第49話 怪しい男
土曜日の午前中。
彼女は寮を出て日傘を差した。南の猿沢池方面に歩いていく。
「どこに行くんやろな」
カマ吉と合流して後に続く。今日、冬樺は弓の教室に行っているので、夏樹とカマ吉の二人だけ。
樋口萌奈は猿沢池の目の前にあるチェーンのカフェを通り過ぎ、まだ南へ。
前に座敷童子がお参りをした道祖神を左に曲がった。この先にあるのは図書館。
事務所の近くだから、冬樺がよく利用している。
カマ吉をTシャツの中にいれ、一緒に中に入った。
樋口萌奈はカウンターで返却を終え、棚を見て回り、数冊を手にして窓際のテーブルに向かう。
外に向けて設置されている、興福寺の五重塔が見える席に腰をかけた。
樋口萌奈の様子を窺いながら、適当に本を抜いて読むフリをしていると、
「妖の気配あるわ」
とカマ吉がTシャツの首の部分から少しだけ顔を出した。
言われて、夏樹は気配を探った。
樋口萌奈のいる席を背後から伺える、少し離れた場所に、弱い気配を感じた。
ゆっくりと歩いて、近づいていく。
そこに、地味な男性がいた。髪が少し長く、顔にかかっていて、表情が読み取りにくい。彼も本を手に取って開いているけど、顔を上げてちらちらと樋口萌奈に視線を向けていた。
「色はわかるか?」
小声でカマ吉と話す。
「黄色やな」
「黄色‥‥‥」
冬樺が検索していたように、スマホで調べてみると、「陽気とか、軽快とか出てきたけど。正直、あの人のイメージに合わへん気がする」
こそっと写真を撮ると、以外に音が大きくて、ちょっとどきっとした。
幸い、誰かに注意されることはなかった。
30分ほどで、樋口萌奈は席を立った。借りる本を決めたのか、カウンターで貸し出し手続きを済ませると、外に出た。
さっきの彼も、後に続いていた。
「カマ吉は、彼女の見張りを頼む。オレはあの人追ってみるわ」
「わかった。あんちゃん気をつけてな」
「心配ありがとうな。カマ吉もな」
カマ吉を抱っこして地面に下ろすと、樋口萌奈の後を追って行った。
夏樹は一度、違う道に入って、男をやり過ごす。彼は一定の距離間を保ちながら、樋口萌奈の後を歩いていく。
二人の関係性はわからない。図書館で見かけて、気に入って声をかけるタイミングを計っているのかもしれないし、男の方が以前から一方的に知っている可能性もある。だけど、たまたま方向が同じなだけかもしれない。
彼をストーカーだと決めつけるのは早過ぎるよなと、思いつつも、胸騒ぎがする。
図書館で、大地のスマホに写真を送っておいた。返信はまだない。天気が良いから、仕事中なのかもしれない。
彼女は途中、近鉄ビルの一階でレモンのフレッシュジュースを買い、飲みながら寮に帰った。
男はというと、樋口萌奈が寮に戻るまで同じ方向を歩いていた。寮の前を通り過ぎてから、奈良女子大の信号を左に折れた。佐保川沿いを歩いて、やすらぎの道を渡ってから南下する。途中の路地に入ると、川内と表札のかかった一軒家に入っていった。
この家に帰るのに、わざわざ女子大の前を行くのは、遠回りになる。
男の家と周辺を写真に撮り、冬樺に写真を送っておいた。
「川内やと、川か水に関係する妖の可能性があるな」
所長に電話をかけて報告をすると、調べてくれることになった。
昼の時間になって、大地から電話があった。
「見覚えない顔や。こいつがストーカーなんけ」
「まだ可能性があるだけ。確実やないよ。しばらくこいつの行動見張ってみるな」
「俺も知り合い当たってみるわ」
「覚りの妖に見てもらうと、すぐにわかりそうやけどな」
「それもそうやな。連絡するわ」
しばらくすると、冬樺から連絡があって、居場所を知らせるとすぐにやってきた。
「疑わしい男が見つかったんですね」
「うん。まだわからんけど、動きがちょっと怪しかった」
図書館で見かけてから、家に戻ってくるまでの経緯を話すと、冬樺も怪しんだ。
見張りを交代して、夏樹は昼食を食べに行き、戻ってきてから別の場所で一軒家を見張っていると、16時過ぎに川内家から人が出てきた。
さっきの男が出掛けるらしい。服が違っている。図書館では無地の青いTシャツにカーキのチノパン、トートバッグを肩から下げていた。
今は、白のTシャツ、チノパンはネイビー、ショルダーバッグを斜め掛けしていた。
男はやすらぎの道を南に向かい、ならまちにある居酒屋に入っていった。
その居酒屋の写真を大地に送ると、さほど待たずに電話があった。
「その居酒屋、彼女とコンパした店や。もしかして店員か」
大地は不機嫌そうだった。
「そうかもな。まだ開店前やから」
「オープンしたら、そこで飯食っといてくれ。仕事終わったから、すぐに行くわ」
「わかった」
冬樺に言うと、彼も来るんですか、と眉間に少しシワを寄せた。
「そんな顔すんなや。ケンカはさせへんから。いざって時は冬樺も止めてや」
「もちろんですよ。その前にその人と接触させないようにしますよ」
所長に居酒屋に行くことを報告をしてから、店に入った。
*
大地は、初めてみる男性を連れて、居酒屋にやってきた。
「
「こいつが例の『覚り』や」
そこだけ、大地は声のトーンを落とした。
夏樹と冬樺も自己紹介をしてから、居酒屋に入った目的――樋口萌奈ストーカー疑惑のかかっている川内という男を覚りに視てもらう。
川内は、後をつけていた時の地味な様子とはうって変わって、前髪をちょんとゴムでくくり「っらしゃーい。生中4っすね。かしこまりい」と元気に挨拶をして、きびきびと動いている。
酔っ払った女の子に、「クジラが潮吹いてるみたいでかわいい」と前髪をいじられて、「そうっすかあ」と仕事を楽しんでいるように見えた。
「どうですか? あの人」
烏龍茶を飲み、食事をしながら、川内の様子を窺っていた覚りは、
「白、に近いグレー」
と言った。
「その心は?」
夏樹が訊く。
胸騒ぎがしていたはずなのに、働いている彼を見ていると、自分が間違えていたと思えてきていた。
「まず、彼は額に汗して一所懸命に働いてます。客あしらいは上手そうやし、厨房や他の店員ともコミュケーション取りながら仕事してて、気が利きそうなタイプに見えます。
「邪って、例えばどんなんですか?」
「女性客に対して、かわいい、タイプやとか、男の客に対してオッサンとか全然思ってないです。誠実に仕事してはりますね」
「それだったら、白じゃないんですか」
冬樺が首を傾けて、不思議そうな顔で訊ねる。
「僕は、今この地点での彼が思っていることしかわかりません。過去に何を思ってたんか、未来に何を思うんか、わかりませんねん。ただし、仕事を離れると、どんな奴なんかわかりません。好きな人を前にすると、弱気になるんかもやし、意外と根暗かもしれへんし」
「そういうことなんですね」
納得したのか、冬樺は頷く。
夏樹はまだ不思議に思っていることがあったから、質問を重ねる。
カマ吉が色で相手の考えていることを感じ取っていることを話してから、川内のことを『黄色』と視たことを、話した。
「黄色はビタミンカラーやから、いいイメージあるけど、マイナスイメージで考えてみてください」
逆に質問されて、夏樹は首を捻った。黄色はレモン。レモンは酸っぱい。酸っぱいは梅干し。梅干しは疲れを取ってくれる。
連想ゲームを初めてしまった。
「危険」
冬樺がぽつりと呟いたので、何が危ないのかと一瞬、身構えた。
「そうです。注意を促す色でもありますよね」
そういうことかと、気がつく。
禁止というと赤のイメージがあるけれど、注意だと黄色の看板に黒字で書かれていることがある。道路標識、ドラマやニュース番組で見る警察の規制線。それに蜂のカラー。
覚りの言う、白に近いグレーというのは納得のいく評価だった。
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