第56話 手がかり

「狐がケガしているようだった?」

「そうやねん」


 宝山寺に着いた夏樹は、ケーブルカーに乗る前に、所長にメッセージを送った。

 すると、すぐに電話かかかってきた。


 狸の風五郎からもたらされた情報は、見かけた狐の妖は、ケガをしていたらしく、体のあちこちから妖力が零れ落ちていたらしい。

 その妖力がかかった草木はすぐに枯れてしまい、「風五郎は自然破壊でしゅ」と怒っていた。


「わかった。注意して見てみるよ。今日は直帰していいぞ」

 電話が切れる前に、所長を呼び止める。


「所長、山、気持ち良かったわ」

「そうか。お疲れさん」


 トイレでTシャツを着替えてから、動物を模したケーブルカーで山を下り、近鉄生駒駅でワッフルを買って、奈良行の電車に乗る。


 汗をかき、ひたすら足を動かした。

 苦行のような傾斜が続く厳しい道なのに、途中からなぜか、懐かしいような心地がしていた。


 夏樹に佐和と暮らすことになる直前の記憶はないけれど、物心ついた頃からなくすまでの記憶はうっすらある。

 山の中を走り回ったり、畑でカエルを捕まえたり、畦あぜ道でトンボを追いかけたり。


 夏はとても暑く、冬はとても寒く。今のようなエアコンの効いた暮らしではなかったと記憶している。

 季節を肌で感じ、自然から学び、自然とともにある生活をしていた。


 家族や人の姿だけは、どうにも思い出せない。父も母もいただろうし、きょうだいや祖父母もいたかもしれない。他にも住人がいたかもしれないけど、人に関する記憶だけはすっぽりと抜け落ちていた。


 それに場所もわからない。田舎であることは確実だろうけど、奈良県内なのか、近畿圏内なのかもわからなかった。


 佐和ならわかるだろうけど、訊ねたことはなかったし、教えられなかった。

 夏樹の過去には何かがある。それが何なのかわからない。佐和も知らないかもしれないし、知っていて黙っているのかもしれない。


 生活に支障がないのなら、無理に思い出す必要もないし、知らなくてもいいかなと、気楽にかまえている。

 ただ、今日、山で感じられた解放感や懐かしさは、また味わいたいなと思っていた。


 家に着くと、佐和が出勤準備をしていた。

 ワッフルを渡すと、これから歩くし、仕事やからカロリーゼロ、と理由をつけて喜んで食べていた。


 夏樹もシャワーを終えて、一緒に食べる。

「どうやった? なんか情報は得られた?」

「狸に会った?」


「狸? 生駒山って狸おるんや」

「おった。妖やったけどな」


「妖なんか。あ、あの辺に狸の伝承あったような。違う山やったかな」

「狸の伝説?」


 所長は何も言ってなかったと思いながら、スマホで検索する。

「飯盛山の寶塔ほうとう神社の境内に、狸のとめやんの石碑があるって出てきたで。


「とめやんって名前、おもしろいね。飯盛山いいもりやまって?」

「生駒山の隣にあるらしい。登ってみよかな」


「いいんちゃう。登ってみたら。っていうか夏樹。スマホ持ったら自分で調べるようになったんやん」

「え? あ、うん。いつも冬樺が調べてくれてたけど、おらん時に調べてみたら便利やったから」


「えらいやん。成長成長」

 佐和に濡れた頭をぐしゃぐしゃとされる。


「やめろや。遅刻するで」

「やばっ。行ってきます」


「行ってらっしゃい」

 佐和は口にワッフルをくわえながら、家を飛び出して行った。


 *


 夜、所長と、吉野に行った冬樺の三人でビデオ電話を繋いで報告をする。

 所長は車の中で、冬樺の背景は旅館。


 吉野に行くのに2時間ほどかかり、天狗やら宿泊客から話を聞いていると、夜になってしまった。幸い部屋はあったので、泊まっていいと所長の許可が下り、以前も利用した温泉宿で一泊することになった。


 五条に向かった所長は、そこでは情報は得られなかったが、河内長野の天狗から、14日の深夜に狐を見かけたと聞いた。ケガをしていなかったかと訊くと、きらきらと光りを発して山に消えていったらしい。


「北に向かって、姿を消したようだ」

「北っていうことは、生駒山にきたやつと同じのんかな?」


「狸からいつだったか聞けたか?」

「わからへんって。少し前とは言ってたけど」


「だろうな。数字の概念がないだろうからな。冬樺はどうだった?」

「僕の方はかなりの収穫がありました」


 収穫があったというわりに、なぜか冬樺の顔は晴れやかでなかった。


 兎の湯温泉の従業員から、先日の天狗と妖狐の衝突から話を訊いていき、天狗の名前がわかった。


 菊丸という天狗は、気性が荒く、仲間内でもよくケンカをしている。筋骨隆々で、背中の羽は黒く長く、立派なもの。団扇を持てるほどの力はまだないながらも、腕力と合わせた神通力は、大天狗も一目置くほど。


「菊丸さまとは会えなかったのですが、後輩だという別の天狗が夕方、宿にお越しになられまして、詳しい話をきかせてくださいました」


 妖狐の尾は8本あり、かなり年老いた印象だった。

 体毛は金で、尾は赤く、獰猛な目つきに鋭い歯をしていた。


 天狗の姿を認めると、鋭い爪で攻撃をしてきたが、菊丸が軽々と受け止めると、すぐに逃げ出した。

 だが菊丸も、自分たちの修験の場である神聖な山を荒らされて激怒し、追い回した。

 履いていた下駄を蹴り飛ばし、妖狐の体をかすめてケガを負わせた。

 五条まで追ったが、妖狐は吉野川を渡って岩湧山いわわきさんに消えていき、菊丸は周囲に止められて追撃を諦めた。


「何らかの理由で吉野に立ち入った妖狐が、天狗にケガを負わされて、岩湧山に逃げた。隠れて移動しながら、失った妖力を補充し、北に移動している。というところだな。今はどの辺りにいるかだな」


「妖力補充って、人でってこと? 最悪やな」

「犠牲者がまた出るかもしれません」


「早めに退治しないと、まずいことになりそうだね。とはいえ、俺たちだけで手に負えるかどうか」

 所長が腕を組み、目をつむってうーんと考え込んでいる。


「あの、まだ確定しているわけではないのですが」

 冬樺が遠慮気味に言いだした。顔色が少し悪く見えるのは、部屋の照明が暗いせいだろうか。


 所長が目を開ける。

「どうした?」


「その妖狐は、僕の父かもしれません」

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