第30話 山奥の妖たち

「冬樺は妖の勉強をしていたよね。わかるかい?」

「はい。一つ目の大男は一つ目入道で、鳥は陰摩羅鬼おんもらき、ぼろぼろの袈裟を着ている禿頭の人物は野寺坊のでらぼうです」


「うん。よく勉強しているね」

「そんな勉強してたん? 知らんかった」


「僕は戦えないので、せめて知識で助けられればと思って本を読んでいました」

「えらいなあ。あのカマ吉みたいな、ちびっこいのは?」


川獺かわうそですね。化かすことが得意です」

「カマ吉に似てて、戦いになったらやりにくいな」

山姥やまんばもいます」

 手入れされていない、ぼさぼさの白髪頭の老婆が、取り分けた肴を野寺坊に渡している。


「まずは説得する。今後集まることをやめ、賠償にも応じてもらう。聞き届けてもらえない場合は強制排除。全員が戦闘タイプの妖じゃないから。逃げる奴もいると思うけど、逃げる奴は逃がしていい。でも、ボスクラス、少なくとも一つ目入道、陰摩羅鬼、野寺坊は逃がさないようにして欲しい。川獺と山姥はおこぼれにあずかっているだけだろうから」


「了解」

 全員が頷く。


「冬樺は、ここまで来たら車には戻れないだろう。待機していてくれ」

「すみません」

「見つからへんように、うまく隠れといてや」


 冬樺をその場に残して、三人は妖たちのいる場所に近づいていく。

 がははと空気を揺るがすほどの笑い声が、ぴたりと止まった。全妖の視線が、こっちに向いた。


「おうおう、人間が来たぞ」

 一つ目入道の声は銅鑼どらのようなだみ声。気の弱い人なら、声だけで失神しそうな迫力がある。


「夜の山に来るとは命知らずな輩よ」

 野寺坊は低くて渋いイケボイス。僧侶の着る袈裟けさを着ているだけある。


「肴にしよう」

 耳をつんざく金切声は陰摩羅鬼おんもらき


「酒盛りかい? 楽しそうだね」

 所長がいつものように穏やかに話しかけた。


「楽しいわけがなかろう。世が明るくなり、我らの住処すみかを奪ってゆく。追い立てられた我らの未来は風前の灯火よ」

 そう言った野寺坊が、くいと盃を傾けた。


「悲観しているようにはとても見えないけどね。とにかくここで騒ぐのはやめてもらいたいんだ。それと、酒の代金も支払ってもらわないと」


「人に従ういわれはない。わしらに人の道義を押し付けるな」

 一つ目入道の声が大気を震わせる。


「いやいや、人が作った物で楽しんでおいて抜け抜けと。それにしても高いお酒ばかりを狙ったね。40万近くする日本酒に、20万クラスの焼酎。もっと大切に飲んでもらいたいね」


「何かが足らぬと思うておったのよ。人間ども、そこで踊ってみせろ。どじょうすくいでもやれ。面白かったら、一滴ぐらい飲ませてやってもよいぞ。それとも花札をやるか。勝てば飲ませてやろう。負ければ当然命をもらう」

 煽っているのか、盃をこちらに見せつける一つ目入道の大きな目が、ぎらりと妖しく光る。


「女がいる。おで、女の肉欲しい。柔らかくて旨いんだ」

 陰摩羅鬼おんもらきがばさばさと翼をはためかせた。風に乗って酒の匂いが届く。


「あれはやめておけ。トウが立ちすぎておるわ。腹を壊す」


「失礼やなあ。妖に歳の事言われたないねん」

 野寺坊の失礼すぎる発言に、佐和が噛みついた。足首をくねくねと動かしている。戦う気満々。


「おで、腹強いから、平気」


「俺たちは喰われに来たんじゃないんだよ。穏便に収めたいんだけどね」


 一つ目入道が盃を荒々しく地面に置いた。酒が零れ出る。


 所長が小さく「あーあ、もったいない」と呟いた。


「屋を移しても、すぐにうぬらのような輩が来る。わしらは何百年も追い立てられて暮らしてきた。住みにくい世になったものよ。恐せられていた時代が懐かしいわ」

 一つ目入道の口調は昔を懐かしんではない。恨みがぞんぶんに込められている。


 妖たちは、明かりがろうそくだった時代から生きているのだろう。夜は暗く、自然を恐れ、敬いながら共存していた頃。

 今は夜でも明るく、わずかな暗い場所を探してひっそりと妖たちは生きている。


 人の都合で排除していいのか。夏樹としては少し迷うところもあった。

 少し前、力を削がれた花子と知り合った。本体が壊れると消え去る運命にある付喪神の友人。

 彼らは儚いのか、したたかなのか、わからない。


 妖たちが、ゆらりと立ち上がる。

 周囲にいた川獺かわうそと山姥は、そそくさと森に消える。


 すべての妖が、人と共存できるわけではない。

 この間のダルマのように、人に牙を剥ける妖もいる。目の前の彼らのように。


「仕方がない。強制退去願おうか」

 目の前の所長の右手に銀の光が、隣の佐和の拳にだいだいの光が宿った。


 迷っている時間はないと悟る。

 背後には戦えない冬樺がいる。

 仲間を傷つけられないためには、命を奪う覚悟を決めなければいけなかった。

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