【短編版】もののふ令嬢、王子を娶る! ――魔法無能者と虐げられていた少年王子は、魔法王国の至宝でした――

石和¥「ブラックマーケットでした」

【短編版】もののふ令嬢、王子を娶る! ――魔法無能者と虐げられていた少年王子は、魔法王国の至宝でした――

「シンティリオ辺境伯家令嬢。お待ちを! どうか、お腰のものをこちらに……」


「断る」


 王宮の廊下をくわしに、城の衛兵たちが必死で追いすがる。

 いまにも王国北部が戦場になろうというときに、北端の辺境伯領から七百キロメートルキロメトロ以上もある王都まで呼び出されたのはなんの嫌がらせか。よわい十六の若輩とはいえ、わしは辺境伯領軍の野戦指揮官コマンダンテ。開戦時に不在となれば戦況は大きく変わる。

 これで益体やくたいもない用であれば、相手が国王でも怒鳴りつけてやろうと心に決めていた。


「登城の際に武器を預けることは……」


王国法武装規定そんなことは知っておる。平時であれば従うが、いまは戦時。国王陛下からの“危急の用”とやらで召喚よびだされたから仕方なく参ったまでのこと。用が済み次第、わしは辺境伯領戦場へと戻る」


「ですが」


「鞘と柄は、規定通り封印魔道具シジッロで留めておる。それ以上の拘束しばりは受け入れられん」


 彼らとて、事情は察しておるのじゃろう。その上で手荒な真似をせんのは、我が家門をおもんぱかってのこと。そして、殺気走ったいまのわしには触れたくないというのが正直なところであろう。対応を決めかねている兵たちに、わしは視線だけを向けて釘を刺す。


「貴君らに恨みはないがの。我が辺境伯家シンティリオは建国から続くマジーア王国最強の武門。北部国境を挟んで帝国との最前線を支え続けてきた、国防くにもりの要じゃ。止めたくば、力を以てせよ」


 そう告げると、兵たちは黙って引き下がった。

 それでよい。ただでさえ面倒な予感がしておるんじゃ。さっさと済ませて帰りたい。とはいえ、そうもいくまいな。呼び出しを受けた玉座の間までやってきたとき、なかからゴチャゴチャと揉める声が聞こえてきよった。

 扉に手を掛けるが、なかから押さえておるようじゃの。はるばる呼び寄せておいて何様のつもりじゃ。怒りにまかせて蹴りつけると、分厚い扉は砕けて吹き飛ぶ。


「イデア・シンティリオ、王命により参上つかまつった!」


 転がった従者たちを踏み越え玉座の間に入ったわしを、誰もが恐ろしげな顔で見よる。

 王都の貴族どもが群れておる先で、玉座の前では茶番劇が繰り広げられておった。


王子エフェット! 貴様と“聖女”ピエタ嬢との婚約は、いまこの場で破棄する!」


 わしは小さく溜め息を吐く。揉め事どころの話ではない。この上ない厄介ごとの真っ最中ではないか。


「兄上。それは、どういうことでしょうか」


「ふんッ、なんと愚かな! ハッキリ言わねば分からんのか!」


 玉座の前でふんぞり返っておるのは金髪の優男。立太子の式典で見た、お飾り王太子のカウザ殿下じゃな。対しておるのは、幼げな顔をした十歳とおやそこらのわらし。エフェットと呼ばれておったので、第三王子エフェット殿下であろう。


「我がマジーア王国は、誇り高き魔導適性者アルディートの国。その王族に連なる者が、魔法を使えんなどとは許しがたい罪だ!」


 がなり立てる王太子カウザの隣で、どこぞの小娘が胡散臭い笑みを浮かべる。


「わたくしも残念ですわ。成人となる十五の歳まで待つというお話も出ておりましたが、本当にあと四年も待つ必要があるのかと……」


「その通り! そしてピエタ嬢は、十四歳にして聖魔法の覚醒を見た! この国の“聖女”となる才媛と、魔導無能者ティミドの貴様ごときが婚約を結んでいるなど言語道断!」


 どうでもいい話と聞き流しておったが……案外これは闇が深そうじゃの。

 ピエタという名で思い当たるのは、カプリチオ公爵家の長女。カプリチオといえば王国南部に集まる魔導適性者アルディート至上主義貴族の領袖。古い家門ではあるが、政争に長けた先代公爵が没してから急速に権勢を失っておる。

 その長女が突然、癒しの力に目覚めたとの噂が貴族の間に――いくぶん無理な広め方で――飛び交っておったが、いつの間にやら聖女にまで祭り上げられたとは。


「陛下の決定であれば構いません。王族の婚約など、政略的問題まつりごとでしか……」


「黙れ無能!」


 なんと、王太子カウザはエフェット殿下を殴りつけよった。倒れたところを蹴りつけ、踏みにじる。

 あやつ、齢は十七、八だったはずじゃが、まさか十やそこらの弟を打擲ちょうちゃくするとは。


「貴様が決められる立場だとでも思っているのか! 這いつくばって許しを乞え! 薄汚い魔導無能者ティミドごときが! “聖女”に近づこうとした無礼を詫びろ!」


 言っていることが無茶苦茶じゃの。激昂して殴り、蹴り続けるさまも正気の沙汰とは思えん。

 国王はなにをしておるのかと玉座を見れば、魂が抜けたような表情でぼんやりと騒ぎを眺めるばかりじゃ。立太子の後に病を得たと聞いたが、あれは寿命じゃな。気力が萎えかけておる。人としての命はわしの知るところではないが、王としての命脈は尽きたようじゃの。

 それより気になるのは、わしがこの場に呼ばれた意味じゃ。


「貴様などは生きていること自体が罪なのだ! わたしがこの場で、報いを与えてやる!」


 気の触れたようなことを喚き散らしながら、王太子は幼い弟王子に魔術短杖バケッタを向ける。脅しにしては戯れが過ぎよう。が、杖に魔力が込められたのを知ると、考えるまでもなく身体は動いた。

 わしは踏み込みざま、王太子の持つ杖の魔珠を指で弾く。


「なッ⁉」


 魔珠が粉微塵に吹き飛んだことで王太子は息を呑む。


「大概になされよ」


 王太子を見据えるわしの声に、玉座の間が静まり返る。

 王族を守る近衛兵たちは、武器に手を掛けて身構えておる。王族同士の争いに手を出すわけにはいかんかったんじゃろうが、臣下わしの介入となれば話は別じゃ。

 玉座の王はといえば兵を止めるでもけしかけるでもなく、腑抜けた顔のままでなんの反応も見せん。これはつまり、じゃな。


「立てるか、ぼん


 倒れていた幼き王子に手を貸し、起き上がらせて服の埃を払う。ちんまりした子犬のようなわらしではあるが、見た目よりも鍛えておるようじゃ。触れた手から感じられる魔力は強く、魔圧も高い。大した怪我もしておらんのは、魔導無能者ティミドならではの魔力循環による身体強化か。


「うむ、よき男子おのこじゃ」


「……あ、ありがとう、……ございます?」


 これは、僥倖ぎょうこうであったかの。そう思っていたわしの背後で棒切れが空を切り、頭に叩き付けられる寸前で止まる。

 カウザは振り下ろした魔術短杖バケッタが指二本で押さえたられたのに驚いておるが、驚くのはこちらの方じゃ。


わらしの次は、女子おなごつか。ご立派な王太子じゃの」


「き、貴様ッ、なにをした!」


「愚問ですな。玉座の間で攻撃魔法を放つなどというを、見かねて止めたまでのこと」


「わたしの魔術短杖バケッタに、なにをしたのかと訊いている!」


 自分のことであろうに、見ておらんかったのか。あるいは見てもわからんほどの阿呆か。


「さあ。女子おなごの指が触れただけで壊れたのだとしたら……」


 わしは王太子の目を見て笑う。


だったのでしょう」


 杖と相手を重ねるようにいうと、王太子の顔がみにくく歪んだ。


「貴様ッ!」


 王太子は必死に杖を取り返そうとするが、抜けるどころか微動だにせん。そもそも魔導師は距離を置かねば戦闘たたかいにならんのじゃ。懐に入られれば勝てんことくらいは、知っておって当然なんじゃがの。


「くッ! くそッ! なんなんだ、貴様はッ!」


 ダラダラと汗を流し息を荒げながら吠えるが、誰も止めず助けにも入らん。それを見るだけで、こやつの人望がうかがえるというものじゃ。


「近衛兵! なにをしている! こいつを殺……ぐぇッ!」


 わしが指を離すと、すっぽ抜けた王太子は杖ごと転がって軽い音を立てる。

 王族が自分の敵わない相手に向き合うとき、部下や臣下を動かすのは間違っておらん。判断が遅すぎ、戦力の読みが甘すぎるだけじゃ。


「笑わせてくれますな」


 武器を構えて近づいてくる近衛兵たちは、驚くほどに戦意がない。見た目は無手の令嬢でしかないわしを、排除すべきか説得すべきか迷っておるのか。王族を守るためならば手段なぞ選んでどうするんじゃ。


「お飾りの兵に、を、教えて差し上げる」


「もうよい」


 玉座の国王陛下が手を上げ、ぼそりと呟く。

 その声を聞いた貴族たちが胸に手を当て、近衛兵たちが片膝をついた。わしも胸に手を当ててはおるが。そこに敬意はない。自らの立場を表明するだけの、形式上のものじゃ。

 国王の判断が読めてきたいま、国父として仕えるべき相手とは思えんようになっておった。


「父上! この女は不敬罪で処刑するべきです!」


 王太子カウザの抗議を無視して、国王は列席した貴族たちに告げる。


「聞いての通りだ。今宵を以て、王子エフェットと“聖女”ピエタ・カプリチオとの婚約を解消する。その上で、王太子カウザとの婚約を結ぶ」


 貴族たちからの、どよめきとざわめき。半分は喜び、だがもう半分は困惑に近いようだ。

 こちらを見据えたまま、国王は続けた。


「エフェットには王籍からの排除、……そして、辺境伯家シンティリオへの臣籍降下こうかを。……これは、王命である」


 王命というより懇願であろうな。ピエタの母であるカプリチオの細君も、カウザの母である第二王妃も。元は帝国の出。北部国境を侵犯するより早く、王都が浸食されたというわけじゃ。

 王は傀儡として取り込まれ、もはや身動きがとれぬ。帝国に併呑された小王国ぺスカの血を引く末子エフェット殿下は排除の対象、このままでは事故か病で消されるであろうな。それを避けるには、辺境伯領きたへ逃がすより他にない。


「願ってもないことじゃ!」


「えッ⁉」


 傍らで立ち尽くしたままのエフェット王子が、不安そうな顔でわしを見る。

 なにを縮こまっておられるやら。まったく、広く世を見通す傑物に限って、己が器だけは測ろうとせぬ。その身に宿す力は、龍にも及ぼうというのに。

 王の言葉は口先だけではなく、文官から王家の印璽がされた婚姻の契約書を手渡される。それを受け取り懐に納めると、わしは登城して初めて心からの笑みを浮かべた。


「国王陛下に、感謝を申し上げる!」


「おい! さっさと持ってこい!」


 王太子カウザが近衛兵たちを怒鳴りつけ、運ばれてきたものをこちらに蹴り出してくる。

 見ると、大人が乗れるほどの木馬であった。それは前後にふたつの車輪がついていて、ゆらりと揺れながらも倒れずに転がってきた。


「くだらん魔道具おもちゃを作るだけの魔導無能者のうなしは用済みというわけだ! 目障りなゴミを持って失せろ!」


 目の前まできた木馬を手で止めると、触れたところにほのかな光が生まれた。


「なんじゃ、これは?」


「……わたしが作った、【指向性加速魔法陣リベラツィオーネ】の検証機です」


「ほう……?」


 紋様に見えていた木馬の装飾は、魔法陣チェルキオであった。おそらく、線を描いているのは魔物から取り出した魔珠を聖銀と混ぜたものじゃろう。わしが指で触れるたび、柔らかな光が魔導回路チルクイトを浮かび上がらせる。

 魔導無能者ティミドであるわしに魔法は使えんが、魔法陣の基礎知識は頭に入っておる。光を目で追ううちに、これが何なのかに気づく。

 末王子エフェットが、なにをなそうとしていたのかも。


「無能が検証など、笑わせてくれる! “魔導無能者ティミドの能力を戦場で開花させる革新的技術”、だったか? ヨタヨタと無様に這い回るだけのゴミではないか!」


 王太子は無粋な口をはさみよるが、耳障りな罵りも貴族たちの追従笑いもわしの耳には入らん。指でひとつずつ紋様に触れ、浮かび上がった陣形から接続と構成をたどる。機能と目的を探る。


 “入力イングレッソ”と“参照リフェリメント”の間に、最低限の“選択シェルタ”が挟んであるだけ。木馬に込められた設計意図は、恐ろしく単純で明快じゃ。

 極限まで単純化させたのは、確実な起動と長期的な堅牢さを確保するため、そして無駄な魔力消費を避けるためじゃろう。その徹底した割り切りは、辺境伯領で武器や道具に求める条件に近い。確固たる意志が成した機能は、まさに革新的であった。


――これならば、武人の蛮用に耐え得る。


 木馬の頭に手を置くと、首輪の小さな飾り文字が瞬く。

 “必然的帰結コンセグエンツァ”……第三王子殿下の名である“結果エフェット”に掛けたものだとしたら、密かに刻んだ設計者の銘なのかもしれん。

 わしの記憶の中で、かつて聞き及んだ知識と繋がってゆく。


「なんとも、凄まじいものを作り上げたもんじゃの。ぼん、やはり、ぬしは大人たいじんじゃ!」


「え?」


 子犬のような王子を撫でまわしたい欲求を押さえる。幼気いたいけな童といえど、ひとかどの成果を挙げた男子おのこには無礼が過ぎよう。


「いますぐ出ていけ、エフェット。慈悲深い国王陛下は、貴様に領地を下げ渡すそうだ。辺境伯蛮族領とに接する、ぺスカの地をな!」


 吐き捨てるような王太子の言葉に、周囲の貴族たちから一斉に笑いが起きる。

 ぺスカは帝国に併呑された小王国で、亡くなったエフェット殿下の母君クオーレ妃の母国じゃ。そのためマジーア王国は帝国による併呑を認めず、自国の外縁領として扱ってきた。

 その後は辺境伯領軍が帝国軍を押し戻したことで緩衝地帯となり、現在いまふたたび戦場になろうとしておる悲運の地。

 汗も血も流さず守りもせんかったものを“下げ渡す”とは、ずいぶんと馬鹿にしてくれたものよの。


「兄上。国守の要である辺境伯家に対し、あまりに無礼な物言いではありませんか」


「知ったことか。シンティリオなど貴様と同じ、を振り回すしか能のない魔導無能者できそこない亜人半獣の巣窟……」


 ぶわりと、怒りが身中に湧き上がった。


「よく、聞こえませんでしたな。王太子殿下。いまシンティリオの民を、なんと?」


「……ぐ、ッく……」


 剣は抜かぬし、手も出さぬ。ただ確固たる意思を込めた圧だけを送る。虚弱な王太子はそれだけで口を閉ざし、蒼褪めた顔で震え上がった。周囲の貴族たちまで硬直して息を呑み、婦人のなかには倒れる者まで出る始末。


「シンティリオ、辺境伯家令嬢ッ」


 見かねた近衛兵が止めに入ろうとするが、城の飾りでしかないこやつらに、わしを止めるほどの力はない。


「おや、これは失礼。ご高説いただいた魔導適性者アルディートというのは、ずいぶんとひ弱なものですな。魔導無能者ティミドの魔力に触れただけで恐慌状態パニーコですか」


 体内魔力を魔法として放出可能な魔導適性者アルディートと違い、常に体内循環し続けている魔導無能者ティミドの方が魔力量や魔圧は高い。

 さらに魔力を身体強化に振り切って行使し続けてきた辺境伯領の猛者たちなど、魔力だけで言えば質量ともに宮廷筆頭魔導師を優に超える。


「思い上がるなよ、イデア・シンティリオ! 貴様ら、ごとき……我らが戦場に立てば、戦術魔法で粉微塵に……ッ!」


戦闘未経験者きむすめほど甘い夢を見るものじゃ。そのくせ殺意に触れると、たちまちを垂れ流して泣き喚く」


 わしは笑いながら近づくと、王太子にしか聞こえない声で囁く。


「この場で、試してみますかな?」


 カウザは両足をすり合わせ、脂汗を流しながら小さく首を振った。

 武士もののふ温情なさけじゃ。わしが威圧を解くと、王太子は崩れ落ちるように膝を突く。


「では。戦時ゆえ、これにて帰参させていただく」


「……戦は起きぬ」


 玉座の主が、他人事のように言うのが聞こえた。目を向けるが、王は顔を伏せたままこちらを見ようともせん。


「停戦命令は下った」


 代わりに言ったのは王太子カウザ。貴族たちの前で虚勢を張ったか、顔色が悪いまま勝ち誇ったような声を上げる。


王命を伝える書式命書を携えた使者は今朝、既に辺境伯領シンティリオに向け出立している!」


 帝国の侵攻が始まった後で停戦命令が入るとしたら、辺境伯領は矛を収めざるを得ぬ。その命令の効力は自軍のみ。帝国側に拘束力はない。そうなれば無防備なまま成すすべなく蹂躙されよう。

 辺境伯領軍の指揮官であるわしを遥か七百キロメートルキロメトロの王都まで呼びだしたのは、を恐れてのことじゃろう。


 腑抜けは腑抜けなりに考え、打てる手をすべて打ったか。


「それは結構。北部武家貴族もののふの生きざま、ご覧になるがよろしい」


 憤怒を通り過ぎて、頭は冷えている。騎馬で急げば追いつけんとも限らんが、黙って行かせるつもりはなかろうな。

 案の定、王太子が満面の笑みを浮かべてこちらを見た。


「ああ、伝え忘れていたな。いま王都は戦時体制に入った。貴様を辺境伯シンティリオ領へと送り出せる馬はない」


 使者への追跡を止めるに、帰りの馬車あしを奪うか。

 愛馬に騎乗して向かうといったわしの意思を無視して、王家が差し向けた馬車に無理やり乗せられた理由がこれじゃな。


「残念ながら、軍馬の余剰あきはないが……その木馬で良ければ使うがいい」


 列席の貴族たちが一斉に爆笑する。

 ものを知らぬ愚物どもが。この木馬にどれだけの価値があるか、すぐに思い知らせてくれよう。


「ゆくぞ、ぼん


 わしは木馬の握りに手を掛け、着座位置に跨がる。

 着衣はドレスのていを装っているものの、騎乗と戦闘に備えた乗馬袴カバルカ。常在戦場を旨とするシンティリオ家子女の嗜みである。

 いまや元殿下となったエフェット殿は戸惑い顔で王を見ておったが、わしが手招きするとおずおずと手を差し伸べてきた。


「とんだ夫婦めおと道行みちゆきじゃの」


 笑いながら横抱きに抱え上げ、着座位置の前に座らせる。エフェット殿は恥ずかしそうにしておるが、木馬の疾走がどれほどのものかわからん。後ろでは振り落としかねん。


「はッ、間に合うわけがなかろう。これだから魔導無能者ティミドは無能だと……」


 キュイイイイイイィ……ンッ!


 握りから木馬に魔力を流し込むと、馬体に施された魔法陣チェルキオが光り輝く。青白い魔力光をキラキラときらめかせる様は、まるで空から舞い降りた天馬ペガゾじゃ。


「“ヨタヨタと無様に這い回るだけのゴミ”でしたか。笑わせてくれますな」


 わしは木馬をクルリと旋回させ、下座に向けて十メートルメトロほど全力の加速を見せる。そこから一気に減速して振り返ると、見ていた者たちはあんぐりと口を開けたまま固まっておった。巻き起こした風が遅れて吹きつけ、魔力光とともにわしの髪をそよがせる。


「……なッ、なんだ、その動きは……⁉︎」


「ヨタヨタとしか動かんのであれば、魔圧が低すぎるのですよ。無様にしか動かんのは、魔力操作が稚拙なせいでしょう。貴殿らには少し、ましたな」


 わしが笑顔で指摘すると、王太子の顔が憤怒に染まった。なにか罵ろうとしたカウザを一顧だにせず、わしは壊れた扉から木馬を廊下へと向かわせる。


「では失礼」


 集まっていた連中に声を掛けて、廊下を走り出す。無論、王城内で跨乗するなど無礼にも程がある蛮行だが、知ったことか。

 王家あやつらは、既に辺境伯家わがやの敵じゃ。


「しっかりつかまっておれぼん、飛ばすぞ!」


 城内から出ると城門を突破し、木馬は王都を駆け抜ける。驚くほどの性能じゃ。魔力を込めれば込めるだけ速度が増し、舵を切れば右へ左へと俊敏に反応を返してくる。

 わしは、激しく胸が躍るのを感じておった。これならば軍馬を超える力で、魔力の続く限り疾走することができる。路面さえ整っておれば早馬の二倍、いや短時間であれば三倍近い速さで駆け抜けることができるはずじゃ。

 王都の外れまでくると、広く長い一本道。いよいよ全力の加速を試すときが来たようじゃの。


「とめてください」


「む?」


 エフェット殿の声に、わしは注ぎ込む魔力を止める。木馬はゆっくりと速度を落とし、道の端で停止した。

 幼き元王子は木馬から降りると、思いつめた顔でわしと向き合う。


「ここまでで、けっこうです」


「どうしたんじゃ、ここから先は辺境伯領までまっしぐらだというのに。辺境伯領シンティリオに向かうのが不服かの?」


「いいえ。ですが、わたしに関われば、あなたにも、シンティリオ家にも災いが及びましょう。軍事はいうに及ばず、政治としてにも、貴族間の感情としても。ですから……」


 わしはエフェット殿を見て、くつくつと笑いを漏らす。

 そんなことか。まったく、この御仁は。この期に及んで、そんなことを気にしておられたか。


「このわしが。そんなことを気にするような腑抜けだとでも?」


「些末なこと? いいえ、王国貴族としては致命的な……」


「そんなもの、知ったことではないわ。たとえ猟師であっても、懐に入ったならば窮鳥をも守り抜く。それが辺境伯家シンティリオの生き様。まして、となったぼんを捨てるなど、絶対にありえぬ」


 エフェット殿は、ぽかんと呆けた顔でわしをたる。わずかに泳いだ目から、静かに光が消える。


「お気遣い、いただいたことには感謝します。兄の暴力から、助けてもらったことも。ですが、無能は無能なりに矜持きょうじがあります。あなたの足手まといには、なりたくありません」


 自らの価値も知らず己をおとしめる元王子の言葉で、わしの胸裡に灼熱の火が灯った。それは切なさでも愛しさでもない。

 怒りじゃ。


「わしが憐憫あわれを感じて、ぬしを受け入れたとでも」


「あなたの事情は、わかりません。ですが、武勇で知られるシンティリオの御令嬢が、手先が小器用なだけの無能をめとって、なんの意味があるというのですか。その木馬を気に入っていただけたことは、わかりますが……」


 気づけば、わしはエフェット殿の胸倉をつかんでおった。元とはいえ王子、一応仮にも婚約者という身でなければ極刑も免れん不敬であったが、知ったことか。


「――“魔力枯渇による魔力量および魔圧向上の観測”」


 鼻が触れんばかりの距離で目を見据えながら言うと、エフェット殿の瞳が揺らいだ。目の奥に瞬いた光が、何かを求めて彷徨さまよう。


「発表されたのは半年ほど前かの。執筆者の素性は不明、記名は“コンセグエンツァ”とあったが……」


 わしは、木馬の首で光を放つ“必然的帰結コンセグエンツァ”の飾り文字を指す。


「あれは、ぼんが書いた論文もんじゃろ」


 文体にこそ、わずかに幼さが残っていたが。その内容は驚くべきものであった。

 魔導無能者ティミド魔導適性者アルディートの違い。なにが原因で差異が生まれ、それにはどんな存在価値いみがあるのか。どうしたら潜在能力が伸ばせるのか。その先にあるものは何か。


「……なぜ、それを」


「見つけたのは、偶然じゃ。しかし、あれを読んだときには呆れて、思わず笑ってしもうたわ」


 エフェット殿の目から、また光が消える。いまだ表情に幼さを残した元王子は、すぐに仮面のような笑みを浮かべた。


「ええ。目を通した者たち全てから嘲笑されましたね。頭が、おかしいと。無能は無能を受け入れるべきだと」


「そうかもしれんの。あれを理解せいというのは無理があるわ」


 自らを検体にした過酷で危険な実験。だというのに、それを測定し分析する視線はあくまでも冷静……いや、むしろ冷酷ですらあった。驚くべきことに、その記録は一年に渡る。

 あれほどの苦行を、まさかこのようなわらしが、行っておったとは。


「しかし、わしが呆れたのも笑ったのも、理解できんからではない」


「……え?」


「驚いたからじゃ。……ここに、わしとを考えた者がったと」


 報われる保証もない、つらく地道な手探りの努力を、ただひたすらに重ねる。その重苦しい日々があったからこそ、いまのわしがある。そしてエフェット殿もじゃ。

 わしの言葉をどう捉えるべきやら、坊の目は頼りなげに泳ぐ。


「体内魔力は二割を切れば、吐き気と眩暈めまいに襲われる。一割を切れば頭痛と強烈な倦怠感だるさ。そこから先は手足の痙攣に平衡感覚の失調……」


 誰もが経験することではない。魔力枯渇に苦しむのは、ほとんどが己の魔力量も把握しきれん初心者のうち。二割そこそこで、多くは気を失うからじゃ。身体がめよと警告を発するなかで、さらに先へと踏み込む者など。


 酔狂な阿呆か、決死の探究者だけじゃ。


「記述はされとらんかったがの。何度も、感じたんじゃろ? 枯渇寸前に沸き起こる不安感と恐怖感、そして……」


 潤んだ目が、わしを見る。静かに、心が通じ合う。


「……なぜか押し寄せてくる、希死願望」


 それを乗り越えた者にしか、“魔力枯渇による魔力量および魔圧向上”は得られん。そして、エフェット殿の身体に触れたとき、幼き体内に循環されている濃密で強固な魔力がハッキリと感じられた。

 この御仁は、あの苦痛と恐怖を乗り越えたのじゃな。それも、何度も。


「本当に、よく研鑽を積んだものじゃの。同じ志を抱いたものとして、心から感服いたす」


「……!」


 わずかな間を置いて、エフェット殿の目からぶわりと涙があふれる。泣きじゃくりながら、わしの胸にしがみついた。言葉にならない声を漏らすなか、ひとつだけ聞き取れた言葉があった。


「……


 そうじゃ。あのとき、ぬしの論文を読んで。わしも、そう思ったんじゃ。

 生まれて初めて、心が震えるのを感じたんじゃ。


 見つけたと。


嗚呼ああ


 ずっと探していた、己が欠片かけらを。

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