第20話 琥珀の捕獲

 帰って来た佐和は、冬樺の姿にあんぐり口を開けて固まったまま、夏樹の説明に耳を傾けた。


「すみません。予想外で妖姿になってしまいました。無理でしたら、所長に連絡をします」

 今にもクウーンと鳴きそうな姿に佐和の中の何かが刺激されたのか、はっと表情を戻し、頷いた。


「かわいいやん。OKよ。真っ白な毛色、きれいやね」

「ありがとうございます」


「この間うちに泊まった時に、髪の根元が白かったのは、もしかして妖化あやかしかが始まってたから?」

「そうです。普段は黒に染めているのですが、新月が近づくにつれて地色が出てしまうんです。満月には真っ黒になるんですけど」


「染めているのは、周囲の注目を集めないため?」

「はい。変わった髪色だとじろじろ見られるんです。今はおしゃれで色を入れる人が増えましたけど。トラウマになっているんでしょうか」


「毛染めは子どもの頃から?」

「はい」


「人の不躾な視線なんて、気にせんくていいのに、気になってしまうよね。他人のことなんか放っておいてくれればいええのにね。髪色なんかで迷惑をかけてるわけでもないのに。つらかったね」

「あ‥‥‥いえ」


「でも、新月と満月があたしたちと逆転してるのは、なんでなんやろうね」

「オレもそれ気になってた」


「僕が半妖だからでしょうか」

「うーん。でも、お兄さんはあたしたちと同じなんでしょう。半妖だからとは言えないかなあ。ごめん、あたしもわからない。明日、啓一郎くんに聞いてみたら?」

 そうしようと決まると、佐和は食卓について「いただきます」と手を合わせた。


 翌日、夏樹と冬樺とは一緒に出勤した。

 甘味処に入る前に、冬樺を抱っこしようとしたけど、拒否され、背中に乗せることになった。

 肩に前脚、背中に手を回して獣のお尻を支えながら、事務所に入る。

 出勤していた所長はコーヒーを飲みながら、新聞を読んでいた。


「おはよう。今日は、冬樺休みだからな」

「所長、そのことなんやけど」


「ん、なんだ?」

 視線を上げた所長が妖に目を留めた。


「奇妙な気配がするなと思っていたが、また妖を手懐けたのか?」

 冬樺はぽんと軽やかに飛び降り、「冬樺です」と声を出した。


 動きを目で追っていた所長が一瞬目を丸くしたものの、すぐに納得顔になった。

「それが妖としての姿なんだな」

 所長は冬樺が半妖だと知っていた。新月での妖化あやかしかについて尋ねると、「俺の見解だけどな」と前置きをして話した。


「冬樺自身の思いがそうさせているんだと思ったんだ。冬樺は人間でありたいと願っている」

「妖の血なんていりません。こんな獣の姿、なりたくないです」


「新月満月っていうのは、単純に月が満ち欠けするだけじゃないんだ。新月でゼロに戻し、新しいものを取り入れていって、満月でパワーを得る。そして新月で向かうにつれて手放しが始まる」


 所長は言葉を切って、二人の顔を交互に見た。わかっているかと聞きたそうな顔。


 夏樹は脳裏に月の満ち欠けを思い浮かべる。真っ黒な月が徐々に膨らみ、三日月を経て真ん丸になり、また三ヶ月を経て、見えなくなる。

 自分の霊力に置き換えると、理解できた。新月で霊力が低くなり、徐々に増えていって、満月は眠れなくなるほど霊力が高まる。

 みんなそうだと思っていた。どうして冬樺だけ逆なのだろう。


「冬樺に置き換えると、まず、冬樺は人でありたいと願っている。妖の姿になりたくないと願っている」

 冬樺が強く頷く。


「新月に願ったことは、満月に成就する。冬樺の精神的な強い思いにより、体のサイクルが出来上がっているんじゃないか。と仮定した」

「子ども頃から、そう思っていました。父と兄に流れる恐ろしい血が、僕にも流れていることが、とても嫌でした」


「お父さんの妖姿を見た事があるのかい?」

「ありません。兄はどうだったのか知りませんが、僕の前では人の姿でした」


「どんな姿だった?」


「肌は一般的な黄色人種でしたが、髪は金色でした。兄もです。まるで生き写しのように、二人は似ていました。目立つ風貌だったので、近所の人にじろじろとよく見られていました。お父さんは日本人じゃないのかと、わざわざ聞いてくる人もいて。僕はとても嫌な気分になりました。一度だけ、父に訊ねたことがあります。日本人なのか、外国人なのかと」


「お父さんはなんと答えたんだい」

「笑われました。そしてどちらでもないと答えました。そもそも人じゃないからなと」


「物語の中にしかいないと思っていた妖が、父親だったと知ったんだね」

「はい。父を尊敬していた兄は、胸を張っていました。かっこいいと。僕は、その血が流れていることに恐怖と、嫌悪感を抱きました」


「お母さんは知っていたの?」

「同じ時に知ったようです。それで、母も怖がって、それで離婚を決意したようです」


「例えば、お父さんが真逆の性格だったら、どう思っただろうね」

「逆だったら、ですか? 想像ができません。あんな禍々しい妖力を放つ妖が、人の社会に溶け込めるはずがありません。できるなら‥‥‥」

 冬樺はなぜか口を噤み、小さな体を震わせる。


「つらい話をさせて悪かったね。ありがとう。この話はここまでにしよう。今日はどうする? 帰りたいなら送っていくが」

「いえ。体が戻るまで、事務所にいさせてください。母には連絡してあります。こんな手なので、できることはほとんどありませんが」


「俺はかまわないよ」

「ありがとうございます」


「ほんなら、オレは琥珀探し行ってくるわ」

「お任せしてしまってすみません。あ、下にカマ吉が来ているみたいですよ」


「カマ吉来たん? また腹空かせてるんかな。カマ吉連れて行くわ」

 夏樹が事務所の扉を開けると、階段にカマ吉の姿はなかった。それもそうだ。甘味処はまだオープン前で、扉は閉まっている。それに、勝手に店に入ってはダメだと言っているから、ここまで来ているはずがない。


「カマ吉どこにおるん?」

 振り返って聞くと、

「外ですが」と冬樺が窓を指差した。


 所長が窓を開ける。夏樹が見に行くと、下屋げやでカマ吉が立ち上がっていた。


「夏のあんちゃん。おはよう」

「おはよう、カマ吉。よう登れたなあ」


「こんなもん、お茶の子さいさいや。入ってもええ?」

「いいぞ」

 所長の許しを得て、カマ吉がぴょいと窓を越える。


「な、なんや! けったいな臭いするなと思ってたんや。もしかして、霧のあんちゃんか?」

「カマ吉にはわかるんか」


「わかるで。霧のあんちゃんの匂いするし、気配が灰色やもん」

「さすがだな」


「そうやろう。ワシ鼻利くもん」

「冬樺は、なんでカマ吉がここにおるってわかったんや?」


「匂いです。カマ吉の匂いは覚えていますから」

「冬樺も鼻効くんやな。そや、ええ事思いついた」

 夏樹に視線を向けられた冬樺が、鼻にしわ寄せて、嫌そうな顔をした。


 *


「僕は犬じゃないです!」

「犬やん。どう見ても」

 琥珀の飼い主、天狗の揚羽の自宅にお邪魔した夏樹は、琥珀が使っている毛布を冬樺の眼前に掲げた。


「鼻が利くんやから、匂いで追えるやろう。もう一週間なるんやから、はよ見つけてやろうや」

「そうやで、霧のあんちゃん。ワシも手伝ったるから」

 カマ吉は毛布に顔を近づけ、くんくんと嗅ぐ。


「カマ吉だけで充分ですよ。カマ吉に見つけてもらってください」

「見つけても、カマ吉は捕まえられへんかも。琥珀の方が大きいんやから危ないやろう。オレだと狭い場所だと入られヘんし。冬樺のその姿やったら、狭い所入れる。素早く動ける。頭も回る。ええ事づくしやん」


「捕まえる時は、首の後ろを摘むのよ。くれぐれも怪我はさせないでね」

「頼むわ冬樺」

 揚羽と夏樹の顔を見つめた冬樺は諦めたように溜め息を吐き、毛布に顔を近づけた。


「あんちゃんら行こか」

「お願いね」

 ジャージ姿の揚羽に見送られて、夏樹は鼻を鳴らすカマ吉と、嫌そうにしながらもカマ吉と同じ方向に進む冬樺の後に続いた。


 琥珀はあっさりと見つかり、冬樺によって捕獲された。

 JR京終きょうばて駅の近くの住宅街で冬樺が見つけ、逃げたが冬樺の方が素早かった。

 首根っこを掴まれた琥珀は、身動きせずでず身を固めたまま、揚羽から預かったキャリーバッグに収まった。


「ああ、愛しい琥珀。やっと帰ってきてくれたわ。ちょっと痩せたかしら。変な虫をもらっていないか、診てもらいましょうねえ」

 バッグを受け取ると、揚羽はバッグごと琥珀を抱きしめた。


「夏樹、冬樺、それからカマ吉。琥珀を見つけてくれてありがとう。落ち着いたら、お礼を送るわね」

 そう言って、揚羽は飛んで行った。

 人に見られないように、天狗の神通力でどうにかなるのだろう。


 後日、揚羽から成功報酬の他に、野菜果物、魚肉類が届き、それぞれに持ち帰って舌鼓を打った。もちろんカマ吉もご相伴に預かった。


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