第7話 夜の捜索
「ただいまあ」
夕刻、夏樹は事務所に戻ってきた。一階で買ってきた一口サイズの抹茶餡饅頭をぽいぽいと口に放り込む。
「おかえり、どうだった?」
ソファーにどさりと座り、足を投げ出しながら、所長の質問に答える。
「足ぱんぱんやわ。疲れた」
「収穫はなしか?」
「高畑の学校近辺を探してみたんやけど、『琥珀』っぽい猫の目撃情報はなかった。簪さんの方はどうやった?」
「こっちは収穫あったぞ」
「マジで!」
ぴょんと起き上がる。ローテーブルにのっていた紙が、はらりと動いた。
向かいで電話をかけ終わった冬樺が、慌てて手で抑える。
「岩倉さん!」
「ごめんって。ほんで、職人見つかったん?」
「見つかったよ。
「すごい職人さんやったんや。ほんで清さんのは?」
「遺っていない」
所長からの予想外の言葉に、一瞬、言葉を失う。
「‥‥‥え? 後継いでないってこと?」
「どうなんだろうな。この簪を作っているんだから、修行はしていたはずだけどな」
机の上、ハンカチに乗せた簪に所長がちらりと視線を送る。付喪神の姿は、今はいない。でも、会話は聞いているだろう。
「そっか。なんか残念」
「あと、簪さんが、娘さんの名前を思い出したぞ」
「娘さん? 清さんとハルさんの子ども?」
「そうだ。ヒロコさんというらしい」
「福栄ヒロコさん? あ、でも結婚して苗字変わってるかもやなあ」
パズルが埋まるように、ピースがちょっとずつ集まる。でもまだ形が合わなくて、はまらない。
「骨董屋で作品の取引があっても、人物までは知っている人がいないですね。玄さんにしても、保さんにしても」
冬樺が言う。ローテーブルの上の用紙には、チェックマークや×〇が書き込まれていた。夏樹が外を駆けまわっていた頃、冬樺は電話をかけていたのだろう。
「ネット検索と、コレクターや骨董屋からの情報収集を続けよう」
「SNSでも、呼びかけてみます」
所長は頷いたあと、「今日は業務終了にしようか」と続けた。
ここで、夏樹は考えていたことを口にした。
「所長、オレ夜中に、琥珀を探してみようかと思ってるんやけど。いいかな?」
え? と所長が驚いた顔を見せた。
「猫って夜行性やん。昼間、隠れて寝てる方が探しやすいかと思ったけど、どこに隠れてるんか見当もつかへんから」
「猫は夜行性じゃないよ」
「え? ちゃうんですか!」
そこを否定されるとは予想もしていなくて、夏樹は驚く。
「夕方、日の沈むころと、朝の早い時間が活動時間なんだよ」
「勘違いしてた。夕方はさっき探したから、じゃあ明日早起きしようかな」
冷静な口調で教えられて、捜索時間の変更を考える。
「琥珀は、保護猫だったな」
一年ほど前に保護され、半年前に引き取った三歳の猫だと所長から聞いた。
「それなら、野良の頃の習性で、夜中に活動している可能性もあるかもだが‥‥‥」
所長もうーんと考えて、顎髭をなでる。ちりちりと音がする。
「夜に出歩くのは、あまり関心できないな。妖の力が強まる時間帯でもあるし」
「もうじき新月やから、力が弱まっていく今の時期しか無理かなって」
「夏樹にとっても同じ条件だろう」
「オレはもともと持ってるもんがでかいから」
新月まであと五日。月の力が届かなくなるため、
夏樹と所長の霊力も、ゼロにはならないが、減ってしまう。
「それなら、俺も同行するよ。責任者として未成年の夏樹を夜中に一人で働かせるわけにはいかないからね」
所長と二人で夜の捜索に赴くことが決まると、
「それなら、僕も付き合います」
冬樺も声を上げた。
「いや、冬樺は家に帰りなさい。親御さんが心配なさるから」
「今日は大丈夫です。夜勤なんで」
「夜勤のお仕事なの?」
「はい。母は看護師なんです。父はいないし」
「家はどこだっけ」
「
近鉄奈良駅から大阪方面で四駅先の駅になる。
「一度帰るかい? このまま事務所にいてもいいけど」
電車の時間はあるけれど、今からだと四時間もしないうちに戻ってくることになる。
「二人はどうされるんですか」
「俺は一度自宅に帰るよ」
と所長。
「オレも帰る。今日、オレ飯当番やし、佐和さんにも言っとかんと」
夏樹が言うと、軽く目を見開いた。
「料理できるんですか?」
「以外って顔するなあ。佐和さんに教え込まれたから、それなりには作れるよ。冬樺は?」
「作れますよ。母に全部やってもらうわけにはいきませんから」
「オレと環境似てるな。うち
「いや、それは‥‥‥」
「かまへんて。遠慮すんなや。飯食って、仮眠取ってから動こう」
夏樹の誘いに、冬樺は迷う様子を見せる。
「佐和には俺から連絡しておくから。しっかり休んでこい。それとも、枕が代わると寝れないタイプか?」
「いえ、大丈夫ですけど」
所長の質問にNOと答えたことで、岩倉家での休憩が決まった。
*
夏樹の住居は、JR奈良駅の西側にある、三条湊川町。
事務所からは徒歩で30分ほど。
「0時に俺のマンションの下で集合な。アラームかけろよ」
そう言って所長は自転車を漕いで先に行った。
「所長の住んでるマンションもJR奈良駅の近くにあるねんけど、チャリやねん」
「岩倉さんは歩きですか?」
「歩いたり、走ったり。オレ体力はめちゃくちゃあるから、平気やねん。冬樺はきつい?」
「30分ぐらいならまあ。でもただ歩くだけなのは、苦手です」
「マラソン嫌いな人?」
「嫌いです」
「無心で走ればいいだけって、気持ち良くない?」
「気持ち良くないです」
「そっか。冬樺は頭使うほうが得意そうやもんな」
「そうでもないですよ。学生のときは、やることがないから勉強していただけで。だから、進学してまで勉強はいいかなと。母は行って欲しかったみたいですけど」
「オレも佐和さんに高校ぐらいは行けって言われたけど、学校って窮屈やなって思ってて。好きなときに走り回りたいからさ。ずっと机に向かってんのがしんどくてな。所長の仕事、手伝いたいって言ったらわかってもらえた」
「妖のための仕事があるなんて、知らなかったです。やりがいはありそうですね」
「そやろ。まあ、一癖も二癖もある奴らばっかりやけどな」
「人とは感覚が違いますから」
「でもなんか健気やん。オレらより遥かに長い生があるのに、人の社会に馴染もうとしてさ」
「馴染めない妖もいるでしょう」
「オレは、まだそういう妖とは会ったことないなあ」
「すべての妖を信じない方がいいですよ」
「意味深な言い方するなあ。なんか嫌な経験したんか?」
「え‥‥‥別に。岩倉さんのことだから、信じすぎるんじゃないかなと思っただけです」
「信じて裏切られたら悲しいけど、最初から信用できひんっていうのも、切ないなあ」
「だったら、岩倉さんは、信じることから入ればいいんじゃないんですか。結果はどうなるかなんて、誰にもわかりません。信じてもらえたことを喜ぶ妖もいるでしょうし。あ、猫!」
「どこ!」
「フェンスを越えて、入っていきました」
一軒家が立ち並ぶ住宅街に、空き地があった。しかし、金網のフェンスで囲われていて、飛び越えないと入れない。
フェンスの高さは夏樹の頭より高い。でもジャンプをすれば、手が届きそうだ。
「よし。入るか」
「ええ? 許可は得た方がいいんじゃ‥‥‥」
夏樹はジャンプをしてフェンスに手をかけると、ひょいと体をひきあげた。金網につま先を入れこみながら、よじ登ってフェンスを跨ぎ、向こう側に着地する。夏樹にとっては、これくらい、大した労力じゃない。
「なんか聞かれたら、うまいこと言っといて」
「ちょっと‥‥‥待ってください」
うろたえた様子の冬樺を置き去りにして、夏樹は空き地の奥に歩を進める。
「琥珀? いてるんか? 飼い主さんが心配してるで。家帰ろう?」
小声で呟きながら、伸びた雑草をかきわける。
周囲はどんどん暗くなり、家々から漏れてくる明かりが強くなってくる。
そんな中、鋭く光る2つの丸いものと目が合った。
様子を窺うように、じっとしている。
体ははっきりと見えない。
「こっちおいで」
ショルダーバッグから猫用ちゅーるを取り出したところで、猫がだっと逃げ出した。
「あ! 待ってや」
追いかける。
夏樹が跨いだフェンスに向かっていく猫。
その先には冬樺がはらはらした様子で、落ち着きなく待っていた。
「岩倉さん?」
走ってくる夏樹に目を留めた。
「そっち出たら捕まえてえ!」
「え? え?」
ところが、猫はフェンスの手前で大回りをして夏樹をやり過ごし、隣家のブロック塀にひょいと上がってしまった。そのまま、向こう側に飛び降り、姿を消した。
「ああ、行ってもうた。柄、見た?」
「はい。グレーが多かったので、おそらくサバトラだと思います」
「キジトラと違ってたんか?」
「鼻の色も違っていました」
「そっか。違うんやったら、仕方ないな。追いかけて悪いことしたわ」
申し訳ない気持ちで猫が去った塀に目をやってから、夏樹はフェンスを跨いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます