第31話 戦えない冬樺

 先頭を切って飛び出したのは、佐和。すさまじい瞬発力で、30mほどある距離を詰めていく。

 後ろから夏樹も追いかけて走っていく。


 その場に残った所長は、両手を合わせてぐいと引っ張るような動作をした。

 拳にまとっていた銀色の光が洋弓の形になる。中央から三本の線が引かれ、それは矢になった。


 冬樺の目の前で弓をきりりと引き絞る所長の姿は、同性の目から見ても格好いいと思う。

 所長が指を離した。


 しゅんと勢いよく飛び出した三本の矢は、先頭を走る二人の背後に迫る。

 と、二人は後ろに目がついているかのように左右に避けた。佐和は左に、夏樹は右に。

 三本の矢は妖たちに向かって突き進む。


 陰摩羅鬼おんもらきがグギャーと声を上げて飛び上がった。羽を左右に広げ、二度三度と羽ばたく。

 巻き上がった空気がぐるぐると渦を巻いた。

 できあがった竜巻は、矢に向かって進み、巻き込み、その方向を変えてしまった。


「ああっ」

 いとも簡単に方向を変えられたのが悔しくて、冬樺は声を上げてしまう。


 所長は冷静で、表情を変えていない。

 先頭の二人が、森を抜けた。


「はあああああ!」

 気迫の込められた声が森に響く。佐和の拳が野寺坊に届いた。


 ガインと甲高い音がする。

 野寺坊は錫杖で、佐和の拳を受け止めていた。だが力に押し切られたのか、一歩下がる。


 下がったところに、横手から銀の矢が野寺坊を襲った。

 竜巻によって方向を変えられた矢がどこかで方向を変え、妖に向かったらしい。


 しかし、矢は野寺坊の袈裟を切り裂いただけで終わり、背後の祠の柱に刺さった。


 チッと所長が舌打ちをした。つがえていた矢を再び放つ。今度は真っ直ぐではなくて、木に隠れるように蛇行して。どうやら所長は矢を自由自在に動かせるようだ。


 佐和に二歩ほど遅れて夏樹も到達していた。体を捻って右腕を引きながら、高く跳躍した。勢いのまま、一つ目入道に向かっていく。


 一つ目入道は余裕の笑みを浮かべ、着物の懐に左手を突っ込んだまま、赤い光をまとった拳を振り下ろす夏樹をよけた。


 ぼこっという音の後に土煙が巻き上がり、冬樺のいる場所まで振動を感じた。


「ぐわっ。小僧!」

 一つ目入道が不愉快そうな銅鑼声を上げて、目を抑える。


 地面に穴を開けた夏樹が、土を掴み投げつけたのだろう。

 初歩的な手に引っかかるとは、以外にも間抜けな妖だった。


 一つ目入道が怯んだ隙を見逃す夏樹では当然なかった。

 外国人レスラー並の体格をもつ一つ目入道の胴体へ、拳を叩きこむ。


 瞬きを数回する間に何発入れたのか。冬樺の目では赤い線をひく残像にしか見えなかったが、一つ目入道の重たそうな体が傾いた。


 しかし一つ目入道もやられたままではなかった。右足を引いてふんばり、左手を懐から抜いて振りかぶった。


 丸太のように太い腕を、夏樹はひょいと身軽な動きで腕をよけた。ただし相手は人ではなく妖。風圧には妖力がこもっていた。


 夏樹が煽られ、バランスを崩す。

 一つ目入道が組んだ両手を頭の上に持ち上げた。目をうっすらと開いている。


 その目に所長の銀の矢が突き立った。

「ぎゃっっ!」

 短い悲鳴を上げてのけ反る。


 バランスを崩していた夏樹が地面に手をつき、体をひねった。遠心力でもって一つ目入道を蹴り上げる。

 首と足に蹴りが入った一つ目入道は、横手に吹っ飛んで行った。佐和と闘っていた野寺坊を巻き込んで。


 佐和がちらりとこっちに顔を向けた。

 所長が親指を上げると、二人は妖が吹っ飛んだ方に走っていった。


「所長、陰摩羅鬼おんもらきはどうなっているんでしょう」

 一つ目入道と野寺坊にばかり目がいってしまって、怪鳥の姿を見失っていた。


「上空だよ。俺の矢で誘導した」

 ここからは茂った木が邪魔をして、上空は見えない。

 耳を澄ませると、金切声が聴こえてきた。


「俺も向こうに行くけど、冬樺は隠れているように。万一妖に襲われそうになったら、これを妖に投げつけて」

 パールのような艶々した銀色の玉を手渡される。


「これは?」

「僕の矢を封印した珠だよ。ようく狙いをつけるんだよ。万一外れても妖を感知して飛び出すようにしているけど、直に当たった方が、威力が高いからね、今の冬樺の妖力なら、反応しないと思うから」


「新月だと、僕に向かってくる可能性もあるってことですね」

「そういうこと。使用しなかったら、回収するよ」

 そう言うと、所長は廃寺に向かって進んだ。


 一人取り残された冬樺は、とたんに心細くなる。

 誰のものかわからない声が響いて不気味だし、近くでがさりと音がして、体が縮こむ。

 三人のように戦えたらと思うけれど、忌まわしい記憶が体を硬くさせる。


 物心つく前から、父と兄に殴られた。やり返そうとしても、力が違い過ぎて歯が立たなかった。同じ体格の兄にすら、まったく適わない。

 諦めてやられっぱなしになると、兄は飽きて父に相手をせがんだ。


 弱い冬樺に打たれ強くなるからと、父は容赦なかった。ほとんど暴行だったと思うのだが、幼い頃はそれが当たり前なのだと思っていた。


 母は毎日血だらけで傷をつくる兄弟を、行き過ぎたケンカだと思っていたらしい。看護師である母が、「ケンカばっかりしちゃだめよ。仲良くしなさいね」と手早く処置してくれた。


 ある日母から「毎日どうして怪我ばかりするの?」と訊ねられて話した。母の顔色が変わり、父の行為はおかしいのだと気がついた。


 成長にともない、冬樺の方があきらかに怪我が酷くなっていて、母は不審に感じたらしい。

 父によるDVを疑った母が、離婚にむけてひそかに動く中で、衝撃の事実が判明していく。


 父がバケモノだったこと、父に戸籍がないせいで、母と籍が入っていないばかりか、冬樺たちの戸籍すらなかったこと。


 父と兄から距離を取れ、痛い思いをしないですんだが、冬樺は血や暴力シーンが苦手になっていた。

 年を重ねて少しはましになったものの、夏樹とダルマの思わぬ戦闘行為に、血の気が引いた。

 足が動かなくて、体ががたがたと震えた。


 しかし夏樹が、ダルマと人を引き剥がそうと奮闘している姿を見て、怖がっているだけではだめだと、奮い立たせた。

 人を守ろうとしている夏樹の邪魔にならないように動こうと、人を避難させようとした。

 結果的に、夏樹に怪我をさせてしまった。

 天狗の揚羽あげはさまのお陰ですぐに治癒したものの、足を引っ張った事実は変わらない。


 事務所を辞めよう。


 考えた末そう決めたのに、電話をかけてきた夏樹はいつもと同じで、その明るさに冬樺は救われた。

 気が楽になり、辞めるのは保留にした。


 あの父と同じ血が流れている。いつか狂ってしまうかもしれない。人とは距離を置こう。

 最初は寂しかったけれど、父と兄を思い出したら寂しさは消えた。人を傷つけてしまう恐ろしさの方が上回った。


 学生時代、作った壁を乗り越えようとする物好きはいた。冬樺が何の反応も示さないでいるとすぐに飽きられた。

 夏樹も彼らと同じだろうと思っていた。壁を乗り越えようとするのは最初だけ。無愛想な冬樺にそのうち愛想を尽かすだろうと。


 冬樺のせいで怪我をしても、重い過去を知った今も、変わらない態度で接してくる。

 所長も佐和もだ。二人は大人だから、親に近い思いで見守ってくれていると感じていた。

 夏樹があんなに明るく、めげないのは、二人の影響なのかもしれない。

 やたら名前呼びを求められるのは辟易へきえきしているけれど。

 そんな友だちみたいなこと、恥ずかしくてできない。冬樺と夏樹は同僚であって、友人ではないのだから。

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