第51話 川男の言い分

 僕、川にいた時は名前がなくて、川におる男やから川男って呼ばれてたんです。

 もうひとりおるのに、二人で川男。


 昔はそれでなんとも思ってなかったけど、寂しいと思うようになったんは、ある娘との出会いがきっかけでした。


『おちよ』は、僕らに握り飯をくれたり、あやとりや竹で作った水鉄砲で遊んだり。僕たちは魚の獲り方を教えて、一緒に遊びました。


 ときごき、石を投げてくる乱暴な子どもがいるので、一緒に遊んでくれるのは珍しくて、僕はとても嬉しかったんです。


 おちよは僕たちに名前もつけてくれました。

 僕はすけ、もうひとりはろう。順番をつけると可哀想だから、数字は抜いたと。これで呼びやすくなったねと、笑顔で言ってくれたんです。


 僕はおちよが大好きになりました。


 でも、おちよが15歳になった日、嫁ぎ先が決まり、隣村に移ることになったと告げられました。

 僕は悲しくて悲しくて、でも僕らは年をとらない妖。おちよは人間。

 諦めるしかなかった。


 時代が進み、人の姿をしている僕らは人の生活に紛れられるようになりました。昔は、よそ者は嫌われることが多かったけど、そんな詮索もされない、希薄な社会になったお陰です。


 幽世にお願いしてみると、戸籍も作ってもらえました。僕らが品行方正だったからだと、今までの生活を褒めてくれました。


 名前は助と郎では現代風ではないので、助を音読みにして『じょ』からじょう、郎はりょうで、登録してもらいました。


 奈良に来たのは5年ぐらい前、涼が大学に行きたいというので、僕も通うことにしました。

 引っ越して、勉強もして、アルバイトもして。


 居酒屋ですか。あそこは、親戚が経営しているんです。僕は叱られてばかりですけど、親戚だから雇ってくれています。家も親戚から借りています。


 明るい涼と違って、僕は接客業が苦手です。

 酔っ払いは声が大きいし、からんできて怖いし。でも、僕みたいなのを雇ってくれるところもなくて、仕方なく働いていました。


 そこに飲みに来たのが、あのでした。

 一目見てわかりました。おちよの生まれ変わりだと。


 いつも明るかったおちよと性格は違いましたが、顔がそっくりです。弾けるような笑顔は、おちよのままです。

 僕は彼女と仲良くなりたいと思いましたが、話しかけられなくて。お店を出てしまい、あれ以来、来てくれなくて。


 たまたま見かけて、家を知ったんです。

 女子寮だから入れなくて、先月の満月の日に、侵入しました。


 うわああ、ごめんなさい、首を掴まないでください。牛鬼は同じ妖でも、おっかないです。


 侵入したけど、何もしていませんよ。何も盗ってませんし、彼女にも触れてないです。

 気づいて起きてもらえないのは、寂しいですけど。


 子どものうちは、霊力がなくても視える子がいますが、大人になると、霊力がなければ視えません。

 でも僕は戸籍を取得して、長い間人として暮らしてきましたから、満月の日以外は認識してもらえるんです。

 別の日に声をかけようと思って、その日は帰りました。


 簡単に性格は変えられないんですよ。僕はやっぱり声をかけられなくて、見ていることしかできませんでした。


 それなのに、あの日、彼女は男と腕を組んで歩いていました。恥じらいながらも、楽し気に話しをして。

 怒りが沸き上がりました。おとなしそうで控えめそうなのは見せかけで、実はふしだらな女だったのだと。騙されていたのだと、いったん気持ちは冷めました。


 けれど気になって、またどこかで会えたらなと思っていたら、偶然見かけて。やはり運命だったんだ、なら声をかけようと思ったら、また男と話していました。


 許せなかった。

 僕の邪魔をする人間が。僕に気づかない彼女が。


 おまえを好きな僕が、ここにいるのに。男と楽しそうに話をするのに、僕とは話してくれない。

 そんな理不尽は許せない。おまえは僕に気づくべきだ。僕の愛情を受け取るべきだ。そして、僕に愛情を向けるべきだ。


 こっそり侵入して、満月が終わって僕を認識できるようになる日まで、部屋に居座ってやろうと思っていたのに、牛鬼が急に現れて。


 僕はどうして捕獲されたのでしょうか。


 *


「怖がられるだけやのに、わからんかったん?」

 川男の考え方が、夏樹にはまったく理解できない。妖だから、考え方が人とズレているのだろうか。


「怖がられても、話せばわかってもらえると思ったんです。子どもの頃は、僕を認識してくれていたんですから」

「それはおちよさんの場合やろ。あの人はおちよさんと違うんやで」


「いいえ。おちよです。僕に名前をくれたおちよに、あんなにそっくりなんですから」

「生まれ変わりやったとしても、記憶まで引き継いでるわけないやん」


「話せばわかってくれるはずなんです」

 必死に訴えられても、何も響かなかった。川男は自分のことだけしか、考えていない。説得してみようと思ったけど、川男は自分の考えに囚われすぎていて、いっこうに耳を傾けてくれない。


「クソやな、おまえ」

 大地の声に、夏樹はぞっとした。鳥肌が立つ。隣に座っていたカマ吉が、背中に隠れるのを感じた。


 言葉はいつもと変わらない。なのに恐ろしいほどの妖力が、言葉に込もっていた。体からも妖力が溢れている。


「考えんでも、怖がって怯えるん、わかるやろが。惚れた女を守ってやるんが、男の仕事やろ。おまえ、自分勝手すぎるわ」


 立ち上がって大地の方を向いた川男から、さっきまでの怯えていた様子は消えていた。

「怖がらせるつもりなんてなかったですよ。最初はびっくりしても、僕がどれだけ昔から好きかを話せば、わかってくれると思ったんです」

 自分が正しい意見を述べているのだと、堂々としている。


「相手をちゃんと見ろ。相手のことを、ちゃんと考えろ。あの人はおまえの好きやった子と違うってわかるやろが。おまえは外見しか見てへんやんけ」


「生まれ変わりなら、わかるはずです。前世の記憶は、奥底に眠っているだけです。刺激を受ければ思い出すはずです」


「あるわけないやろ」

「あります」


「仮に、あったとしても、おちよしか見てへんおまえに、あの人の隣は相応しないわ」

「それはあなたもでしょう」


「俺はわかってる。分をわきまえとるつもりや」

「あなたも大切な人を失えばわかります。自分の物にしておけば良かったんだと」


「おまえ、彼女にまだ何かするつもりか」

「僕は諦めませんよ。何度だって侵入します。僕だとわかってくれるまで、話をします。そして僕の物にします。もう二度と、手放しません。魂だけになったとしても、未来永劫、僕のものに――」


 唐突に、川男の声が止まった。


「どないしたん?」

 立ち上がろうとして、川男の腹から黒い物体が出ているのに気がついた。闘牛の頭から生やしている角の、湾曲していない真っ直ぐな物。


 え? と思っているうちに、物体は上に移動した。しゅっと、一瞬だった。


「牛尾くん!」

 隣で、所長が立ち上がった。


「きみは何を‥‥‥」

「所長さん、すんません。どうせ消えるなら、頭おかしいこいつも道連れにしたろうと思って」


「気持ちはわかるが、これはやりすぎだよ」

「裁きは向こうで受けますわ。あ、報酬まだやった。幽世から届けてもらえるようにお願いしときますんで。少し待っといてください」


「それは――」


「夏樹。いろいろ迷惑かけたな。俺は夏樹と会えて、ツレになれて楽しかった。再会できて、良かった。彼女のことは、陰ながら見守るつもりしててんけど、でも助けられて、俺は後悔してへん。欠片もな。むしろ誇らしいわ。好きな女守って消えるなんてな。彼女のこと、ときどき守ってやって欲しいけど。夏樹も忙しいやろうから、ええわ。時間みたいや。ほなな、夏樹。さよならや――」


 川男の姿が消えた。退治した時のように、崩れて消え、向こうにいたはずの大地の姿も、そこになかった。

 ガチャンと、高い音だけが事務所に響いた。

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