第48話 樋口萌奈

「ほな行ってくる」

 鼻歌が聞こえてきそうなほどの上機嫌で、カマ吉は出かけて行った。

 カマ吉は、すでに事務所の一員のつもりだったそうだ。ずっと何かしたいと、うずうずしていたらしい。


 所長としては、雇ったつもりはない。けれど、今回は適任だと判断し、カマ吉にお願いすることになった。

 夏樹と冬樺も、離れたところから様子を窺うが、女子大をずっと見ているわけにはいかず、まずは樋口萌奈の行動パターンを探ることにした。


 寮は大学の目の前にあり、朝学校に向かうと夕方まで戻ってこない。

 おとなしいタイプのようで、近づいてくる人はほぼおらず、彼女の方から積極的に話しかけに行くこともほとんどないようだ。


 気配の色が視えるカマ吉には、敵意があるか察知できるので、黒い気配を持つ人物が現れたら言動に注意をしておくように伝えておいた。

 友人は二人いて、それぞれ黄緑と緑の気配を持っている。樋口萌奈の気配の色は茶色らしい。


「茶色ってどんな気配なんやろな」

「保守的、伝統、素朴などのイメージがあるそうです」


「ぴったりちゃう?」

「僕たちは写真でしか、知らないですけど」


「話せる機会あるやろか?」

 きたまちの散歩をしているふりして、学校や寮周辺に目を光らせる。


「どうでしょうね。関わらない世界に生きているんですから、僕たちとは話さない状況の方がいいかもしれません。妖にストーカーされているかもしれないなんて、知らない方がいいでしょう」


「ストーカーは妖なくても嫌やけどな。冬樺は、こないだ妖の世界にかなり関わったけど、楽しかったんやろ」


「まあ、そうですね。煌びやかでキレイなのに、妖しくて。惹かれるものはありました。でも、やっぱり視えない世界の方が幸せなのかなとは思います」


「うん。オレも、そう思う。あれ? どないしたん」

 並んで歩いていた冬樺が、立ち止まっていた。鳩が豆鉄砲を食らったような顔つきで、夏樹を見てくる。すぐに表情を戻し、こっちに向かってくる。


「以外です。2つの世界を楽しめるのは、お得とか言うと思っていました」

「なにそれ? ガキっていいたいの?」

 夏樹は少し口を尖らせる。子どもっぽいと自覚はしているけど、子ども扱いされるのはおもしろくない。


「違いますよ。岩倉さんはそれでいいんだと思います」

「えー、それどういうこと? 成長せんでええってこと? なあー冬樺」

 うっすらと笑いながら通り越していった冬樺を追いかけた。


 カマ吉と見張りを続けて3日。進展があった。


 大地が樋口萌奈とデートをしているという情報が、慌てて戻ってきたカマ吉からもたされた。

 驚いて大地にメッセージを送ると、『道でばったり会ったんや』と返ってきた。


 どうやら約束をしてデートをしていたわけではなく、樋口萌奈は京都に遊びに行った帰り、大地は仕事帰りだったらしい。

 少しして、歩いてくる二人が見えた。


「寮の近くまで送るだけらしいわ」

「牛尾さんは、付き合いたいと思っているんですか」


「どうなんやろな。山室さんの結婚に興味持ってたから、うまくいけたら付き合いたいって思ってるとちゃうかな。付き合えたら、ストーカーの妖も諦めつくと思うねんけど」


「彼は見た目のインパクトがありますから、刺激しない方がいいんじゃないですか。引き下がってくれればいいですが、暴挙に出ると厄介なことになりそうです」


「暴挙ってなに? 襲うかもってこと?」

「ストーカーによる事件は、度々起こっていますから」


「妖相手やから、警察に相談できひんもんなあ。幽世に警察組織みたいなん、ないんかな」

「あったとしても、幽世の治安維持のためで、現世のためには動かせないと思います」


「妖絡みやのに?」

「野寺坊の案件を忘れたんですか」


「退治したなあ」

「あれは幽世からの依頼だと、所長が言っていたでしょう。幽世には、現世に干渉できない事案があるんじゃないかと思います」


「でも日和坊は連れてきてくれたやん」

「日和坊は幽世を通って、別のゲートに出ただけです。所長がどういう交渉をされたのかはわかりませんが、僕が事務所に戻ったときの所長は、かなりぐったりされてましたよ。それまでの疲れもあったでしょうけど」


「ちょっと無理してお願いしてくれたんかな」

「だと思います。僕たちがやる気だったから動いてくれたんでしょう。そもそも所長は乗り気じゃなかったですからね」


「ほんなら、今回は幽世動かされへんな」

「僕たちで解決するしかないですよ」


「雨の日は大地も協力しろって言うとこ」

「どうして雨の日ですか?」


「大地の仕事が休みやねん」

「そういうことですか。でも、もうじき梅雨が明けるみたいだから、無理でしょう。一任すると仰ったんでしょう。ならやめた方がいいですよ」


「猫探しの時とは真逆やな」

「状況が違いますから」


「まあ、それもそうか。でも、けしかけとこ」

 スマホを取り出し、大地に『そのまま、遊びに行ったらどうや?』とメッセージを送る。


『行かへんわ。コンタクト落として見えてへんしな』

 とすぐに返ってきた。


「彼女、コンタクト落としたんやて」

「コンタクトなんですね。それで、牛尾さんの袖をつまんでいるんですね」


「え?」

 冬樺に言われて、路地から顔を出す。二人の後ろ姿が見え、大地の左の肘の辺りに彼女が手をあてているのが見えた。


「見えてへんかったら危ないからかな。大地、優しいやん。おちょくっといたろ。『送り狼になるなよww』『するかボケ。男子禁制じゃ』やって。受ける」


「岩倉さん、けしかけるのは本当にやめておきましょう」


 冬樺の言葉を聞き入れておくべきだったと、夏樹は後になって後悔することになるのだけれど、この時は気づきもしなかった。

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