#06 親友がガチ嫉妬して、逃げ出した件について



蕎麦を食べ終え、会計を済ませて店を出た後は、本屋に寄ろうということになった。駅ビルの中の本屋はスターボックスが併設されていて、コーヒーを飲みながら読書にふける人が多い。文芸部の部室のような陰鬱さはなく、同じ読書という体験がまるで別物のように見えるから不思議だ。コーヒーの匂いと仄かなオレンジ色の照明、それからジャズ……ではないけれど、オシャレな洋楽が聞こえてくる。



「今年の文化祭はこれで行くか」

「これってなに?」

「だから、これ。コーヒーを挽いて、それから洋楽を掛けて、ランプで雰囲気を作って読書できる場所を作るってこと」

「いいかも。春嘉にしては名案」

「僕にしてはって……いつも僕が案を出してるじゃん」

「去年のハロウィン読書は最悪だった」

「それを言うな……」



目鼻を切り抜いたカボチャの中に百均のLEDランタンを入れて光らせ、窓に目張りをして深夜を演出し、カビ臭い部室をハロウィンチックにして読書をするという企画を文化祭で実行したのだが。



当然、読書をするには暗すぎだし、そもそもアピール力が足りずに客足はゼロだった。結果的には僕と冬香の二人で楽しむ羽目になってしまった。しかも、部屋が暗すぎて字が読みにくく、窓の目張りを外すという、もはや文化祭でもなんでもないただの読書時間になってしまったのだから、冬香がそう言うのももっともだ。



本屋に入ってすぐのところの新刊コーナーに、“陰キャの俺の持ち物を女子たち欲しがる理由が呪術のためだったために全力で逃げることにした”があった。この前、僕が買ったラノベだ。



この前は “プロット作成の目からウロコマニュアル”という本を探しに行ったから、西町の本屋まで足を運んだが、結局見つからなくて、陰キャ呪術だけを買ってきたのだ。ラノベを買うだけなら駅ビルの中の本屋で事が済む。




「そういえば、蒼井が、“陰キャ呪術”読んでるって聞いてびっくりした」

「それホント?」

「ああ、本当に。蒼井自身から言ってきたから間違いない」

「そんなこと言っても文芸部には入れない」

「……絶対に入らないだろ」



そもそも文芸部に入る、入らないの話にはなっていない。いくら蒼井がマニアックなラブコメの新刊ラノベを知っているからといって、文芸部に入部したいなんてことになるはずがない。それに蒼井舞夏が演劇部だということすら未だに信じられないのに、さらに文芸部掛け持ちですって、絶対にないだろ。文芸部は暗いし、狭いし、臭いし。



「私、読みたい本あるから探してくる」

「エロい本でも買うのか?」

「ばかっ! そんなの買わない」

「本当は刺激の強いアーティファクトを欲しているのだろう?」

「そんなの……ほしくない」

「ほら、本当は悶えたいんだろ。くくくっ。今、過剰魔力によって、精神体を破壊してやろう」

「うわ、や、やめろ。もうこれ以上入れないでっ!」



これはあるラノベの描写の一部なんだが、別にエロいことはしていないのにエロいと評判のシーンだ。



「春嘉キモい」

「冬香も大概だろ」

「じゃあ、行ってくる」

「ああ、分かった。僕は……至高で崇高な知の富を求めて、心眼を開く」

「キモい。死ね」

「……未だ誰も知らない領域にある物語を探す行為は、もはや叡智への探究心と言ってもいいんじゃないだろうか」

「隠れ名作を探したいだけのことに、キモい言葉並べるな。はやく死ね」



毎月必ずといっていいほど新作が出る。有名な作品の続編やら、無名作家の処女作まで。そんな中、まったくノーマークだった作品で、誰も知らないようなマイナーな作品なのに夜も眠れなくなるほど、ページを捲る手が止まらなくなる物語が存在する。なぜこれを全力で全面に出さないのかと思うほどに、だ。とんでもない読了感に満たされて、ネットでレビューを見ると軒並み星が一つとか二つ。



ちゃんと読んでいるのか。と言いたくなるような感想を添えて。



つまり、人それぞれ面白い、美しいと思うものは違うということ。僕はマイノリティの側なのかもしれないけれど、そういう作者に寄り添いたいと思っている。



「悦に浸ってキモい。春嘉のおすすめは本当に理解できない」

「悪かったな。ほら、読みたい本探しに行けって」

「言われなくてもそうする。あ、そうだ春嘉」

「なんだ?」

「絶対に私の後を追ってこないで。なんの本かも追求禁止」

「わかった」



BLだな。別に僕は冬香が何を読んでいようが構わないと思うし、BLが好きなら隠すことじゃないと思う。

案の定、冬香は身を屈めながら足早に移動し、キョロキョロと周囲の様子を窺いながら、膝を折って平置きしている本を舐めるように見ている。



どっちがキモいのか……。



さて、僕はまだ見ぬ新境地を探しに行こうじゃないか。

ラノベのコーナーはあまり人がいない(反対側の比較的女子向けラノベコーナーには冬香がいるが)。伸び伸びと七月発売のラノベのタイトルを心の中で反芻しながら、コレだと思うものを探していく。僕みたいな中毒者になると、タイトルでだいたい面白いか面白くないかが分かるようになってくる。



例えばこれだ。



“転校生のS級美少女はどうやらエルフのようです。耳が長いから引っ張ったら取れませんでした”



作者名を見た感じ、聞いたことのない名前だ。それにレーベルも比較的マイナーで、まったく宣伝がなされていない作品だ。こういうのに名作が多い。ところで、転校生の耳を引っ張ってエルフ確定した後、どういうやり取りがあったのか気になる。



“な、なに引っ張ってんのよ。ばかっ!”となるのか。あるいは、“ひ、引っ張んないで。お願い”となるのか。“笑止。我が耳に触れた罪は重い。精霊の真名の下、焼き尽くしてくれる”みたいな展開になってしまうのか。



気になる。これは読んでみる価値があるな。ということで、僕が右手で取ろうとすると、僕の右半身に熱を感じた。同じ本を取ろうと左手が伸びてきたのだ。よくあるラブコメの一幕で、お互い手が触れて、「あっ」となるやつ。



「どうぞ」

「ああ、すみませ……え」



平積みしてあるために、在庫がなくなることはない。譲ってもまだまだ下に二、三冊あるはずだ。



「鷹見くん?」

「……えっと、」



艶がある黒髪に白いワンピースを着た美少女だった。黒縁のメガネを掛けていて、なんだかとても良い香りがする。透き通るような素肌がみずみずしく、けれど、どこか見覚えのあるような顔立ちをしていた。



こめかみの横に付けている、青いヘアピンは……。



「蒼井?」

「うん。こんなところで会っちゃうなんて。偶然だね」

「まあ、そうだな」

「鷹見くんって、制服じゃないときはオシャレさんだぁ~~~~っ」

「それは……」



さっき冬香に選んでもらいました。とは言えない。しかもここで服装を見られてしまったからには、来週のデートで同じ服を使い回すわけにはいかなくなってしまった。何種類か買っておいたほうがいいと言った冬香の判断は正しすぎる。感服した。



「いや、蒼井だって。すごく眩しいっていうか」

「そう? 嬉しいなぁ」

「それよりも、これ」

「ああ、うん。気になってたんだ」

「このマイナーなやつ?」

「エルフ耳」

「エルフ耳って略すのか……」

「うん。SNSでラノベ紹介の人が今朝ストーリー上げてて、気になっちゃった」



つまり、僕が開拓するよりも先に注目した人がいるということか。書店で売っているのだから当たり前の話なんだけど、それにしても少し悔しい。



「でも一冊しかないんだね」

「え。一冊?」

「うん。下の本は別のやつだしね」



平積みされていると思ったら、誰かが手にして、別のタイトルの平積みされた作品の上に置いてあっただけなのだろう。実際は平積みすらされていなかったということになる。



「……どうぞ」

「いいの?」

「僕は今度の機会にする。きっと本も蒼井に読んで欲しがってるよ」

「鷹見くんって面白いね」



自分が本なら、陰キャな文芸部の本オタクに読まれるよりも、蒼井のような美少女の繊細でキレイな指にページを捲って欲しいと思うだろう。良かったな、エルフ耳。



「じゃあさ、お互い感想を言い合うっていうのはどうかな?」

「え? 感想を……? なんで?」

「だって、素敵な作品は誰かに話したいでしょ? そういう共有できる相手がいるのって、なかなか楽しいって思うの」

「それはまあ」



僕の場合は、相手が冬香だ。僕の勧めた本を冬香は僕に気を使わずにガンガン意見を言ってくるけれど、それはそれで新たな発見もある。それだけじゃなくて、素直に面白いところは面白いって言ってくれる。冬香の勧めてきた本も同じだ。僕は冬香の意見にダメ出しもするし、好きなシーンや描写は好きとはっきり言っている。



蒼井にはそういう相手がいないのだろうか。彼氏とはそういう話をしないのだろうか。もしそうなら……寂しいかもしれない。



「分かった。僕も買う」

「え? 売ってないよ?」

「ネットで注文する。明日には届くと思うから、同じタイミングで読み終われば、感想を言い合えるだろ」

「じゃあ、連絡先交換しよ?」

「ひぇ?」



話が飛躍しすぎて、声が裏返ってしまった。今の会話の脈略のどこに連絡先交換のきっかけがあったというのだろうか。



「鷹見くんと同じページの分だけ読むから。たとえば、今日は何ページまで、とか」

「……そこまで合わせる必要ある?」

「終わってからじゃなくて、その都度感想言い合えるでしょ?」

「わかった。じゃあ、そうする」

「うんっ!」



蒼井がスマホを取り出して、QRコードを見せてきた。僕はそのQRコードを読み取って、さっそくトークルームにスタンプを送る。蒼井のアイコンは、意外にもマイナーなアニメのキャラクターだった。



「春嘉、私は買った。春嘉はどう?」



連絡交換を終えた矢先に、背後から冬香が声を掛けてきた。紙袋を抱えながら僕の隣に立つと、蒼井を凝視する。



「蒼井舞夏……どうしてここに?」

「ああ、偶然会ったんだ」

「赤田さん……ああ、そっか。そういうことか。ごめん、気が回らなくて」

「え?」

「赤田冬美ちゃんだよね」



それを言うなら赤林冬香なんだが、当の本人も訂正する様子もなく、なぜか買ってきた本の紙袋が千切れるくらいに指に力が入っているのが分かった。



「冬香?」

「なんでもない。私帰る」



冬香は消え入るような声でそう言い残して踵を返した。



「待てって」

「蒼井舞夏に会えたんだから、お茶して帰ればいい」

「なにを言って、」

「うるさい。死ね」



冬香は駆け出して、あっという間に下りのエスカレーターの方に行ってしまった。








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