第10話 天狗の揚羽

 食後、すぐにシャワーだけして、夏樹と冬樺は布団に入った。

 夏樹はベッドで、冬樺は夏樹のベッドの横に佐和が客用の布団を敷いた。

 一緒の部屋で寝ることを冬樺は躊躇っていたけれど、夏樹が「オレすぐに寝るから。気にすんな」と言って布団をかぶると、ごそごそと音がした。音の途中で夏樹は眠りについた。


 目覚まし時計が鳴って、目が覚める。

 夏樹は欠伸をしつつも、体を起こす。

 隣で冬樺も起きていた。


「おはよう」

「朝じゃないですけど」

「うん‥‥‥つい」

 夏樹はもう一度だけ欠伸をすると、布団をはねのけた。


「よし! 琥珀探しに行こう!」

「大声出したら、起こしてしまいますよ」

「そうやな。こそっと行かな」


 手早く着替えて、リビングに行くと、ダイニングテーブルにハンカチに包まれた物体がちょこんと乗っていた。

 包みをほどくと、ラップにくるまれたおにぎりが六個入っていた。


「佐和さんが、夜食に持って行きって。みんなで食べよう」

「僕ももらっていいんですか」


「分け合うの、当たり前やろう」

「ありがとうございます」


「食料は確保できたから、飲み物だけコンビニで買おうか」

 おにぎりをリュックに詰めて背負い、家を出た。


 待ち合わせ場所である所長の自宅マンションに行くと、すでに所長が待っていた。

「仮眠とってきたか」

 二人が頷いてから、所長が懐中電灯を渡してくる。

 ヘッドライトを頭にセットする。


「猫の目はライトで赤く光るようになっているから、見つけやすいだろう。体は見えないから、捕獲してみないと琥珀だとわからないだろうけど。もし捕獲する時は洗濯用のネットを使うように。あとおもちゃと、ちゅーると猫缶と」

 鞄から次々と出てくるグッズをリュックに収めていると、軍手を渡される。


「素手は危ないから、捕まえられそうな時は軍手を使うように。でも無理して捕獲しようとしてはいけないよ。琥珀と俺たちには信頼関係がないからね」

 注意を受けてから、三人での猫捜索が始まった。


 飼い主さんの家はならまちから少し外れた南にある。琥珀が保護されたのはならまちだった。

 昼間は観光客で賑わう通りでも、0時を回るとほとんど人はいない。

 深夜営業のお店にだけ煌々と明かりが灯り、酔客たちの声が漏れ聞こえてくる。


 路地に入れば、寝静まった住宅街で真っ暗の闇が広がっている。

 声や足音に気をつけながら、車の下や建物の隙間など、暗くて狭い場所にライトを向けながら。


 一時間ほど捜索をしていると、「琥珀? どこにいるの?」と囁くような女性の声が聞こえてきた。

「あの声って、もしかして飼い主さん?」

「うんそうだね」


 懐中電灯の明かりがちらちら揺れ、やがて20代前半頃の女性が姿を見せた。

「あら? 啓一郎」

「こんばんは、揚羽あげはさま」


「こんばんは。もしかして、琥珀を探してくれているの?」

「そうです。保護猫だったのなら、野良時代を思い出してしまっているかと思い、総出で探しています。岩倉夏樹と、霧山冬樺です。以後お見知りおきを。こちらは琥珀くんの飼い主、天狗の揚羽さま」


「天狗!」

 短くても驚いた夏樹の声が、辺りに響く。

 ワンワンとどこかで犬が吠える。


「うるさくて、すみません」

「構わないわ。ところで、琥珀の手がかりは、ありまして?」


「いえ、まだ何もつかめていなくて」

「あたくしも苦戦中よ。琥珀はどこへ行ってしまったのかしらね」

 ふーと悩まし気な溜め息を零す。


 揚羽はとてもきれいな声をしていた。

 聞くだけで心身の疲れを癒してくれそうな美しい声は、例えるなら迦陵頻伽かりょうびんがの歌声。

 透き通り、少しだけ甘い。まっすぐにすっと入ってきて、心をほぐしてくれる。


 声はめっちゃきれいやなあ、と揚羽の姿を見て、しかし夏樹は残念に思う。

 その身を包むのはジャージ。

 ランニング用のおしゃれなものならトレーニング中だとわかるけど、揚羽が着ているものは学生が使っているような、おしゃれより実用性を重んじている濃紺のジャージだった。左の胸元のロゴが、名前に見えてしまうほど。

 20代前半頃の若い容姿と相まって、より学生感が増す。

 見た目と声と衣装のギャップが激しくて驚くばかりだが、天狗らしさは、欠片もない。


「今夜見つからなければ、近鉄から北の地域や、JRの西や南にも範囲を広げていきましょう」

 捜索していた範囲を互いに伝え合ったあと、所長がした提案に揚羽は頷いた。


 それでは、と別れようとすると、

「所長さん。今夜はあたくしと共に捜索をしてくださる?」

 揚羽からの唐突な申し出。


「え? 俺ですか? 責任者として、未成年を二人だけにするわけには」

 所長は夏樹たちを理由に断るも、

「視たところ、お二人とも力があるではないの。もしもの時は、天狗の力ですぐに駆けつけますわよ。スマホもお持ちでしょう?」


 ほぼほぼ強引な勧誘のせいで、夏樹・冬樺チーム、揚羽・啓一郎チームに分かれて捜索し、成果があればスマホで連絡、なければ二時間後に猿沢池で待ち合わせることになった。

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