第12話 妖退治

 冬樺はついてきているだろうと想定して、カマイタチを掴んだまま、夏樹は全速力で走った。

 やすらぎの道に出て北上し、率川いさがわ神社を超えて、東西を貫く三条通を渡る。

 このまま進めば地下にある近鉄奈良線の真上の道路389号線に出るけれど、夏樹はそこまで行かず、駐車場の向こうにある狭い路地に飛び込んだ。


 壁に体を預けて、乱れた息を整えていると、走り抜けたその背に声をかける。

「冬樺!」

 慌てて呼び止めると、気がついた冬樺が戻って来た。


「騒ぐからですよ」

 息を整えながら、恨みがましい視線を送ってくる。


「ごめん。でも大声出してたんオレやないで。コイツや」

 夏樹が右手を持ち上げると、首根っこを掴まれたままのカマイタチは、キュ~と目を回していた。


「ごめん。大丈夫か。振り回してしもた」

 カマイタチの顔を軽く叩いていると、はっと気がつき、再び鎌を構えた。


「ワレ! 酷いやないか!」

「その声やめろって。驚かせたんは悪かったけど、いきなりケンカ売るなって」


「先に売ったんは、ワレらやろう!」

「いやいや、お前やて。とりあえず落ち着けカマイタチ」

 夏樹がちゃんと呼んでやると、カマイタチは鎌を下ろした。


「何や、わかってたんやん。ワシ、イタチとちゃうもん」

「そうやな。まちごうて悪かったな」

 鎌を引っ込めたカマイタチを地面に下ろしてやる。夏樹がよしよしと頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。


「鎌がなければイタチでしょ」

「ワレ! いい加減にせい」

 冬樺の余計な一言で、立ち上がって再び鎌を構える。


「冬樺、やめといたれ。カマイタチとイタチは違うって言うてるねんから」

「すみませんでした」

 冬樺があっさりと謝罪すると、カマイタチもしゅっと鎌を引っ込めた。


「わかればええねん」

 態度がちょっとエラそうだけど、姿のせいでかわいさが倍増する。


「ところで、カマイタチの鎌って、出し入れ自由にできるん?」

「できるで。やらん個体もおるけど、ワシは必要な時だけ出すようにしてるねん。たまに人がご飯くれたりするから。やけど、最近はイタチと間違われて悲鳴上げられたり、狩られかけたりするねん。ワシ腹減ったわ」

 お腹をかかえてしょぼんと頭を落とすカマイタチが不憫で、夏樹はリュックを下ろして荷物を取り出した。


「おにぎりやったら、もってるで。やろか?」

「ほんま? くれるん?」

 顔を上げたカマイタチの目がきらきらと輝く。


「妖に人の食べ物は大丈夫なんですか? 動物だとダメな食べ物ありますよね」

「妖なんやから、平気やろ」


 佐和が作ってくれたおにぎりのラップを外してやると、カマイタチは前脚でおにぎりを掴み、むしゃむしゃと食べ始めた。

「旨い。旨いわ。あんがとう」


 動物の食事風景は、寝姿に次いで癒やされる。

 夏樹はカマイタチの食事を、頬を緩ませて眺めていた。


「一個で足りるか?」

 食べ終えたカマイタチは、満足顔でげふーと息をつく。


「小さいんですから、一個にしておいたほうがいいと思いますよ」

「そやな。お前、この辺ねぐらにしてるんか」


「そうやないよ。いつもは川におるけど、魚が獲れへんくてこっちまで来てしもてん」

「そっか。ほんなら、猫の情報は持ってへんか」


「猫? あんちゃんら、探してるん?」

「冬樺、猫の写真見せたって」

 冬樺のスマホで琥珀の写真を見たカマイタチは、しかし首を振る。


「見たことないわ、ごめんやで」

「そうか」


「探してみようか?」

「いや、いいよ。危ないやろ」


「大丈夫。ワシには鎌があるから。猫パンチなんには負けへんで」

「そやな。お前には、かっこいい鎌があったな。じゃ、似た猫見かけたら、教えてくれるか」


「うん。わかった」

「くれぐれも無理はせんでいいからな。お前がケガしたらあかんから」


「あんちゃん優しいなあ。でもそっちのあんちゃんは嫌い。苦手な匂いするし」

「苦手な匂いって何や?」


「なんか、強そうな奴に似た匂い。ワシ嫌や」

「僕は動物からあまり好かれません」


「冬樺もか。オレもよく逃げられるねん」

「そうだったんですか」


「好きやから、逃げられるの辛いで」

「僕たちが猫の捜索なんて、無理があり過ぎなんじゃ」


「気配消して近づいたら、大丈夫や。地域猫掴まえたやろう」

「あれはちゅーるで気を引いていたからですよ。僕たちはどうして嫌われるんでしょうね」


「そら、あんちゃんら変わった気配持ってるからやん」

「変わった気配ってなんや?」


「動物が本能で逃げたくなるような、自分が狩られる側やて思わされるっていうか」

「オレらが怖いってこと?」


「そや。逃げるか、見つからへんようにじっとしてるか。掴まったら捕食されるって思うぐらい、すごいで」

「何もせえへんけどな」


「ワシは匂い憶えたから、大丈夫。あんちゃんがご飯くれる、ええ人ってわかったから。そっちのあんちゃんは、ちょっと」

「僕も何もしませんよ。キミが悪いことをしなきゃね」


「ワシはカマイタチや! 鎌で斬りつけるんは、本能や」

「斬りつけるんは、悪さしてる人間だけにしとき」


「悪さしてる人間?」

「そう。他人のものを盗もうとしてるとか、無抵抗の人を痛めつけようとしてるとか あと、仲間がひどい目に遭ってる時とかな」


「わかった。黒い気配持ってる奴だけにするわ」

「気配で良い人悪い人がわかるんか?」


「わかるよ。あんちゃんは」

「俺の名前は夏樹や」


「夏のあんちゃんは、赤やな。炎みたいなんが見える」

「たしかにオレの霊力は赤や。こいつは?」


「そっちのあんちゃんは」

「僕は霧山冬樺です」


「霧のあんちゃんは、白と黒? まだ黒にはなってなくて、灰色かなあ」


「2色なんですね。霊力って色がついているんですね」

「そうやで」

 カマ吉が頷いた。


「黒い気配は怖いってことやな。できれば黒い奴には近づくなよ。お前の鎌は、大切な奴を守る時に使い」

「うん、わかった。そうする」


 その時、男性のうろたえるような悲鳴が聞こえた


 *


 路地から出て声が聞こえた方を見ると、スクランブル交差点の途中で、スーツ姿のオジサンが尻もちを付いていた。

 車が信号無視をして、交差点に進入したわけではなかった。今、車は走っていない。


 オジサンの2メートルほど先にいたのは、

「ダルマ?」

 手足を生やした、50センチほどの大きさのダルマが、でんと佇んでいた。あざ笑うかのように開いた口には、サメを思わせる鋭い歯がびっしりと並んでいる。


「エグい歯やな」

「なんですか? あのダルマは」

 夏樹の後ろから達磨を見た冬樺の声が、少し震えている。


「妖やろな」

 夏樹はポキポキと指を鳴らした。


「岩倉さん、まさか倒すつもりですか」

「そら、助けな。あのおっちゃん襲われてしまうやん」


「あんなの、倒せるんですか。勝算はあるんですか」

「さあな。やってみなわからん」


「夏のあんちゃん、ワシも助太刀するで」

 足元のカマイタチが、鎌を出して構える。


「頼もしいな。行くで! カマ吉!」

「大丈夫なんですか? っというかカマ吉?」

 冬樺の静止も気に留めず、夏樹は走り出した。


「ダルマー!」

 大声を上げる。

 ダルマの顔がオジサンから夏樹に向いた。狙い通り。


 路地からスクランブル交差点までは100m近く距離がある。夏樹なら6秒ほどあれば着くけれど、ダルマとオジサンは道の端と端にいるとはいえ、人の足で十数歩ほど。

 ダルマがどれくらいの速度で進めるのかがわからない。細い手足に筋肉は見えなくても、妖ならば何かの力を持っている可能性がある。

 自分に引きつけることで、ダルマの動きを制したかった。そのすきにオジサンが逃げてくれればと思ったけれど、腰が抜けているのか動かなかった。


 ダルマとの距離まであと5mほどになったところで、夏樹は高くジャンプした。

 空中で右足を延ばし、筋肉に力をこめる。

 夏樹の右足が、炎のような光をまとう。

 その足で、ゴールを狙うサッカー選手のごとき蹴りをダルマの側頭部に入れた。

 ばごっという打撃音とともに、ダルマは勢いよく三条通に飛んで行く。


「あんちゃん、すげー」

 着地した夏樹は、少し後ろにいたカマイタチに向けて親指を立てた。


 しかし、ダルマがすぐに戻ってくるのが見えた。

「あれ? 増えてへん?」

 大きなダルマを取り囲むように、10センチほどの小さなダルマが十数個、わらわらとついてきていた。


「うそやろ? 分裂しとる」

 驚きはしつつも、夏樹は戦闘態勢を崩さない。


 交差点を渡り切り、向かってくる小ダルマの一個をかわす。小さいながらも鋭い歯がついていた。

 かわした直後に小ダルマの後頭部をむんずと掴み、地面に投げつける。

 トマトのように、ぐしゃっと潰れる様を思い描いていたのに、


「うそやーん」

 小ダルマがボールのように跳ね返ってきた。


 蹴り飛ばした大きなダルマの戻りが早かったのも、電柱か植え込みに当たったせいだろう。

 小ダルマたちがぴゅんぴゅんと勢いをつけて、夏樹に向かってくる。


 統率は取れていないが、数が多く、バラバラに飛んでくるのがやっかいだった。まるで、水中でピラニアに襲われているようだった。


「痛っ‥‥‥」

 避け切れず、素手でガードした手の甲に、小ダルマが当たった。ナイフで切り裂かれたような、痛みと熱を感じる。

 霊力は攻撃に使いたくて、防御に使わないでいた。


「くっそぉ‥‥‥」

 避けているだけでは埒が明かない。走って小ダルマを避けながら、どうやって倒せるのか考える。

 視界に入った大ダルマは、ボス感を漂わせて佇んでいた。やっぱり親玉みたいな大きなダルマを倒すのが先か。

 大ダルマに向かおうと足を向けた。


「霧のあんちゃん、危ない!」

 カマイタチの焦る声に振り返ると、冬樺はオジサンを助け起こし、交差点を渡り切ったところだった。


 その二人に、小ダルマが3体跳ねて行くのが見えた。

 冬樺たちを助けに行くか、大ダルマを倒す方がいいのか。

 迷いが夏樹の動きを鈍らせた。


 すべての小ダルマが夏樹の周囲から消え、大ダルマが横切ろうとしているのが見えた瞬間。

 夏樹はとっさに、大ダルマに向かって腕を伸ばした。


「いっ!」

 小ダルマの比ではない、激しい痛みが前腕部を襲う。


 痛みを力に代え、大ダルマを掴んで地面に叩きつけた。

 大ダルマは跳ね上がるが、噛んでいた歯は腕から外れた。


 跳ねる性質なら、衝撃は吸収されるのかと夏樹は思ったが、ダメージは受けるらしい。

 しかし倒せるほどのダメージではなかったのか、どの個体も消えたり弱ったりしていない。


 夏樹は足にもう一度力をこめ、跳ねて落ちてきた大ダルマを蹴り飛ばした。

 大ダルマは路地の壁にべいんべいんと当たって飛んで行った。


 冬樺たちに目をやる。

 間に合うか?


 駆けだそうとした時、細長く光る何かがシュッとよぎった。

 光が冬樺に向かっていた小ダルマの1体に当たる。


 ぎゃあああ

 叫び声を上げながら、小ダルマの姿が崩れていった。すると他の小ダルマも同じように崩れ、消えた。


「な…に?」

 呆然としていると、

「啓一郎の弓よ」

 わずかな風を感じた直後に、真横で声がした。


「? 揚羽さん?!」

「あなた、ダルマの倒し方も知らないの?」


「あ…うん」

「ダルマから分裂した小ダルマは、各器官に分かれているの。心臓に該当する小ダルマを倒さないと、永遠にダルマと戦うハメになるのよ」

 揚羽が説明をしてくれている間に、夏樹の脳は思考停止から抜け出す。


「所長は、心臓を見抜いてぶち抜いたってこと?」

「さすが啓一郎ね」


「あんなにたくさんおったのに」

 後からやってきた所長が一瞬で退治した。

 冬樺の様子を見に行く啓一郎を、夏樹はかっこいいと尊敬の思いで見つめた。

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