第43話 夏樹と手形傘
どーんと、雷が鳴り続けている。
「どこかに落ちているのでしょうか」
山室が不安そうに呟いた。
「手形傘はお寺と檀家さんのところには落ちひんっていう証文代わりに傘に手形つけたらしいから、驚かせてるだけちゃうんですか?」
「あれは、お葬式の日だけですよ。それに落ちないと会えないのでは」
「ええ? それやったら会えませんやん」
山室の言葉にそれは困るとなった。できれば、朝までに交渉を終えたい。
「手形傘やーい。話あるねん。雷落とさんと、来てくれへん?」
空に向かって声をかけてみた。
「土産もあるで」
「そんなので来るのでしょうか」
「どうやろなあ」
ピカピカと空が激しく明滅する。
どどーんと、地を揺るがすほどのひときわ大きな雷が鳴り響いた。
「人ごときが我を呼びたてるとは、高慢ではないか」
雷のようないかつい声が、外から聞こえた。
扉を開けると、頭はいかつい顔つきの猫、体は筋骨隆々の男が立っていた。
中に入ってもらい、単刀直入に、奈良に来るのは遠慮して欲しいと話をした。
土産に酒と、謝礼金を用意しているとも伝える。
「妖と人が一緒になる時代なのか。物好きながいるもんだな。わかった」
と手形傘はあっさりと頷いた。
見た目は怖いけど、以外と物分かりの良い妖なんかなと、夏樹が安心しかけた時、
「勝負して、俺様に勝ってもらおうか」と言いだした。
「勝負? なにするん?」
「お前らの得意なことでいいぞ」
「って言われてもなあ。ぱっと思いつかへんわ」
「俺様は相撲が好きだ。相撲やるか?」
「相撲なあ。おっさんガタイええやんか。一発で負けてしまいそうやん」
「三本勝負でどうだ」
「三本かあ。ほんならな、指相撲、腕相撲、本来の相撲でどうや」
「いいだろう」
手形傘はにやりと笑った。
夏樹は山室と話し合い、勝負する順番を決める。全部夏樹がやってもいいけど、山室の案件なのだから、ひとつは勝負しておこうと互いの意見が合った。
「決まったか。では」
差し出された右手の指を組んだのは、山室。
「準備はええ? 3 2 1 スタート!」
夏樹がカウントダウンをすると、手形傘と山男の親指を取るゲームがスタートした。
のだが、失敗だったことに夏樹はすぐに気が付いた。
手形傘の指はとても爪が長かった。指を組んだ地点で、山室はケガをしたんじゃないかと気になった。
山室は爪が気になっているのか、攻めあぐねている。
なんとか隙を見て、親指を取りにいこうと動かしているものの、長い爪が邪魔をする。
「がははは。俺様の勝ちだ」
山室は負けてしまった。
手のひらや指の数か所から、少し出血している。自分でハンカチを巻いて止血しようとしているので、夏樹が巻いて端を結んだ。
「山室さん、ごめん。式前やのにケガさせてしもた」
「いえ。大丈夫です。すみません、負けてしまいました」
「指ですら俺様に勝てないのか?」
「おっさん爪長いねん。切れや」
振り返って文句を言った。夏樹は少し怒っている。爪が長いことに気が付かなかったこちらも悪いが、言わなかった手形傘も悪いと思った。
「爪? ふん。爪も俺様の体の一部だ。なぜ切らねばならん」
爪を見せつけるように手を向けてくる。
夏樹はうっかりしていた自分にも腹を立てた。冬樺がいたら、きっと止めてくれただろうな。と冬樺の不在が悔しかった。
「次はオレが勝つ!」
夏樹と手形傘は腹ばいになり、右手を組んだ。
「レディ、ゴー」
山室の合図で、ぐっと力を込める。
強い。腕の力だけでは、倒せそうにない。
ぐぐっと体重を込めて、押し倒すように肩に力を入れていった。
ゆっくりと、手形傘の腕が倒れていく。押し戻されそうになった。必死で力を込める。
爪が食い込んでくるけど、痛みなんか感じない。
床がすぐそこという所まで手が倒れた。観念したのか、力がふっと抜けた。
ガツッと音がして、手形傘の右手が床についていた。
「勝ったで」
夏樹はガッツポーズを取る。
手形傘の顔は変わらず、余裕の笑みを浮かべていた。
「最後はどうする。二人とも手負いじゃねえか」
爪が当たったのか、夏樹の右手にも薄く切り傷ができていた。
「こんなもん、ケガのうちに入らへん。オレが――」
「私が行きます。負けたままでは悔しいです」
予定どおり夏樹がいくつもりだったのに、山室から声が上がった。
「山室さん、力あるん? 勝てるんか?」
「これでも、学生時代は登山部だったのですよ。体幹と下半身の筋肉は鍛えられました」
「でも、ケガ」
「大したことはありません。自分のことですから、やらせてください」
山室の言葉には、やけに気合が込められていた。
室内なので土俵は書けない。自分たちの着替えの服や持ち物で、なんとかラインを作って、即席の土俵を作った。
中央で山室と手形傘が睨み合う。
「はっけよい、のこった」
取り組み合う。背の高さで山室は負けていないが、全体の大きさが違い過ぎる。
山室が二人、いや三人いるようなものか。もしかするともっとかもしれない。
必死な山室に対して、手形傘は常に余裕の笑みを浮かべている。
じりじりと山室が後退し始めた。押されているようだ。
手を貸したくなるが、夏樹はぐっと堪えた。
線の代わりにした夏樹のTシャツの近くまで、山室の足がくる。
あかん! 負けてまう! と思った瞬間、山室は渾身の力を込めたのか、手形傘の体が一瞬浮かび、踵が外に出た。山室の足は内にある。
「そこまで! 山室さんの勝ち! やった!」
「負けちまったよ。山男、やるじゃねえか」
はあはあと肩で息を吐いている山室の顔は、勝ったというのに晴れやかでなかった。
「仕方ねえな。それで手を打ってやる」
手形傘は酒と謝礼金を手にして、消えた。
「山室さん、見かけによらず、力ありますやん!」
ばんと背中を叩くと、山室はヨロヨロと倒れてしまった。
「ごめん、力入れ過ぎた?」
「いえ。少し疲れただけです。岩倉さん、あれには気をつけてください。負けたのはわざとです」
「え? わざと?」
「最後に力を抜かれました」
「それは、オレもそう感じたけど。山室さんにエール送るつもりとか」
「ないです。あれは‥‥‥何かを企んでいるかもしれません」
「何かって、何をするつもりやろ?」
「それはわかりませんが、用心した方がいいと思います」
山室の声と表情はとても固くて、真剣に心配しているようにしか見えなかった。
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