第61話 記憶を取り戻して

「夏樹さん! 大丈夫ですか?」

「痛った。なんやねん、いきなり」

 激しい頭痛に襲われた夏樹は、頭を振りながら体を起こした。


「あれ? 妖狐は?」

「ひとまず所長が追い払ってくれました。大丈夫ですか?」

 冬樺が背中を支えて、体を起こすのを手伝ってくれる。


「ちょっとずつましになってきてる。何があったんや」

「こっちが訊きたいですよ。父の妖力が夏樹さんを襲ったとたん、左腕のブレスレットが弾けたんです」


「ブレスレットが? ほんまや」

 左腕を持ち上げる。

 就寝時も、お風呂の時も外さなかったお守りのようなブレスレットが、消えていた。


「その後、急に頭を抱えて苦しみだして。所長がこの場から父を連れ出しました」

「そっか。所長、ひとりで大丈夫かな。あの人は、後方担当やからな」


「今はまず、自分の心配をしてください」

 やけに冬樺が優しい。それに、違和感がある。


「痛みは大丈夫や。治ってきてる。それより、大変や冬樺」

 顔を見ると、冬樺が慌てだした。


「なんですか? 何があったんです。骨が折れてるとか?」

「冬樺が、オレの名前呼んでくれてる」


「はあ? そんなわけ‥‥‥ありました」

 冬樺が怪訝そうな顔をしたあと、はっと目を見開き、それからぶすっとした顔で夏樹を見てきた。

 短い時間にこんなにもいろんな顔を見せるのは珍しい。よっぽど動揺したのだろう。


「なんで悔しそうな顔しとんねん。ずっと名前で呼べって言ってたやろ。やっと呼んでくれたわ。嬉しいもんやなあ。なあなあ」

 嬉しくて、冬樺の腕をびしびしと叩く。


「べたべたするのはやめてください。仕事の距離感で接しましょうと言ったじゃないですか、岩倉さん」

「いやいや、苗字に戻すなや。もうええやんか、夏樹で。呼びやすいやろ?」


「‥‥‥ええ、まあ。所長に引きずられました」

「ナイス、所長。ほんなら助太刀行こか。ひとりで苦戦してるかもやし」


 夏樹はゆっくりと立ち上がった。どこにも痛みはない。戦える。家族と、里の人たちの仇を討ちに。

 だけど、冬樺は座ったままだった。


「僕は、また動けませんでした」

「日和らへんって言ってたやないか」


「日和ってはいませんよ。父にはいなくなって欲しいです。ただ、足が動かなくて」

 体が震えているわけではないけれど、冬樺の生き方に影響を及ぼす程の出来事なのだから、固まってしまっても仕方はない。


「トラウマちゃうかな」

「だと思います。どうやったら、戦えるんでしょうか?」

「さあな。どうやった戦えるんやろな」


 冬樺が唇をかみしめる。戦いたい気持ちはある。それは感じられた。


 夏樹の過去が、冬樺の背中を押すきっかけになるだろうか。

「ちょっとだけ昔の話しよか。オレのなくなってた記憶が戻った話」


「戻ったんですか!」

 冬樺が弾けるように、顔を上げた。


「うん。気失ってる間、夢見てた。あれは8歳の記憶や。家族を失った記憶。二匹の妖狐に襲われて、ひとりぼっちになった記憶や」


「詳しく聞かせてください」

 冬樺の目が鋭くなり、気力がこもっていった。

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