第22話 座敷童子の奈良観光2 茶粥と鹿

 花子は一時間ほどで目を覚ました。

 目覚めた瞬間、ぼんやりして事務所内を見渡していた。

 また泣き出すのでは、身構えたのは夏樹だけではなかったはず。

 それぞれが手元を見るフリをして、花子に注意を向けているのが伝わってきた。


「花子ちゃん、おはよう。旅行でここに来たんやで、わかるか?」

 向かいに座っていいた夏樹が声をかけると、花子はむくりと体を起こした。


「そろそろお昼ご飯の時間やけど、腹減らへん?」

 自分のお腹に手を添えて、こくりと頷く。


「何か食べたいもんある?」

「優しいご飯」

 すごく小さな声だったけど、聞き取れた。が、優しいご飯とはなんぞや。


「優しいか。それなら、茶粥がいいんじゃないか」

 所長が何件かお店の候補をプリントアウトしてくれた。


「ほんならみんなで茶粥食べに行こうか」

 夏樹が提案すると、花子はソファーからぽんと下りた。


 箱階段をおりていると、マリーが「あら、おでかけ?」と声をかけてきた。

「茶粥食べに行ってくるわ」

「行ってらっしゃい。花子さん、楽しんできてね」


 にこやかに話しかけられた花子が、マリーの着物を引いた。

「誘ってくれているの? ごめんなさい。私はお仕事があるから、一緒に行けないの。あとでおやつを食べましょう」

 マリーに諭され、花子は着物を引くのをやめた。代わりに小指を立てる。


「約束ね」

 マリーと花子は小指を結び、指を切った。


 四人で事務所の近くにある茶粥専門店に向かう。

 妖ではない、普通の人が開いているお店なので、花子は普通の人にも視える術を使っている。


 席に案内されて、夏樹は花子の隣に座った。花子の向かいは冬樺で、所長は夏樹の向かい。さっき泣かせてしまったから、所長は気を遣ったのだろう。


 おまたせしましたと膳が運ばれてきた。膳はお粥、漬物五種類と梅干、お味噌汁のセット。お粥の量を選べたので、男三人は大盛りを頼んだ。

 ほうじ茶のこうばしい香りが立ち上がっている。


 花子が鼻から息をいっぱい吸った。

 夏樹も鼻から吸う。体に優しそうな見た目と匂いだ。


「茶粥っていうのは、奈良の郷土料理でな『おかいさん』っていわれているんだ。ほうじ茶を水で煮出してご飯を入れて炊いたものなんだよ」

 所長の説明をへえと聞き、「いただきます」と手を合わせた。


 お粥を木匙ですくい、一口。味が薄い。お茶に柔らかいお米が入っているだけ。

 ところが、所長が漬物をお粥に入れているのを見て、それだーとなった。

 たくあん・ちりめん山椒・しば漬け・野菜を乗せ、少し混ぜて一口。


「うっま」

 粥の味が薄い分、濃いめのお漬物でバランスが取れている。


「ちりめん山椒から良い出汁が出ますね」

 冬樺は漬物を一品ずつ入れて、それぞれの味を確認していた。


 箸休めにきゅうりのお漬物も美味しい。

 梅干しを入れると酸味が出て、食欲が増す。

 あっという間に完食した。もう一杯どころか、二杯も三杯とまだまだ食べられそうだった。

 食べ盛りの十代としては、量は少し物足りないが、満足感はあった。


 花子も満足そうに、匙を口に運んでいる。

「さて、これからどうしようか? 花子ちゃんの希望ある?」

 花子が食べ終わるのを見計らって、夏樹は声をかけた。


「鹿さん、見たい」

「鹿なら、ようけおるで。奈良公園行こうか」

 支払いを所長に任せて、店を出る。

 奈良公園までは、10分ほど歩けばすぐに着く。


「俺は事務所に戻るから」

 と言う所長と別れて、歩き出す。


 天気に恵まれ、少し暑いぐらい。

 観光客とすれちがいながら、ならまちを北に向かう。

 ならまちは道幅が細いわりに、車がよく通る。


「花子ちゃん、危ないから手繋ごうか」

 花子には建物側を歩かせて、夏樹は道路側を歩いていたが、人が向かってくると花子は戸惑って歩きにくそうにしていた。


 夏樹が手を伸ばすと、花子はためらいなく手を掴んだ。

 花子の歩幅は小さい。合わせて夏樹と冬樺もゆっくりと歩く。急ぐ必要はない。


 花子が奈良に滞在するのは4日間。奈良には見どころはたくさんあるけれど、花子のペースで回ればいい。夏樹は深く考えるよりも即行動に移す方だ。それは自分の直感を信じているから。その直感が、急がずゆっくりと伝えてきていた。


 アーケード街に入ると車はこないが、人が増えた。陽の光は届かず少し暗い。

「花子ちゃん、怖いんか?」

 夏樹の手を握る花子の手に、力が入る。見上げる瞳も、少し揺れていた。


「猿沢池の横の道使おうか」

 冬樺に伝えて、もちいどのセンター街を出て、東の道に向かった。


「あ、神様」

 角には小さながらも、朱塗りの鳥居と塀が目立つ道祖神が祀られている。

 見つけた花子が繋いでいた手を抜いて、たたっと走って行った。

 するりと手が抜けたことに驚いて、夏樹は慌てて後を追う。幸い車は来ず、人にもぶつからずに、花子は道祖神の境内に入った。


「びっくりしたあ。あっさり抜けてしまうんやなあ」

 子どもと共に過ごした経験がない夏樹は、予期しない事態に動揺した。心臓に悪い。


「妖なら、例え車とぶつかったとしても平気なんじゃないんですか」

 冬樺は欠片も動揺していない。


「ほんまか? いや、でもあんなに小さいんやで。妖力で身守れるんか?」

「たぶん」


「たぶんって。100%ちゃうんかい」

 社殿に向かって手を合わせている花子の小さな背中を見る。

「オレは妖でも車に撥ねられるところなんて見たないわ」

 花子の見た目が人に近いからだけではない。妖力のお陰で怪我一つしないのだとしても、事故なんて起きて欲しくない。ぶつかってしまった人側も気の毒だ。


 夏樹は花子の隣に並んで賽銭を入れ、花子の旅が楽しいものになるように祈った。

「行こうか」


 また花子と手を繋いで歩く。猿沢池が見えてきた。手前に細い川があり、橋を渡っていると、

「お地蔵さんがたくさん」

 川を見下ろした花子が、赤い涎掛けをかけたたくさんのお地蔵さんを見つけた。


「お舟に乗ってるね。お地蔵さんも旅をしてるのかな」

「そやな。どんぶらこって舟に揺られてるんかな」


「どんぶらこ?」

「そう。どんぶらこ」

 花子はどんぶらこを気に入ったのか、猿沢池をぐるっと周りながら、どんぶらこを繰り返していた。


 奈良公園までもう少し。興福寺の境内に上がるための階段に着いた。

「この階段、五十二段あるねん。花子ちゃん、登れる?」

「登れるよ。イチ、ニ」

 と花子は階段を数えながら、えっちらおっちら上がっていった。


「ごじゅう、に!」

 途中で息が上がり、数がわからなくなりつつも、夏樹がサポートをしながら、最上段まで登り切った。


「到着」

「とうちゃく!」

 わーいと手を取り合って、健闘を称え合う。


「よう頑張ったな」

「うん。ちょっと暑い」


「もうちょっとだけ歩いたら、鹿おるからな」

「じゃあ、もっとちょっとがんばる」

 励ますように言うと、花子は歩き出した。


 右手には五重塔、左前方には興福寺中金堂がある。世界遺産に登録されている文化財のひとつ。

 二層構造の瓦屋根、建物を支える朱塗りの鮮やかな柱がひときわ目を惹く。屋根の上には金色の角のようなものが光っている。


「大きいねえ」

 花子はおっかなびっくりな様子で建物を見上げる。


「大きいなあ」

 大きさをより感じるには、拝観料を払えば、間近でみることができる。軍資金は冬樺が所長から預かっているから、花子が入りたければ支払うけれど、と花子を見ると、


「あ、鹿さん!」

 通路の右手に奈良公園の一角があり、観光客が鹿を見たり、鹿せんべいをあげていたり。

 その瞬間、花子は建物への興味を失くしていた。公園に走って行ってしまう。


 夏樹と冬樺も後を追った。

 花子は小ぶりな鹿の1mほど手前で立ち止まり、じっと見つめていた。

 興味はあるけど、間際まで寄るのは慎重。花子は無鉄砲に突入する妖ではなかった。


 夏樹は花子の隣に、そっとしゃがみ込む。

 あと数日で新月をむかえる。夏樹の霊力が下がっているからか、鹿は逃げずにつぶらな瞳を向けてくれた。


「鹿せんべい買ってきました」

 冬樺が買ってきたせんべいを見つけた鹿は、頭を下げた。一回二回三回。


「お辞儀? お辞儀してる!」

 花子はきゃっきゃと楽しそうな声を上げた。


 鹿はせんべいをもらうまでお辞儀をやめるつもりがないのか、まだ下げ続けている。

 冬樺から差し出された鹿せんべいを一枚、花子に渡す。

 花子はゆっくりと腕を伸ばし、せんべいを鹿に差し出した。


 鹿がひょいとせんべいを取り、むしゃむしゃと食べると、

「食べた! 食べた」

 と喜ぶ。

 二枚三枚とせんべいをあげていると、あっという間にせんべいはなくなった。

 せんべいがなくなると、鹿はせんべいを持っている別の人の所に行ってしまった。


「行っちゃった」

 寂しそうに見送くると、三人は公園を歩き始めた。


 葉が青々と茂り、温かい陽光が降り注ぐ。

 散歩をするのに、一番良い時期かもしれない。


 花子は珍しい物を見るかのように、キョロキョロと辺りを見ながら歩いていた。

 しばらく公園を練り歩いたり、また鹿にせんべいをあげたりして過ごし、一時間がたとうという頃に、切り上げた。


 事務所に戻る途中でお土産屋さんを覗くと、花子は鹿のぬいぐるみを欲しがった。よほど鹿を気に入ったらしい。

「どの子、連れて帰る?」

「んー、この子かわいい、この子もいい」


 数センチの小さな鹿から、手のひらより少し大きいサイズの鹿まで、さまざまなぬいぐるみを吟味してから、花子はのひらサイズのぬいぐるみを選んだ。

 大事そうに抱え、ときおり頭や体を撫でては、にこにこしていた。

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