第35話 山男の異類婚姻

「すごい雨」

 6月下旬。土砂降りの雨に打たれて、歩いて出勤している夏樹の足はずぶ濡れになった。

 服はズボンタイプの合羽を履いてきたけど、スニーカーはぐしょぐしょ。


 歩いて来た道はコンクリートで舗装されているから、泥はあまり付いていないけれど、甘味処の床が開店前に濡れて汚れてしまった。

 マリーとルイに申し訳ないと、事務所に置いていたきれいなスニーカーに履き替え、夏樹は一階の掃除を始めた。


 関西が梅雨入りしたのは昨日。連日しとしと雨ばかり。今日は特に雨量が多かった。


「恐れ入ります」

 モップで床を拭いていると、扉の向こうから声がかかった。


「はいはい」

 引き戸を開けると、そこに高身長の男性が佇んでいた。


「あの、こちら、よろず相談所で、あっていますか」

 少し繊細で、真面目そうに見える。


「あってますよ。事務所は二階にあるんで、どうぞ」

 男性を招き入れて、二階に案内した。


「所長、お客さん」

「ん、いらっしゃい。どうぞ」


 冬樺が立ち上がって男性をソファーに案内する途中で、夏樹は一度下に下りた。

 手早く掃除の続きをしてから、二階に戻る。


「雨に関係する妖を、奈良から排除して欲しい、ですか」

「はい。この日だけでいいんです。お願いできませんか」

 所長が顎ひげを触っている。


「晴れにしたいのです。快晴の、雲一つない、真っ青の空の下で、式を挙げたいのです」

「天候をどうにかするなんて、我々には無理ですよ。それこそ、てるてる坊主をたくさん作って神頼みするぐらいしか」


「もちろんです。すでにてるてる坊主は毎日作っています。それだけでは心許なくて、他にできることはないかと考えて、思いついたのです」

 所長は難しい顔で考えこんでいる。


「彼女はジューンブライドに憧れていたのですが、6月の新月は予約が取れなかったのです。新月に式を挙げたい私の都合を彼女が優先してくれて、7月の新月に決めたのです。だから、どうしても降って欲しくないのです」

 男性は身を乗り出し、必死な顔で頼み込んでくる。


「なんで新月にこだわるんですか?」

 不思議に思った夏樹が問いかけると、男性が体を戻して、夏樹に顔を向けた。


「私は半妖なんです。母が山女で、父が人間です。満月になっても何も変わらないのですが、私は人として生活をしています。仕事もそうです。妖としてではなく、人として生きていきたいのです。だから唯一完全に人になる新月にこだわったのです」

 男性の真剣な顔を見ていると、応援したい気持ちが湧いてきた。


 彼のこだわりを受け入れた新婦。

 自分を優先してくれた新婦のために、雨は避けたと願う彼。


 だったらガーデンウェディングじゃなくて、屋根のある所で挙げればいいのにと思いはしたけど、口に出すのは無粋だなとわかっていたので、夏樹は口には出さないでいた。


 表情は変わらないままも、所長が小さく頷いた。

「やれる限りはやってみます。が、保証はできませんよ。当日雨になっても、我々を恨まないでください。文句を言われても、できないものはできないんですから」


 男性の顔に、安堵の色が広がる。

「もちろんです。やれることをやって雨になったら、それは仕方がありません」


 口では仕方がないといいながら、男性の顔は諦めていないように見えた。

 なにがなんでも雨は降らせない。

 熱い想いがあれば天候すらどうとでもできそうなほど、気持ちがこもっていた。


 よろしくお願いします。と深々と頭を下げて、男性は帰って行った。

 その背を見送ってから、夏樹は改めて依頼の内容を確認する。


「依頼、何やったん?」

「7月の新月に結婚式を挙げるそうだ。ガーデンウェディングだから、絶対に晴れにしたいんだと。新婦さんが雨女、妖ではなくて人間だけど、雨に降られることが多いらしい」


「天候なんかどうにかできるん?」

「できるわけない。で、彼ーー山室やまむろ航大こうだいさんが考えたのは、雨に関係する妖を、奈良市から出して欲しい。入ってくる妖がいれば。入れないようにして欲しいと」

 所長はソファーに沈み込み、難しい顔をする。


「雨に関係する妖って?」

「例えば雨を呼ぶと言われている雨女、雨を降らせる神様に使えている雨降り小僧。雨の日に現れる妖は、たくさんいるんだよ。すべてが奈良にいるわけではないけど、もし奈良にいるなら出て行ってくれ。余所よそからは来ないでくれと」


「お願いしに全国に行くってこと?」

「そうしてくれという依頼だよ。藁にも縋りたいほど、必死なんだね。気持ちはわかるけど、それで快晴になるとは限らないよ。梅雨も明けていない可能性が高いしね」

 珍しく所長の眉間にシワが寄る。


「雨に関係する妖って、ざっとどれくらいおるん?」

「20体近くいるようです」


 応えたのは、スマホを見ながらメモを取っていた冬樺。すでに調べていたらしい。

「20体か。奈良におるんはどれくらい?」


「奈良近郊で所在が確認されているのは、橿原市かしはらし近郊に小右衛門火こえもんび、東大阪市の枚岡ひらおか神社の姥火うばがび。葛城山に小雨坊こさめぼう。吉野山中の槌蛇つちへび。だそうです」


「ありがとう、冬樺。小右衛門火と姥火は行けると思うけど、小雨坊と槌蛇は俺たちでは無理だよ。山奥過ぎるし、会えたとしても槌蛇は毒を持っていると言われているから危険だよ。絶対に行ってはダメだよ」


 所長が厳しい目つきで、夏樹と冬樺を見た。本当に危険なのだろう。他人の結婚式のために命までかける必要はない、ということだ。


「幽世の誰かに手貸してってお願いできひんのかなあ」

 人では無理だけど、妖同士なら毒の効果はどうなんだろう。と素朴な疑問が沸いた。


「現世での、たった二人のための結婚式に? 大事おおごと過ぎないか?」

「でも種族が違う者同士が家族になるんやで。その門出を妖と人が手を組んで晴れにして祝えたら、めっちゃいいやん」


「しかし、幽世まで巻き込むなんで、前代未聞だよ」

 所長が首を横に振る。


「てるてる坊主作って神頼みするけど、他にできることがあるんやったら、山奥でも海中でも行くでオレは」

 夏樹としては、山室の応援をしてやりたい気持ちが大きい。


「所長、てるてる坊主の元になった日和坊ひよりぼうを奈良に招くというはどうですか?」


 冬樺から、新しい案が出た。てるてる坊主のもとになった妖がいるんだと夏樹は驚いた。


「ええ? 日和坊を? たしか茨城県だよね」

 所長も以外そうな顔をしている。


「そんな妖おるん?」

「はい。晴れの日にしか姿を見せないそうです」


「いいやん。来てもらおうや。山室さんも連れてきてって絶対言うで」

 今すぐにでも迎えに行きたい衝動に駆られる。


「北関東も梅雨入りしてるんだから、会えないかもしれないよ」

「梅雨の晴れ間かてあるやん」

 梅雨といっても、毎日毎日雨が降るわけじゃない。粘れば会えるはずだという、確信があった。


魃鬼ばつきという妖もいますね」

「それはダメだよ」

 所長は体を起こした。そんなにNGな妖なのだろうか。

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