第15話 簪の持ち主がいる場所へ

 寝屋川市にある老人ホームには、所長が車で連れて行ってくれることになった。

 土曜日なので、仕事は休み。けれども、夏樹は朝食後に琥珀を探しに出かけた。


 自宅ハイツのある三条湊川町、西隣の三条栄町、南の大森西町、恋の窪などの住宅街を見て回ったものの、琥珀らしい猫は見かけなかった。

 昼前には家に戻り、カップラーメンを食べてから、所長のマンションに向かった。


 下で待っていた所長と駐車場に行き、ダークブルーのクラウンの助手席に乗り込む。

 菖蒲池で冬樺をピックアップしてから、老人ホームに向かうことになっている。


「所長、簪、持って来た?」

「もちろん」

 所長はジャケットの胸ポケットから、ハンカチに包んだ簪を取り出した。


「今日で依頼終了かなあ」

「そうだといいがな」

 エンジンをかけ、クラウンは滑るように走り出した。


「どれくらいで着くん?」

「一時間ほどだ。混んでないといいんだけどな」


「わあー。車、早いなあ」

 一瞬、夏樹を見た所長の顔が曇っていた。


「ちゃうちゃう。オレやない」

 夏樹は顔の間で手を振る。夏樹は車に乗り慣れてはいない。でも初めてではないし、いまさら車の速度に興奮するほどの初々しい感情は持ち合わせていない。


 声が聞こえてきたのは背後からだった。

 夏樹が首を捻って、運転席の後ろを見やると、そこには、窓にかじりついて外を眺める一匹のイタチ、らしき姿。


「カマ吉! お前なんでここにおるねん」

「ワシ、車に乗ってみたかってん。ひかれそうになったこともあるんやから、敵について調べとかなあかんやん」


「調べるって‥‥‥」

 楽しそうに外を眺めているその姿は、まるで初めて電車に乗った幼稚園児だった。


 所長はコンビニの駐車場に車を止める。

「いつ乗り込んだんだ」

 所長も振り返る。


「夏のあんちゃんが乗り込んだ隙や。昨日から後つけてたんや」

「全然気づかへんかった」


「ワシも連れて行って。早い乗り物に乗ってみたかったんや」

 カマ吉はどこで覚えたのか、前脚を組んでお願いポーズをする。その姿のパンチ力たるや。


「か‥‥‥かわいすぎる」

 所長は視線を外して、悔しそうに呟く。同意を得たも同然だった。


「夏樹、後ろに乗れ。連れてきたお前の責任だ」

「オレの責任? まあ、ええけど」

 夏樹が後部座席に移動している間に、所長はコンビニに入り、飲み物を買ってきた。


 自分用に缶コーヒー、夏樹用にコーラ。サンドイッチを受け取ったカマ吉は「ワーイ」と喜んでいる。

「前の席は侵入禁止」

 と言いおいて、所長は車を発進させた。


 夏樹が袋を開けてやると、カマ吉は両手でしっかりと持って食べ始める。シャクシャクとレタスやキュウリの小気味いい音を立て、「ハム美味しいなあ」と目を細めている。


 食べ終わると、右側の窓に行き、立ち上がって車窓を楽しむ。平城宮跡にある昔の船を見て、「あれ、何?」と訊ねてきたり、夏樹の膝の上にもやってきて、左側の車窓も見たり。あまり代わり映えのしない住宅街の景色も楽しんでいた。


 菖蒲池駅で待っていた冬樺をピックアップする。助手席に座る冬樺は、一昨日別れた時よりは、落ち着いているように見えた。


 所長に飲み物買うかと聞かれて、いえ、大丈夫ですと答えているのを見るとはなしに見ていると、

「なあ、夏のあんちゃん」

 カマ吉が遠慮気味に、夏樹の袖を引っ張ってきた。


 顔を寄せてきて、小声で「霧のあんちゃん、こないだより匂いきつくなってる」

 と言ってくる。


 夏樹は匂いを意識してみるけど、なんの匂いもしない。

「逃げたくなるって言ってた匂いか? 我慢できひんのやったら、ここで降りるか?」


 しかし、カマ吉は首を振る。

「こんなとこで降ろされたら、ワシ迷子なる。あんちゃんらに二度と会われへんなるやん」

 それもそうやなと夏樹は考えた。


「窓開けたら少しましになるか?」

「なるかもしれへん」


「所長、少しだけ窓開けていい?」

 所長が返答の代わりに、窓を少しだけ開けてくれる。


「どうや?」

「うん、ちょっとましやわ」

 そう言って、右側の窓から車窓を眺めていた。


 車はときどき軽い渋滞にひっかかりながらも順調に進んでいく。途中トンネルに入ると、カマ吉は驚いて夏樹に飛びついてきた。明るくなると、また外を見だした。


「着いたぞ」

 所長は老人ホームの駐車場に車を止めた。約束の時間の10分ほど前だった。


「カマ吉は留守番な」

 所長がスマホを取り出しながら言う。


「ワシはあかんの?」

「ご老人の中にも、霊感のある人はいるからな。動物が入りこんでいると声を出されたら、迷惑をかけるだろう」


「わかった。車で待ってる」

「何があっても、絶対に車から出るなよ。俺たちが戻ってきてカマ吉がいなくても、探さないからな」


「う‥‥‥わかった」

 怯んだカマ吉は素直に頷いた。


 所長のことだから、もしカマ吉がいなかったら必死に探してくれるはずだけど、夏樹は何も言わないでおいた。


 所長がスマホで電話をかけると、しばらくして施設の扉が開いた。60代ぐらいだろうか、少し丸い身体つきの女性が出てくる。

 三人とも車を降りて、その女性を出迎えた。


「御足労をおかけしましたねえ」


「この度はお時間をくださいまして、ありがとうございます。わたしは清水啓一郎と申します。後ろの二人は部下になります。後学のために、一緒にお話を聞かせてもらってもよろしいですか」

 所長は女性に名刺を渡した。それには、清水探偵事務所という人相手に使う名称が書いてある。


「ええ。構いませんよ。ただ、母は認知症ですので、どこまで思い出せるかわかりませんけど」

「体調が第一ですので、無理強いは致しません。お疲れになったら、すぐにおいとまいたしますので」


「昔のことは時々思い出せるので、簪をきっかけに、何か思い出せればいいんですけどねえ。とにかくどうぞ、お入りになってください」

 女性に案内されて、三人は施設に入った。

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