第33話 宮司の幽霊

 銀の光は収束すると矢の形になった。

 額に白い矢が突き立った山姥やまんばは、包丁を振りかざした姿で動きを止めた。やがて頭からさらさらと崩れて消えた。ダルマのときと同じ消え方。


「冬樺、すげえー」

「僕の力ではないです。所長がくれたんです」


「そっか、所長の力か」

 夏樹がゆっくりと立ち上がる。


「でもさ、ビビらんと命中させたんは冬樺やから、冬樺もすごいで。ありがとうな」

 冬樺は何もしていない。投げただけなのに、夏樹はにかっと笑顔を浮かべた。


「感謝されるほどではありません」

「そこは素直に受け取っときいな」

 ぱんぱんと服や手についた土を払う。


「わかりました。じゃあ、僕のお陰で助かってよかったですね」

「ええ? いきなり恩着せにくる?」


「岩倉さんなら、こう言うと思ったので」

「あ、ああ。うん、まあええわ」

 当たっていたから、お茶を濁したのだろう。


 ずしんと地面が揺れた。

「なんですか?」

 冬樺は続くかもしれない揺れに備えて姿勢を落とした。


 夏樹は立ったまま。遠くを見つめるような目をしている。

「佐和さんやな。野寺坊倒した」


「野寺坊を」

 祠に目をやるが、誰の姿も見えなかった。

「感じるんですか?」


「うん。そこそこ大きかった妖力がひとつ消えたから」

 冬樺には何も感じられなかった。見る事に頼り過ぎているのだろうか。


「行こうか」

 夏樹が荒れた祠に向かって歩き出す。冬樺も後に続いた。


 妖たちが酒盛りをしていた開かれた場所に着くと、祠の前に紫色の袴姿の男が佇んでいた。その体は透けて、向こうが見えている。

 所長と佐和が男の向かいに立っていた。


「二人とも怪我はないかい?」

 気づかってくれる所長に平気ですと答える。


「こちら、宮司の日置ひおき宗一郎そういちろうさまだよ。二人はうちの所員です」

「この度は、ふるい知り合いが、ご面倒をおかけいたしました」

 頭を下げる。


「妖が、旧い知り合いなんですか」

 知り合いという言い方に違和感があって、冬樺は訊ねた。


「野寺坊とは、旧い付き合いでございました。知り合いましたのは、明治の半ば、数え25歳の時でございます。我が神社はこの祠の祈祷を村人から依頼されておりました。あの日祈祷に向かったここで、野寺坊と知り合ったのでございます」

 言葉を切った宗一郎さまは、寂しそうな顔で祠を振り返った。


 *


 村人の案内で山を登り祠に辿り着いたところ、大きないびきが聞こえてまいりました。


 祠の裏をあらためたところ、ぼろぼろの袈裟を着た男が横になっておりました。村人が起こすと、目覚めた男の腹が鳴りまして、たいそう賑やかな男でございました。


 祈祷の間も男の腹は鳴り続け、わたしはこみ上げてくる笑いを堪えながら祝詞のりとを奏上いたしました。


 祈祷後、男になぜこの場所にいるのか訊ねてみたところ、目的もなく日本を放浪していると答え、祠の傍ならば獣に襲われる心配もなかろうと、笑っておりました。


 男は野寺と名乗り、村の空き家で寝泊まりをすることになりました。

 痩せぎすのわりに腕力があり、手先も器用だったため、壊れかけていた神社の摂社の修理をしてくれたり、村の塀や屋根の修理もしてくれたり、重い荷物を運んだりと村人にとって頼りになる人物でした。


 酒が大好きで、村一番の男と飲み比べをして、いとも簡単に勝ちました。それ以来、流れ者の坊主崩れから、一目置かれるようになり、いつの間にやら村にすっかり溶け込んでおりました。


 わたしも彼と話をするのが好きでした。

 日々のお勤めの合間を縫って酒を酌み交わし、日本を巡った話をよくせがみました。


 野寺の素性はわかりません。何歳なのか、なぜ放浪しているのか知りません。が、構いませんでした。彼の話はわたしを新しい世界に連れて行ってくれましたから。


 石炭を燃料にして、煙を上げながら走る汽車。

 赤いレンガで建てられた西洋建築。

 郵便事業が始まり、横浜でガス灯が設置され。


 めまぐるしく時代が変わっているのを、わくわくしながら聞いておりました。


 そうそう、野寺の素性もわからないのに、誰が言いだしたのか嫁取りの話が浮上いたしました。

 とよという数え18歳、たいそう働き者で素直な娘だと聞きました。


 わたしたちは、これはご縁だからと薦めましたが、野寺は頑なに固辞し、村を出て行くとまで言いだして、見合いはなくなりました。


 今思えば、妖なのだから、人との結婚などむりな話だったでしょう。

 ですが、それだけ野寺が村人に受け入れられていた証だったのです。


 野寺が妖だと知ったのは、見合い話から数年経ったころでございました。


 それまでも、姿の変わらない野寺を、どこかでおかしいと思いながらも、気づかないふりをしていたのかもしれません。初めて会ってから、十七年が経っていましたから。


 わたしは数え42歳になっており、白髪が増え、体格も変わっていたのに、野寺は何も変わりませんでした。


 酒の席の冗談で、容姿のまったく変わらない野寺は、実は狐狸こりの類で、わたしは化かされているのではないかと、笑いながら言ったのです。


 いつものように、笑い飛ばすと思っておりましたのに、野寺はいつになく真剣な顔つきをしておりました。

 そして、野寺はこう言いました。


 そろそろ潮時だ。ここでの生活は楽しかったと。


 別れを告げる言葉に動揺し、詰め寄りました。野寺との毎日が、まだまだ続くものと思っておりましたから。

 そして、素性を告白したのです。野寺坊という妖であると。


 酔った頭を必死で回転させましたが理解が追いつかず、わたしは笑うことで、その場をごまかしたのです。

 あの時の野寺の顔を思い出すと、切なくなります。野寺は、わたしを信じて真実を告げてくれたのです。それなのに、私は冗談にしてしまいました。


 野寺とそんなことがあった直後、神社を合祀ごうしするという政策が発令され、とてつもなく多忙になったわたしは、野寺と会う時間がなくなってしまいました。


 神社合祀とは、神社整理と言いかえるとわかるかと思います。複数ある神社を一町村一社に合祀するよう、時の内閣からお達しがあったのです。


 反対した地方もあったようですが、全国では10年で20万社から約3分の1に減りました。奈良では四割がなくなりました。

 先祖代々お祀りしてきた我が神社も、合祀されたうちの一つでございます。


 わたしは合祀先で働かせていただけることになり、住み慣れた村を離れることになりましたが、多忙を理由に一度も村には戻りませんでした。


 気にかかってはおりましたが、野寺の告白を冗談ですませてしまったことが気まずかったからです。

 またいつでも行けるだろう、いつか。そう思っているうちに、病に体を蝕まれていたわたしは、数え52歳で病没しました。


 わたしは生まれ変わりを選ばず、幽世での生活を希望いたしました。野寺に会えるのではないかと思って。

 しかし野寺は幽世にはおらず、ずっと居場所を探しておりました。


 見つけたのが、二十年程前になります。岡山の荒れ寺におりました。一つ目入道と一緒に。


 野寺は以前とは違う人、人ではありませんが、わたしの中では野寺は人でしたので、あえて人と呼びますが、別人のように変貌しておりました。

 見た目ではありません。性格がです。


 盗みを働くような人ではなかったです。

 くったくなく笑い、他人が困っていたら進んで助けてくれる人物でした。

 酒癖だって悪くなかった。酒豪ではありましたが、みっともなく乱れるような飲み方はしていませんでした。

 ぼろを着ていても、心は豊かだったのです。


 わたしは野寺の説得をしました。人に迷惑をかけてはいけない、共にあるべきだと。

 けれど、わたしの声は届きませんでした。


 岡山を追い出されると、兵庫に移動し、京都から奈良に入ったのが、一週間前。


 行く先々で盗みを働き、人に迷惑をかけ。さんざん人が悪いと、一つ目入道や陰摩羅鬼と悪態をつき、改心する様子は欠片も見られませんでした。


 懐かしい思い出のあるこの祠にて幽世に連れて行こうと、ご依頼させていただいたのです。

 彼らは、わたしが責任を持って連れて行きます。

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