許嫁のパトリシアは僕をキープにしたいらしい
春風悠里
両片想いの二人
パトリシアは可愛い。
蜂蜜色の髪に琥珀色の瞳。桃色に染まる頬。僕にあんなに軽やかな笑顔を向けてくれるのは彼女だけだ。
もちろん、演技だと知っていたけど。
僕は地味だ。紺色の髪と瞳でパットしない。楽しい話題を提供することも盛り上げることもできない。ただ彼女の言葉に「そうなんだ」と頷くだけ。せっかく毎日会えるのだからと学園近くのオシャレなカフェなんかに誘ってもらっても、大体が彼女の話を聞いて終わりだ。
何を話せばいいのかなんて分からないし、彼女の可愛い声を聞いているだけで十分だ。でも……僕が彼女を楽しませていないことくらい分かっていた。
「私、いったんあなたと別れて他の人と付き合ってみようと思うの」
人のいない校舎裏に呼び出されて言われたのがそれだ。
彼女は僕の許嫁だ。両親が同意し合って幼い頃に決められた。いい人が互いに現れなければ学園卒業後――二十歳になった頃に正式に婚約してもらうと。そんな約束。貴族が多く通うこの学園ではそんな人たちが多く、だからこそ自由恋愛も活発だ。他に相手がいるからと証明できれば、無事に破局する。相手がいなくなってしまった側は社交に全力を注ぎ、いい人が現れなければ親の紹介で他の人と一緒になるのがお決まりのパターンだ。
今しか過ごせない青春の日々。それを止める術なんて持たない。
「分かった」
立ち去ろうとしたら、腕を掴まれた。
「ま、待って! それだけ? 理由とか聞かないの!?」
「理由なんて分かってるし、興味ないよ。もうパトリシアは決めたんでしょ? そうするって。僕が何を言っても無駄だよね」
「そんなの……」
「何年許嫁をやってきたと思ってるんだよ。つまらない男でごめん。じゃぁね」
「だから、待って!」
……どうして立ち去らせてくれないのだろう。
「あ、あのね。ほら、一緒になるなら他の人と比較検討することも大事なのかなって思ったのよ。他の人のがよかったのかもとか、あとから思いたくないじゃない? 少だけ他の人と付き合ってみて無理だなって思ったら戻る、みたいなのもありかなって……」
決めた相手ができたわけじゃないのか。でも、僕みたいなつまらない奴に戻ってくるわけがないな。もうこれっきりだろうけど、ひとまずここは頷いておこう。
「そっか、分かったよ」
「わ、分かったって……。んんっ、あのね、他の人と一時的に付き合うかもしれないけどいいわけ!?」
「いいも何もそうするんだよね、いいよ」
「うぐっ……やっぱりなんか違うとか思ったらもう一度恋人に戻りたいんだけど、それもいいの!?」
こんなにパトリシアが必死なこと、あったかな……。それに、おかしいな。
「僕たち、恋人だったっけ?」
「う……っく。そりゃそうよ。許嫁で何度もデートしてるのよ? 恋人じゃなくてなんなの。私たちは恋人だったの!」
「そうだったんだ……」
話を聞いていただけだったし、何も恋人らしいこともなかったけど。僕はパトリシアの恋人だったのか。
恋人って……なんだろう。
人によって定義も異なりそうだ。
「いい? だから、私が他の人はやっぱりないなと思ったら、私たちは恋人に戻るの。戻るのよ、分かった?」
戻ることなんて、ないと思うけどな。世の中、僕よりかっこいい男ばかりだ。何も取り柄のない僕をわざわざ選ぶ必要なんてないし、彼女なら他の人とも上手くいくだろう。
でも、暴言が多かったりガサツな男も一定数はいる。僕と一緒にいた反動でそんな奴に魅力を感じて付き合って、後悔して戻ってくる可能性もなくはないのか。そうなるとつまり――。
「僕はキープってこと?」
「……!」
あれ、違ったのかな。
「そ、そうよ。キープにしたいの。駄目? あのね、駄目って言うならやめるわ。そうよね、あなたといるのも居心地は悪くないし、別に比較検討をわざわざしなくてもとは思うし、どうしてもあなたが嫌だと言うなら、両親の期待は裏切りたくはないと思うし――」
「いいよ、キープで」
「え!」
彼女も、自分が悪い男に引っかかる可能性があると思っているのだろう。僕よりも頭がいい。比較検討してよりよい相手を選びたいのは当然だ。キープを確保しておいて、自分の明るい未来を目指すなんて――、
さすがパトリシアだ。
感情だけで動かない。両親の期待にも背きたくないと思っている。誠実に僕にも事前に予告してくれるし、僕の大好きなパトリシアらしい。
「僕をキープにして、いい相手を探したいんだよね。いいよ、そうして」
「な、な、な……!」
なんでそんなに、わなわなしているんだろう。彼女の希望通りのはずなのに。
「アクアなんて……アクアなんて……もういい! もう別れるんだから!」
「え、う、うん。さっき聞いたけど」
「いつでも戻れるように、隣は空けておきなさいよね!」
怒りの形相で叫ぶと彼女は走り去っていった。
僕のことを好きではないのにキープにしたいのは意味がよく分からないけど、僕の両親と彼女の両親は仲がいい。だからこそ、キッパリと終わりにはしにくいのだろう。家のことを別れる時まで考えるなんて、いい子だな。
……付き合っていた気はまったくしないけど。
◆
それから、何度も別の女の子がことあるごとに僕に話しかけてきた。
「ねぇ、パトリシアさんのことだけど。ウェルダー様と一緒に仲よさそうにしているのを見たわ。だから聞いてみたの、付き合ってるのって。そうしたらね、アクア様がやめろと言うのならやめるつもりって――」
「別にわざわざ報告してこなくていいよ。僕は気にしていない」
「ねぇ、今度の休みにはコロイド様とお出かけになるそうよ。アクア様が止めるのなら、やめるおつもりだと聞いたのだけど――」
「報告しなくていいって。僕は気にしていないんだ」
女の子は本当に噂好きだ。普段は絶対に女の子が僕に話しかけることなんてないのに、何人もの子が寄ってきた。少しげんなりする。わざわざ人の反応を見て楽しもうだなんて悪趣味だ。
パトリシアなら、誰とでも上手くやってしまうだろう。コロコロと笑って、楽しい話題を出して好きになった相手と――、あーあ。考えたくない。考えたくないから、誰も僕に話しかけないでほしい。
「なぁ……アクア」
パトリシアの友人を追い払い、広い談話室で一緒に趣味であるクロスワードを考えていた友人が突然呆れ顔をしながら声のトーンを変えて僕に話しかけた。
「なに? このクロスワードは好みじゃない?」
「あー……、俺が何か言うのはおかしいと思って今まで言わなかったんだけどさ」
「ん?」
「パトリシア嬢はお前のことが好きだと思うぞ?」
「そんなわけがないよ、僕は振られたんだ。そんなことより、この問いだけどさ――」
僕のことを好きになる子なんていない。このまま惰性でパトリシアと一緒になれたらなんて考えていたけど、もう無理だろう。恋愛ごとは苦手だし、時が流れるままに任せよう。
友人が言った。
「仕方ないな。アクア、パトリシア嬢からの伝言を伝えるよ」
◆
「打つ手なしね……」
友人の報告を中庭で聞いて、空を見上げる。少し時間を空けてアクアのことを彼の友人に呼び出してもらった。そのうち来るだろう。
アクアが私に興味がないことくらい知っていた。私の話に全然のってくれないし、私について質問もしてくれない。
『私、いったんあなたと別れて他の人と付き合ってみようと思うの』
ショックを受けた顔が見たかった。少しくらい私に気があるって思いたかった。冗談よって言うつもりだった。恋人だと思っていたかどうかも確かめたかった。
彼は、私のことをただの許嫁だとしか思っていなかった。
その気もない相手に「私たちは恋人なの!」なんて言えなかった。だから、「戻ったら恋人」なんて言い回しをした。せめて恋人だったと、そんな記憶に塗り替えてほしくて。
彼は、私が離れてもなんとも思ってくれなかった……。
思い出して、ポロポロと涙がこぼれる。
「パトリシア!?」
タイミングが悪すぎる。
……って、これくらいのタイミングでここに来るようお願いしたのは私ね。
「パトリシアが呼んでるって聞いたんだ」
「ええ」
「どうしたの、悪い奴に引っかかった? しまったな、誰と君が一緒にいたのか何人もに聞いたのに忘れちゃったよ……」
私に興味がないからよね。
アクアが今まで見た中で、一番慌てている。さすがの彼も泣いている女の子には弱いらしい。
少しだけ嬉しい。
女の子だと認識してもらっていた。
私は、わざと強めに宣言する。
「アクア。約束通り、恋人に戻るから!」
「え? ああ、そうなんだ。分かった」
拍子抜けした顔をしている。
キープ宣言したあげくに戻ってきても受け入れてくれる人なんて、きっとアクアだけだ。私の全部を受け入れてくれるけど……それは関心があまりないからでもある。どっちでもいいと、そう思っているのよね。
どうでもいいって。
「パトリシア、大丈夫? 変なのに引っかかったんだよね」
心配してくれることに、嬉しくなる。単に幼馴染だからってだけに決まっているのに。
「違うわよ。あなたがいいって気づいたの」
本当はずっと前からそう思っていた。でも言えなかった。私だけが好きだなんてかっこ悪いし、それが明らかになるのも怖い。私はアクアの好きなところをいくらでも言えるけど、きっとアクアは私の好きなところなんて一つも言えないから。
「僕が? そんなわけないよ。あ、でも変な奴に引っかかったお陰で、そう思うのかな。たぶん気のせいだよ」
「どうでもいいと思ってる相手の興味ない話にニコニコ笑うのって苦痛なのよ」
「うっ……」
「他の人は自分の話ばっかりするの。アクアだけは、私の話を最後までしっかり聞いてくれる。そんなところが好き」
「う、うん……。パトリシアの声も話も好きだし。うまい返しはできないけど」
え?
好きって言った?
「えっと、私の好みじゃないものとか勝手に買って感謝しろって押し付けてくる男もうんざりするのよ。アクアはそんなことしないわ」
自由恋愛が活発化しているこの学園。たまに粉をかけてくる男性はいる。突然自分語りをしたり突然プレゼントを渡してきたり……。
「そりゃ、パトリシアの好みが分からないし。僕が選んでも絶対に趣味が合わないはずだから」
「アクアは買ってってお願いしたものだけを買ってくれるわ」
「それが一番喜んでくれると思うし。で、でも、買ったことあるのって文房具とかだよね。パトリシアがお金忘れたから買ってあげるよって。それ、全然プレゼントでもなんでもないし」
アクアに買ってもらったものを毎日使いたかっただけ。彼はプレゼントを買いたいとすら思ってくれなかった。私があげたものはどれも使ってくれない。
「押し付けがましくないし、私の話をしっかり聞いてくれるし、散財するような趣味もないし」
「うん。君を楽しませてあげられる趣味がなくてごめんね。僕にはクロスワードを解いたり作ったりすることくらいしか――」
「本当は誘ってほしかった!」
「ええ?」
一緒にやろうよと言ってもらいたかった。私からお願いしたら、嫌でもいいよって言うに決まってるから。一緒にやりたいって思ってほしかった。
「パトリシアにはつまらないだろうし……」
「一緒にやりたいって思ってほしかった!」
「でも、さっき『どうでもいいと思ってる相手の興味ない話に笑うのは苦痛』って」
「アクアはどうでもよくないの!」
また涙が零れてしまう。
「僕、そういうの察するのは苦手なんだ……」
分かってる。
「だからさ、他の男の方がいいだろうなと思って」
彼が、そっとハンカチを私の顔に押し付けた。
「ごめん」
謝るのは私の方だ。察してちゃんになっている自覚はある。
「パトリシアがどうして泣いているのかも、僕には全然分からないんだ。えっと……今までの流れを理解できていないけど、話だけなら聞くよ?」
どうしてこんなに鈍いのだろう。
「……アクアが全然私のことを好きじゃないから泣いてるの」
「ええ? えっと……好きだよ?」
そんなわけないじゃない。
「好きだったら、もっと私に文句を言うはずでしょ!」
「そう言われても、好きだから文句を言ってないんだよ」
「はあ?」
「だってね、たぶん好きじゃなかったら、キープにすると直接言われたら怒ると思うんだ、普通は」
「そ、そうね」
そんな普通の価値感を持っていたのね。
許嫁がいながらも運命の出会いを求めて活発に動いている人は多いので、キープが横行していると言えるけど……そこは暗黙の了解だ。わざわざ言わない。
逆に、許嫁に心変わりされないよう目障りなくらいにイチャついているカップルもまた多い。そんな複数の友人カップルに協力をお願いした。デートしたことにしてもらったり、アクアの反応を見てきてもらったり。「気にしていないとしか答えてもらえなかったわ」とすごく同情された。そのあと、アクアが私に探りを入れる様子もなかった。
惨めだった。
「僕はパトリシアが好きだ。戻ってくれたら嬉しい。だから文句を言うわけがないんだよ」
「な……」
「でもパトリシアにとってはつまらない男だろうしね。そこは諦めてる」
「あ、諦めないで! 好きなら諦めないでよ!」
「ええ〜」
私たちの間には何か齟齬があったのかもしれない。
言うしかない。
ずっと私たちの温度差が明らかになるのが怖かったけど、もう言うしかない。
「私はアクアが好きなの! でもアクアは全然私のことを好きじゃない。私について興味がないから何も質問してくれないし、おざなりな返事ばっかり。他の人と付き合うって言っても嫌な顔すらしてくれない。私があげたプレゼントも一度も使ってくれない」
「僕はパトリシアが好きだよ。君は話すのがうまいから、自分から言わないことは聞かれたくないのかなって思うし、迷惑に思われたくなくて何も口にできない。返事も苦手だ。すぐに言葉が出てこない。他の人と付き合うのも仕方ないと思っていた。プレゼントは汚したくないし、大事にしまってあるよ」
「……許嫁なのに手も繋いでくれない」
「僕と手を繋いで嬉しい女の子なんて、いるわけがないよ」
私は、そっと彼の手を握った。すごく不満だ。本当はアクアの方から握ってほしかった。
「えっと……比較検討して僕がいいって思ったの?」
瞳を揺らして遠慮がちに彼が聞く。
「どっちがいいのよ。最初から好きだったのに当てつけで別れるなんて言った場合と、比較検討した結果の場合」
「えー……」
「好きな方にしてあげるわ」
「なんだよそれ」
彼が私と手を繋ぎながら考え始めた。
「うーん、比較検討かな」
好きって感情より打算のがいいってこと!?
「どうしてよ」
「誰かと比べていいって思ってもらえたのなら、また別れる可能性は低くなるかなって」
照れくさそうに彼が笑う。
別れるなんて言葉を出してくれたことに嬉しくなる。今は恋人だと認識してくれているってことだ。
「それなら、そっちにするわ」
「よく分からないな」
どうしてそんなに穏やかにしていられるのだろう。私なら「ハッキリしなさいよ」と怒りそうだ。
「とにかく今は恋人に戻ったの!」
「うん」
「だからあなたに義務を課すわ。私に会うたびに必ず一度は手を握ること!」
重なり合った手を見て不思議そうにアクアが笑う。
たぶんこれからも、思っていることがすれ違うことは多いだろうけど――。
「アクアも、私に何か義務を課してちょうだい」
「ええー……別に義務なんて……」
「義務を課さなきゃ駄目。一方的なのはイヤ」
「うーん……」
考えながら頬を染めてくれる。今、やっと少しは好かれていると自覚できたかもしれない。
「さっきの、嬉しかったから。気が向いた時に好きだって言ってほしいかな。嫌じゃなければね」
やっと両想いになれたのかもしれない。
「アクアも言って。私だけ言うのはイヤ」
「分かったよ。大好きだ」
「……大好き」
手は繋いだまま、離さない。
好きだと言わせたのは私だ。デートだって私から誘うだけ。彼からなんて一度もない。私が動かないと何も始まらない。
せめて、初めてのキスはアクアからしてよね!
そんな願いを込めて、ぎゅっとアクアの温かさを感じるその手に力を込めた。
「次にまた僕がキープに戻るのはいつかな」
「……戻らないように私を射止めてよ」
「僕には無理だよ」
「もう射止めてるの!」
「ええ〜?」
まだまだズレている私たちだけど、大きく前に進んだ気はする。
――だってほら。
反対側の手で、アクアの腕に絡みつく。
「わっ」
きっと私たちは恋人たちの顔をしている。もう吹っ切れた。これからは変な強がりなんてしない。
――強制的にイチャついてやるんだからね!
【完】
許嫁のパトリシアは僕をキープにしたいらしい 春風悠里 @harukazeyuuri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます