第4話
「本当に行くんだな」
纏めた荷物を車に積み込みながら、父が言った。四角い眼鏡の奥にみえる目が寂しさを孕んでいるようにみえた。村から出ていく私を見送ってくれる為に外は肌を突き刺す程寒かったが母と父、それから湊が家から出てきてくれた。
「うん、行ってくるよ」
三人に笑みを向けた時だった。「あーほんと寒いわ」と呟きながら凛花さんが車の扉を閉めた。運転は凛花さんがしてくれることになっていた。凛花さんは東京に戻り、本格的にジャーナリストを志すことを決めたそうだ。
──私達みたいに辛い目にあってる子供達が他にもいるかもしれない。大きな力を前にして身動きが出来なくなっている人がいるかもしれない。私は、そんな人たちを助けてあげたいの。
一週間程前、凛花さんは目に強い光を宿しながらそう言った。私はそれを聞きながら凛花さんらしいなと思ったのと同時に、必ずその夢を実現出来るだろうと確信した。凛と咲く花のように、いつも自らの考えの赴くままに地につけた両足を決して乱さず行動に移す。そんな凛花さんなら、きっとどんな夢だって叶えられる。そう思った。
「なれますよ。凛花さんならきっと、自分の思い描いたなりたいものになれますよ」
村の中を二人横並びになって歩いていた時、私は目をみながら言った。心から思った言葉だった。凛花さんはふっと笑みをこぼし、「ありがとう。新奈がそう言ってくれたら自信出てきた」と私の頭にそっと手をのせてくれた。かすかに甘い匂いが頭の上から降りてきて、思わず目を閉じた。凛花さんが足を止めたのはその時だった。
「ねぇ新奈。村を出るならまず私と一緒に東京に来てくれない?」
「えっ?」
「私はまたあの人のところにいく。ジャーナリストになりたいという夢を私にくれた近藤さんのところに。そこで新奈には証言して欲しいの」
「証……言?」
「そう。証言」
凛花さんは続けざまに「施設や村で起きたこと全てをね」と付け足した。
「どうして私なんですか。私、証言がどんなものかも分からないのに」
問い掛けると、凛花さんは私の肩にそっと手を置いた。
「施設の後ろについていたあの製薬会社は、今回の件との関与を頑なに否定している。恐らくは施設で働いていた職員はもとより、あの施設ごと切り捨てるつもりでしょうね。トカゲの尻尾切りってやつよ。この言葉、聞いたことある?」
私はちいさく頷いた。
「ああいう巨大企業がよく使う手でね、もしかしたら警察内部にまでこれ以上を捜査を進めるなというお達しがきてるかもしれない。私はね、この村で起きた全ての出来事を絶対に風化させたら駄目だと思う。今のままだとこの場所で起きた全ての出来事が、この村や付近に住むごく少数の人の記憶の中にしか残らないでしょ? それじゃ駄目なんだよ。この村で起きた全ての出来事を、その真実を、私は世間の人に知って貰うべきだと思うの」
凛花さんの目には強いひかりが宿っていた。みながら、私は吸い込まれそうになっていた。
「新奈は十八年もの間孤独に耐えながらもずっと目にしてきた。あの施設で過ごし経験してきたことや、村で起きた全ての出来事をね。雪が降っても記憶を失うことが無かった新奈しかいないのよ。二度と私達のような目に合う子供を生まない為にも。大きな力を前にして身動きが取れなくなっている誰かを救う為にも。私は、この件を記事にしてもらうべきだと思う。だからお願い。新奈、力を貸して」
冬の凍てついた空気を気化させるような、そんな熱の入った言葉たちが私の胸に染み渡り、私は自然と頷いていた。あの施設で生きてきた私にとって、共に施設で育った子供たちは家族のようなものだった。けれど、私たちよりも先に十九歳を迎え、あの血液栽培場へと送られた子供たちはもう逝ってしまった。怖かっただろう。きっと、無念だっただろう。彼らのその想いを、命を、私は無駄にはしたくない。それに、凛花さんが言うように今この瞬間も大きな力を前にして身動きが取れなくなっている誰かが世界のどこかにいるかもしれない。私は、そんな人たちの救いになってあげたい。私に何が出来るのかは分からない。私の証言など意味をなさないかもしれない。でも、私がそうすることで誰かを救える可能性がほんのわずかでもあるなら、私は。
「凛花さん、私も東京に行く」
そう、決意した。
凛花さんと共に私と沙羅も東京に行くという事は、既に皆には告げていた。冬の寒空の下、別れの挨拶を交わし一人ずつ抱擁をしていった。最初は父と、そして母、最後は湊へと続いた。湊の目には少しだけ水の膜が張っているのが、身体をゆっくりと引き剥がした時に分かった。
「湊、本当にありがとう。今までの何もかも全部。私も沙羅も、湊がいなかったら今頃どうなってたか分かんないよ。だから」
いつだって、どんな時だって、湊は私の傍にいてくれた。子供の時から今に至るまで、ずっと助けてくれた。走馬灯のように頭の中で流れるそれまでの思い出と向き合っている内に、言いながら涙が溢れた。水の膜が張っていたのは私も同じだった。そんな私をみながら湊はさっと目元を拭い、笑った。
「泣くなって。俺だってそうだよ。お前と沙羅がいなかったら、未だにあの施設から出られてなかったかもしれない。死んでたかもしれない。だから、お互い様だよ」
「うん……でも」
「いいから早く行けよ。家の前でこんな大勢で泣いてたら変な奴だって思われる」
突き放すようにそう言って、湊は背を向けた。空を仰いでる。
「またいつか帰ってくるから。だから、その時まで元気でね。お兄ちゃん」
その背中に声をかけた時、湊が足から崩れ落ちた。私はすぐに駆け寄って「ありがとう。本当にありがとう」と何度も声をかけた。湊は背中を大きく震わせながら、何度も頷いている。足音が鼓膜に触れた時には隣には沙羅がいて、湊の背中を抱きしめていた。強く。強く。「湊……元気でね。ありがとう、ありがとう」嗚咽を漏らしながら何度もそう呟いた。
三人でこれまで過ごしてきた思い出を、身体を寄せ合いながら分かちあった。声をあげて泣き続け、ようやく涙が収まってから私は言った。
「湊、百合亜さんのこともよろしくね。一人で赤ちゃん育てるのってきっと大変だと思うから」
「ああ、任しとけ。百合亜さんには本当にお世話になったし、ちゃんと恩は返すよ」
「そっか、じゃあよろしくね」
「じゃあな」
それから全員と向かい合い一人一人と別れを告げ、車に乗り込んだ時だった。お父さんが「新奈、待ちなさい」と声をかけてきた。
「外の世界で生きていくにはこれがいる」
そう言って手渡されたのは一つの紙の束だった。それが帯で纏められている。
「手持ちのお金はもうこれしかない。親として何もしてやれなかったから、せめてこれだけでも娘の門出に」
「お父さん駄目だよ。お父さんだって湊やお母さんと生活していかなくちゃならないのに」とそれを返そうとすると、「新奈」と運転席に座っていた凛花さんに呼び止められた。
「親からの想いよ。ありがたく受け取ったらいいの。それを無下にしたら駄目」
凛花さんに言われた通り、返そうとしていた腕を引っ込めるとお父さんはふっと頬を緩めた。それから「じゃあ、元気でな」と手を降ってくる。私も手を振り返し、車は発進した。窓の向こうで手を振ってくれる三人の姿がどんどん小さくなっていく。雪に染められた木造の家。深い森に、雪を被った木々たち。生まれてからずっと見てきたものが、窓の向こうでは流れていた。途端に胸の中で溢れかえったものが込み上げてきて、私はそれをみながら必死に目に力を込めた。自分で選んだ選択だ。泣いたら駄目。もう、絶対泣かない。何度もそう呟いた。この車の行く先には、私が望んだ未来がある。そう。この上なく広い世界が、広がっているのだ。
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