第18話 迷子の子河童

 月曜日。現時点で受けている依頼は揚羽からの猫探しのみ。

 というわけで、夏樹と冬樺は、朝から琥珀を探して回る。


 今日の捜索は近鉄奈良駅から東大寺辺りまでの北東部の地域、通称きたまち。

 東西を走る国道沿いには奈良地方裁判所や奈良県庁があり、駅から北上するやすらぎの道を進むと佐保川に出る。

 奈良女子大学が近くにあり、江戸時代には奈良町奉行所があった所。

 正門にある奈良女子大学記念館は国の重要文化財に指定されている。


 駅から大学までのルートは住宅街になっているが、お店・診療所・神社やお寺もあり、チラシを配って聞き取りをしながら捜索をした。

「手がかりも得られへんなあ」

 新旧の建物が立ち並ぶ住宅街を、一つひとつの路地に入って探し回るも、なかなか琥珀のような毛色の猫の情報は集まらない。


 14時過ぎになった遅めの昼食にグルメバーガーを食べながら、やすらぎの道から西側の地域も回ってみようということになった。

 西側はお寺が多く、猫が好みそうな雰囲気だった。


 コーラを飲みながら冬樺が見ているスマホのマップを覗き込んで、夏樹は「あ、そういえば」と声を上げた。

 ちょうど見ている奈良市内の北に佐保川が流れている。


「佐保川は桜の名所があるねん。冬樺知ってた?」

「いいえ。奈良県で桜が有名な所は、吉野でしょう」


「吉野もすごいよなあ。動画とか写真でしか見た事ないけど、山全体が桜色やもんなあ。でもなあ、川沿いの桜もきれいやねんで」

「岩倉さんが風光明媚な景色に興味を示すか人だとは思わなかったです」

 冬樺が食べ終わったバーガーの包み紙を、几帳面に折りたたむ。


「桜好きやねん。今咲いてるよな。後で観に行こうや」

 夏樹は包み紙をくしゃくしゃと丸めた。


 冬樺の返事も待たずに、会計を済ませて、やすらぎの道に足を向けた。

 開き回っているせいで足は疲れてきていたけれど、昼食をとったことで、少し回復した。

 路地を歩き、ポストにチラシを入れ、人を見かけたら声をかけていく。


「子どもが泣いとる」

 船橋商店街を歩いていると、前方からえっぐえっぐとしゃくり上げながら、10歳にまだ足りなさそうな男子が歩いて来るのが見えた。

「どないしたんやろ?」


 全身びしょ濡れ。ぽたぽたと雫が垂れている。気になって目で追っていると、

「あ、こけた」

 顔を拭いながら歩いていたせいか、少年がつまずいた。べたっと音がした。


「大丈夫か?」

 夏樹が駆け寄ると、

「うわああああん‥‥‥」

 少年はうつ伏せに倒れたまま、顎を上げて盛大に泣き出した。


「大丈夫か? とりあえず、起きようか。傷見せてみ」

 うううと泣いている少年の腕を取って、起きるのを手伝う。


 歩道にぺたんとお尻をついて座る少年の傍らに膝をついて、傷の具合を見る。

 両膝の皮膚は少しめくれていたけど、血は出ていなかった。


「すりむいてしもたな。痛いな」

 ぐずぐずと鼻を鳴らし、しゃくり上げてはいるものの、泣き声は止まった。


「家は近いんか?」

「家、わからへん」


「わからへんってどういうことや。観光客か?」

「違う。引っ越してきた」


「そうなんか。住所わかるか?」

 ふるふると首を横に振る。


「そうか。足の痛みが引いたら、家探そうか」

 膝の傷を眺めていた少年は、小さくうんと頷いた。


「オレは夏樹。こっちは冬樺」

「ボク、川中小太郎」

 へこんでいるのが丸わかりの低い声で、ぼそっと呟く。


「よし! 小太郎! オレらに任せとけ! 家見つけたるからな」

 夏樹の大声に驚いたのか、小太郎は目を見開いて顔を上げた。


「そんな安請け合いして、平気なんですか? 警察に託した方がいいですよ。今のご時世、誘拐犯に間違われることもあるんですから」

「誘拐? そんな悪いことする奴おるんか。ほんなら、オレらがちゃんと送ったらなあかんな」


「そういう思考になるんですね」

 冬樺の口調に諦めの色を感じたけれど、夏樹はいっこうに気にしない。


「ほんで、小太郎はどうやってここまで来たんや」

「川で遊んでた」


「川遊びか。それで濡れてるんか。肩に桜の花びらついてるし。そこの佐保川か?」

「佐保川言うのん?」


「あ、そっか。来たばっかりやったら知らんわな。この辺で遊べる川は佐保川ぐらいやと思うから、川まで一緒に行こうか」

 うんと頷き、小太郎はのそのそと立ち上がった。


 小太郎の様子を見て、夏樹も立ち上がる。小太郎の隣、夏樹は車道側に並んで歩き出す。


「家族の誰かのスマホ、番号覚えてるか?」

「覚えてない」


「そっか。親戚とかで覚えてる人おらへん?」

「祖母ちゃん家やったらわかるけど‥‥‥」

 語尾がはっきりとしない。

 夏樹は少し待ってみたけど、後に続く言葉は小太郎から出なかった。


「電話かけるん嫌なんか?」

「かけていいんかなあ。お母さんに怒られるかも」


「なんでオカンが怒るんや」

「お母さんとお祖母ちゃんの仲が悪くて、仕事場に近い所に引っ越したから」

 親を気遣っているのか。それとも勝手に連絡を取ると叱られると思っているのだろうか。

 小太郎的に、引っ掛かることがあるらしい。


「そうなんか。小太郎は祖母ちゃんとどうなん?」

「ボクは祖母ちゃん好きや」

 にこっと初めて笑顔を見せた。


「ほんなら、連絡したらどうや?」

「でも、お母さんが新しい住所言ってないかもしれへん」


「その可能性はあるかもな。いつ来たんや」

「一昨日」


「来たばっかりやな。それやったら迷子になってしまうのも、わかるわ。川遊び、そんなに楽しかったんか」

「うん。水好きやねん。前の家の近くにも竜田川があってな、小さい頃から遊んでた」


「前はどこに住んでたんや」

平群へぐり


「平群ってどこ?」

 夏樹には聞き覚えのない町の名前だった。


「生駒から王寺に向かう近鉄生駒線に平群駅があります」

 冬樺は知っていたのか、スマホで調べることなくすんなりと応えてくれた。


「そう。その辺に一族で住んでた」

「親戚がそこにおるんやな。こっちには知り合いおらへんの?」


「うん、おらん。なあ、お兄ちゃんらに秘密言ってええ? 誰にも話さんといて欲しいねん」

「なんや。言うてみ。オレらだけの秘密にしとくから」


「ボクら、河童やねん」

「河童って。あの? 頭に皿があって、きゅうりが好きで」


「うん、そう。でも、ボクはきゅうりあまり好きやないねん。味せえへんやん。ドレッシングかけてくれな嫌やねん」

「河童らしくない河童やなあ」

 夏樹が笑うと、小太郎もえへへと笑う。


「オレらに秘密話して大丈夫なんか?」

「だって、兄ちゃんらからは、ボクと似たような匂いするから」

 カマ吉にも似たようなことを言われたな、あの時は変わった気配と言われたっけと思い出す。


「誰にも言わへんから大丈夫やで」

「うん。ありがとう」

 話すことで気が紛れているのか、小太郎の顔に落ちていた陰はなくなっていた。


「平群には河童伝説があるんですね」

「そうなんか」

 振り返ると、冬樺がスマホを見ながら歩いていた。

 夏樹は止まって、道の端に寄る。


馬鍬淵まぐわふちという場所が竜田川にあるそうです。昔、馬鍬という畑を耕す道具と牛が引きずりこまれたそうです。川の主、河童に引きずり込まれたから、河童の伝説ができたようですね」


「そこでは絶対に遊ぶなって、大人に言われてた」


 冬樺が向けてくれたスマホの画面を見る。

「泳ぎのうまい河童でも危ない場所なんや」


「水の音すごいねん。ゴウゴウ言うてな。底も見えへんから、めっちゃ怖いねん」


 ごつごつした岩の間から、真っ白な水が流れ込んでいる。水が白いのは、勢いがあるからだろう。

 滝のように水が流れ込んでいる先が、滝つぼのように見える。


「川の水が、一度ここで停滞するんでしょうね。流れてはいるから滝つぼではなく淵なんです」

「なるほど。河童のイタズラやと思われたんやな。真相はどうなんや」

 小太郎に訊ねる。


「知らん。だって、大昔のことなんやろう」

「言い伝えが残ってないんやったら、河童の仕業やないんやろうな」

 夏樹の中で出した結論を、


「やり過ぎたイタズラだとこっぴどく叱られて、残さなかったのかもしれませんよ」

 と冬樺にひっくり返された。


「真相はわからずやな」

 三人は再び歩き出す。


 ほどなく、佐保川にかかっている下長慶橋しもちょうけいばしに辿り着いた。

 左折すると、前方がやや散りかけてはいたけれど、見事な桜色に染まっていた。


「おおー、まだ咲いてた」

 嬉しくて、夏樹は声を上げた。


 土手に植えられた桜の木が、川を覆うように枝を伸ばし、花を咲かせている。

 桜を見ながら歩く人たちと一緒になって、夏樹も枝を見上げながらゆっくりと歩いた。

 風が吹くと、花びらが降ってくる。

 落ちる花びらを目で追い川を見やると、たくさんの花びらで川が埋め尽くされていた。


「咲いてる桜はきれいやけど、流れていく桜もきれいやな」

花筏はないかだですね」


「雅な言い方やなあ」

 思わず足を止めて魅入ってしまう。きれいな光景だった。

 冬樺はスマホを川に向けていた。きっと写真を撮っているのだろう。


 桜並木は川沿いにずっと続いている。見飽きない風景だけど、今は小太郎の家を探さないといけないから、桜見物には行けない。

 目的を思い出して、「ほな行こか」と言おうとした時、黒い影がぴゅっと走った。


「ええ?!」

 信じがたいものを見た時のような、変な声を上げたのは冬樺だった。


 彼が見つめる先に視線を送ると、夏樹たちと同じ場所に立っていたはずの小太郎が、川の中にいた。

 飛び石の上をぴょんぴょんと飛び跳ねていたと思ったら、ばしゃんと水に落ちる。わざととしか思えない落ち方だった。

 反対側で小さな子どもも遊んでいる。水深は足首ほど。

 ついさっき、迷子になったと泣いていたのに、再び川遊びに熱中し始めた。


「派手な遊び方やなあ」

 濡れるための遊びをしている自由な小太郎を見ていると、夏樹も体がうずうずしてくる。

 16歳の夏樹が、小学生の小太郎のような遊び方をしては、周囲が絶対に引く。


 わかってはいたものの、夏樹は体を使うことが好きだった。幼い頃の記憶は薄れつつあるけれど、野山を裸足で駆け回っていたのは覚えている。

 あの頃にように、自由に、のびのびしたい。あとで叱られることになったとしても。


 衝動が沸き上がり、抑えられなくなった。

「こたろーーー!」

「ちょっと岩倉さん!」


 冬樺の静止の声などどこ吹く風。階段を大股で駆け下りた夏樹は、靴を脱いで放り投げ、小太郎の遊んでいる所まで走って行った。

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