サボり魔二人の恋話
@suzutukiryo7891
サボり魔二人の恋話
それは猫の気まぐれのようなタイミングでやってくる。
「先生、今日もサボりに来たよ」
保健室の扉を丁寧に開けながら、ブレザーを着た彼女──榊真希は入ってくる。彼女は高校三年生で、よく保健室にサボりに来る常連だ。
「はいはい。いつも通り好きにしな」
いつもの台詞を口にして『はーい』と言う彼女の声を耳にする。
榊は紺色のスカートをふわりと揺らし、かわいらしく編まれた黒い三つ編みを軽やかに揺らしながら歩き出す。
ベッドまでたどり着くと、私──峯岸紗夜へと身体を向けてベッドの端へ座り込み、私へと笑みを見せてくる。榊のお決まりの仕草だ。
「紅茶、飲むかい?」
「はい!」
水筒を鞄から取り出し、コップに紅茶を注いで榊に手渡す。これもお決まり行動になっている。
しばらくすると、紅茶を飲んでいた榊から声がかかった。
「先生、唐突なんですけど質問があるんですが……いいですか?」
ためらいがちに榊は聞いてくる。
「ん、なんだい?」
水筒から紅茶を自分用のマグカップに注ぎながら、耳を傾ける。
「どうしてあの時、サボりを許してくれたんですか」
あの時とは去年の四月下旬のことだ。
保健室近く、桜が散り始めた樹の下で、寝転がってボーっとしていた当時二年生だった榊を見かけたのだ。そんな榊に私は声をかけたのであった。
「そりゃあ、人間、たまの息抜きぐらい必要だからだよ」
榊はふーんと唸って、小さく頷いた。
「今、先生は仕事中ですか?」
「いーや、サボりだよ」
「いいんですか、そんなことして」
「いいんだよ、別に。仕事するときはちゃんとしてるし。だいたい、保険医ってのは暇なぐらいがちょうどいいんだ。だって、生徒が元気な証拠ってことだろ? 喜ばしいことじゃないか」
榊は口元に手を添えてクスリと笑う。
「それもそうですね」
実際、この保健室を利用する生徒は、目の前にいる榊くらいなものだ。この高校の生徒たちはみんな健康的で素晴らしいと誇らしく思う。
しばらくの沈黙。普通なら気まずいだろうが、私にはこの永遠とも思える沈黙の時間が心地よかった。
✕ ✕ ✕
六月の雨の日のこと。私は職員用の玄関へと向かっていると、昇降口で佇んでいる榊の姿を見かけた。
榊は雨の降る空を眺めていた。そんな榊に私は声をかけることにし、歩みをそちらへと変えた。
「どうしたんだい、こんなところで」
「あ、先生」
私に気付いた榊は困ったような表情をして私を見上げた。
「実は、傘を持って来るの忘れちゃって」
困った表情のままの榊に私は誘いをかける。
「よかったら車で家まで送ってくよ」
「えっ、いいんですか?」
「いいの。これから帰るところだったし」
榊は困っていた表情から晴れやかな表情に変わった。
「それじゃあ、お言葉に甘えて。よろしくお願いします」
「靴、取っておいで。職員玄関から傘さしてくから」
「相合い傘ですね」
榊は口元に手を添えてクスリと笑ってから靴を取りに行った。
見えなくなったのを確認してから、私は頬を掻く。
「相合い傘ね~……」
なんだかちょっぴり照れくさくなった。
✕ ✕ ✕
雨降る街を車は走っていく。
唐突に『先生』と榊から声がかかった。
「あたし、あの日、先生に会えて良かったです」
「どうしたんだ、急に」
初めて榊がサボりをした日のことだろうかと思いながら、運転中なので目を離すわけにもいかず、私は耳を傾ける。
「あたし、ちょっと悩んでたんです。このままで良いのかなって。なんかレールの上を歩かされてるみたいなのが、なんとなく嫌になって。それで、初めてサボってみようって思ったんです」
私は黙って話の続きを促した。
「でも、教室を出てみたものの、サボり方なんて全然わからなくって。どうしようかなーって迷ってたときに先生に会って」
「そっか。私が優等生を不良娘にしてしまったんだな」
車が交差点へと差し掛かったところで信号機は黄色に変わる。私は赤信号に変わる前にゆっくりとブレーキをかける。
「はい。先生のせいです」
そう責任を追求するような榊のセリフだったけれど、どこか嬉しげなように聞こえた。
「先生がサボり方教えてくれなかったら、私、今ごろ何をしてたのか分かりませんでした」
「と言うと?」
「変わらずレールの上をただただ意味を見いだせず歩き続けていたかもしれないです」
「そっか。なら良かったな」
「です。だから、あたしを悪い子にした責任ちゃんと取ってくださいね、先生」
はいはいと軽く言ったタイミングで信号機は青へと変わったのを確認し、私はアクセルを踏んだ。
✕ ✕ ✕
やがて榊の家まで着くと、榊は私の方へ顔を向けた。
「ありがとうございました、先生」
「どういたしまして。また明日な」
「はい。明日もサボりに行きますね」
榊はいたずらっぽく笑って車から降りていき、家へと駆けていった。家に扉の前まで来ると、榊はふと立ち止まり私の方へ振り向いて手を軽く振ってくれた。
私は手を挙げて返すと、榊はまた笑顔を浮かべ、家へと入っていった。
榊を見送った私はハンドルを握って、車を再び走らせた。
✕ ✕ ✕
七月の下旬。終業式が終わり、保健室で帰る支度をしていると、榊がやってきた。
「終業式終わりましたね」
「だな。榊はどうしてここに?」
榊は手を後ろに組んで言う。
「先生成分を補充しに来たのです」
『そうか』と返答して、私は帰り支度をする手をひとまず止めることにした。
「それじゃあ、紅茶でも飲むか?」
「せっかくなので頂きます」
私は鞄から水筒を取り出し、コップへと注いで榊へと渡す。
「そういえば、先生は夏休みはなにかするんですか?」
「ん〜。仕事の日以外はゆっくり休むよ」
「じゃあ、八月の下旬にお祭りあるじゃないですか。一緒に行きませんか?」
「残念。私はインドア派だ」
榊は私の言葉を聞いてショックを受けた表情を浮かべた。
✕ ✕ ✕
八月の夜。神社では夏祭りが行われていた。
今の私はというと、そのお祭りが行われている神社に来ている。代理として呼ばれたのだ。どうして代理として呼ばれたのかというと、担当するはずだった先生が風邪で倒れてしていまい、近所に住んでいる私に白羽の矢が立ったのである。
「まぁ、風邪引くときは引くもんな。はぁ……」
これも仕事だと諦めて、お祭りの喧騒の中を歩く。
辺りを見渡すと、かき氷や焼きそば、チョコバナナにベビーカステラといった様々な食べ物の屋台が並んでいる。
行き交う人は多く、綺麗な浴衣を着た女性たちが綿菓子を分けてワイワイ言いながら食べさせ合ったり、お祭りに来たことを思い出にしたいのか二人で自撮りをする女性たちが印象に残った。
「早く帰って、ビール飲みたいなぁ」
仕事中でなければビール片手に回ってもよかったのだけれど、そうもいかない。残念だなぁと肩を落としながら歩いていると、人混みの中から聞き慣れた声がした。
「先生? 先生じゃないですか!」
榊の明るい声を耳にし、落とした肩をシャンと戻す。
声のした方へ向き直ると、榊は人混みをかき分けて私のところにやってきてくれた。
「榊も来てたのか」
「はい。友だちと回ってたんですが、先生の姿を見かけて声をかけたくなって」
笑みを浮かべる榊は可愛らしかった。榊も周りにいる女性たちと同様に浴衣を着ていた。紺色にあじさいの柄が入った浴衣を着て、長い髪は三つ編みのハーフアップに結われていて、榊を大人っぽくさせていた。お化粧もしてるようで、学校で会うときより、いっそう魅力的に見えた。
「先生こそ、お祭り来たんですね。意外です。インドア派って言ってたから、てっきりお家でビールでも飲んでるものだと思ってました」
もしもの私の姿をものの見事に言い当てられてしまった。
「ああ、私もそうしたかったのだがね。担当の先生が風邪を引いてしまってね。代理として送り出されたのさ」
肩をすくめてやれやれとアピールをする。
「それは災難でした」
榊は納得したように頷いた。
「じゃあ、サボっちゃいませんか?」
「駄目だ。見回りは立派な仕事だ。お祭り中は気を抜いていられん」
ふーんと榊は言う。
「てことは、お祭りが終わったら、先生、フリーになるんですね?」
「まあ、そうだが」
榊はニッコリと笑って提案してきた。
「それじゃあ、お祭り終わった後に会えませんか?」
「駄目だ。お祭り終わったら帰る時間だろ」
「良いじゃないですか、少しぐらい」
むー、と拗ねる榊の表情を見て、こんな表情もするんだなぁ、関心する。
「どうしてもですか?」
「どうしてもだ」
「お願いです!」
「ダメだ」
そんなやり取りを何度か繰り返す。榊はどうしても譲らないらしく、仕方なく私は折れることにした。
「分かった。ちょっとだけだぞ」
「やった」
榊は幼子のようにはしゃいでいた。
「じゃあ、九時に神社前で待ってますね」
「了解……それじゃあ、飲み物でも買ってくか」
九時はお祭りが終わり、屋台が閉まり始める時間帯だ。お祭りが終わった後ならビールを飲んでもいいかと思い、私は飲み物を売っている屋台を探すことにした。
✕ ✕ ✕
喧騒も静まり始めた神社前。榊の指定通り、九時前に私は神社の鳥居前にビール片手に待っていた。
「先生ー!」
榊は何かの入ったビニール袋を手にして元気よく走ってくる。
「おまたせしましたか?」
「いや、そんなに待っていないさ」
はぁはぁと息を整える榊に私は問いを投げる。
「榊、それは?」
それで伝わったのか、榊はビニール袋を軽く掲げる。
「これですか? たこ焼きです。先生、見回りで何も食べてないんじゃないかなと思いまして」
「悪いな。いくらだったんだい?」
「いいんですこのくらい。お仕事お疲れ様でした代だと思ってください」
「さすがにそうはいかない。大人だし先生だぞ。生徒にお金を出させるわけにはいかない」
「そうですか。分かりました。五百円です」
そう言って榊は手を出し、私は財布を取り出して五百円玉を渡す。
「立ったままなのもなんだし、近くの公園でいただこうか」
私は提案し、榊はその提案を快く受け入れてくれた。
✕ ✕ ✕
人気のない夜の公園。ベンチに並んで私たちは座る。
榊の買ってきたたこ焼きの入った袋を受け取ろうと手を差し出す。しかし、榊には見えておらず、榊はたこ焼きの入ったパックを取り出し、自分の膝の上に乗せた。
榊の膝の上に乗せられたたこ焼きは八個入で、まだ温かそうだった。屋台が閉まる直前に買ってきたのだろう。
疑問に思った私は榊に問いを投げる。
「榊?」
「あーんしてあげますから、先生は口を開けてください」
「……はぁ!?」
私は驚きの声を上げた。
「たこ焼きぐらい一人で食べられる」
「もう、先生、今日は断ってばかりです。このぐらいさせてください。なにか気になることでも?」
気になるようなことはない。別に人目があるわけでもないのだから。ただ──
「ちょっと恥ずかしいだけだ」
小声で言った私に、榊はクスリと笑って答えた。
「それじゃあ問題ないですね。はい、あーん」
たこ焼きを爪楊枝に刺して、私の口元へ運ぶ。
「あ……あーん」
私はたこ焼きを頬張る。先程のやり取りの間で程よく冷めており、口が火傷することはなかった。
「どうですか、先生?」
「ちょうどい熱さだ。ソースも甘酸っぱくて、生地はトロトロしてる」
端的に言ってしまえば美味しかったの一言だ。
「よかったです。それではもう一つ」
私たちはたこ焼きが無くなるまで、そんなやり取りを繰り返した。
たこ焼きを食べ終えると、榊は赤い巾着袋からスマホを取り出していた。
「先生、自撮りしませんか」
記念に一枚、とでも言うようにスマホを胸元辺りに掲げる。
「はいよ。一枚だけな」
私たちはフレームに収まるようなるべく密着し、榊はいい画角を選び、スマホのカメラのシャッターを押した。
✕ ✕ ✕
「またです、先生!」
公園の入口の前でお開きの後、榊は明るい声で言った。
「ああ、また学校で」
そうして、私たちは公園を後にした。
「ビールは……あとで考えるか」
買ってきたビールは帰ってから冷蔵庫入れて、お風呂上がりに美味しく頂くことにした。
✕ ✕ ✕
冬の始まりが聞こえてくる十一月の午後。私は保健室近くの外で散歩をしていた。
冷たい風に当たっていると、ふと、視界の隅に何かがかすめた。そちらへと顔を向けてみる。
「ん、猫だ」
猫が木陰の下で気持ちよさそうに昼寝をしているのが目に入った。私は仕事をサボって、猫を起こさないようこっそりと近づいて、しゃがんで観察する。
「野良猫かな」
首輪をしていないので、そう推測した。猫はすやすやと心地よさそうに眠っている。
それにしても猫というものは、寝ていても起きていても、どうしてこんなにもかわいらしいのだろう。
「先生、ここにいたんですか」
後ろから声がかかり、振り向いてみると、榊が私をのことを何をしているのだろう覗くように立っていた。
「お、榊。今日もサボりか」
「はい。保健室に先生がいなかったから探しちゃいました。それで、どうしてこんなところに?」
「静かにな」
シッーっとジェスチャーをして、私は榊に見せるようにその場から身体を少し横にずらし、眠っている猫を見せる。
「あ、かわいいですね」
榊は小走りで近づき、私の隣へしゃがみ込み、猫を観察する。
「すやすや寝てますね。気持ちよさそう」
榊は猫にゆっくりと手を伸ばし、優しく頭を撫でる。猫は起きる様子を見せない。
「もふもふでかわいい~。先生も触ってみたらどうですか?」
「そうだな。せっかくだし」
榊の誘いに乗るような形になり、猫の胴体を私は撫でる。猫の毛はもふもふしていて心地よかった。
「先生って猫好きですか?」
「いや」
「え、そうなんですか」
「はは、冗談だよ。ああ、猫は好きだよ。飼いたいぐらいにな」
「飼わないんですか?」
そう言った榊は小首をかしげた。
「今住んでるアパートはペット禁止だからな」
ため息を付きながら私は返答する。
いつか飼いたいなぁと思うも、今住んでいるアパートは高校から近いこともあるし、引っ越すにしても引越し費用も馬鹿にならない。
「いつか飼えるといいですね、先生」
「そうだな」
私たちは猫を五時限目が終わるまで、もふもふと撫でながら愛でていたのであった。
✕ ✕ ✕
雪が降りそうな十二月。それは起きた。
女生徒が保健室の扉を勢いよく開け、大声で叫んだ。
「先生! 真希が!」
「なんだって!」
私は慌てて椅子から立ち上がった。
✕ ✕ ✕
「全く寿命が縮んだぞ」
「ごめんなさい。自分で歩けるからって言ったんですけど」
体育の授業。マラソン中に榊は思いっきりすっ転んだらしい。大事にはならず、膝を擦りむいただけであった。
「なんにせよ、大したことじゃなくて良かったよ。はい、絆創膏」
私は榊の擦りむいた膝を消毒したあと、絆創膏を貼ってやった。
「ありがとうございます、先生。優しいんですね」
「仕事だよ仕事。せっかくだし休んでいくかい?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言った榊はベッドに向かって一瞬立ち止まり、ポニーテールにまとめた髪を揺らしながら私の方へと顔を向けた。
「先生、改めてありがとうございました」
満面の笑みを見せる榊。その笑顔は親愛を全面に置いた相手に向けるような──そんな印象を与える魅力的な笑顔だった。私の胸はなぜだかドキドキしてくる。榊がベッドへと潜り込んだのを認めてから、私は胸を抑える。
「生徒相手に……いやいや、単純接触効果だ。うん、そうに違いない」
回転椅子に座り、私は書き仕事を再開させる。けれど、胸の高鳴りは一向に収まってくれなかった。
✕ ✕ ✕
一月の金曜日。お昼ご飯を終え、二人で食後の紅茶を飲んでいる時、榊は手足をソワソワさせていた。
「緊張するか?」
「大丈夫です」
そう言う榊の手は震えていた。私は榊の手をそっと握ってやる。
「嘘。本当のところ言ってみ」
はぁとため息をつきながら榊は言った。
「当然しますよ。明日は大学の受験日なんですから」
それもそうかをと思いながら榊の顔を見る。ちょっとだけムスッとした表情になっていた榊。その顔を見て少しばかり私は笑みがこぼれる。
「なんで笑うんですか、先生」
「緊張している榊がかわいく見えてね」
「もう、先生の意地悪」
「ごめんよ」
榊の手から自分の手を離し、マグカップを手に取って紅茶を一口にする。
「でも問題ないだろ。サボりはするものの、成績優秀じゃないか、榊は」
頻繁にサボりに来ているが、榊の成績は学年でも上から数えた方が早いくらいだ。
「そうですけど、心配なものは心配なんです……」
シュンとした榊を見て、また私は笑みをこぼす。
「先生のときは受験、どうだったんですか?」
「楽勝だったよ。時折、サボってたけどな」
「先生、高校の頃もサボり癖ついてたんですね」
呆れたように榊は言う。私ははにかんでみせる。
「だから大丈夫だよ、榊も。私が保証する」
そんな私の姿を見た榊は、緊張がほぐれたのか、クスリと笑ってくれた。
「それなら安心ですね」
昼休みが終わるチャイムが鳴った。榊は空になったお弁当箱を持って、椅子から立ち上がる。
「ありがとうございます、先生」
「受験、頑張るんだぞ」
榊に励ましの声をかけると、榊は『はい!』と元気よく言って笑ってみせた。
✕ ✕ ✕
春の足音が聞こえてきた三月上旬。
「先生、今日もサボりに来たよ」
「はいはい。いつも通り好きにしなさいな」
榊はベッドへと歩みを進め、ベッドの端に座る。そんな榊に私は質問を投げた。
「というか、前も言ったが、サボるくらいなら家にいた方が楽だろ。三年は自主登校の期間だろ」
「別にいいんです。前も言いましたが好きで来てるんですから」
そういうものかと思い私は受け流した。
「考えても思いつきませんね。それはそれとして、先生。もうすぐ卒業式ですね」
「そうだな。卒業おめでとう。はぁ~、サボり魔がいなくなって寂しくなるよ」
榊の方へ肩をすくめながら向いてみると、なぜだか頬を膨らませていた。
「どうした、榊?」
「……約束」
一言呟いた榊に対し、私は首を傾げた。
「約束、忘れてないですよね。先生」
「一体何の事かい?」
「卒業したら付き合ってくれるって約束してくれたじゃないですか!」
榊はさらにぷくーっと頬を膨らませる。
「は? そんな約束、した覚え──」
そこまで言って、デジャブを感じた私は過去に思いを馳せる。
✕ ✕ ✕
去年の七月。夏休みに入る数日前のこと。私は書き仕事をしていた。
「お願い事あるんですけど、先生」
「何だい?」
「あたしと付き合ってください」
「付き合うってどこに?」
私はマグカップに入れた紅茶を一口含み、榊を見る。榊は頬を膨らませていた。
「そっちじゃなくて、恋愛の意味です」
私は飲んでいた紅茶を器官に入ってしまい、むせてしまった。
「はぁ? そんなの無理に決まってるだろ」
「どうしてですか?」
榊はずいっと身体を迫らせて詰問してくる。
「教師と生徒だ。付き合ったら問題になるだろう」
「でも先生、サボりは許してくれるじゃん」
「それとこれとは別だ。私は仕事をこなしたうえでサボってるんだ。法律は守るものだぞ」
「そんなの破っちゃいなよ」
「あのな、先生から職を奪うつもりか、お前は」
「ちぇー」
そう言って榊は口を尖らせた。
「じゃあさ、約束してください」
「叶えられることならな」
「卒業したら、あたしと付き合ってください。それなら問題ないでしょ」
大学卒業したら問題ないかと思い、私は返事をした。
「あー……それならな」
「言いましたね。約束ですよ」
はいはいと言って、私は作業に戻った。
それから夏休み明けてからは、榊のサボる頻度が減って寂しさを感じたのを覚えている。
✕ ✕ ✕
「……言ったな」
「ですよね」
「だが、話半分の返事だし、それにあれは大学卒業したらって意味で」
「約束、破るんですか」
榊はキッと睨みつけてくる。
私は肩をすくめて降参したとアピールした。
「悪い。悪かった。しっかり伝えなかった私の落ち度だ。付き合うよ」
「やったー」
バンザイをする榊は、今日が最高の一日だというような喜びようだった。そんな榊を見て、私もつい嬉しくなる。
「ところで、榊。私のどこが好きになったんだ?」
「先生を好きになったところですか?」
榊は人差し指を唇に当てて考える仕草をする。
「目が切れ長なとこ、背が高いとこ、白衣が似合ってるとこ」
全部外見じゃないか、と文句を言ってやろうとすると、榊は微笑むように口角をあげた。
「でも一番は、一緒にいて心地いいって感じたとこですね」
私は榊の言葉を聞いてキュンとしてしまう。言おうと思った文句は、それで引っ込んでしまった。
微笑んた榊は私の方へ笑顔を向ける。
「それじゃあ、先生、あと数日後。よろしくね」
「はいはい」
ひょっとしたら初めて会ったその日から、私は榊に一目惚れをしていたのかもしれない。
「あ、そうだ」
唐突に榊は声を上げた。
「どうした急に」
「付き合うことになったんですし、一つお願いしてもいいですか?」
「お願い事? 一体なんだい?」
榊は私へと近づいてきて、両腕を首に絡ませてきた。急に距離が近づき、私の身体はビクンと跳ねる。榊はゆっくりと口を開く。
「名前……呼んでくれませんか?」
「な、名前……?」
なんだと緊張をほどき、安堵する。
「先生、もしかしてキスされると思ってましたか?」
「そそそ、そんなことはないぞ!」
動揺が思いっきり声に現れて恥ずかしくなってしまう。
榊は『まあ、嫌なら別にいいですけど』呟いて続ける。
「先生、いつも名字で呼んでくるじゃないですか。だから、せめて二人だけの間でも」
「それは……その……」
まだ照れくさいのだけど、と私は表情で訴えてみるけれど、榊は聞き入れてくれなさそうな表情をしている。意外と頑固なところがあるよなと思いつつ、私は仕方なく小声でボソリといった。
「ま……真希」
名前呼びをされて満足そうな表情を榊はする。と、急に飛びついてきた。
「隙あり!」
そのままの勢いで私は唇を奪われてしまった。柔らかな唇の感触が心地良い。
一瞬だけのキスで今度こそ満足した様子を見せる榊は、いたずらっぽく笑ってみせた。
「榊、お前!」
「隙を見せる先生が悪いんですよー。あと、名前呼び戻ってます」
この娘には敵わないな、と思いながらクスクス笑う真希を私は眺めた。
✕ ✕ ✕
3年前の4月。あたし──榊真希はこの高校に入学した。桜が満開に咲く中、校門へと歩いていた。
「どんな高校生活になるんだろうねー」
ふと、一人の人影が目に入った。遠くの──後から保健室前だと知った──桜の木の下、長身で茶髪のミディアムヘア。それに白衣を着た女性が立っていた。遠目からだとよく分からないはずだけど、美人だとあたしは直感する。
チャイムの音が鳴り響く。どのくらいの時間足を止めていたのだろう。
あたしは駆け足で昇降口に入っていく。その前に一度足を止め、再び白衣の女性のいる桜の木の下を見てみる。白衣の女性はまだ立ったままで、花見を楽しんでいるようだった。
微笑みながら白衣のポケットに手を突っ込んで桜を眺める姿に、私は目を釘付けにされた。
それがあたしの初恋で、この先、恋する相手だとはこのときは思ってもいなかった。
サボり魔二人の恋話 @suzutukiryo7891
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます