第8話 佐和

 二階建てハイツの一階に、夏樹は佐和と住んでいる。

「好きなとこ座っといて」

「お邪魔します」

 

 冬樺をリビングに案内してから、夏樹は台所に向かった。手を洗って、冷蔵庫を開ける。


「親子丼とサラダしよか。あと味噌汁と。具はどないしようかな」

「僕も作ります」


「ええよ。冬樺はお客さんしといて」

「お客扱いされたくないです。落ち着きません」

 台所に向かってくる冬樺を制したけど、冬樺は足を止めなかった。


「そうなん? スマホでも見とったらええのに。あ、Wi-Fiあるで。繋げる?」

「いいです。そんなにスマホに依存してませんから」


「そこまで言うんやったら、じゃあ手伝ってもらおうかな。早く食べれるもんな」

 冬樺と二人横に並んで、鍋に水を張り、具材をカットして、煮込んでいく。


「人と一緒に料理するって、久々やわ。教えてもらうときは佐和さんと並んで作ってたけど、中学入って当番制になってからは、一人で作るようになったからなあ」

「そうですか」


「冬樺もオカンと二人だけなんやな。オカンと一緒に作ってたん?」

「いえ。見よう見まねでやっているうちに、出来るようになりました。母はあまり料理が得意じゃなくて」


「冬樺はしっかりしてるから、オカンに仕込まれたんかなと思ってた」

「母はほわっとした人で、僕のほうがしっかりしてるとよく言われていました」


「看護師さんやのに?」

「不思議ですよね。命に関わる仕事をしている人が。僕も小さい頃はわかりませんでしたけど、仕事で気を張っているから、ふだんは抜けているのかなと。ふわっとはしてますけど、苦労もしてるんですよ。母は」


「そっか。ほんなら大事にしたらなあかんなあ」

「え? ええ、そうですね。岩倉さんの口から親を労わる言葉が出てくるとは、思っていませんでした」


「心外やなあ。オレにも家族おるねんで、佐和さん以外にも」

「そうですよね。複雑な事情があって、引き取られたのかなと思っていました」


「事情があるんやろうなあ」

「なんだか他人事じゃないですか」


「オレ、一時だけ記憶がなくなってるねん。佐和さんと暮らすようになったんは、7歳からで。なんでなんか覚えてなくてさ」

「7歳までの記憶はあるんですか」


「そこまでの記憶はあるねん。野山走り回ったり、家族で畑仕事して収穫した野菜を食べたり。なんとなくは覚えてる。けど、佐和さんと暮らすようになったきっかけが思い出されへんくて」

「思い出したいですか」


「家族がどうしてるんかなあっていうのは気になってる。それ以外は、記憶がなくても困ってへんから、思い出されへんでもいいけど」

「出身地は、わからないんですか」


「わからへんねんなあ。山の中を裸足で遊んでたのは、なんか覚えてんねんけど」

「裸足ですか。野生児だったんですね。高い身体能力は、その時に培われたものなんでしょうね」


「オレ、足には自信あるねん。かけっこで上級生にも勝ってたで」

「陸上競技やらなかったんですか」


「中学の時にいっぱい勧誘されたわ。陸上とかサッカーとか、野球の試合だけ代打で走ってくれとかもあったなあ」

「走ったんですか」


「するわけないやん。その時だけって都合良すぎるやんって言うたら、じゃあ入部しろって。一緒に優勝目指そう。得るもんがあるからって、熱弁ふるわれたなあ」

「いますね。そういうお節介な人」


「実感こもってるけど、冬樺も勧誘されたん?」

「僕の場合は‥‥‥勧誘ではないです」


「なんやったん?」

「‥‥‥人と接点を持ちなさいと」


「ああ。なんか遠いなあって思ってた」

「僕は僕の意志で、人と距離を取っています。それを、協調性がないと決めつけられました」


「なんでなん? いじめられたとか?」

「違います。いろいろ思うところがあって‥‥‥」


「そっか。冬樺にもいろいろあるんやな。オレらバディやから、仲良うやりたいって思ってるけど」

「仕事に支障はきたさないようにしますよ。それぐらいの分別はつきます」


「うん。わかってるよ。信じることから入ってええんやろ? 妖も人も一緒やから」

 冬樺に向けて、にかっと笑う。


「‥‥‥そうでしたね」

「まあでも、いつか夏樹って呼んで欲しいなあ。あと『ですます』も止めて欲しい」


「僕は、人を名前呼びしたことはありません」

「いつかの話やん」

 手を動かしながら話をしていると、玄関で物音がした。


 *


「佐和さん、おかえり」

 リビングの扉が開いて、パンツスタイルの佐和が姿を見せた。


「ただいま。きみが冬樺くんやね。啓一郎くんから教えてもらったよ。岩倉佐和です。よろしく」

「お邪魔しています。霧山冬樺といいます」


 にこやかに挨拶を交わし合った佐和が、「あれ?」と言って、冬樺を見つめた。

「冬樺くん、髪、黒に染めてるの?」


「あ、えっと」

 冬樺がさっと顔色を変えた。髪を隠すように手でさえぎる。


「もしかして、あれかな? ブリーチしすぎて似合ってへんくて、後悔しちゃったやつ?」

「そんな人おるん?」


 夏樹の疑問に、

「いるよ。ここに」

 佐和は自身を指差す。


「え?! 佐和さん、金髪にしてたん?」


「大学の頃にね。周りの人にちらちら見られるのが嫌で後悔した。でもな、友だちに言われて毛染めしたんよ。金髪は似合わへんかったけど、明るい茶髪ならおしゃれやなって。化粧の仕方も変えて。半年ぐらい楽しんだよ。でも、すぐにプリンになって、髪色戻し使って黒にしたけどね」


「そんな過去があったんや」

「やから、冬樺くんもそうなんかなって思って。もし、気にしてるんやったら、髪色戻し使った方がいいよ」


「あ、はい」

 冬樺はすっと手を下ろした。


 佐和はまだ、冬樺を見ている。

 冬樺は気まずそうに、身じろぎした。


「背高いね。夏樹も大きく育ったけど、きみは、夏樹よりもまだ高いね」

 佐和は立っている夏樹と冬樺を交互に見た。

 釣られて夏樹も冬樺を見る。


「なんですか」

「いや、オレより背高かったんやって思って」


「この身長だと、五十歩百歩じゃないですか。岩倉さんは、まだ伸びるでしょう」

「まだ伸びる? ほんま?」


「どうして嬉しそうなんですか?」

「嬉しいやん。伸びしろしかない」


「伸びしろは中身のことで、身長じゃないですよ」

「成長中ってことに変わりないやん」


「二人とも立派に成長してくれて、お母さん嬉しいわ」

「お母さんちゃうやん」


「お母さん気分だけでも味わわせてや」

「オレがおっても、気にせんと結婚すればいいやん。オレ仕事してるんやから」


「結婚はめんどくさいから嫌」

「めんどくさいって。なら所長で手打ったら? 所長も未婚なんやから」


「あいつだけは絶対に嫌! シャワーしてくるね」

 佐和はくるりと踵を返して、リビングの扉を閉めた。


「所長のこと、すごい拒否してましたけど、不仲なんですか」

「いんや。仲は悪くないよ。連絡は取り合ってるし、会えば普通に話すし」


「恋愛対象としては嫌ってことなんですね」

「そうなんかな。所長の実家、富豪らしいから、結婚相手としては悪くないと思うけどな」


「結婚に求めているのが、お金じゃないんでしょう」

「結婚はいらんけど、子どもだけ欲しいって、酔っ払った時に言ってたわ」


「モテそうですけどね。美人で」

「佐和さんって、美人なんや」


「年齢は知りませんけど、きれいな人ですよ。きりっとした目で、クールビューティーな感じです」

「オレにとってはゴリラやけどな」


「は?! ゴリラ?! どうしてですか?」

「めっちゃびっくりしてるやん。こっちがびっくりするわ。オレにとって佐和さんは親代わりやけど、師匠でもあるねん」


「なんの師匠ですか?」

「格闘技。あの人ああ見えて、力強いで。痴漢撃退のために合気道習ってたんやて。今も体力作りのために、ランニングしてるで。ジムも通ってるし」


「スリムだなと思っていましたが、筋肉だったんですね」

「佐和さんにケツバットされてみい。ケツ割れるで」


「ケツバット、ですか? どういう状況でそうなるんですか? それも修行の一環ですか?」

「ゴリラって言ったら蹴られた」


「‥‥‥そうでしょうねえ」

 呆れた顔で冬樺が見てくる。


「や、だってな、佐和さんめっちゃ強くて、全然勝たれへんねん。子どもの時は大人相手やからしゃーないって思ってたけど、小6ぐらいから急に背伸びて、筋肉もついてきたら、勝ちたいって思うやん。でも勝たれへんくて悔しくてさ。で、つい」

「言ってしまったんですね」


「その頃は、先生――佐和さんと所長の師匠が生きてはったから、先生大笑いして。したら、佐和さん、顔サルみたいに真っ赤っかにしてさ、でケツ蹴られた」

「当たり前だと思います。それいつの話ですか」


「んー、中2やったかな」

「わりと最近ですね」


「一週間ぐらいケツ痛くて、あれからオレの中でゴリラは禁句になった」


「夏樹! 今ゴリラって言ったあ?!」

 リビングのドアが勢いよく開く。


「いいっ!? なんで聴こえんねん。地獄耳すぎるやろ」

 迫ってくる佐和に尻を向けないように後じさり、近くにあった鍋蓋を取った。とっさに身を守ろうとしたけど、その鍋蓋ではあまりに小さい。


「やっぱり言ったんや!」

「勘弁してや。説明しただけやん」


「人のこと紹介するのに、ゴリラは余計や!」

「佐和さん、あかんって。バスタオル一枚で来んなや。冬樺、びっくりしてるやん」


 はっと動きを止めた佐和が、

「あああ」

 悲鳴を上げながら慌てて廊下に出た。一度閉めた扉を開けて顔だけを出し、

「二度と言うな!」

 忠告して消えた。

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