第62話 避けられない戦闘

「家族を奪って申し訳ありません。父と兄に代わってお詫びします」

 正座で夏樹の話を訊いた冬樺は、頭を下げた。


「え、いや、やめてえな。冬樺に謝ってもらおうと思って話したんやないねん。少しでもトラウマが軽くならへんかなと思って。間違えたかな」


「いえ。話してくださってありがとうございます。お陰で足が動きそうです」

 そう言うなり、腰が抜けたようだった冬樺が立ち上がった。


「そっか。ほんなら話して良かったわ。ほな行くか!」

 夏樹も立ち上がる。頭痛はなくなった。体の痛いところもない。


「ああ、その前に、この間の事謝るわ」

「突然なんですか?」


「大地が消えた日、オレは冬樺に友だちおらん奴にはわからんへんって言ってしもた。嫌いやとも」

「言われましたね」


「酷い言い方した。ごめん。あと、嫌いやって嘘ついた。オレは冬樺のこと、頼りにしてる。嫌いやない」

「気にしてませんよ」


「大人やな。オレはガキやから、ちゃんと言っとかな気すまんねん。オレと冬樺は仕事仲間やけど、友だちやと思ってるから」


 冬樺は何も言わず横を向いた。でも、その顔は照れているように見えた。

「行きましょう」


 夏樹もわざわざ指摘しなかった。


 所長たちがいるところを捜す必要はなかった。妖力が照明のように、立ち昇っているのが見えている。


 二人がそこに向かって走っていくと、

「冬樺。先行くな」

 夏樹は冬樺に告げてから、高くジャンプした。


「この狐――――!」

 注意を自分に向けさせながら、妖狐の頭上に着地を定めた。


 真上に顔を上げた妖狐が、ひょいと飛びのく。

 妖狐の下には、所長が仰向けに倒れていた。迫ってくる妖狐の顎を、霊力の弓で抑えて押し戻そうとふんばっていたのが、夏樹に見えていた。


 所長の隣に下り立つと、背中に手を添えて体を起こす。


「すまないな。体は大丈夫か?」

「もう平気」


「間近で妖力を浴びて、よく平気だったな」

「あ、そうなんや。あんまわかってなかった。たださ、数珠弾けてしもた。師匠が遺してくれた物やったのに」

 数珠のなくなった左腕を見せる。


「妖力を浴びて大丈夫だったのは、あれのお陰だよ。形ある物はいつかなくなる。夏樹を守ってくれたんだから、師匠もあっちで喜んでるさ。本来の使い方ができたってな」


「そうかな」

「そうさ。無事で良かった。無茶はしなくていいから」


「少しは無理せな。あんなん退治できひんやん」

 妖狐は離れた場所で、耳の後ろをぽりぽりと掻いている。


「余裕かましとんな。腹立つわ」

「いや、あれはおそらく、そう見せているだけだ。俺の矢が痛みを与えているのと、妖力を放出させ続けているからな」

 妖狐の体からは、きらきらしたものが水のように流れ出ている。


 天狗がつけた傷は、逃亡中に治せたのかもしれないが、今流れ出ている妖力を止めたければ、また逃げて力を補充するしかない。

 それをしないのは、夏樹たちが見逃してくれないとわかっているからだ。


 背中を見せるよりも、倒す方がいいと判断したのだろう。

 しかし、夏樹たちの誰も倒されるつもりはない。妖狐の餌にされるなんて、絶対にごめんだ。


「周囲の草や木が枯れてきています」

「冬樺、来れたな」

 冬樺がやってきた。恐ろしいトラウマを植え付けた父親の前に、自分の足でちゃんと辿り着いた。


「所長、ケガが」

 血が流れている所長の姿を見た冬樺が、走り寄ってきた。


「俺は近接戦があまり得意じゃないからな。でも、大丈夫だよ。折れているわけじゃないから」

 とはいえ、所長の右手からは、赤い血が筋になっている。


「弓、引けますか」

「痛みを我慢すればな」


「僕がうまくできればいいんですが、まだ自信がないです」

「自信がないと思っていると、うまくできないよ。できると思い込むのも、上達するコツだ。嘘も方便ってね。それに、矢の使い方は刺すだけじゃないよ。ナイフみたいに切ることもできるんだからね」


「時間稼ぎはそれくらいにしないか。儂の時間切れを狙っておるのかしらんが、無駄だぞ」

 飽きてきたのか妖狐がこちらを向いていた。ギラギラと鋭い目を光らせている。


「それは残念ですね。自滅してもらえると、こちらも楽だったんですけどね」

 所長の軽口に、妖狐はぐわははと大口を開けて嗤った。


 嗤い終わると、静寂が訪れた。そして、夏樹と妖狐が同時に動いた。


 夏樹が木々の間を縫って走る。

 妖狐が手を振りかざすと、目の前で数本の木が倒れてきた。


 めきめきと裂ける音を立てて迫りくる木を躱しながら、タイミングを見てジャンプする。

 妖狐の頭上に飛び上がると、尻尾が先端を立てて向かってきた。


 体をひねって躱すと、妖狐の頭に肘を打ちつける。

「があああ」

 妖狐が悲鳴のような声を上げた。


 体重と落下が重なった肘打ちは、ダメージになったようだ。


 さっきまでと違う体の軽さを、夏樹は感じていた。

 新月のときは、満月の4分の1ほどに霊力が減る。さっきまでも、その減った霊力を感じていた。体もそんなに軽くはなかった。


 今は満月ほどではないけれど、いつもよりは動きやすい。

 妖狐の体の上をヒョイヒョイと移動して、背中の傷に向かうと、右の拳をがつんと加えた。


 痛いのか、妖狐がのたうつように体を動かす。

 金毛を掴んで振り落とされないようにすると、さらに拳を振り下ろす。


 傷口が広がり、妖力が放出されていった。


「小僧めが!」

 8本すべての尻尾が集まり、再び尻尾の先端が夏樹に向く。


「やっべ」

 言葉ほどに焦る気持ちはなく、余裕で飛び上がった。


 落下しながら、バラバラに襲い来る尻尾をすべて躱し、尻尾の付け根に降り立った。

 一本の尻尾をむんずと掴んだ夏樹は、力任せに引っ張り始めた。


「小僧! 何をしておる!」

 がらがら声に、イライラした声が交じる。


「引っこ抜いたる」

「軽々しく、儂の尻尾に触れるでないわ!」


 妖狐が激しく尻尾を振る。


「うわわわ」

 地面に踏ん張っていた夏樹だったが、耐え切れず、尻尾に捕まったままぶんぶんと一緒に振られる。

 それでもしがみついた手を離さないでいると、


「喰ってやるわ!」

 巨大な口が開いて、鋭い歯が迫ってきた。


 これはやばいと手を離し、夏樹が逃げようとしたところで、妖狐がギャッと鳴いた。

 夏樹からは見えない場所で、所長が何かをしたのだろう。


 その隙に、離した尻尾をまた掴んだ。

「夏樹さん。何をしようとしているんです」

 体を低くして冬樺が近づいてきていた。


「抜いたろうと思って」

「抜けるんですか?」


「知らん」

「知らないでやってるんですか。そのまま尻尾を持っていてください。切り落とします」


「そんなん出来るん?」

「今教わりました。やれます」


「任せるで」

 夏樹は切りやすいように尻尾を持ち直す。


 冬樺が手に妖力を集め、白いナイフを作り出すと、尻尾の下に当てた。


「いきます」

 宣言するように言ったあと、しゅっと腕を上げた。


 刃が滑らか過ぎたのか、切れたのかわからなかった。

 一瞬の後、妖力がほとばしった。空に向かって噴水のように放出された妖力は、陽の光できらきらと輝く。


 切り落とされた尻尾は霧散していく。

 同時に、妖狐が叫び声とともに、身もだえた。


「おのれえ! 小童が!」

 勢いよく振り返った妖狐は、怒りの形相で腕を振る。


 冬樺を突き飛ばしてから、夏樹も転がって回避した。

 目の前の地面が抉れて、土や石が飛んでくる。


「血を分けた者に尻尾を切られるとはな、不覚をとったわ」

 7本の尾が、苛立だしげに揺らめいている。


「妖狐と呼ぶのは恥ずかしい妖力しか持たぬおまえが、多少成長しているのは、人間のお陰だと礼を言うべきなのか? まったく、いらぬことをしてくれたわ」

 妖狐が鼻にシワを寄せ、尖った牙を見せる。


「おまえから離れられて、冬樺は幸せやわ。おまえなんかと一緒におったら、性格歪んでた」

 妖狐の言い分にむっとした夏樹が、嫌味を言った。


「とうか? ‥‥‥そうだそうだ。おまえそんな名前だったのう。忘れておったわ」

「酷い父親やな」


「儂にとって、我が子はひとり、兄だけだ。アレは儂そっくりの性質と妖力を引き継いで生まれた。あの人間の女、そこだけは役に立ったわ」


「ったく、情の欠片もない人ですね。仮にも、子どもまで作っておいて。ああ、間違えました。人ではなかったですね。あなたは」

 反論する冬樺の口調はいつもと変わりなく、冷静だった。


「儂を前にして、言うようになったな。ぴーぴー泣くことしかできなかった小僧が」

「何年経っていると思っているんですか。いつまでも子どもじゃないんですよ」


「親にとって子どもはいつまで経っても子ども、だったか」

「どこで仕入れた情報なのか知りませんが、思ってもいないのに親の顔をしないでください」


「ふん。遊んでみただけよ」

「愛情なんか持ち合わせていないくせに、どうして人との子を成したんですか。あなたに何の得があるんですか。ただの気まぐれですか」

 冬樺は子どもの頃できなかった反抗を今しているようだ。


「気まぐれではない。必要があったからだ」

「わずかでも、母に愛情があったんですか?」


「儂が愛しておるのはあやつのみ。人には憎悪しか持っておらぬわ」

「あやつ?」


「いいだろう。二千年を生きた儂の過去を、教えてやろう。その小僧との因縁も含めてな」

 冬樺と話していた妖狐の目が、夏樹に向いた。


「オレの家族を殺した理由を、教えてくれるってわけやな」

 理由を知ったところで家族は帰ってこない。でもわかるのなら、夏樹は知りたかった。


 妖狐と目が合った。ぐんと意識を引っ張られる感覚があって、次の瞬間、夏樹は空を駆けていた。

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