第54話 行方不明事件

 大地が消えた翌日、夏樹はショックで寝込んでしまった。

 二日間熱が出て、佐和に看病された。三日目に熱が下がると、いつもの元気な夏樹に戻った。

 カマ吉が心配して、夏樹の枕元で添い寝をしてくれた。

 辛い時に見るカマ吉は癒しになった。


 四日目には出勤した。

「奈良県内と大阪で、幾人か行方不明者が出ていてね。どうやら妖の仕業らしい」

 所長がプリントアウトした近畿圏の地図を、ローテーブルに置いた。赤い✖と日付・人数が記入されている。


 10日 河内長野市 2人

 19日 四條畷市 1人

 22日 交野市 2人



「近場の直近で、こんなに行方不明者って出るもんなん?」

「おかしいよね。何かあったと思うのが普通だよね」


「妖関連ですね」

 冬樺の確信を持った返事に、所長が頷く。


 夏樹と冬樺は隣に座っているけど、二人での会話はまだしていない。

 気まずい。話をするのも、避けているのも。どっちでも気まずい。

 自分が悪いという自覚があるだけに。


 冬樺も、少しは気にかけてくれているのだろうかと、気にはなりつつも、熱が下がって起きてから見たスマホに連絡があったのは所長だけ。冬樺からは電話もメッセージもなかった。


 心のどこかで、少しは心配してくたかなと期待していたのに、落胆した。裏切られたような気がした。

 バディとして仕事をしてきたこの四ヶ月間は、冬樺にはどうでもよかったのかなと思えて、寂しく感じた。


「夏樹、聞いてるか」

 所長に声をかけられて、はっとする。


「ごめん、ぼうっとしてた」

「まだ体がつらいなら、留守番でもいいぞ」


「大丈夫。体は平気」

 体は、と言ってしまったことに同情を誘うような言い方は良くなかったなと、反省した。

 大地のことは悲しいけど、消えてしまった妖は、もう戻ってこない。頭を切り替えていかないと。


「無理はするなよ」

 心配してくれる所長に、「ほんまに大丈夫」と笑顔を見せた。少しだけ無理をして、表情を作ったけれど。


「ほんで何するん?」

「近隣に住んでいる妖から、話を聞いて欲しいんだ。ふだんと違う妖の気配を感じたり、見たりしていないか」


「オレはどこに行けばいいの?」

「夏樹には、生駒市の鬼取おにとり町に行って欲しい。ここには鬼がいた伝承がある。子孫が残っているかもしれないから、妖がいたら話を聞いてみて欲しい」

「わかった」


「冬樺は吉野で、天狗から話を聞いてきてくれ。兎の湯温泉に協力を要請しておくから、可能ならお客からも聞いて欲しい」

「わかりました」


「俺は五条と河内長野に行ってくる。何かわかったら、連絡な」

「山室さんの時と同じやな」

 個人での調査にほっとする気持ちと、でも寂しさも感じた。


 *


 翌朝。

「けっこう、きついなあ」


 夏樹は山道を登っている。山道といっても、きちんと整備された国道で、道幅は車一台が通れるほど。ハイキングコースでもあるが、気楽な気分で歩ける道ではなかった。


 国道308号線は通称、くらがりとうげと呼ばれている。難波と奈良を繋ぐ奈良時代からある道で、一部が生駒山の山中を通っている。江戸時代には参勤交代でも使われていた、歴史のある街道だった。


 一方で、『酷道』とも呼ばれていて、大阪側から登ると、最大勾配31%の急カーブが待ち受けているという。


「なんか、楽しそう」と好奇心をそそられ、夏樹は大阪側から鬼取町を目指すことにした。もちろん、所長の許可は得ている。


 枚岡駅まで近鉄電車を使い、枚岡神社でお詣りをしてから、かみつだけハイキングコースに向かった。


 途中で池を見つけて、なんだこれと近寄ると『うばが池』と書いてあった。記憶の中にあるような気がして探っていると、

「あ、冬樺が来たとこやん」

 スマホのメッセージを思い出した。漢字が読めなくて訊ねたので、覚えていた。


「ここで姥火と会ったんや。どんな妖やったんやろう。帰ったら訊いてみよう」

 直後に、ケンカ中だったことを思い出した。


 ケンカといっても、夏樹が一方的に文句を言い散らかしただけで、冬樺は乗ってこなかったから、ケンカとはいえないかもだけど。


 丸い模様の入った道路を、大量の汗を流し、はあはあと息を吐きながら歩く。冬樺だったら絶対に歩かれへん峠やなと思いながら。


 登ってくる車は唸りながら、降りてくる車は転がっていきそうな斜面が続く。


 そしてついに、噂の急カーブに辿り着いた。

「なんやこれ」

 ありえない勾配に、笑いがこみあげてくる。これまでの道もずっと登りできつかったのに、ここに来て、このカーブ。


「よし! 行くで」

 気合を入れ直す。下に沢があり、水の流れる音を聞きながら、急坂を上る。

 道路には、黒いタイヤ痕が幾筋もついていた。


 後ろからやってきた自転車が、お尻を浮かせて上がっていく。

「すげえな」

 降りて押したらいいのに、と思うけど、バイクの彼にも何か目的があるのだろう。かっこよく見える背中を見送って、夏樹も足を動かして、最大のカーブを登り切った。


 その後もずっと登りが続き、やがて民家が見えてきた。

 毎日の生活が大変だろうなと思う場所でも、住んでいる人がいる。高低差を生かしたハイツや、少し古い一軒家の前を進むと、登り坂はなくなり、平坦な道になった。


 ここまで来るとほっとした。途中、分岐があり、合っているのかなと思いながら進んできたから。


 道路が突然、コンクリートから石畳になった。ここが頂上に当たるらしい。

 数軒建物が見えて、間に石碑が置いてあった。暗峠と彫られてある。奈良県と大阪府の境界になる場所だった。

 目の前にある飲食店はお休みで、今、周囲に人は歩いていない。妖の気配も感じないので、先に進むことにした。

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