PICU入院中

 朝早くに電話が。

 かなり焦りました。


「おはようございます。何かありましたか!?」

「おはようございます。順調ですよ。あっ。すみません、驚かせて。次の治療に早めに進もうと思って、確認のお電話でした」


 夫と一緒に力が抜けました。

 この時、病名が追加されました。

 それが『急性散在性脳脊髄炎【ADEM】』です。


 以下、ADEMと書きますね。

 ADEMは予防接種後や感染後に発症することがあり、年齢的には三歳〜九歳辺りが多いそうです。

 発症は十万人に約一人といった割合です。

 自分の細胞が周りを敵と認識し、攻撃。そこを同じような細胞に塗り替えてしまう、そんな病気なのです。だから正常な細胞を守るために、時間との勝負になります。

 そして治療はステロイドを大量投薬する、ステロイドパルス療法が行われます。

 三日間点滴を入れ、休憩日を挟み、また三日間、という形です。それまでにMRIを撮り、様子を見つつ何回行うのか決めていきます。

 息子は二回行い、その後は経口薬(抗生物質より苦い)へ。

 他の方法もありますが、息子は上記の治療のみなので詳しくはわかりません。


 ステロイドの副作用は様々ですが、息子は退院する頃に出てきまして、満月様顔貌(ムーンフェイス)というまん丸のお顔に。

 感情の起伏も激しくなるそうなのですが、テンション高めに。

 食欲、体重増加。お腹が異様なほど膨れ、体毛が少し濃くなりました。

 目に見えないものとして、免疫低下、緑内障、骨が脆くなる、成長阻害などもあるようです。

 ステロイドは急に終わらせることはできませんので、量を減らしながらしばらく続けます。効果も薬が終わってから一ヶ月ほど抜けません。

 なので、感染しやすい状態にあり、プールは禁止。マスク必須。

 九月頃に服用をやめ、見た目や体重などは十一月頃に戻りました。


 ADEMは完治しません。

 ですが、このまま発症しないパターン。

 発症させる抗MOG抗体が発見されるパターン。(検査に一ヶ月以上かかる)

 多発性硬化症・視神経脊髄炎といった、別の病気が隠れているパターンと、大まかに三種類あるそうです。


 息子に抗MOG抗体はなく、再発しないことだけを祈るしかない状態です。

 

 話を戻しますね。

 面会時間は約三十分。

 子供はPICU、一般病棟共に入れないので、娘と待合室で待機しつつ交代で。この時、オムツやパジャマ等渡します。

 私は夜に息子の姿を見ていますが、夫は初めて。泣いて声が掛けられないからと、すぐに出てきました。

 私はお友達から送られてきた動画を耳の側で流しながら、治療頑張ってるね、えらいねと、普段とあまり変わらない感じを心がけました。


 面会後、先生から説明があります。

 これは毎日ありますので、ここで質問させていただきます。

 

 髄液は正常。

 脳の担当医と話した結果、ADEMだろうとのこと。

 もっと詳しい検査をしつつ、今の治療と脳症だった場合の治療も同時進行で行う。


「PICUでは我々がついていられますが、一般的病棟に移ってからが本当の意味で病気と向き合う時間になります。一生になるかもしれません。覚悟してください」


 と、同時に確認もされましたが、大丈夫ですと即答しました。自分の子供ですからね。一生を捧げますとも。

 この時、私が死んだ後、どうなるのだろうとも思いました。永遠の命なんて興味ありませんでしたが、本気で欲しいと思いました。

 それぐらい、今現在も心配です。

 私は家族であり親なので、辛くないです。

 でも、他の人は違いますからね。

 だからといって、責めたいわけではないですし、責める問題でもないです。

 将来、誰かしら理解してくれる人がそばにいてくれればと、願うばかりです。


 ステロイドの治療が落ち着いたら、眠薬を徐々に弱め、完全に起きたら一般病棟に。

 なので、この時点であと四日ぐらい猶予があると思っていました。実際は一日早まりました。


 その間にやること。

 かかりつけ医に結果を報告し、当時の血液検査の情報等を現在の病院へ送ってもらう。

 学校及びPTA関連の継続不可能の連絡。給食停止。登校班への連絡も。

 幼稚園への送り迎えの人の変更。万が一に備え、預かり保育が可能か。

 付き添い入院に必要なものを調達。

 時短のために髪を短く。

 母にいつまでに来てほしいか伝える。


 そして、娘への状況説明でした。

 入院するから離れることになるけれど、絶対一緒に帰って来るから待っててねと、毎日話しました。


 治療三日目も順調に過ぎ、四日目の朝に眠薬を弱めることに。

 私は誰かに説明するたびに泣いてましたが、仕方ないです。涙って枯れないんだと思いました。

 あとは眠れない。食欲なし。口に入れても味もしなくて、でも倒れるわけにはいかないので飲み物だけは飲んでました。で、三キロほど痩せました。

 しかし、娘の面倒を見てくれているママ友さんのおかげで、手作りのお菓子だけは食べていました。

 娘を迎えに行くたびに、心配して食べさせてくれて、親子共々大変お世話になりました。


 そして不思議なことが。

 このママ友さんの息子くんなのですが、うちの息子が目を覚ましたタイミングで動画を送ってくれたんです。

「今送って。今じゃないとダメ」って。しかも、おはようって挨拶から始まってて、動画を一緒に見ながら、泣いてしまいました。

 息子はまだ薬が完全に抜けきっておらず、せん妄状で朧げでしたが、今でもその動画を見ると嬉しそうです。


 ステロイドの影響で、しばらくしたら吐きました。なので、またしっかり眠らせることに。次が夫の面会だったので、起きていた息子に会えた私に「ずるい」と不貞腐れていました(笑)

 そして娘からの希望で、息子の動画をせがまれていたのです。

 管だらけでショックを受けると思っていましたが、目を見開いて全身を震わせながら「〇〇だ!」と、とても嬉しそうに眺めていました。

 どんな姿になっても大好きと、娘は言い続けてくれました。


 そして、ここからが早かったです。

 体調は安定。五日目に眠薬を止め、完全に目を覚ますと同時に自発呼吸のリハビリ等を行いました。

 最初のひと言は「お腹減った」だったそうです。

 バニラアイスを半分食べた報告を電話で受け、一般病棟へ移ることに。


 会いに来たことがわかった息子の声がして、急いで行けば目が合って、泣き出しました。お母さんって言える? と聞けば「おかあさん」と辿々しく返事をしてくれました。

 これだけで今後一生大丈夫だと思いました。

 正直、意思の疎通が取れなかったらどう生活すればいいのか不安でたまりませんでした。

 会話できるならなんとでもなる。ようやく私でもやれることが出来たと気力が戻りました。


 扉越しに家族と対面もさせてくれて、息子は泣いていました。頑張ると何回も言いながら、一般病棟に移りました。

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