雨とカステラ

岩塩の粒

雨の日

梅雨の雨は容赦なく降りしきり、雨戸を叩く。嘆きのような音が響、静寂な居間に喧騒をもたらす。雨音は収束し次第にリズムを形成していく。その旋律に耳を傾けながら静かに揺れる一人の少女がいた。座布団にちょこんと、座り楽しげに聞き入っている。その姿は腰まで届く白銀の髪に雪のように白い肌、瞼に遮られた玉虫色の双眸は宝石のように怪しく輝く。何より目を惹きつけるのは頭にそびえる鹿のような角と、先ほどから体に合わせゆらゆら揺れる髪や肌と同じ白銀の鱗に包まれた尾だろう。


 彼女は『蚕蚕木雪かひこぎ ゆき』旅館『白湯はくゆやかた』の娘だ。


 指先でふわりとした髪をいじり、細めた瞳は窓の外を見つめていた。幻想的で浮世離れしたその姿は美しく、見るものを虜にし、どこか憂げな雰囲気は近寄りがたさを感じさせる。そんな彼女は今物思いに耽っていた。



 (甘いものが食べたい…)。私にとって砂糖は、甘さは最大の至福なわけでして、それが無いということは正にルーのないカレーのようなもので、絶賛枯渇状態の今すでに私は禁断症状寸前にまで陥っていました。買いに行こうにもあいにくの大雨で川が増水。緊急警報が発令され外出を自粛するようにお達しがあったばかりですからね。雨音を聞いているのも、なんとか飢餓感を逸らそうとしているだけなので、可愛い私を堪能するならばまた別の機会にしてほしい。なんてだれも見ているはずがないのに、そんな突飛な思考が脳裏をよぎる。


「疲れてるのでしょうかね……」


 突然ですがこの旅館には雪以外にもう一人変わった存在がいます。名は『満引潮みちひき うしお』まあ細かいことを省くと私の幼なじみですね。はい。とても真面目で仕事熱心。別にこの家の人間でもないのに私に代わって、旅館の仕事を手伝っていたりと肩に力の入りすぎた堅物ちゃんです。そんな彼女のことが大好きな私は、彼女と共に暮らしているのですが……

 今日は朝から会っていません。彼女にカステラでも買ってきてもらおうと、思っていたのですが仕方ありませんね。

 

と、おや?おやおや?これはこれは成程成程。いつも潮には力を使うなと、叱られています。まあ私は彼女の言いつけは基本的に守ります。良い子ちゃんですから。ですが、誰かに祈られた場合は例外です。そう言う責務ですし、決してやましい気持ちなどありませんから。

 

 ───哭け・唄え・踊り狂え


 一節。轟音が響く。咆哮が天を割り、曇天の大顎が地上を飲み込まんと口を開き、空がうねり雲が吠え、形と成す。山々に風が吹き荒れ、木々を薙ぎ倒し万象を飲み込む大気が次第に生み出された。一人の少女の願いにより


 ──全てを喰らう龍が生まれた

 


 


『本日正午。神奈川県南西部の線状降水帯が突如として消失しました。気象庁は同刻、太平洋沿岸にかけて上空に発生した、巨大な水質物体との関連性も視野に、調査を進めているとのことですが、原因は今のところ不明としています。次のニュースです。同じく神奈川県南西部で河川の増水により、8歳の少女が本日午後4時に下流にて発見されました。その後病院へ搬送され命に別状はないとのことです。次の──』


「あ!何で消すの〜」「何でじゃない。今話の途中でしょうが」


 目の前で美味しそうにカステラを頬張る雪は、テレビを消されたことにご立腹なようだ。自分がしでかしたことの大きさをわかっているというのに、この態度なのは肝が座りすぎて正直怖い。この事態を起こしたのは他でもない、私の幼馴染の雪であった。ふと、仕事中に異様な雰囲気を感じ窓の外を見てみれば、巨大な水の龍が空を飛んでいて、次第に気がついたスタッフやお客様にも騒ぎが波及し、私はそれを鎮めるためにあちこち走り回る羽目になった。結局自体が治ったのは、午後三時を回ったところでへとへとに疲れて部屋に戻ると、くつろいでいる彼女がいたと言うわけだ。


「良いじゃん潮。私は女の子を助けるために力を使ったのです。カステラはそのご褒美だよ」


 ぷく〜と頬を膨らませて反論する雪。正直その姿はすごく可愛くて、怒る気も失せかけるのだが、それはそれこれはこれだ。この美少女はあとで思う存分可愛がるとして、今は問いただすべきことが多すぎる。


「それにしたって雨雲全部飛ばすのはやりすぎ。どうせスイーツ目当てでしょ?お店空いてたの?」


 「お店は閉まってたし落ち込んだけど『はいこれ余ってたから』って貰ったの。しっかりお礼も言いました!」


 凄まじいドヤ顔で胸を張る。どこにいばれる要素があるのかまるでわからず、呆れかえる私。ていうかやっぱり菓子目当てだし、しかも買わずにもらってきたという始末だ。まあ雪のことだから駄賃はしっかり払っているんだろうけど、また謝罪すべき案件が増えたと私の頭が悲鳴を上げる。


「それに雨ごと全部持って行ったほうが楽でしょ?このあたり崖崩れも多いんだし。むしろ供物以上の働きだよ」


「供物って……んな神様みたいに」「だって神様でしょ私たち」

 

 雪は平然と言ってのける。それ自体は否定しようのない事実だ。私と雪はもともと人間だ。だが今の私たちは川や天候を司る龍神になっている。細かい経緯は省くけど、雪は神社でお祈りをしていたから、私は彼女の血を飲んだことで、結果的に神様になってしまったというわけだ。まあ彼女のこういう思考は人だった頃からのものだから、気にしても仕方ないのだけれど。思考も姿も、ますます人間離れして行く彼女を見ていると、私にはいつか雪が遠くに行ってしまいそうな、そんな気がしてならなかった。


「な〜にぼけっとしてるのさ。大丈夫、私はどこにも行かないよ」


 見透かしたように微笑む彼女はどこか儚げで神々しい。

 

 ──ああ、やっぱり私は雪が嫌いだ。人の気持ちも考えずに、いつもいつも自由奔放で迷惑かけても謝らない。そのくせこっちの考えてることは、全部お見通しで、顔も声も振る舞いも、全てが憎たらしいほどに可愛くて、それを理解して私を籠絡する。私なんかは釣り合わない程天上の存在。


 ──ああ、やっぱり私は潮が好きだ。真面目で優しくて、いつも誰かのために体を張って、私なんかのためにここまで真摯になってくれる。いつも卑下しているけれど潮の黒髪も碧い瞳も、真っ白な私にはない"色"がある。憧れて君になろうとしても決して届かない最愛のあなた。


『せめて、私は彼女の隣にいたい』『せめて、私は彼女のことが欲しい』


 ──それが二人の願いだ

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雨とカステラ 岩塩の粒 @iwashio

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