綺麗な形ではいられない

秋月零音

綺麗な形ではいられない

「次のデートどこがいい」

「あんまり家でデートとか言うなよ」


僕が机と向き合って勉強している中、陽菜ひなはベッドの上で携帯を弄りながらくつろいでいた。お風呂から上がったばかりで、その身体は熱気を帯びている。


「……あたしのこと好きじゃないの」

「好きだよ。だからこそ、お父さんとお母さんには内緒にしないと」


常軌を逸した会話であることは明白だ。この世界では血の繋がった者同士の恋愛は禁忌とされている。この恋を許してくれるものは、この世に存在しない。


「内緒か。隠し続けるって辛いね」

「仕方ないよ」


二人して鉛のようなため息を吐く。僕は既に勉強を放棄し、無自覚のうちにペンを回していた。頭を使えば解けるような問題ではない。つまり、考えてはいけない。


「で、どこ行くの」

「家でゆっくりしたい」


陽奈は罪の重さを分かっていない。そもそも、悪いこと自覚と認識していないようだった。僕ですら、うっすらと陽奈に邪悪さを感じている。もっと酷い言い方をすると、同じ人間に思えない時があった。


「それなし」


人間は、生物は、誰に教わるでもなく血の繋がった者を性の対象から排除するように作られている。僕も例外ではない。


「外がいい。遊園地とかでデートしたい」

「だからデートって言うなよ」


しかし、陽奈にはその機能が欠如していた。当然のように、血の繋がった兄である僕を異性として認識している。


「理人が悪いんだよ」

「分かった。分かったから受験が終わるまで待ってくれよ」


僕は度々自己嫌悪に陥る。何故、こんな常軌を逸した恋愛ごっこを続けているのか。それ以上、少し、ほんの少しでも陽奈に欲情してしまっている自分が嫌になっていた。陽奈の誘うような口調が、部屋に充満した甘い香りが、勉強で疲弊しきった僕の思考を溶かしているようだった。


「半年も待てない。再来週」

「受験生に無茶言うなよ」


そう、僕は受験生だ。高校入試もまた、僕を悩ませる要因だった。僕の志望校である進心しんしん高校は例年倍率が高く、今の成績では厳しい。その焦燥感を抑えつつも、陽奈の相手をしているというのが現状だった。


理人まさと、最近勉強ばっかでつまんない」

「受験生だからね」


僕は受験と陽奈の板挟みに遭っている。学校にも家にも逃げ場はない。悩みは常に付き纏い、僕の心を蝕んでいく。


「っていうか、行くなら私でも通える高校にしてよ。一緒に登下校できないじゃん」

「わがまま言うなよ。そんなに僕と一緒がいいなら今から勉強すれば」


何故、陽奈に合わせなければならないのか。怒りたい気持ちを抑えつつも、出来る限り優しい言葉で勉強を勧める。何せ、


「むり。だって期末テストの順位88位だよ。110人中」

「まだ一年生だろ。今から勉強すれば陽奈も受かるよ。僕が家庭教師になるから」

「ほんとに!? 」


その場しのぎの慰めでも、陽奈は真に受けて笑ってくれる。頭が悪いからか、僕の言葉だからなのか。それとも、両方か。


「勉強は嫌いだけど、理人が教えてくれるなら頑張る」


無垢な笑顔が目に眩しい。僕は陽奈の為に嘘をついているつもりだった。異性として愛しているという嘘をついている、つもりだった。残念なことに、僕は自分の嘘への疑念を拭えないでいる。


「でも、それは別にしてデートは行きたい」

「はいはい、考えとくよ」


気持ち悪いと思いながらも、それを口にしないのには理由があった。自分が消去法で選ばれたこと、全ての原因が幼少期に一度だけ出会してしまった中年の男にあることを分かっていたから。僕に愛はない。あるとすれば、哀――即ち哀れみだけだ。そう、哀れみだけなんだ。


 結局、僕は陽奈に根負けしてしまった。電車の小刻みな揺れが、吐き気を誘う。口を抑えながらうなされていると、陽奈が顔を覗き込んできた。いつもに増して化粧に気合いが入っているようだ。その証拠に、疎い僕でも分かるような、大きな涙袋を作っている。


「大丈夫? 」

「うん、平気」


余計な心配をかけないように取り繕う。それでも、陽奈には筒抜けだったようで、一層表情を曇らせる。頭は悪くても、こういうところは鋭い。


「ごめんね。やっぱり別のところが良かったよね」

「平気。着くまでの辛抱だから」


地図アプリによると、到着まであと1時間はかかるらしい。それまで耐えられないことは明白だった。


「話してたら気が紛れるんじゃないかな」

「だといいな」


話というよりも、殆ど陽奈が一方的に何かについて語っているだけだった。友達のこと、最近ハマっている漫画のこと。それでも、気が紛れたのは確かだった。


 目的地に着いた僕は、なんともいえない気持ちになっていた。言い方は悪いが、僕は植物に興味も関心もない。そんな人間が植物園に来たところで、気分が上がるわけでもなかった。陽奈が「理人が一生行かなさそうな場所へ連れて行ってあげる」と言っていたのにも頷ける。誘われなければ一生来なかっただろう。


「花の名前と花言葉はここにまとめてるから。周りながら読んで」

「名前はともかく花言葉は要らないだろ」


陽奈に手渡された手帳をパラパラとめくる。どのページにも、スペースを持て余すことなく詳細が書き記されていた。しかし、花言葉だったり逸話などなどの文学的な内容が殆どを占めているようだった。陽奈らしい。


「あれがキキョウです。7ページを開いてください」

「あっちがハイビスカス。えーっと11ページ」


案内されるがまま、僕は手帳を片手に植物を見て回る。依然として気分は乗らないままだったが、陽奈のはしゃぐ姿を見ていると、来て良かったと思う。もし、陽奈が血の繋がった妹ではなかったら、僕ももっと寄り添えたんだろう。でも、悲しいことにその「もし」という前提が覆ることはない。


「そして、今日私が一番見たかったのはこれでーす! 」

「おぉ」


陽奈が池の前で足を止める。幾多ものハスが一面に咲いていた。その光景に、思わず感嘆の声を漏らす。


「……ハスになりたいな」

「はぁ? 」


うっとりと眺めていた矢先の、突拍子もない発言に変な笑いが込み上げる。陽奈が素っ頓狂なことを口走るのはいつものことだが、今回は不意を突かれた。


「だってさ、植物だったら兄妹でも普通に愛し合えるじゃん」

「でもなんでハスなんだ」


ふふんと陽奈が得意げに笑い、僕から手帳を奪う。そして、あるページを開いて見せた。ハスの項だった。


「ハスの花言葉ってね、『神聖』なんだって。私達の恋にピッタリだと思わない? 」

「……どうだろうね」


言葉を濁す。夢の良いところで目が覚めた時のような気分の悪さを感じながら、僕は植物園を後にした。相変わらず陽奈は楽しそうな顔を浮かべている。神聖とは何か。


 帰宅した僕は、まだ済ませていない宿題があることに気付いた。苦手教科、数学の問題集約8ページ分。日付を跨ぐ前に終わるか終わらないかという瀬戸際の戦いに、僕は臨んだ。


「理人」


しゃっくりに似た音が口から漏れる。声をかけられるまで、陽奈の存在に気が付かなかった。普段ならば、部屋中に反響する程の大声をあげて入ってくるはずなのに。ドアの側に立つ陽奈は俯いて、どこか浮かない顔をしていた。


「理人は私のこと好き」

「……ああ」


底知れぬ闇を陽奈に感じながらも、いつものように曖昧な返事をする。選択を間違えたことに気付いたのは、答えた後だった。


「じゃあ、じゃあ」

「それは駄目だよ」


陽奈は僕の注意など意にも介さずパジャマのボタンを外していく。赤くなった陽奈の頬が、恥ずかしげもなく曝け出した肌の色が鮮やかに映った。見せないでくれ。


「理人も早く脱いで」

「嫌だ」


意識しているという事実を否定したくても、掠れたような声しか出ない。こんなごっこ遊びなど、辞めようと思えばいつでも辞めることができた。怠惰を続けた結果、僕は迫られている。


「僕たちは兄妹だろ」


自分に言い聞かせながら、目を覆う。これ以上見てはいけない。陽奈のことを。これ以上見たくない。兄である僕を愛するあまり暴挙に出た妹の姿を。踏みとどまらないと駄目だ。


「バレたらどうするんだよ。タダじゃ済まないって」

「何がバレたらタダじゃ済まないんだ」


頭の中が真っ白になった。酒焼けによって枯れた、荒々しい声が僕を刺す。見なくても分かる。いや、最早“見ない”というのは無駄な抵抗だった。


「最近やけにベッタリくっついてると思っていたが、こんなことまでやってるとはな」

「陽奈が勝手に」


僕の弁明は殴打によって遮られた。代わりに何か言おうとした陽奈も、ついでと言わんばかりに壁に叩きつけられてしまう。“現実”という言葉の権化が、巨体と暴力を提げて現れたように見えた。


「何故拒絶しなかった」


言っても信じないくせに、と心の中で毒付く。黙っていると、父は僕の首を乱暴に持ち上げた。アルコール臭を帯びた荒々しい息が吹きかかる。


「このイカれ野郎」


何度も、何度も殴られた。まるで蝿を見るような目で、まるで蝿を手で叩き潰すように、父は何度も僕を殴った。それでも、然程痛くはなかった。かつて僕が陽奈に向けていたのと同じ、目だけが僕を絞めていた。


「陽奈がおかしいのは分かってただろ。なんでこんな奴の頼みなんか聞いた」

「おかしくない。陽奈はおかしくない」


僕は自分でも思っていることを、必死になって否定する。陽奈はおかしい。でも、今ここで肯定してしまえば陽奈は……? 生死を彷徨う蝿が脚をバタバタと動かす姿が浮かんだ。その瞬間、自分が惨めに見えた。


「陽奈もお前もおかしい。狂ってる」

「お前を家族とは思いたくない」

「この、――――」


到底人に、ましてや娘に言うものではない、最上級の侮蔑を吐きながら大男は陽奈の髪を引き摺り、部屋から出て行った。その後、入れ替わるように部屋に来た母から微かな心配の言葉と道徳的な説教を受けたが、適当に相槌を打って聞き流した。一つだけ、母が言いかけて辞めた言葉だけが脳裏に焼きついた。


「もっと早くあの子を」


それから陽奈は精神病と診断され、閉鎖病棟と呼ばれる場所へ入院することになった。アルバムからは陽奈の写っている写真が剥がされ、部屋も綺麗に片付けられ、物置として使われている。まるで最初からいなかったかのように、この家から陽奈の痕跡が消えた。実の娘に対する仕打ちとしては、あまりにも無情な両親の行動に怖ささえ覚えた。そうして、塞がれた僕は逃げるように勉強に打ち込んだ。



 高校2年生の夏、僕はあの植物園に来ていた。ハンカチで顔を拭うが、絶えず汗が吹き出てくる。一生来ないと思っていた場所に、僕はいる。


「意外ね。理人がこんな場所知ってるなんて」

「昔一度だけ来たことがあったから」


隣では、斉藤さいとう有栖ありすが失礼な程驚いた顔を見せている。小麦色に焼けた肌に、進心高校の白い制服はよく映えていた。入学して間もない頃に好きなバンドの話で意気投合し、今に至る。有栖は写真部に所属していて、なにかと僕に撮影の付き添いを頼んでくる。それは、進級して別々のクラスになった今も変わらない。


「彼女と? 」

「そんなとこ」


一瞬だけ不機嫌な顔になったのを見逃さなかった。僕に気があるのかもしれない。少なくとも、僕は恋仲という間柄だと思っている。あの一件以来、恋愛に対する抵抗が少なからずあったが、有栖のお陰で僕は普通になることができた。陽奈の亡霊はもういない。


「あのハス撮ろっかな」


いや、まだ憑かれているのかもしれない。何気なく足を進めた先に広がっていたハス池を見て、僕の頭に思い出が過ぎる。


「ハスの花言葉って“神聖”なんだって」

「知ってる」


博識振ろうとしたが不発に終わった。それどころか、知っていて当然と言わんばかりの反応に赤っ恥をかいてしまった。


「あと、『離れゆく愛』なんて花言葉もあったよね。すぐに散っちゃうからって」


離れゆく愛。心の中で、何度も反芻する。相変わらず、陽奈は家に戻ってきていない。退院して、今は遠い親戚の家に預けられているらしい。


「にしても綺麗。そうだ、これ撮ってみようっと」


ふと、花弁が散った後の、斑点だけになったハスが目の止まった。そのハスに重なって目に映ったもの、それは。

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