第44話 日和坊
翌、日曜の夜は、墨田区にいるという送り拍子木に会った。
拍子木というのは、柱状の短い木を打ち合わせて、音を鳴らすものだ。
火の用心 カンカン マッチ一本火事の元 カンカン
のカンカン部分を担っているあれ。
夏樹が小さく歌いながら歩いていると、音が後を追ってきた。特に何をするでもなく、ただ後をついてきて、拍子を合わせるだけだった。
話しかけると、黒い影が体を揺すってカンカンと音を鳴らす。
夏樹がお願いをして、差し出した謝礼を受け取って消えた。
たぶんわかってくれたと思う。
これで、夏樹が担当分の妖へのお願いは全員済んだ。
けれど、最も重要な仕事が残っていた。日和坊の捜索がまだ残っている。
今日合流する予定だった冬樺は、行けないと連絡があった。京都で雨の小坊主に会えなかったらしい。今晩も会えなかったら、日にちが伸びる。
新月も迫っているから、冬樺は木曜には事務所に戻ることになっている。
こっちに来れない可能性もありそうだった。
月曜日から木曜日まで、山室は仕事があり、夏樹はひとりで捜索を始めることになっていたのだが、心強い味方がやってきた。
「あなたが、よろず事務所の岩倉夏樹くんだね。この度は息子がお世話になって」
山室の母親こと、山女の妖だった。
夏樹よりも背が高く、モデルのようなスタイルをしていた。
「深い山って言ったって、人が入れない奥地は除外していいんだよ。行けない所で目撃なんてできないんだからさ。あと伝承のイラストは岩っぽくない? だったら岩が見える山を中心に登ろう」
主導権を握ってくれた山室母に、夏樹はついていった。
火曜日に冬樺がやってきたが、山女のペースに冬樺ではついてこられないと判断した夏樹は、情報収集を任せることにした。
そして木曜日、
切り立った岩肌に、仏様のような穏やかな顔のてるてる坊主が立っていた。
陽の光を燦燦と浴び、気持ち良さそうにしている。
「日和坊さんですか」
声を張って夏樹が呼びかけると、
「そうだよお」
間延びした返事があった。
「二日後、奈良を晴れにしたいんで、来て欲しいんやけど、どうですか?」
「奈良ぁ? いいよお。行ったことないけどお、どこでも行くよう」
壁から離れて、ゆっくりと近づいてきてくれた。
「行動、めっちゃ遅ない? 早く動かれへん?」
「オイラ、早く動くと、迷惑かけちゃうからぁ。ゆっくりしか動かないよお」
「歩くのも、めっちゃ遅い?」
「ゆっくり行くねぇ」
「あかん、間に合わんわ」
日和坊はかなり大きい。奈良の大仏を軽く越えて、タワマンぐらいはありそうだ。一歩は大きそうだから、早く歩いてもらえれば一日とかで着きそうだけど。速度が、遅すぎる。
「小さくなられへんのかな?」
「小さく? わからないよぉ」
小さくなれないと判断した方が良さそうだった。
幸い、スマホの電波が届く場所だった。夏樹は所長に電話をかけた。
「大きいもんを小さくする道具ないの?」
「あるか。そんな便利アイテム。こっちで方法を考える。少し待っていろ」
待つこと一時間。日和坊は、動いているけれど、ほんの少しだけこっちに近づいただけだった。
「幽世経由で、奈良に連れて来られるようになった。特例中の特例だぞ。ったく。入口は日和坊の近くに出る。ゲートをくぐって、幽世に入ってからは、案内人に従って歩いてもらえ。出口は春日山原始林だ。スムーズに進めば土曜の朝には奈良に来れると思う」
所長から伝えられたことを日和坊に伝えると、
「うん。わかったよお」
とのんびりした返事があった。
心配ではあったけど、幽世の案内人が動いてくれるなら、任せるしかない。
夏樹と山室母は山を下りた。
山室父母は明日、奈良に入って観光をするらしい。
下山しながら、座敷童子との観光話を聞かせた。
金曜日は休みをもらい、寝まくって体力を回復した翌土曜日、午後からいよいよ結婚パーティ開始となる。
*
「曇ってるなあ」
ならまちを練り歩きながら、夏樹は空を見上げる。
奈良市は一日中くもりの予報。
山室は快晴にしたいと願っていたが、今のところ願いは届いていない。
日和坊は、まだ幽世にいるらしい。
「もっと早く会えてたらなあ」
日和坊と会えたのが遅かった。もっと早く出会えていたら、ぎりぎりにならずにすんだかもしれないのに。
夏樹が悔しいなと思っていると、
「会えただけでもすごいと思いますよ」
妖姿の冬樺から、慰めの言葉がかけられた。
「昨日に入れてたら良かったのになあ」
奈良は昨日も雨だった。ガーデンウェディングとはいえ、元はレストランだったから、室内での準備も進めているらしい。だから雨になったとしても、式は挙げられる。
「山室さん、めっちゃ頑張ってたのになあ」
山室は仕事をしながら毎日気象神社に参拝し、式の準備も進め、手形傘と対決してケガまでした。
頑張ればすべてが報われる、わけではないことは、ポジティブな夏樹にもわかっている。
だけど、報われて欲しいのが心情だった。
「間に合いますよ。日和坊さんも頑張ってくれています。案内人の方も、急かしてくれていると聞きました。きっと晴れます」
珍しく冬樺が熱い。
冬樺も頑張っていた。奈良県の中部にまで行った。妖にも会っている。日和坊は奥久慈男体山にいるのでは予想して、当たった。
そもそも、最初からやる気に満ちていた。冬樺も晴れて欲しいと願っている。
「そやな」
夏樹も諦めてはいない。晴れると信じて、妖が入ってきていないか目を光らせた。
「匂いますね」
匂い担当の冬樺が、鼻をひくつかせた。
「京都からこちらに向かってきています。おそらく電車ですね。妖が乗っています」
「まじか。雨に関係してない妖なら、問題ないけど」
「あるかもしれません。雨を連れてきています」
「マジか」
まだここには雨は降っていない。だけど、冬樺が言うなら、県境辺りで雨が降っているのかもしれない。
「
奈良に入る鉄道は、JRと近鉄しか路線がない。
京都から来ているなら、間違いなく近鉄電車だ。
近鉄奈良駅から西大寺駅に向かう車内で、夏樹は天気の情報を調べた。
京都で降っていた雨は上がり、現在
京都から奈良に向かう特急電車は、現在
西大寺駅から五駅目が新祝園駅、八駅目が三山木駅。
雨に関する妖は、確実に奈良に向かっているようだ。
西大寺駅に到着した夏樹と冬樺は、難波線のホームから奈良線のホームに向かい、奈良行きが到着するのを待った。
特急電車が入ってくる。奈良駅に特急は行かないため、西大寺駅で乗り換えないといけない。
ドアが開いて、人が降りてくる。冬樺の鼻を頼りに妖の姿を探すと、
「あれですね」
降りたホームで案内板を見上げている、大柄の男がひとりいた。
トレーナーのフードを被った上に、さらにキャップ帽を被り、マスクで口元を覆っている。
上下ともに服がぱつぱつで、筋肉部分が盛り上がっている。ひとめで筋骨隆々な体だとわかった。
「あいつ、手形傘や」
新月といえど、妖力がゼロになるわけではない。霊力が減っている夏樹でも、相手の妖力は視える。
「山室さんが、あいつは用心しろって言ってた」
「交渉はしたんですよね」
「勝負に勝ったら言う事きいたるって約束で、オレらが勝った。土産と謝礼金持って行った。でもわざと負けたんちゃうかって山室さんが」
「約束を破ったんですね」
「元から守るつもりなかったんかも」
「追い返しましょう」
その時、風がぶわっと吹き、突然大雨が降り始めた。
「最悪や」
夏樹は怒りを抑えられなくなった。
乗り換えの電車に乗ろうとしていた男が、振り返った。
目が合う。
一瞬、目を見開いた男の目が、笑みの形に動いた。
「手形傘!」
大声を張り上げると同時に、足になけなしの霊力を溜めた。瞬時に詰め寄り、腕を掴む。
「乗るな。帰れ」
低い声で告げる。
力を加えていき、電車から引き離した。
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