしまったのは、雲雀に対する心配もあったが、この男一人くらいなら最悪殴り倒してどうにかなると思ったからだ。こう見えても柔道やら剣道やらを齧っていたおかけで腕力はある。対する雲雀は小さくてひょろひょろとしている。勝てなくはないだろう。

「え、桐枝くん怖い顔してない? どうしたの」

「いや、俺が本気でやればあなたを倒せるなと思って」

「怖! ……まあ君、そこそこ厳ついもんねー。顔も怖いし」

「厳つくてすみませんね。でも、鳥羽さんも非力すぎると思いますよ、俺は」

 桐枝は後部座席をちらりと見る。ここからでは見えないが、トランクには死体が積んである。ちなみに雲雀一人では持ち上げるのがやっとだったし、彼は最初随分焦っていて死体をそのまま運ぼうとしていたので、適当な寝袋に包んで、抱えて階段を降りて、車のトランクに突っ込むのまで、全て桐枝がやった。そういう情けなさを見てしまったせいで、桐枝はこの男を恐れる気持ちが湧いてこなかった。鳩尾に一発入れれば倒せる。

 後部座席にはスコップが二本積まれていて、これから二人が行くのは、遠い人気のない山だった。

 つまるところ埋めに行くのだ。

 そしてなぜ死体遺棄に桐枝が同行しているのかというと、この線の細い男が、女性のものとはいえ死体を埋められるのか疑問だったからだ。あと、雲雀が意外と動揺しているようだから、というのもある。表だけ見れば動揺は見受けられないが、そもそも死体を剥き出しで部屋から運び出そうとしている時点でかなり冷静ではないだろう。あそこに通ったのが桐枝以外の人間だったらどうするつもりだったのか! ……放っておけない年上を助けてやるくらいの気持ちでこの車に乗っている桐枝も、動揺はしているのかもしれない。何故って、未だに現実味がなかった。彼と一緒に車に乗っていること自体、ふわふわと夢のような気持ちでいる。

 沈黙が嫌になったのか、雲雀がカーラジオをつける。小さめに絞られた音量で流行りの歌が流れ始めた。まだ十代のアーティストが世界の虚無さを歌っている。ややあって雲雀が曲を変えた。今度はわざわざ自分のスマホから繋げて流すらしい。音楽に拘るタイプか。確かにそう見える。信号待ちの間に何やら操作して、ようやく曲が流れ始めた。

「そういえば、鳥羽さんっていくつなんですか」

「ふふ、いきなりだなあ。二十六歳だけど。どう? そう見える?」

「あまり。見た目が……派手ですし」

「言葉を選んだねえ。まあ、こんな髪してたらそう見えるか」

 雲雀はレモンイエローの髪を触る。いつもはきちんとセットされていたウルフカットは、今はぺたんと萎れている。落ち着いて見てみれば、服もどうやら部屋着らしき黒いパーカーだ。鳥羽雲雀に黒いパーカー、と来れば、初めて会ったあのゴミ捨て場が思い浮かぶが、あのときと同じ物なのかは分からなかった。聞いたとして、本人ももう覚えていないかもしれない。

 夜の暗がりの中で、雲雀のレモンイエローの髪はやはり目を惹く。運転席の横顔にネオンや信号機の光がちらちらと映って綺麗だった。そういえば自分は薄暗いところでしか雲雀を見たことがないのだ。だからこんなに綺麗に、いっそ危ういほど美しく見えるのだろうか。

「そっちは結局何歳なんだっけ? ……あんなとこで働くくらいだから成人だとは思ってたけど、大学生ってことしか知らないや」

 当たり前だが、雲雀はこちらの詳しいプロフィールを知らない。いくら常連と言えど、あくまで客と店員だからだ。お互いなんとなく個人的なことには触れず、伝えたのは精々、話の流れではあれどフルネームくらいだ。それも迂闊な行いなのだろうが。今まで引いてきた客と店員とのラインが、ようやく崩れ始めている。先に崩したのは桐枝だが。

「二十歳です」

 特に嘘をつくこともなく、桐枝は答えた。つまり自分は雲雀より六歳下であることになる。そこまで年の離れた相手と二人きりで夜に出かけることなどないなとふと思った。部活の打ち上げにはOB含め色んな世代がいたが、あれはいつも大勢だったし。

「若いね、六歳差か。俺成人したばっかりの子に殴ったら勝てると思われてるのか……俺からも一つ質問していいかな?」

「いいですけど」

「どうして俺が何歳なのか気になったの? そこは触れないでおくんだと思ってた」

 雲雀の方を見ると、お得意の微笑でもなく、たまに見せる明るい快活な笑顔でもなく、眉を下げて挑発するように笑っていた。初めて見る顔だ。

「嫌でしたか? すみません」

「ううん、嫌じゃないよ。怒ってもない。けど不思議だっただけ」

「年齢が気になったのは、曲のせいですよ。今かけてる曲」

「……選曲古いってこと? そんなに有名なアーティストでもないんだけどな」

「知らない曲だったからですよ。俺って、鳥羽さんのこと何も知らないじゃないですか。店では距離取ってないといけないし」

「うん」

「でも、癪じゃないですか? 俺たちは確かに店員と客ですけど、でも今から死体埋めに行くんですよ。もう少し、せめて歳くらい知っててもいいでしょう」

 少し間を置いて雲雀が笑い始めた。店で聞く快活な笑い声とは違って、押し殺したような笑い声だ。この人はこれが素なんだと咄嗟に思ったが、それも錯覚かもしれない。素の性格を判断できるほどの材料が足りなかった。

「……口説いてるみたいだね。大学でモテるでしょ」

「口説いてませんよ。あんた、死体積んだ車で口説かれて嬉しいんですか」

「嬉しいよ。どんな形でも愛は愛だから」

 雲雀はそう言うのと同時に車を左折させた。コンビニの駐車場に車を停めると、少し困ったような顔をして言う。

「長くなりそうだし飲み物奢ったげる。何がいい?」

「……麦茶で」

「りょーかい。俺のこと知りたいなら好きにしていいけど、あんまり期待しないでほしいなあ」

 どういうことですか、と聞く間もなく、雲雀はコンビニに向かっていった。

 車の中で一人、雲雀がかけた音楽をただ聴く。寂しくなるようなメロディに乗せて、愛や孤独が切なげに歌われていた。

 ……死体を埋めて、その後少なくともバイトは辞めないといけない。それより先に雲雀が店のほうに来なくなるかもしれないが。何にせよ、店で顔を合わせるのだけは避けたかった。犯罪を共有している二人が、周囲に人が大勢いる場で顔を合わせてもいいことはないだろう。……そうか、今から自分は犯罪を手伝うのか、と今更思う。本当はこの車に乗るべきではなかった。自分の防犯意識に綻びがあるかもしれないのは重々承知しているが、自分だってあそこに立っていたのが鳥羽雲雀でなかったら車に乗ったりしない。彼はまるで深い穴のようだった。

 誰だって真っ暗な穴があったら、その深さを知りたくなるだろう。落ちる危険性があるとしても身を乗り出したくなってしまう。そうして身を乗り出しすぎて、落ちる。

「麦茶なかったよ。緑茶でいい?」

「……あ、はい」

 雲雀が声をかけるまで、桐枝は黙々と考え込んでいた。ドアの開く音に肩を跳ねさせた様子を見て雲雀が困った顔をする。

「どうしたの? もしかしてここまで来てビビったとか?」

「ビビってませんよ。そっちこそ、俺が今の間に逃げたらどうする気だったんですか」

「きみは逃げないでしょ」

 神託のように言われて、返す言葉が見つからない。

 自分はコーラを買ったらしい雲雀は、一口飲むと黙って車を発進させた。駐車場の明るさに慣れていた目では、道が先程よりも一層暗く見えた。もう山間に差し掛かっていて他の車も、ましてや建物も少ない。時折信号が赤く光るばかりだ。真っ直ぐな暗い道を車はひたすら走る。

「俺のこと知りたくてもまあ、いいけど。期待するようなものはなんにもないよ?」

 舗装された山道を車が登りはじめたところで、雲雀が呟いた。顔は正面を向いたまま視線だけを一瞬よこされて、射抜かれたような気持ちになる。なんにもないと言われても、こちらには初めて会ったあの夜があるのだった。それを差し引いても、鳥羽雲雀はなんだか特別な生き物に見えて仕方なかった。何か仕組みがあるような、見えないところに何かを隠しているような。

 彼について知りたいが、思い返せば聞きたいこともひとつあった。あの時渡した枯れた植物は、一体どうなったのだろう

「初めて会った日の話していいですか? 真夜中に、ゴミ捨て場で」

「……ああ、そんなこともあったね。次の日にさ、初めて行くお店に昨日会ったお兄さんがいるんだからびっくりしたなあ。まあお兄さんじゃなくて背のでかい若い子だったわけだけど……」

「あのとき渡したもの、何に使ったんですか?」

 雲雀が短く息を吸うのが聞こえた。静かな車内は些細な動揺まで拾ってしまう。雲雀が長い睫毛を二、三回瞬かせた。言うか迷っているというより、適切な言葉を選んでいるような。そんな沈黙が流れたあと唇がそっと開かれた。

「練習だよ。埋葬の練習」

 彼はそう答えた。勿論、視線は進行方向に向けたままで。

 

 やがて車が路肩に止まった。ここからは歩きだよ、と言われて、車を降りる。

 さて問題になってくるのが、誰が死体を担ぐかということだった。雲雀が一回試したのだが、担ぐことはできてもそのまま山道を歩けるかはわからないレベルだった。小柄な女性の死体だというのに非力にも程がある。

 仕方ないので、桐枝が担いだ。適当に寝袋に包まれた死体は、ぐにゃりとしているのかと思いきやそうでもない。死後硬直とやらが始まっているのだろうか。寝袋に入れておいて助かった。生々しい手足や顔を見たくはない。彼女だって見られたくないだろう。

「たぶんこの辺ならよさそうじゃない? 広いしさ」

 スコップ二つを担いだ雲雀が示した位置は、確かに開けていて、人が木を伐採した名残りなどもなさそうだった。というかよさそうじゃない? と聞かれても、桐枝にはさっぱりわからないのだが。雲雀が埋める土地の当てはあると言ったからここまで来たというのに。

「……本当に大丈夫なんですか? いくら人が滅多に入らない山だからって、土地の持ち主がここにソーラーパネル建てたがったらどうするんです」

「そこでソーラー出てくるのが現代っ子だね。大丈夫、ここ俺の土地だから」

「は……? もしかして金持ちなんですか?」

「違うよ。ご先祖さまが所有してた土地を、そのまま引き継いで長男の俺が持ってるだけ。……まあ役に立たないしお金かかるだけだよ」

 スコップで地面に楕円を書きながら、雲雀が言う。私有地なら、確かに見つかる可能性は他より少ないのかもしれない。もし工事か何かでここが掘り返されても先に一声かかるだろうし。安全といえば安全だろう。

「というわけで、掘るよー」

「あっはい……どうしてテンション高いんですか。車の中では割としっとりしてたくせに」

「いや、穴掘るの楽しいだろうなあって」 

「ここは砂場じゃないですからね」

 雲雀に釘を刺しつつ、彼が引いた線の通りに穴を掘っていく。予想はしていたが穴を掘るのは重労働だった。まだ夜は寒い時期なのに、その寒さを打ち消して汗をかく。時折汗を拭いつつ、二人で黙々と穴を掘る。

「これってどのくらい掘ればいいんですかね」

「……あー、どうかな……? でも……あんまり浅いと野犬とかが掘り起こしちゃうらしいからね……。とりあえず、できるだけ深くしよう」

「死にそうな声出てません? 大丈夫ですか」

 最初はあんなにはしゃいでいた雲雀はわかりやすく体力を消耗していた。元から鶏ガラもかくやといった細身の体をしているし、体力がないことはなんとなく察していたのだがここまでとは。帰りの運転もあることだし、あまり疲れさせるものでもないだろう。

「休憩してていいですよ。俺、体力ならあるので」

「ありがとう……本当に感謝してる……」

 そう言って雲雀は適当な岩の上に座って、持ってきていたコーラを開けていた。見守られながら桐枝は地を掘る。穴はもう桐枝の膝くらいまであった。だが、身長くらいの深さが望ましいだろう。深ければ深いほどいい。見つかってしまってはいけないものは、できるだけ深くに埋めないと。

「体力あるってさ、運動とかやってたの?」

「……なんですか? 藪から棒に」

「いや、やってそうだなーって。身長も高いけど、体格が結構がっしりしてるからさ」

「まあ、運動はやってましたよ。小学生のころから剣道をずっと……あとは柔道も齧ってました」

「渋いねえ。確かに礼儀正しいもんね、きみ」

 ラジオのように雲雀の声を聞きながら穴を掘り進めていく。この穴が墓になるのだと思うと、不思議な気持ちだった。たとえば大昔、今のように冠婚葬祭がビジネス化されていない時代では、こうして遺族が墓穴を掘ったのだろうか。それとも墓穴掘りを生業にした人達がいたのかもしれない。もしそうなら自分はそれで食べていけるな、とくだらないことを思う。

「やってた、んだね。過去形ってことは今はやってないの? 柔道も剣道も。部活とかありそうだけど」

「……そうですよ。大学進学して田舎を出たときに全部辞めました」

「なんで?」

 振り向くと、雲雀は笑っていた。……俺のことを知りたいのなら自分の秘密も晒せと、弧を描いた目が物語っている。話したいものでもなかったが、黙秘できる雰囲気でもない。

「たぶん辞めないほうが良かったし、幸せだったんでしょうけどね。なんか、やっててもずっと物足りなかったんで。物足りない原因が知りたくていっそ全部辞めてみたんですよ。馬鹿みたいですけど」

「うん。わかるよ、そういうの。それは今も物足りない?」

 言われて考えてみると、高校時代から付き纏っていた物足りなさが薄くなっている気がした。こんな非日常に身を置いているからだろうか? 何のために生きて、何に夢中になるのが正解なのか分からないような、あの虚無感がもうほぼ埋まっている。

 気付く。雲雀を見ていると、胸の中に空いた空白が埋まるような気がするのだ。それほど惚れ込んでしまったということなのだろうか?

「まあでも、辞めてくれてありがとね」

「え?」

「だって部活なんてしてたら、あの店で働いてないかもだろ?」

 だからありがとう。雲雀は一つ伸びをすると、自分の分のスコップを手に取った。もう腰ほどの深さになった穴の中に入ってくると、そろそろ手伝うよと掘り進める。二人はそこからもくもくと掘り、穴はようやく二人の首ほどの高さになった。

「そろそろいいかな」

「いいんじゃないですか」

 雲雀が死体を包んでいた寝袋のファスナーをゆっくり開ける。中の死体は完全に生気を失っていた。触ると固く、まるで精巧な人形のようだ。腹部を一刺しされた死体を目の当たりにして、どうすればいいか少し悩む。手を合わせるべきだろうか。これから行うことは決して彼女にとって有益な行いではないだろうに。真っ直ぐに切り揃えられたボブカットの、桐枝より少し年上くらいの女性。死体にしては綺麗に目を閉じていた。それを見て、少し前まで飼っていた小鳥のことを思い出す。あれが死んだときもこういうふうに、触ると固くて冷たかった。

 雲雀が死体を抱きかかえ穴の中央に落とす。重力に従って落ちていく死体は、本当にマネキンか何かのように感じられた。自然落下に従って落ちた肉体はばらばらと両手両足が変な方向を向いていた。せめて手足を揃えて落ちてくれればもう少し罪悪感があったかもしれない。おかしいことだが、本当に信じられないことだが、その時点で桐枝は穴の底の死体がおもちゃの人形か何かにしか見えなくなってしまった。ゴムひもで手足を繋がれた、絵本に出てくるようなおもちゃの人形。あまりにも無惨な光景を見ると、人は現実逃避がしたくなるのかもしれない。

「どういう関係だったんですか」

 せめて彼女が人間だということを思い出したくて、縋るようにその一言を絞り出した。それを聞いた雲雀は少し笑う。

「五ヶ月くらい一緒に住んでた子。……俺もあの子も、お互い寂しがり屋でね」

 穴の縁に座り込んだ雲雀は、何かを慈しむようにゆっくり瞬きをした。長い髪で隠れているせいで、その表情は伺い知れない。

「相手が女の子だから、変な誤解されちゃうかもしれないけど。恋人じゃないよ? ただ同居してただけ。ネットで知り合って、お互い寂しがり屋だって知って……それで同居してたんだけど、ちょっと喧嘩しちゃったんだ。先に包丁持ち出してきたのはあっちなんだけど、揉み合ってるうちにグサッと」

「……寂しがり屋?」

 前後の発言より、その単語が気になって仕方なかった。

「俺の中の鳥羽さんって、割といつも人に恵まれてるイメージなんですけど。友達多そうだし」

「そうー? まあ友達はいるけどね、それでも埋まらなかったから……」

 雲で隠れていた月がちょうど姿を表して雲雀の横顔を白く照らした。その横顔が、今にも泣き出しそうな顔に見えたのは気のせいだったのかもしれない。次の瞬間にはもうなんでもないような顔をしていたから。

「ずっと、心の中にでっかい穴が空いているような気持ちなんだ。俺もあの子もお互い同じで、寂しくて、仕方ないからその穴を埋めるために寄り添い合おうとして……それで一緒に住んでた」

 雲雀は死体が落とされた穴を見やって、悪趣味なジョークみたいなこと言っちゃったね、と少し笑ってみせた。何も言えずに桐枝はただ雲雀の髪が揺れるのを見ていた。派手なレモンイエローは、こんな夜でも変わらずきらきらしていた。

「埋めようか。そろそろ」

 雲雀がそう言ったので、二人で穴を埋める作業に入った。死体は相変わらず作り物のようで、月の光に照らされながら無言だった。死体は何も言わない。彼女が雲雀をどう思っていたのか聞く術はないし、最期になぜ揉めたのかすら桐枝にはわからないのだった。雲雀に聞けば答えてくれるかもしれないが、それはあくまで雲雀側の主観でしかない。この死体が見つからなければ、彼女は行方不明者ということになるのだろうか? 全ては穴の底に封じられて、知っているのは鳥羽雲雀だけになる。土に埋めた死体は、もう本当に何も言わない。

 埋める作業は、掘るより何倍も早く終わった。あまりにも早く終わるので二人とも無言のままだったほどだ。埋め終えた土を適当に均して、それで終わりだった。雲雀が墓前でやるように手を合わせる。何か呟いていたようだが、こちらからは聞き取れなかった。ややあって雲雀はぱっと顔を上げる。その表情はもう先程までの憂いや寂しさとは無縁のものになっていた。

「……帰ろっか。お腹すいたね」

 

 山を降りたあと、雲雀が奢るというので二十四時間営業のファミレスに来た。夜明け前のファミレスは客もまばらで店員も少ない。そのせいか独特の雰囲気が漂っている。どうせ奢りなのだから豪勢にしてやろうと頼んだステーキセットを食べながら、桐枝は雲雀にいくつか質問しようと考えを巡らせていた。鳥羽雲雀のことが気になるし、知りたい。だがいきなり突っ込んだ問いを投げてもうまく躱される予感しかしない。

 ――埋葬だよ。埋葬の練習。

 あのとき、埋めに行く車内で返ってきた問いが未だに頭に残っていた。初めて会った日の夜に渡したあのゴミ袋。何の変哲もない枯れた観葉植物だが、雲雀はあれを埋葬の練習に使ったと答えた。どういう意味だろう。当たり前だが、先程やったような大掛かりな死体遺棄の練習に、一抱えもないようなゴミが役に立つわけがない。しかも渡した時点で桐枝は中身を告げている。

「柊くんさあ、よくあんなことした後にステーキ食べるね。図太いなあ」

「そっちだってねぎとろ御膳じゃないですか。……柊くん?」

 いきなりあだ名で呼びつけられて、桐枝はステーキを口に運ぶ手を止めた。先程まで名字呼びだったくせにいきなりあだ名とはどういうことか。

「俺たちさ、そろそろ仲良しってことでよくない?」

 雲雀がずいっと顔を近づけてきて面食らう。ファミレスの照明が煌々と照る中、雲雀の顔立ちはやっぱり綺麗だった。目元の鋭さを誤魔化すみたいに眉毛がふにゃんと下がっていて、口角はご機嫌そうに上がっている。この顔のせいで、何が起きてもドラマみたいに見えてしまうのだ。そういえばこんなに明るいところで見ることはなかった。

「は? いや、なんですか急に……」

「ここまで来たらもう友達になろうよ。それとも、歳が離れた相手とは友達になれないタイプ?」

「……そんなことはないですけど……」

「友達になるなら、なんでも一つ質問していいよ。俺のこと知りたいんでしょ?」

「それは……」

「あと、流石に気まずいだろうからもうお店には行かないね。つまり友達にならないんならここでさよなら。俺のこと好きになっちゃった柊くんはさ、本当にそれでいいの?」

 完敗だった。断れる気がしない。断じて好きになってはいないと言い切ってやりたかったが、ここまでついてきてそれも無理な話だった。

 頭を抱えている桐枝をよそに、雲雀はにこにこ笑いながらタッチパネルで苺のミニパフェを追加注文している。人を殺した後に笑顔でパフェを食べる男と友達になってしまった。無理やり友達にさせられただけならともかく、自分は鳥羽雲雀のことが結構好きなのだ。今日始まった話ではなく、もっと前から徐々に侵食されていた。この深い穴のような男の、奥底を覗いてみたくてたまらない。

「俺のこと雲雀って呼んでいいよ。あと敬語も無しでいい。使いたかったら使っていいけど」

「……なんでも一つ質問していいって言いましたよね。あの女の人とは何で揉めたんですか」

「いきなり攻めるね。他愛ない話だよ?」

 雲雀は手持ち無沙汰におしぼりの袋を触っていたが、手を止めて首を傾げた。可愛らしいと思ってもらいたいときにこの仕草をするのはもう分かっていた。分かっていたので無視をする。

「……俺ね? ずっと一緒に住んでた女の子がいたんだ。今日埋めたのとは別の子ね」

 何やら最悪が更新されようとしている気配がある。それなのに話す雲雀の顔はどこか幼く見えて危うかった。

「ずっと一緒に住んでたんだけど逃げられちゃって。でも俺はその子のこと運命だと思ってたから、その後誰と一緒に住んでも結局忘れられなくて」

「それで揉めたんですか」

「うん。今日埋めたあの子もね、俺のこと運命だと思ってたんだって。俺がずっといなくなった女の子のこと追ってたのが辛かったみたいで、何回か喧嘩してたんだよね」

「はあ……」

「呆れてる? でも忘れられないんだ。俺はずっといなくなった女の子を追ってる。ていうか追っちゃう? 馬鹿みたいだよね」

 雲雀にしては珍しく拙い語り口調だった。言葉を選んでいるというか、伝えにくいことをどう説明するか迷っているような。

 まあつまり、愛情の矢印が一方向に向いていたということだ。きっと色んな人間が鳥羽雲雀を運命の人に据えたのだろうが、肝心の雲雀はそのいなくなった女の子をずっと想い続けている。なんとも虚しい話だ。

 苺のミニパフェが届いたので、二人の会話はそこで中断された。

 雲雀がきらきらした目でパフェを見ている。とても人を殺して埋めた男の顔には到底見えなくて、こういうところに引っかかった人間が何人いるのだろう。パフェを崩していく雲雀を見ながら、桐枝もステーキセットの残りを片付けることにした。長く話していたせいで、肉はもう冷たく固くなりつつある。

「……あんたよく、あんなことの後にパフェ食えますね」

「なんか態度が雑になってきたね。友達の印ってことで許したげる。あ、後で連絡先交換しようね。一人暮らし? お家訪問してもいい?」

「一人暮らしですけど、特に見るもんないですよ」

「見るものないとこを見に行ってあげる。……あと、パフェ食べてる俺よりステーキ食べてる柊くんのほうが数倍やばいと思う。こんなとこまでついて来ちゃってるし、柊くんの防犯意識が心配だなあ。悪い大人に捕まっても知らないよ?」

「もう二十歳超えてるんで俺も大人ですよ」

「そういうことじゃないんだよね……。可愛いからいいけど、もうちょっと気をつけなねー?」

 犯罪者に防犯意識を説かれている。ステーキに添えられた甘いニンジンをフォークで突き刺しながら、桐枝は穴の底の死体のことを思った。今日のことは露見しないのだろうという予感がある。見つかる可能性について雲雀が一切言及しないからかもしれない。きっと桐枝の知らないところで証拠隠滅は行われていて、自分は一生それを教えてもらえないのだろう。雲雀のふわふわした笑顔に誤魔化されて、今日のことはこのまま無かったことになる。フォークで刺したニンジンのグラッセを口に運ぶ。嫌になるほど人工的に甘くて、少し雲雀に似ていると思った。

 

 予感通り、死体遺棄は露見せず二ヶ月経った。

 雲雀はあれから桐枝の家にちょくちょく遊びに来るようになった。連絡先も交換したし、なんならカラオケまで行ってしまった。大学とバイト先と家を往復するだけだった生活に華が添えられてしまったわけだ。

 この二ヶ月で雲雀のことも随分わかった。

 普段はカフェの店員で、ときどき知り合いの伝手でモデルのようなことをしており、そこから増えたSNSのフォロワーに化粧品をPRする依頼を受けて小金を稼いだり、ライブ配信で投げ銭を頂いたりしているらしい。要はよく分からない仕事をしている。整った顔面とコミュニケーション能力と太い実家に支えられたふわふわでゆるゆるした生き方なのである。貧乏学生としては腹の立つことこの上ない。

 さて、今日も桐枝が授業を終えてアパートに帰ると、玄関の前に雲雀が座り込んでいた。桐枝を見つけるとぱあっと笑って手を振る。頼むから張り込まないでほしい。大学近くのアパートなので同級生も住んでいるのだ。見られたらと思うと気が気じゃない。……いや、もう既に見られていそうだが。こんな来訪を許容してしまうくらいには友人が少ないので、裏で噂になっても知りようがない。

「雲雀、来るのはいいからせめて連絡してくださいよ」

「えへへ、来ちゃった」

「来ちゃってるのは見たらわかるんで。玄関の前で待つのやめてくださいよ……」

 鍵を開けて中に入る。雲雀はすたすた後ろをついてきて、勝手知ったる様子で居間のローテーブルの前に座った。今気付いたが何やら小さい紙袋を持っている。桐枝は荷物を置いてキッチンに向かうと、適当にドリップコーヒーを淹れて出してやった。

「ありがとう。これね、買ってきたから一緒に食べよ」

 そう言って雲雀は近所のスイーツ屋のプリンを二つ差し出してきた。男友達の手土産にしては可愛らしいよなあと思いつつ、もう慣れたものなので特に何も言わずに受け取る。週一で遊びに来る雲雀は、律儀に毎回手土産を持ってくる。手土産を持参する気遣いがあるのなら廊下で張り込むのをやめて欲しいのだが。

 桐枝の家に来ても、雲雀は特に何をしているわけでもなかった。これが夜なら近くのコンビニに酒を買いに行って家で飲んだりするが、昼の雲雀はただぼんやりと床に座ってスマホを見ていて、十分に一回くらい適当なことを喋る。それを聞き流したり適当に相槌を打ったりするのがやたらと心地よかった。その感じが何かに似ていると思ったら、鳥を飼っていたときの気持ちに似ているのだ。鳥扱いしては雲雀に失礼かもしれないが。名前のせいで普通の人間の百倍は鳥に重ねられていそうな男だし。

「雲雀ってやっぱ鳥嫌いなんですか」

「へ? 好きだけどなんで? ヒバリだから?」

「はい。やっぱり名前についてると嫌いになったりするのかなと思って」 

「あー……からかわれたりはするけどね。俺はこの名前好きだし、鳥もかなり好きだよ」

 プリンの表面を掬いながら雲雀が言う。彼は物をちまちま食べる癖があるらしく、そういうところも鳥のように見えた。

「柊くんは鳥好き? 今度鳥カフェ行こうよ。フクロウ見よう」

「鳥は好きですよ。飼ってましたし」

「え、ほんと?」

 鳥が好き、というのはどうやら本当だったらしい。雲雀のテンションが一気に上がるのがわかる。せっかくのプリンを食べる手を止めて、目をきらきら輝かせていた。

「飼ってたの? 実家にいたころってこと? ならインコとかが一般的かな。あとは文鳥とか……あ、柊くんの実家結構田舎っぽいしニワトリとかもありかも」

 テンション高めに喋り散らかすので面食らってしまった。口数は多い男だが、ここまで早口になるのは始めて見た。本当に鳥が好きらしい。可愛いものが好きだと言っていたからその一環なのだろうか。

「実家じゃないですよ。ここで飼ってました」

 足元の床を指差しながら桐枝は言う。鳥を買っていたのは今住んでいるこのアパートでの話である。ここは古くて築年数も嵩んでいるが、小鳥やハムスターなどの小動物なら飼育可能な良物件だ。一階に住んでいる大家が兎好きで、自分が飼いたいから小動物ならOKを出してくれるのだ。

「ここで? あれ、大学に入ったときにこのアパート借りたって聞いたけど」

「そうですよ。だから、正直飼ってたって言うほどしっかり長くいたわけじゃないです。迷子のインコが窓から飛び込んできて」

「……すごい話だねそれ。ちゃんと動物病院行った?」

 おや、と思う。雲雀の声のトーンが一段階下がったように感じられたからだ。ちなみにちゃんと動物病院は連れていったし、迷い鳥の捜索願いも出ていなかった。一応適切な手段であの鳥は桐枝のペットになったわけだが、やはり珍しいケースだろう。犬や猫ならともかく、迷子の鳥を保護する話はそこまで聞かない。

「病院も連れて行きましたよ。どこかのペットが逃げ出してきたんだろうって感じだったんですけど、捜索願いとかも出てなかったので、そのまま俺の家で飼うことになったんです」

「……写真とかあったりする? 見たいな」

 雲雀が言うので、桐枝はスマホの写真フォルダを遡り、何十枚かある写真のうち最も写りが良いであろう写真を見せた。桐枝の膝の上に止まっている写真だ。家に来た時点で老鳥だったからか、部屋を散歩させても熱心に飛び回るようなことはなく、飼い主の体やソファーの上を歩き回っていることが多かった。そのときの写真である。確か大学が休みの日の昼間に撮った写真で、太陽の光に照らされたイエローの身体が美しく輝いていて綺麗だった。

 そういえば、雲雀の髪色はあのセキセイインコによく似ている。セキセイインコには色々なカラーがあるらしいが、あの鳥は全身が綺麗なレモンイエローだった。色くらい、偶然被ることはあるだろうが、あと数ヶ月早く出会っていたら生まれ変わりだと思ってしまったかもしれない。……自分がずっと雲雀から目を離せなかった理由は、もしかしたらそこにあるのだろうか。どうだろう。確かにまあ、鳥のような男ではあるけれど。 

 桐枝からスマホを受け取った雲雀は、長いこと写真を見つめていた。あまりにまじまじと見ているのでしばらくスマホを取り返せなかったほどだ。

「変なこと聞くけどさ、その子が今ここにいないのって」

「ああ、はい。元から老鳥だったみたいで。俺が保護してから二ヶ月くらいかな、老衰でした」

「そっか。……そっかあ。悲しいこと聞いたね。ごめん」

 雲雀は放ったらかしにされていたコーヒーを啜って、冷めちゃったねと呟いた。それを合図のようにして、その後セキセイインコの話はされることはなかった。

 

 さて、それから数日後の話だ。桐枝のラインに、雲雀から『明日泊まってもいい?』とのメッセージが入っていた。泊めること自体には問題ないが、残念ながらその日は朝方までバイトが入っている。

 ちなみに、雲雀はあれから全く店に来なくなった。それで特に困るわけでもないので桐枝はあの店で働き続けている。気の合う客が来なくなったのは寂しい話だが、代わりに友人になれたのだからむしろ得をしたのかもしれない。代償として死体遺棄に付き合わされたわけだが。

『その日バイトで終わるの朝なんですよ。ただ宿貸すだけになりますけど、それでもいいなら』

 メッセージを送信すると、かわいいひよこのスタンプと共に返事が来た。

『全然大丈夫! ありがとう柊くん大好き!』

 そうやってすぐ大好きとか言うから刃傷沙汰になるのではないか。なぜ宿を欲しがっているのか聞こうと思ったが、それでまた死体を作っただのなんだの明かされても困る。とりあえず宿だけ貸してやることにした。

 そして雲雀を家に置いたままバイトに行き、翌朝帰ってくると、特に問題なく雲雀は客用の布団ですやすや寝ていた。家に帰ったら友達が寝ているというのは不思議な感覚だ。寝顔を見るのは別に初めてというわけでもなかったが、あまりに綺麗なのでつい見てしまう。起きているときは割と騒がしいので、身動ぎもせず眠り込んでいる姿は新鮮だった。しばらく見ていると、長いまつ毛がもぞりと動く。

「……ん、もう朝……? おかえりー……」

 その寝起きの掠れた声を聞いて、雲雀を家に泊めるのも悪くないなと思ってしまった。あのインコが死んでからの数ヶ月間、もしかしたらずっと寂しかったのかもしれない。部屋の中に自分以外の生き物が暮らしているというのが嬉しかった。

 雲雀は、あくびをしながらのっそりと起き上がる。いつも丁寧にセットしてある髪がもさもさになっていてかわいらしかった。

「泊めてくれたし、お礼に朝ごはん作ってあげる。キッチン貸して」

「料理できるんですか」

「できるよう。上手いよ俺は……」

 寝起きでまだ目をしぱしぱさせている男に料理器具を持たせたくないなと思いながら、スクランブルエッグが焼かれているのを横に立って見る。座って待っていればいいのにと言われたが、雲雀が料理をしているところが見たかった。ふと、フライパンを握る雲雀の手にネイルが塗られていないことに気づく。いつもは黒やら髪に合わせた黄色やらが塗られているので、素の爪は初めて見たかもしれない。常に飾り立てている人間の素の姿を見るというのは、どこか浮ついた気持ちになる。

「ねえ。これから時々泊まってもいいかな」

 少し焦げた卵を菜箸でつつきながら言われて、桐枝は頷いてしまった。まあ、邪魔にはならないだろう。

 

 ……それを機に、雲雀は週一で泊まりに来るようになった。分からないのは、それが桐枝が不在の夜ばかりだということだ。

 バイトが遅番で朝帰りになる日に限って、『泊まってもいい?』と連絡が来る。自分のシフトを知っているのだろうか。まあ元は客だったわけだし、出る日の予想がついてもおかしくはない。だが、何故わざわざ不在の日に泊まろうとする? ちなみに、今日も雲雀が泊まりに来ることになっている。バイトの支度をしながら、桐枝は考える。

 なぜだろう。友達の家に、本人がいない日ばかりを狙って泊まりに来る理由。状況だけ見れば窃盗が思いつくが、それならしがない大学生の家でやらなくてもいいだろう。雲雀の交友関係は広い。もっと盗みがいのある友人が他にいるはずだ。

 また人間と揉めて厄介なことになっているのだろうか? その可能性はありそうだが、家に泊まりに来る理由にはならない。自宅にいられなくなって逃げているのなら、もっと長い期間泊まるはずだ。だが桐枝がバイトでいない日に合わせているのだから、桐枝が家にいてはできないことなのだろう。……少し複雑な気持ちになる。こっちは死体遺棄まで手伝ったというのに、これ以上隠すことがあるのか。 

 まさかうちの庭に何か埋めるつもりじゃないだろうな。ふと思い浮かんで桐枝は窓ガラス越しに狭い庭を見やる。この部屋はアパートの一階で、雀の涙ほどの狭い庭があるのだった。死体が埋まらないくらいにささやかな庭だが、前の住民が置いたらしい小さなスチール製の物置まであってなかなか便利だ。自由にしていいというので観葉植物を置いたり鉢植えの花を置いたりしている。最近面倒になってきたので世話がおろそかだし、なんだか植木鉢やらの位置がずれているような気がする。風が強かったからだろうか。暇な日に整えないとなるまい。

 そういえば、鳥羽雲雀と出会ったのは枯れた観葉植物をゴミ捨て場に捨てに行ったときだった。今はもう春めいてきたが、あのときは凍りつきそうなほど寒かったのを覚えている。……夜のゴミ捨て場に立っていた雲雀を、今でも鮮明に思い出せる。それほど綺麗だったのだ。明るい髪色をしているからか、それとも肌が白いからか、雲雀は夜が良く似合う。

 ふと思い出す。

 夜のゴミ捨て場で、枯れた観葉植物を受け取った雲雀は、それを何に使ったのだったか。

 確か、あの夜の車内、死体を埋めに行く車の中で雲雀は言った。

 ――埋葬の練習に使った、と。

「……」

 桐枝はスマホを取り出して、バイト先に欠勤の連絡を入れた。

 

 土葬した骨は、場合によっては数百年以上も土に還らず残っていることがあるらしい。

 骨というのは遺るから厄介だ。死んだ生き物はもうどこにもいないはずなのに、骨だけはいつまでもある。存在している。魂はどんなに頑張っても二度と蘇らないのに、骨だけ残っていても困る。だから人間は埋葬をするのだろうか。地面の下という肉眼で見えないところに埋めて、隠してしまえば無いのと同じだ。

 死んだ生き物を隠して、別れを告げて、死体とのつながりを切りたくて、人は死体を埋めるのかもしれない。

 自宅の庭のスチール製の物置の中に潜みながら、桐枝はそんなことを考えていた。もう夜遅くで、物置の扉の隙間からやわらかい月明かりが差し込んでいる。耳を澄ますと近くの道路で車が走る音がわずかに聞こえた。スマホの画面を見ると、時刻は午後八時。本来ならばとっくにバイト先にいなければいけない時間だ。

 しばらく物置の中で息を潜めていると、窓を開けて部屋から庭に降りてくる足音が聞こえた。足音はゆっくり庭中を歩き回り、ややあって止まる。足音の主に気づかれないように注意深く息を潜めていると、ざく、と土を掘るような音がした。……できるだけそっと、物置の扉を僅かに開ける。指二本ほどの隙間から外を覗き込むと、そこにいたのはやはり雲雀だった。

 彼は庭に座り込んで、無心に庭の隅を掘り返していた。

 スコップも使わずに、素手で少しずつ穴を掘っている。まだ肌寒い春先の土は固い。そんなことをしては指先が傷付くだろうに、彼は黙々と穴を掘るのをやめなかった。月明かりに照らされた雲雀の横顔は皮肉なほど美しい。月の光は均等に雲雀の体に降り注ぎ、土を掘るために伸ばされた指までを真白く照らす。剥がれてしまうからだろう、今日もやはりネイルはしていなかったが、それでも月の光を反射して爪は鈍くきらめいていた。砂利に擦れて赤く血が滲んだ指先は、どんどん傷付いていく。

 雲雀は、穴を掘っている。

 埋めるためではない。探している。

 それを分かっていたから、桐枝は物置の扉を開けることができた。

「――雲雀! ……そこには埋めてない」

 ふ、と音の鳴りそうな速度で、取り憑かれたように穴を掘っていた雲雀が振り返る。雲雀は、まるでいきなり叱られた子供のような顔をしていた。黒い瞳が大きく見開かれ、やがて無理矢理平静を保とうとするように瞬きをする。その唇が取り繕うための何かを言おうとする前に桐枝は二の句を継いだ。

「そもそも埋めてない。……あなたの『女の子』はそこにはいません」

 雲雀はまだ、何が起こっているのかわからない顔で呆然としていた。落とし穴に落ちたら人はこういう顔になるのかもしれない。その様子で、桐枝は自分の推測が当たっているとほぼ確信する。それでも、これから告げるのは証拠もないただの予想だ。けれどもし勘が当たっているなら、雲雀に正解を言えるのは桐枝だけだ。隠したのは、他の誰でもない自分なのだから。

 ゆっくりと雲雀に歩み寄る。

「……これはただの予想なので、違ったら笑ってくれて構わないんですけど」

 雲雀は何も言わない。いつもうっすら笑っている男なのに、笑みのひとつも浮かんでいなかった。

「俺が飼っていたあの小鳥は、元は雲雀が飼っていたんじゃないですか」

 雲雀は笑わない。その目がどこを見ているのか桐枝にはよくわからなかった。手を伸ばせば届くような距離にいるというのに。雲雀が違うよと笑い飛ばしてくれなかったので、桐枝は推理の披露を続ける。

「同居してた女の子がいて、その子に逃げられたってあんた前に言いましたよね。女の子なんて言い方するから完全に人間の話だと思ってましたけど、あの小鳥は確かにメスでしたし」

「……すごい予想だね。証拠はあるの?」

「ないですけど、じゃあどうして他人の家の庭掘り返してるんですか」 

 一瞬言い返す体勢に入った雲雀が、そう言われて苦い顔をする。確かに証拠はない。雲雀の髪の色はあのセキセイインコの色とまるでお揃いにしたようにそっくりだし、インコの話をしたときやけに食いついてきたのも気になった。だが、そんなのは証拠にはならない。完全に当てずっぽうの推理だが、違うというなら庭を掘っていた理由を教えてほしいものだ。

「遺体を探していたんでしょう。犬猫ならともかく小鳥なら、自宅の庭に埋葬することもよくありますし」

 ややあって、雲雀が口を開いた。

「……そうだよ。全部正解」

 地面に直に座っていた雲雀がゆっくりと立ち上がる。彼は泥だらけになっていた手を叩いて汚れを落とすと、服に付いていた土も叩いて落とした。一連の動作がゆるゆると勿体ぶって行われたのち、雲雀は俯いていた顔を上げる。笑っていなかった。

「軽蔑した?」

 雲雀はそう言うと、じっとこちらの目を見つめて答えを待っているようだった。いつも笑っている人が笑っていないと魂が抜け落ちたように見えることを、桐枝は初めて知った。

「軽蔑するようなことじゃないでしょう、今更。別に庭を掘り返されたくらいで……」

「そうじゃなくて。分かってるの?」

「何がです」

「俺はただの小鳥を自分の運命の相手だと思ってた頭のおかしい奴だってこと。そのくせ窓開いてたからって逃げられて……捨てられた気がして捜索届すら出せなかった。飼い主失格」

 雲雀は苛立ちをぶつけるように捲し立ててきた。相槌すら打てないでいると、自嘲めいた叫びは続く。

「そのくせひとりは寂しくて、だから代わりに人間と一緒に住んだくせに……結局諦められなくてその子も死んじゃって埋めた! ……そこで終わりならまだましだったかもね? でも、この家にいたって気付いちゃったから俺、諦められなくて、」

 雲雀はもう泣きそうな顔をしていた。声がだんだん震えていき、表情を隠すように俯いてしまう。

「俺ね、ここに埋まってなかったら諦めるつもりだったんだ。本当だよ」

 泣き出す直前のようなゆらゆらと震えた声で言われて、桐枝はただこの男に泣いてほしくないと思った。それでも、年上の友人の慰め方なんて知らない。どうしたらいいのか少し考えて、その背に手を伸ばしかけて、結局口を開いた。

「俺は軽蔑してないし責める気もないですよ。言ってくれれば教えたのにとは思ってますけど、結局、自分の手で埋葬したかったってことでしょう」

「……馬鹿だよね。埋葬の練習なんて言って色んな土に還りそうなゴミとか拾って埋めてみたけどさ、もう全然代わりにならなかった」

「いいんじゃないですか。ゴミ捨て場にいてくれたから俺と会えたんだし」

「……うん。そうだよね」

 自嘲を続ける雲雀が、それでも許しを乞う罪人のような顔で見てくるので面食らってしまった。自分はもう鳥羽雲雀に公平な審判なんて下せないのに、雲雀はそれを分かっているのかいないのか。桐枝が軽蔑すると、本気で思っていたのだろうか。少し腹が立って、ややぶっきらぼうに言う。

「骨が、どこにあるのか知りたいですか」

「…………うん」

 土に触れて冷えてしまった手を引くと、雲雀は黙ってついてきた。庭に面した窓を開け、靴を脱いで窓から部屋の中に上がる。

「え、待って、室内?」

 雲雀が目をぱちりと瞬かせた。

 居間に置いてある本棚の前に、桐枝は座る。この本棚は三段構成で、上から一段二段は普通の本棚だが、一番下の三段目は押し入れのような引き戸になっているのだ。そこを開ける。がらんとした棚の奥に、手のひらに収まるほどの白い陶器の容器が入っていた。円柱状で、角がなくつるんとしている。それが何なのかを理解して、雲雀が小さく声を漏らす。……小動物用の骨壷だ。

「共用墓地とかも勧められたんですけどね。けど、俺が決めていいのかわからなくて」

 桐枝は骨壷を手に取ると、居間に正座した。雲雀もあわててそうしたので、二人は正座で向き合う形になる。

「大学を卒業してここを離れるときは共同墓地に入れるつもりでした。けど、それまでは待とうと思って」

「……待つって、何を」

「前の飼い主をですよ。もしかしたら見つかるかもしれないでしょう」

 その言葉を聞いて、雲雀の整った顔立ちが歪むのが見えた。桐枝は雲雀に骨壷を手渡す。雲雀は震える手でゆっくりそれを受け取る。彼はしばらく骨壷のやわらかな丸みを指先で撫でていたが、小さな声でごめんと呟いた。それを皮切りに、雲雀の瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ち始める。涙はとめどなくあふれて、骨壷とそれを包む手を濡らす。

 なかなか泣き止まない雲雀にティッシュ箱を手渡してやりつつ、桐枝は骨壷の中の骨のことを考えた。くすんだ白い骨を、まだぼんやりと覚えている。それでも未だにあのかわいい小鳥が、そうなったということが理解できなかった。

 生き物は死ぬと骨になる。鮮やかな羽もくりくりの目も捨て去って、くすんだ骨だけ遺される。二人で埋めたあの死体もいつかは土の下で骨だけになるのだろう。本当にあの女性が雲雀に刺し殺されたのか、桐枝は半信半疑だった。墓を荒らして確かめてみれば何かわかるかもしれないが、確かめる意味はないかもしれない。どんな事実があったとしても、もう雲雀を嫌いになれないのだから。

 

 数日後、休日の午前十一時過ぎのことだ。雲雀が手土産を抱えて家にやってきた。

 例によってアポ無しの来訪だが、今日は桐枝が家にいたので玄関前で座り込まれる事態にはならなかった。この間はあれだけびえびえ泣いていたというのに、雲雀はすっきりしていた。今までと何も変わらない、ゆるふわで少し陰がある美青年の鳥羽雲雀だ。

「柊くんこんにちは。遊びに来たよ」

「遊びに来るのは構わないんですけど、事前に連絡してくださいよ。来るの二文字でいいので」

 雲雀は桐枝を無視して、なぜかキッチンに向かう。手には何やら中身の入ったレジ袋が握られている。中を覗くと、パスタの麺とパウチのパスタソースが入っていた。

「この前は色々迷惑かけちゃったからね。俺がお昼ご飯作ってあげようと思って」

「……あんたこの前料理が得意とか言ってスクランブルエッグ焦がしてませんでしたか。火傷はやめてくださいよ」

「あれは眠かったからだって。それにいくら料理が下手な人でもパスタくらいは茹でられるでしょ」

 まあ、昼食がまだだったのは事実だ。どうせ余り物でチャーハンでも作ろうと思っていたところだし、雲雀に任せてみることにする。出会ったときは余裕のある年上の大人だと思っていたが、距離が近くなればなるほど真逆に見えてくるのは何故だろう。打ち解けている証だと思えば気分はいいが、こんなにゆるふわでこの男は大丈夫なのだろうか。パスタを茹でる雲雀の背中を眺める。

「そういえば、結局あの山に埋めたよ」

 明日の天気の話をするような、軽い口調で雲雀は言った。あの山、と言われて出てくる山は一つしかない。埋めるものも、まあ一つしか考えつかなかった。雲雀の住んでいるアパートの部屋は二階でもちろん庭はないし、実家もマンションらしい。共同墓地は雲雀が嫌がったので、埋める場所は元よりあの山しかなかったということだ。

 山を所有するというのも意外といいのかもしれない。何を埋めても怒られないのだから。雲雀にとって運命の相手だった小鳥と、そうではなかった人間が埋められている山。なんというか、鳥羽雲雀にまつわる執着の行き着く先という感じがする。

「しかしまあ、この間はかっこ悪いところ見せてごめんね。柊くんの前ではかっこいいお兄さんでいたかったんだけどなー」

「ああ……びえびえ泣いてましたね」

「うん。ふふ、俺さ、今まで誰の葬式でも泣いたことなかったんだよね。そのくせ鳥が死んだらこんなに泣くんだなーって自分で面白くなっちゃった。俺はほんとに人でなしだなあ」

「人じゃないなら鳥なんでしょう、雲雀は。名は体を表すって言いますし」

「……そうかもね。柊くんのそういうとこ好きだよ俺」

 ぽつりとそう言って、雲雀は折れたパスタの破片を指で弄っていた。照れているのだろうなと思ったが、わざわざ指摘してもはぐらかされるだけだろう。

「俺さあ、今2LDKの家に一人で住んでるんだよねー。ご存知の通り、同居人が死んだから」

 雲雀はこっちを振り向いて、いかにも軽薄で気分屋な人間のように喋った。意図的にそういう振る舞いをしているのはもう分かっていたので、黙って聞いてやる。

「家賃出してあげるからさ、一緒に住む? 大学とかバイト先からもそんな離れてないし、柊くんにとってもいい提案だと思うんだけどな」

 もちろん君が嫌ならいいけど。と雲雀は付け加える。黒い瞳が少しだけ不安そうに瞬いていた。最近気付いたが、口より目に表情が出る男なのだった。提案に乗るかどうか、桐枝は少し考える。別に今の住処になんの不満もないが、正直な話、魅力的な提案なのも事実だった。少なくとも嫌ではない。

 雲雀を広い部屋に一人で住ませても、そのうちまた同居人が居着くのだろう。それをまた刺しちゃったとか言われても困る。なら先にその席を埋めておいてもいいのかもしれない。

「……いいですよ。本当に家賃出してくれるなら」

「出すよー? 思ったよりすんなりOKしてくれるね。嬉しいなあ」

 雲雀は上機嫌そうに鍋のパスタをぐるぐるとかき混ぜる。

 たとえ金銭が関わらなかったとしても、この男と住んでみたいと思ってしまうからもう駄目なのだろう。蟻地獄に似ている。深い穴の奥に光る何かがある気がして、みんな覗き込んでしまうのだ。一度この男を好きになってしまったら、後はもう穴の底に落ちていくだけなのに。

 雲雀本人に人を落としている自覚があるのかないのかは知らないが。まあ行く先が天国か地獄かなんてのは落ちた側が決めることだから、今はすべてどうでもいい話だ。

「雲雀。なら、頼んでおきたいことがあるんですけど」

「ん、なに?」

 自分はたぶん鳥羽雲雀に気に入られているのだろう。今のところの順位付けがどうなっているかは知らないが、あのとき埋めた女よりは高い順位であってほしいところだ。でも、桐枝の葬式で泣いてくれるかどうかはまだ怪しい。残念なことに、桐枝柊一はただ穴の底に落ちていくだけの、翼のない飛べない人間だ。雲雀の運命にはなれないかもしれない。まあそれでも、落ちるなら一番派手な落ち方をしたいものだ。

 キッチンでパスタを茹でている雲雀の、その手を見つめる。細い手だ。男一人を抱え上げることも、深い穴を掘ることも難儀するだろう。わかっていながら頼むことは呪いだろうか?

「俺が死んでもあの山に埋めてくださいね」

 その瞬間鍋が沸騰して、湯が沸き立つ音がごぽごぽと周囲に響く。桐枝の声がちょうど隠れるようなタイミングで。

「え、聞こえなかった。……何?」

 雲雀がきょとんとした顔で振り向く。なんでもないと伝えて、桐枝はまるで沈む夕陽でも見るように目を細めて雲雀を見た。

 外からは鳥の囀る声が聞こえてきて、キッチンにも明るい陽の光が降ってきている。もうすっかり、春なのだった。

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鳥と白骨 @masudo_yuu_kiji

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