第19話 新月前夜
「まったく、信じられません。小学生と同じレベルで遊ぶなんて」
「ごめん」
「あなただけならまだしも、僕まで引きずり込んで」
「調子乗ってしもた」
「
「伝説やないんかもな」
「反省してるんですか!」
夏樹はぴゃっと首をすくめた。でも、そんなに反省はしていない。とても楽しかったから。
小太郎と一緒にずぶ濡れになった。水を掛け合い、ザリガニを探しているうちにテンションが上がり、下りてきて写真を撮っていた冬樺の腕を掴んで引っ張った。
尻から川に落ちてずぶ濡れになった冬樺は真っ青な顔でスマホが濡れていないか確認し、大丈夫とわかると、夏樹と小太郎に水を掛けて反撃してきた。
すでにずぶ濡れだった二人はさらに濡れ、冬樺までもずぶ濡れとなった。
遊びが終了したのは、小太郎の母親が川沿いを通りかかり、小太郎を呼んだからだった。
事情を説明すると、呆れた顔で、
「お留守番を頼んだやろう。鍵は落としてない?」
と小太郎を叱った。
小太郎が首から下げていた袋を取り出して中を確認すると、
「もう」と言いながら、頭を撫でた。
別れ際、母親からコロッケのパックを手渡された。香ばしい匂いに、夏樹と冬樺、そして小太郎のお腹が鳴った。
「ボクもコロッケ食べたい」
「ほんなら、着替えて一緒に買いに行こうか」
手を振り合って小太郎親子と別れた。
冬樺に連絡してもらい、所長に今日の報告をすると、直帰していいとなった。
川沿いを歩き、ちょうどやってきたJRの車両と桜を同時に楽しみ、踏切を渡って、川の途中で左折した。
近鉄新大宮駅で別れようとする冬樺を引き留める。
「そのびしょ濡れで電車乗るん? めっちゃ迷惑やで」
「やったのは誰ですか!」
と叱られた。
「うちでシャワーしていきいな。乾燥機あるから、服乾かし。オレはスイッチ押されへんけど」
「いいです。帰ります」
「風邪引いたらあかんから、寄れって。コロッケも食べて帰りいや。味噌汁作るで。豚汁でもええな」
「わかりました。寄らせてもらいます。でも食事はいいです。服が乾いたらすぐに帰ります」
足元に落ちる雫を見て、冬樺は頷いた。
岩倉宅に帰ってくると、家主より先にシャワーは借りられないと、冬樺は頑なに固辞をした。服を脱いで乾燥機のスイッチを冬樺に押してもらい、バスタオルを冬樺に貸し、夏樹はシャワーをすませた。
「冬樺、お待たせ。シャワー使って」
「ありがとうございます」
シャワーを終わるとすぐに食べられるように、味噌汁用の湯を沸かす。
火が入るのに時間のかかる具材は使えないので、そうめんにした。溶き卵を流し込む。ネギをみじん切りにして、コロッケをトースターに入れて温める。
冬樺はすぐに出てくるだろうと思っていたのに、ご飯の支度が整っても、風呂場から出てくる気配がなかった。
どうしたのかなと思いつつも、時間がかかるなら、他のおかずも作ろうかと冷蔵庫を覗く。
けれど、どうにも気にかかり、浴室に向かった。
「冬樺? えらい時間かかってへん?」
扉越しに声をかける。
シャワーの音がするだけで、返事がなかった。
「おーい。どないした? 何かあった? お湯の止め方わからへんとか、ないよなあ」
様子を窺う。
「開けるで。マジで何かあったんとちゃうやろな」
倒れている冬樺の姿が浮かんでしまい、夏樹は浴室の扉を開けた。
犬がいた。
小型犬ぐらいの、白い毛色の小さな犬。
全身ずぶ濡れで、ちょっと貧相な姿をしている。
その犬が、シャワーの蛇口を捻ろうとしていた。立ち上がって、両前脚を蛇口に引っ掛けたまま、振り返って固まっている。
「なんで、犬おるん? どっから入ったんや。冬樺隠し持ってたんか? どうやって? っていうか冬樺どこ行ったん?」
自宅に入れた覚えのない犬が体を洗われている状況に呆然として、矢継ぎ早に質問をする。
浴槽にも冬樺はいない。蛇口に手をかけている犬がいるだけ。
と、犬が器用に蛇口を閉めた。水の流れが止まる。
足を下ろした犬が、全身をぶるぶる震わせた。
「ぶわっ‥‥‥」
水分が飛んでくる。思わず目を閉じると、
「冬樺です。すみません」
聞き覚えのある声が浴室に響いた。
目を開ける。冬樺の姿はやはりない。
見上げてくる、つぶらな瞳と目が合う。
「‥‥‥まさか、冬樺、なん?」
「そうです。大丈夫だと思っていたのに、油断しました」
犬の口から、悔し気な感情と、言葉が出てきた。
*
「手を煩わせて、すみません」
ドライヤーを使って全身の毛を乾かすのに、30分ほどの時間を要してから、一人と一匹はダイニングテーブルに移動した。
獣姿の冬樺に面食らったものの、来たとき以上にずぶ濡れだと話もできない。
ドライヤーを持てない冬樺の代わりに、夏樹が温風を当てて乾かしてやった。
つんと尖った鼻、細長いマズル。三角形の耳。真っ白の体毛。ふさふさの太い尻尾。全体の大きさは、豆柴ぐらい。
乾かしている間は音のせいで話ができない。だから愛犬のシャンプ―をした気分で、夏樹的には楽しかった。
「いつもは日が代わる辺りでこの姿になるんです。だから、今日もすぐに帰れば大丈夫だろうと思っていました」
「なんでなん?」
「僕にもわかりません。こんなことは初めてです」
「そうやなくて、その姿はなんでなん?」
「僕は半妖なんです。父が妖で、母が人間です」
「半妖、やったんや」
妖や付喪神が人の姿をして、人の社会に溶け込んでいるのは知っていたのに、半妖という存在に少し驚いた。
「所長は知ってんの?」
「さあ」と冬樺は小首を傾げる。
その姿はたいへん可愛らしく、夏樹は吹き出しそうになった。頬に力をこめる。幸い冬樺は下を向いているので、頑張って耐えている夏樹の顔は見ていない。
「確認されていないので、わかりません。でも、猿田先生はご存知なので、聞いていると思います」
「明日は新月やけど、なんで満月やないの?」
「それは、僕自身にもわからないんです。物心ついた時から新月の一日だけ、妖になって妖力が一番高くなります。元々が少ないので、新月で霊力が下がっている岩倉さんにも勝てませんが」
「そうなんや‥‥‥所長に報告しとかなあかんな」
「そうですね。明日は休みをもらっていますが、これからは新月の前日から休ませてもらわないといけなくなりました。妖姿の僕にやれることはないですからね。電車にも乗れないですし」
電車に乗り合わせた人が突然消えて服だけがその場に残っているとなったら、大騒ぎになるだろう。無理矢理にでも誘って良かった。
「その姿の時は、ここに泊まったらええけど。人間には見えるんかな?」
「霊力のある人にしか見えないでしょう。妖100%の状態ですから」
「今までどないしてたん?」
「学校は休んでいました。なので、テスト期間に当たった時は困りましたよ。教師からも変に思われていました。月1は確実に休みますからね。だから、普通に就職はできないと諦めていました」
「えらい、大変やな」
「僕自身は人間でいたいのに」
耳が下がっている。冬樺にとって今の姿は不本意らしい。
「あのさ、お母さん、体とか気持ちとか、大丈夫なん? 妖の子ども出産して。それか、大恋愛を乗り越えたとか」
「一応恋愛だったと聞いています。旅行先で父から声をかけられたらしくて。でも結婚するとなると家族に反対されて、駆け落ちしてこっちに引っ越ししたそうです。看護師ですから、どこででも働けるからと。ああ、そういえば、離婚しようと役所に行ったら、籍が入ってなかったと言っていましたね。僕の戸籍もなかったそうです」
「え! 結婚してへん上に、子どもの戸籍もないって‥‥‥」
「父からすべて手続きをしておくからと言われて、確認しなかったそうです。その頃、父は無職で、母はすぐに復職したので、すべて任せていたらしくて。判明した時の母は泣いたり落ち込んだり、子どもだった僕でも心配になるほど、一時期とても不安定でした」
「そうやろなあ‥‥‥」
離婚するだけでもショックは大きいと聞く。それなのに夫に裏切られていたと知れば、かかった負荷は相当なものだったろう。
「今はもう大丈夫ですよ。元気に働いてくれています」
「オカンには感謝してるって、言ってたもんな」
「はい。僕を連れて出てくれましたし、母からは愛情を感じられましたから」
「兄ちゃんは、今どうしてるん? 家出て働いてるん?」
「兄は置いて家を出ました」
「兄ちゃんは妖のとこに置いてきたん?」
「僕と兄は双子ですが、僕とは真逆の体質なんです」
「真逆っていうことは」
「満月になると妖力が増します。人になるのは新月の日だけ。父はそんな兄だけを可愛がっていました。妖らしい、荒々しい性格をしています」
倒れていた耳が、警戒するようにピンと立つ。
「前に『害を及ぼすために作られた命』って言ってやん。お父さんは、妖の血を受け継いだ子どもが欲しかったってこと?」
「そうらしいです。僕たちは朝から晩まで、妖として生きる訓練をさせられました」
「なにそれ?」
「戦闘訓練のようなものです。父や兄相手に殴り合いをさせられて、毎日傷だらけでした。もう嫌で嫌で、苦痛でした」
「お母さんは気が付いてへんかったん?」
「男同士だから、行き過ぎてしまうこともあるのかな程度に思っていたそうです。家を出た時に謝られました。早く気づいてやれなくって申し訳なかったと」
「兄ちゃんは強かったん?」
「なにせ血のほとんどが妖ですからね。力も強く、凶暴で、ほとんど人間の僕に勝てるわけがありません」
「お父さんは冬樺を心配してくれへんかったん?」
「欠片もなかったですよ。叱責と罵倒だけです。父には成し遂げたいことがあったようです」
「何をしようとしてるん?」
「さあ。『そんなんじゃ、あいつらには勝てない』とよく口にしていました」
「誰かと闘うつもりなんや」
「僕と母が家を出て13年が経っています。もう成し遂げたのか、まだその時期ではないのか、僕にはわかりません。関わりたくないので、調べるつもりはありません」
冬樺は顔を上げて、きっぱりと言った。
「そんなオトンは、嫌やわな」
冬樺が過去を話してくれたことは嬉しかった。以前聞いたときは、曖昧な言い方だったから。
しかし、なかなかに壮絶そうな半生を夏樹が一人で消化するのは、重かった。
所長には聞いてもらった方がいいだろう。明日、獣姿の冬樺を事務所に連れて行くことにして、
「とりあえず、飯食うか。今日はもう帰られへんし、他のおかず作るわな」
「僕は手伝えないですが」
「かまへん、かまへん。箸も持たれへんやろ。食べやすそうなもん、作るわな」
「すみません」
「ええて。気ぃ遣いな。ゆっくりしとって」
台所に立って、肉団子の準備を始めた夏樹の目に、冬樺がスマホを使っているのが見えた。
器用に肉球を使っている。
スマホって、肉球にも反応するねんな、と夏樹は思った。
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