第5話
「ヴィヴィアンヌ様。なりません。不敬ですし、嫁入り前のあなたにもどのような噂が立つか」
嫁入り前。
舌打ちしたい気持ちを押し殺して口の端を上げる。
「誰も見ちゃいませんよ」
ヴィヴィは強引にマルクを寝台の横に連れて行った。毛布の上にどっかりと腰を下ろす。
しかし彼は真似ようとせず、床に落ちてしまった人形を拾い上げじっと見下ろしている。
「先生も座ってください。交代で昼寝しませんか」
「王女様の寝室で、そのようなことは」
「じゃあ私は昼寝していますから、王女様が帰ってくる前に起こしてください」
ヴィヴィは堂々と寝台の上に寝転がった。
目を閉じてみる。しかし眠気はなかなかやってこない。寝台のすぐ脇に立っている彼が気になるからだ。
そのうちに、寝台が軋み、衣擦れの音が立った。薄目を開けてちらりと横を見やる。すぐ隣にマルクが座っていた。
彼は人形を手に取ったままだ。
ヴィヴィの胸に、ちくりと痛みが走る。
「先生」
ヴィヴィは上体を起こした。
「私は、人形なんかじゃありません」
「……昼寝するのではなかったのですか?」
座ったまま詰め寄ってくる弟子に、マルクは目を瞬く。
「ぼくは人形ではないのです」
「何のことです?」
「ぼくがドレスを着ていたあの時、あなたは私をまるで人形を愛でるように見つめてきた。でも、私は玩具ではない。人形のように扱われるのはまっぴらなんです」
女として扱われたくない。
人形のように可愛がられたくない。
とくに、マルクには。
「……私はあなたに、また勘違いさせてしまったのですね」
マルクはヴィヴィの目を真っ直ぐに見つめ、そして「申し訳ありませんでした」と謝罪を口にした。
「勘違い?」
師匠は思いつめたようにまた手元の人形に視線を落としてしまう。
「……実は私も昔、ドレスを着ていたのです」
彼は懺悔室にいるかのように重そうな口を開いた。
しかしヴィヴィは首を傾げる。
「それは一般的なことでは? 私の兄たちもドレスを着せられていましたよ」
「兄上様が三歳くらいの時までですか?」
「ええ」
「私は、近衛兵になる直前までです」
ということは、随分と長い期間、彼は女装させられていたらしい。
「兵士になるため、長かった髪も断ちました。未練などもう無いと思っていましたが……、着飾ったあなたの姿を見て憧れが、また」
「憧れ?」
――羨ましい。
廊下で邂逅した時に耳にしたあの言葉を思い出す。
「先生には女装癖があるということですか?」
「女装といいますか、その逆ですね」
「逆?」
彼が何を言わんとしているのか、さっぱりわからない。
「つまり、私は今男装をしているのです」
「……そ、それって」
息を呑み、マルクの顔を見返す。
「もうそろそろ社交界デビューするかどうかという時に、兄が病死しました。私たちは双子で顔も背格好もそっくりでした。……つまり、私は彼の代わりに家を継ぐことになったのです。もし私の正体が誰かに勘付かれれば私の家もどうなるかわかりません」
身体に雷が落ちたかのような衝撃が走る。
先生は、女性。
そしてお茶会への出席は、彼の家が潰れるリスクを孕んでいたのだ。
「……腹が立ちますね。あの王女には」
「ええ。ドレスの下に剣を忍ばせようかと思いました」
マルクの本気とも冗談とも取れる発言に、ヴィヴィは苦笑いを浮かべた。
「……でも、勿体ない気もしますけど。先生のドレス姿、とても美しかったですから」
言葉に嘘はない。麗しき令嬢の姿が今も目に焼き付いている。
「あなたに褒めてもらえたなら、それで充分です」
マルクが微笑んだ。
軍服姿の彼、ではなく彼女の無垢な笑顔に、ヴィヴィの心臓が騒ぎ出す。
自分たちはお人形。王女様のお人形だ。
好きなように着せ替えされ、弄ばれる。
でも喋れるし、剣を振るうことだってできる。
それに、仕返ししてやることだって。
「先生。あの意地悪王女に嫌がらせをしてやりませんか?」
「嫌がらせ?」
マルクから人形を引ったくり枕の上にうつ伏せに寝かせた。邪魔者の視界を塞ぐためだ。
衿からのぞく師匠の首筋を人差し指でなぞる。
丸みが無いことに今まで気がつかなかった。
喉元に触れてくる弟子に、師匠は不思議そうな顔をしている。
「ヴィヴィアンヌ様?」
自分の名前を呼んだマルクの吐息が額のあたりにかかると、部屋の温度がさらに上昇した。
新調したばかりの軍服に包まれた肩をそっと押す。師匠は素直に寝台の上に上体を倒した。
「……王女お気に入りの人形が、王女の毛嫌いする男にキスされている。……彼女にとって、とんでもない屈辱だとは思いませんか」
マルクに覆いかぶさるようにして、喉元に口づけした。
いつもは剣で狙われてしまう喉元にキスすることで、王女だけではなく師匠にもやり返してやったつもりだった。
マルクは弟子に優位に立たれているというのに、何がなんだかわからない、という顔をしている。
この人はやはり剣以外のことに疎い。
もどかしくて苛立つけれど、ヴィヴィだって、膨らんでいく花の蕾のようなこの気持ちの名が言い当てられないでいる。
「……ヴィヴィアンヌ様。これでは人形がキスされているのではなく、人形がキスしているのではないですか?」
「細かいですね、先生は」
無表情を決め込むマルクの頬が少しずつ赤くなっていく。
一方で、自分は一体どのような顔をしているのだろう?
「目を閉じていてください。先生」
乙女のように声が震える。
何か言い掛けた唇を己の唇で塞ぎ、ヴィヴィは師匠にとどめを刺した。
了
[短編・完結]お人形の嫌がらせ[百合] ばやし せいず @bayashiseizu
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