#02 親友が弱みを握られて、ふいに人生を詰みそうになった件について
文芸部部室は今日も
学校ではなかなか類を見ない陰鬱な部屋は、まるでカビ臭い本の見本市のような有り様だ。だが、僕はそんな古本の匂いが好きで、放課後になるとそんな書物の巣窟に身を潜めるのであった。
放課後は校舎の内外で活気に満ち溢れている。運動部の掛け声や吹奏楽部の不協和音。そして、廊下の
ガンガンッ!!
と、いきなりドアを破る勢いでノックをされた日には心臓が止まるかと思った。
「ど、どうぞ」
「おじゃましま〜〜す」
中で読書をしている僕のことなど、お構いなしに入室してきたのはあまりにも意外な人物だった。クラスどころか、学年でも一軍女子と言われる美少女で、三ヶ月に一回告白されると
入室してきたのは、
「やっほーっ。
「……は? ちょっと、そこから先は聖域で、部員以外は灰になるから危険だから」
「鷹見くんって面白いね。ほら、
「はああああああ?」
「鷹見春嘉くんが協力してくれるんだよね?」
「……いや」
僕を売ったな。
最悪なことに演劇部に協力をして、文化祭の演劇作品を作ることになっているのだ。そもそも、なんで僕が演劇部のために脚本を書かなくてはならないのか。これは冬香一人の問題のはずなのに。
それは、事の発端は二日前。
七月一〇日に遡る。
◆
この日、生徒会から衝撃的な内容の告知がなされた。それは、活動実績のない部活は来年より廃部とする。部費の予算削減及び、足りない部室の確保のためによる苦肉の策だと生徒会長は全校生徒の前で淡々と話した。
一部の生徒からは阿鼻叫喚の声が上がるものの、僕は正直どうでも良かった。文芸部に限って言えば、今年は新入生が入部しなかった経緯もあり、来春も同じ状況なら廃部は決定。差し当たってこれは活動実績云々以前の問題だ。
僕の通う私立
「というわけで、あぁ〜〜〜、この演劇部部長の
七月一〇日の木曜日。文芸部の部室に現れたのは時代劇被れの女子、演劇部部長の黄島千秋だった。演劇部も新入生が入らなかったゆえに、文芸部同様に来年の廃部は確定している。
黄島千秋は少しおっさん臭のする残念女子。ショートカットの髪に、黄色いフレームのメガネが特徴の女の子で、容姿は決して悪くない。しかし、その独特の言葉遣いに面食らう者も多い。
「普通に話せ。お前の用件はなんだ?」
「冬香、言葉が悪い。そんなんだから文芸部にも新入生が一人も入らなかったんだからな」
文芸部部長の
この赤林冬香が僕の唯一無二の親友。中学来の友達というわけだ。
「こほん。つまり、文化祭で活動実績さえ作れば、来年は廃部を免れるらしい……でござる」
「僕はそういう噂を信じない。ソースを出せ」
「あぁ〜〜この江戸にソースなどという調味料はなく、あぁ〜〜醤油」
「冬香、こいつ黙らせろ」
「無理。私、帰る」
「待て待て。悪かったでござる。拙者、生徒会にも通じているのでござる」
「それを教えに来てくれたところで、うちは来年廃部が決定しているから正直どうでもいいよ。なあ、冬香」
「うん。残念だけど廃部は免れない」
だが、それは演劇部も同じはず。演劇部も新入部員は入らずに、新学期早々苦汁を舐めたのは記憶に新しい。
「来年こそは新入生を入れたいのですっ! でござる。今年は運悪く来なかったけれど、来年は絶対に、ござる」
「勝手にすればいいじゃん」
「それが、文化祭のステージは最低五人からと決まっていて……ござる」
「あー……つまり、僕たちは数合わせってわけだ。冬香はともかく、僕は演劇なんてできないよ」
「えっ、私、人前なんて無理。馬鹿か、お前。死ね、春嘉」
「そうじゃなくて、文芸部に脚本を書くのを手伝ってほしいってことなの。お願い、このとおりでござる」
黄島千秋は突然立ち上がり、まるでスカートを羽織袴のごとく折りたたみながらジャンプをして、そのままthe土下座。
「頼む。拙者、脱ぐ覚悟でござる」
「ひっ。なんて卑猥。私、百合じゃない」
そんなやり取りがあったものの、黄島千秋部長が脱いだところで文芸部として、とてもじゃないが協力はできないとこの日は突っぱねたのだった。
七月十一日の金曜日。天気は晴れ。
今日も外は暑いものの、エアコンのある快適な環境であるがゆえに、読書をする目と指は止まらない。光の満ちる静謐で陰鬱な部屋の中で、僕と赤林冬香はともに物語に没頭していた。
そんな甘美な時間をぶち壊したのは、またも黄島千秋だった。性懲りもなく訪れては、腕組みをしながら行儀悪くも椅子の上に立ち上がり、読書をする僕たちを見下すように目線を下げる。昨日のような下手に出る戦法ではなく、今日は強気のようだ。
「ここは聖域だ。黄島、灰になりたくなかったら早く退散しろって」
僕の言葉にはまったく耳を貸さずに、黄島千秋は歌舞伎役者のごとく片目を寄り目にして、もう片方で正面を見た。歌舞伎の“にらみ”ができるとかすごい。って、感心している場合じゃない。
「あぁ〜〜〜今日は絶対にぃ〜〜〜首を縦にぃ〜〜あぁ、振らせてぇ〜〜〜、あぁ〜〜〜みせよぉ〜〜〜じゃねぇかぁ〜〜〜」
「あいつうるさい。春嘉、なんとかして」
「僕に言われても」
「じゃあ、部屋変える。春嘉、図書室行こ」
「そうするか」
「ま、待て。いいのか。拙者、重要な情報を得たのでござる」
「どうせくだらないことだろ……」
「ふふ。部長殿オブ文芸部。赤林冬香殿」
部長殿オブ文芸部。そこは英語的文法でいいのか、ござる侍。
「こいつなんかムカつく」
「こら、いくら思っていても本音で話すなって。だから冬香はクラスでボッチなんだ」
「春嘉に言われたくない」
まあ、僕もクラスには友達がほとんどいないけれど。というよりも、僕のレベルに付いてこられる奴がいないだけ。高度で知的な会話を楽しむのが大人というもの。高校生のようなまだ幼い子どもには理解できまい。
「無視するなよぉ〜〜〜ござる」
それから、ちょいちょいござるの使い方がおかしいのは気のせいか?
「……で、重要な情報ってなんなんだ?」
「どうせ大した事ない。春嘉、はやく図書館行こ」
「待ってでござる。赤林冬香殿。お主……この部室に背表紙と中身の違う本を隠しているという情報を得たのだが……ござる」
「ひっ」
R指定のBL同人誌とか、BL小説とか。それから過激すぎて読むには耐えられないような、有害図書の数々。文芸部とはいえ、さすがに学校に持ち込んではいけないものを隠していることは僕も知っている。だが、それを冬香に指摘するのは間違っている。そう、芸術には表現の自由というものが存在しており、人それぞれ感じるものには差異があるのだ。
冬香にそういう性癖があっても、僕に咎める資格はない。
たとえ隠れ変態だとしても、僕は冬香を認める。
「な、なななな、なんで、そ、そんなこと。な、ないもん」
「拙者の情報力を舐めないでほしいものでござるな。引退した文芸部のA氏に聞いたでござる。A氏が捨てようとしたものを赤林冬香殿が受け継ぐ形で保管したとか……にやり……ござる」
にやりってなんだ。にやりって。
口で言うな。
「わ、わわわ、私は、そ、そそそ、そんなもの、」
「文化祭で演劇部に協力をしなければ、生徒会の監査が入るやもしれぬでござる。楽しみでござるな。ふーふぁーふぁふぁふぁっ」
高笑いをしながら文芸部部室を出ていく黄島千秋の後ろ姿を見送って、冬香は茫然として立ち尽くした。別に気にすることじゃないだろうし、なんなら今日のうちに撤収させれば良いだけのこと。だが、冬香は“有害図書の件”を僕が知らないと思っている。つまり、片付ければ黄島千秋の指摘が真実だと、自ら認定してしまうと思っているのだ。そう顔に書いてある。
まるで、エロ本の存在を知られた中学生男子のような挙動だ。冬香、乙。
「わ、わわ、私はそ、そ、そんなの……」
冬香は“それらの有害図書“をガラス扉付きのキャビネットの中に隠している。鍵は歴代部長に継承されていて、黄島千秋の言うA氏とはなにを隠そう、前任の文芸部部長だ。
キャビネットの中に収まる本はどれも自己啓発系の本だ。実際のところ、自己啓発系なのは背表紙だけで、中身が”有害図書“であることは、一年生のときから知っている。冬香は鍵をテーブルの上に置きっぱなしで忘れて帰ることがある。それを使って、一人のときに何回か見たことがあるからな。それでも僕は見て見ぬふりをしている。これは僕の優しさ。そう、僕の懐は深い。本来感謝されるべきなのだ。
「知らないんだからーーーーっ!!」
そうして冬香が飛び出していって、僕は一人また崇高なライトノベルのページを捲るのだった。それから一時間くらい過ぎただろうか。部室のドアが勢いよく唐突に開いた。この開け方は冬香だな。
「春嘉、聞いて」
「戻ってきたと思ったらどうした?」
「演劇部に協力することになった。春嘉が脚本を演劇部と一緒に書くことになった」
「は?」
「だから、演劇部に協力することになった。文化祭までの期限付きで、だから春嘉も協力して。いや、するの。するったらするの」
「子どもかよ。僕は嫌だ」
「私の人生が詰むのーーーーーっ」
知らんって。
というか、演劇部の条件を飲むということは、自分がBLをはじめとした有害図書の存在を認めることになる。冬香はそれを理解しているのだろうか。
してるわけないか。
◆
と、これが経緯だ。
「文化祭までよろしくね」
「えっと、蒼井……がなんで?」
「あれ、知らなかった?」
「なにを……?」
「まあ、幽霊部員だから仕方ないか。わたし、こう見えて演劇部なんだ」
え?
どういうこと?
蒼井舞夏が演劇部?
そんな話、聞いたことないぞ……。
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