第52話 消えた牛鬼

「何があったん‥‥‥?」

 退治をしたわけではないのに、いきなり妖が消えた。


「瞬間移動的なもん? 妖ってそんなんできるん?」

「夏のあんちゃん、瞬間移動なんかできへんと思う」


「できへんの? ほんなら、川内さんと大地、どこに行ったん?」

 事態が理解できなくて、ぼんやりしていると、


「消えたんだよ」

 答えは所長がくれた。でも理解できなかった。言葉の意味はわかるけど、どうしてそうなったのかがわからない。


「なんで? オレら何もしてないやん。所長も弓出してなかったし」

「川男に攻撃をしたのは、牛尾くんだよ」


「大地が?」

「本来の姿に戻って、爪で刺した」


 川男の腹から突き出た黒い角のような物体を思い出した。


「あの黒いのん、角やなくて爪? 牛鬼の?」

 夏樹は、大地の本来の姿を見たことがない。牛鬼だと知ってはいても、人として接してきた。


「これが、牛鬼だ」

 所長に見せられたのは、牛鬼のイラストだった。


 姿形はまるで蜘蛛。顔は牛で、頭に湾曲した角が生えている。足が六本あり、その先に太くて黒い物体が生えていた。開いた口の中は真っ赤で、歯はすべて犬歯のように尖っていた。


「これが、大地?」

 川男が立ち上がったとき、夏樹から大地の姿は隠れて見えなかった。


 互いに想う人のために話し合っているだから、口や手を挟むのはダメだなと、聞くだけにしておいた。話し合いは平行線で、終わりは見えなかったけど、川男の言い分は自分勝手なものだった。だから、川男が負けて終わりだろうと思っていた。刺されて消えて終わるなんて予想をしていなかった。


「大地が刺したのは、わかった。けど、ほんなら大地が消えたんは、なんでなん? 川男も何かしてたん? 相打ちになったん?」

「いいや。あの時、川男は何もしていないよ。牛尾くんが消えた原因は、もっと前の行いの反動だよ」


「どういうこと?」

 所長の言い方は遠回しで、もどかしかった。言葉に迷っているような、もしくは言いたくなくて先延ばしにしているような気がした。


「はっきり言うてや」


 所長は唇をなめてから、口を開いた。


「牛鬼は、良い行いをすると消えてしまうそうだよ」


「は? 良い行いをすると、消える‥‥‥?」


「そういう伝承があるという話で、確証はない。妖という存在そのものが不可思議なんだから、伝承のすべてが正しいという立証はできない」


「悪いことばっかりしてないと、生きてられへんってこと?」


「別に悪いことしか、してはいけないわけじゃない。傍観していればいいんだよ。目の前で転んだ人を助けずに、見ているだけでいい。無視して通り過ぎてしまえばいいだけだ。自分の命と天秤にかけたら、自分の方に傾むくからな」


 夏樹には心当たりがあった。

 中学の体育の授業で、バスケットボールをしていた時のこと。大地とぶつかったクラスメイトが床に転び、しばらく起き上がれなかった。足首を抑えて痛がるクラスメイトに対し、大地は「なにやってんねん。早くコートから出ろ」と言い放った。

 駆け寄ったチームメイトと、敵チームだった夏樹も駆け寄って、ケガをしたクラスメイトに肩を貸し、コートから運び出した。

 大地だけはコートから一歩も動かず、ゲームが止まっていた別の生徒たちから非難されても、にやにやしているだけだった。


 ぶつかったことを謝り、ケガをした彼に手を差し伸べていたら、大地はあの時に消えていたのかもしれない。

 大地は、自分の命のために、優しさとは反対の人生を選んでいたのだろうか。


「そんなん、切なすぎるやん」

 たった一回、好きになった人を助けるために、大地は良い行いをした。

 彼女に好きだと告げることもなく、助けたことも知られないまま、密かに人助けをして、密かに消えていった。


「嫌や。オレ、大地好きやったんや。悪さばっかりして人に迷惑かけてた奴やけど、オレは大地と一緒に遊んで、アホな話して、ときどきアカンって怒って。にやにや笑う大地に腹立てて。でもまた一緒に遊んで。そんな時間が、楽しかった。せっかく再会したのに。いつでも会えると思ってたのに。もう、会われへんやん」


 握りしめた拳に、涙が落ちた。ぽたぽたと、甲を濡らし、伝って服を濡らす。

 濡れて、濃い色になった部分をこする。こすってもこすっても、涙染みは広がる一方で。

 気がつくと、ふとももを殴りつけていた。何度も何度も。


「夏樹。やめろ」

 やんわりと止めようとする所長の、声は聞こえるけれど、言葉が入ってこない。


 拳で叩いていると、足が痛かった。泣いているのは、足が痛いからだ。悲しいことがあったからじゃない。そう思えてきて、手が止まらなかった。止められなかった。


「あかんって! あんちゃん!」

 カマ吉の小さな手が、ふとももに乗った。このかわいい手に当たれば、カマ吉がケガをしてしまう。


 夏樹は叩くのをやめた。

 その手がふとももをさすってくれる。慰めるように、労わるように。

 鎌を出し、人を傷つけるカマイタチの手が、夏樹を癒してくれる。


「カマ吉は、消えへんよな」

「消えへんよ。ワシは何をしても消えへん。夏のあんちゃんの隣におるよ」

 小さな妖なのに、カマ吉の存在はとても大きかった。

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