第38話 冬樺と姥火

 山室が依頼のために来所した翌日の昼ごろから、所長がネット購入した品が次々に運ばれてきた。

 ほとんどが酒の中、高級油を持って冬樺は事務所を出た。


 近鉄電車に乗り、自分の家がある菖蒲池あやめいけ駅では下りず、枚岡駅で降りた。

 駅から歩いて数分のところに枚岡神社があり姥ヶ池うばがいけ姥火うばがびがいるとのことだった。


 神官にはあらかじめ連絡を取ってあり、事情は話している。

 訊ねてきた冬樺を、社務所に上げてくれた神官は、姥火の話を聞かせてくれた。


 たいへんの器量の良い、村人の憧れの的だった娘が、人だったころの姥火の姿だった。

 所帯を持ったが旦那に先立たれること11回。村人から恐れられ孤立した。

 長生きをしたが、白髪の老婆となりかつての面影を失くし、生活は困窮していた。

 神社の灯明の油を盗んでいたところを村人に見つかり咎められ、神社の境内にある見る沢の池に身を投げた。

 遺骸は野ざらしにされ、供養されなかった。

 それ以後、雨の夜に青白い火の玉が現れるようになった。老婆の妄執もうしゅうの火『姥火』いわれ、見る沢の池は姥ケ池と名を変えた。


「池のほとりには祠がありまして、今でも供養しております」

 と神官は締めくくった。


 その後、拝殿に移動し、祈祷してもらった。姥ヶ池は心霊スポットになっているらしく、姥火と会っても災難に遭わないようと。


 よければどうぞと、携帯のイスを貸してくれた。

 お礼を行ってイスを借り受け、姥ケ池の場所を教えてもらって拝殿を出た。


 ハイキングコースを歩く。今日は雨だからか、人に出会わなかった。

 途中で山中に入る。木々が生い茂ってはいるが、不気味な雰囲気はない。


 ほどなく姥ケ池と書かれた石碑と看板が見えてきた。斜面に階段が造られていて、池が見下ろせた。看板には神官から聞いた内容が要約されて書かれてあった。


 階段を途中まで上がり、石碑の奥の細い道を進む。池に目をやると、ハート形に見えた。悲しい伝承が残っている池とは思えなかった。


 細い道を少し進んだ左手の斜面に、祠があった。

 針テラスで見た荒れた祠よりは小さいが、大切にされているのがよくわかる祠だった。


 手を合わせて、老婆の冥福を祈る。そして、お願いがあるとので、話がしたいと伝えた。


 これで妖が現れるのかはわからない。今までは、そこにいる妖しか見たことがない。こちらから会いに行くパターンは初めてだった。


 祠の前は道幅が狭く、転げ落ちそうだった。来た道を少し戻って、池のほとりで待つことにした。借りたイスを設置して座る。


 梅雨だからか、蒸し暑さがあったのに、ここはひんやりとしている。寒くならないといいなと願いながら冬樺はひたすら姥火が現れてくれるのを待った。


 待っている間、何もしないのはもったいない。冬樺は霊力と妖力を練って、矢の形に変える練習を始めた。

 傘を肩にもたせかけて、右手に力を集中させていく。


 所長に紹介してもらった弓道場に通い始めて一カ月。

 礼儀・礼節を重んじるところから教わり、正しい姿勢を覚えるために何を持たずに射法八節を繰り返し、ゴム弓での引きを経験してから、本物の弓を使っての素引き。

 ここまでは三週間ほどで終え、今は実際の矢を巻藁まきわらに向かって近距離から打つ練習をしている。もう少しで的前に立たせてもらえるらしい。


 もっと時間がかかるものと思っていたので、焦ることなく、今するべきことを一つひとつ進めている。


 所長からは霊力を矢の形にする方法を教わった。矢より、こっちの方が苦戦している。

 体にまとっている力を一つの場所に集中させるのがとても難しい。


 先日、夏樹や佐和が腕に色をまとっているのを見た。夏樹は赤で、佐和はオレンジだった。

 色は人それぞれで、暖色系は打撃系の攻撃に特化していて、緑は回復系、青などの寒色系は武器を使っての攻撃が向いている、などの説明を受けた。


 冬樺の色は霊力は白、妖力はグレー。所長の銀と同じ、浄化に向いているだろうと判断された。

 カマ吉は気配の色がわかると言っていた。気配=霊力・妖力ということだったのだろう。

 見る目を持っているんだな、とカマ吉を見直した。


 所長は霊力を手に集中させて、引っ張りながら、弓矢の形を作りあげている。

 それを真似しようと、イメージはする。だが弓を持って日が浅いからか、うまく伸びない。途中でゴムが切れるように、霧散してしまう。


 弓が無理なら銃タイプもありだと所長は言う。

 弓を構えた所長の姿はかっこよかった。ああなりたいと、冬樺は初めて誰かに憧憬の念を抱いた。それが頑張る動機になっている。


 力を練り上げて、手に集中させる。弓をイメージしながら引っ張る。繰り返していると、辺りは暗くなっていき、夜を迎えた。


 暗くなると、昼間と雰囲気はがらりと変わる。

 ほぼ視界ゼロの暗闇の中、雨だけがしとしとと葉を打つ。


 懐中電灯は持参しているけれど、冬樺はあえてつけなかった。妖が明かりを嫌っていれば出てこないだろう。それは困る。できるだけ早く次に回らないといけない。


 突如、音が鳴った。メッセージの着信音。スマホを開くと、夏樹からだった。

 昼過ぎに一度メッセージがあり、茨城県に到着したと書いてあった。


 今日は協力を要請していた鹿島神宮でお世話になったそうだ。日和坊に関する情報を集め。明日、雨が落ち着いていたら目撃情報のある山に登ってみるという内容だった。


 所長から返信があり、くれぐれも無理はしないようにと釘を刺していた。

 冬樺や所長が思う無理と、夏樹が思っている無理の範囲は広いんじゃないかと心配になる。

 本人からは、わかってるよー、と能天気な返信。


 明るくて調子の良いところは長所だけど、欠点でもあるなと冬樺が思っていると、所長から冬樺のことも心配するメッセージがあった。

 姥が池に来ているのを所長は知っているから、気にかけてくれていた。


 姥火が出てくれれば交渉する。出なければ朝まで粘るつもりだと返した。

 所長から、これから車でこっちに向かうと返ってきた。


 明日、所長は傘さし狸を捜しに徳島県に移動する。所長こそ、無理は禁物だと思ったが、来てくれるのは心強かった。


 うまく交渉できるかどうか、あまり自信がない。失敗して、機嫌を損ねてしまうと、雨を降らせてやると言われてしまわないか危惧している。妖にそんな力があるのかは知らないけれど、最初の交渉から失敗したくなかった。


「……」

 声が聴こえた気がして、冬樺は聞き耳を立てた。

 周囲にも目をやって、注意深く観察する。


 池の上で青白い光がぽつっと上がった。

 始めは小さな火だった。ロウソクのようにゆらめいて、増えた。ぽん、ぽんと円形に増殖していく。

 分離していた火が1つの大きな炎になった瞬間、中央に顔が生まれた。

 刻まれた深いシワ、落ちくぼんだ眼窩、肉がそげ落ち出っ張った頬骨。

 白髪の老婆が、長髪を振り乱し、浮いていた。


 出た、姥火!

 冬樺は思わず立ち上がった。同じ高さで、見つめ合う形になる。


 話しかけるタイミングを窺っていると、老婆が動いた。

 しゅっと動き、冬樺の周囲をぐるぐると飛び回る。

 追い払いたいのか、興味を持っているのか、まったくわからない。

 恐怖はあまりなかった。

 本当に出た。それで頭がいっぱいになっていた。


「あ、あの……」

 飛び回る姥火に向かって、声をかけた。止まる様子はない。


「お話があります」

「なんだい? 結婚してくれるのかい?」

 高くしゃがれた声に混ざった、かすかに媚びるような気配。


「プロポーズではありません。お願いがあって来ました」

「結婚してくれない男に興味はないね」


「とりあえず、これどうぞ」

 差し出した箱に、老婆の目が向く。

「なんだい。結納金でも入っているのかい?」


「結婚はしないです」

「開けて。開けて」

 回転はやめて、箱の前でふわふわと飛びだした。

 その姿は、はしゃいでいるように見えた。


 包装を剥がして、蓋を開けると、

「なんだ。ただの油じゃないか。つまらん。つまらんのうお主」


「油といっても、高級なものですよ。良質な油は体にいいそうです」

「あはははは」

 一瞬、動きを止めた姥火は、大口を開けて笑った。


「お主、わしの体を見て、それを言うのか。わしには体はない。首を切られたからの」

「最後はお気の毒だと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。でも、今も大切にされてますよね。祠にはお供えもされています」


「祟られとうないだけよ」

「語り継がれる人は、そういませんよ。大半の人は痕跡すら残らないんですから」


「まあ、そうじゃの」

「あと、これ。お口に合うかわかりませんが、どうぞ」

 冬樺は別の箱を差し出した。油と同じようにして中身を見せる。


「これはなんだ」

「三笠という名のお菓子です。焼いた生地に粒あんを挟んだもので、奈良の名物になります。甘い物は嫌いですか?」

 冬樺が問いかけると、周囲の景色がさあっと変わった。

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