第12話

「えっ、その三島が言ってた特別ってもしかして新奈が雪が降っても記憶を失わないって意味じゃないの?」


 夕食の時間に食堂で私は沙羅と湊それぞれに声をかけた。「十年前のことを、全部思い出した。話したいことがあるの」となるべく声を落としながら二人にはそう言って、施設の玄関に設けられている暖炉の前まで来て貰った。そこには、L字型の大きなソファがあり、目の前の暖炉の中では円錐状に立てかけれている薪を包み込みようにして、時折黒い色を滲ませながら赤い炎が燃えている。ゆらゆらと揺れるそれは、ひかりと熱を放っている。こんな話を職員さんに聞かれる訳にはいかない。本当は、私達の部屋で話すことが一番安全だろうけど、夕食から消灯時間までの二時間の間は、皆が思い思いに動く為に、湊を女子寮に呼ぶわけにはいかず、この場所で集まろうということになった。幸いソファを挟むようにして続いている長い通路は、見通しがいい。万が一、人が来るようであれば会話を変えればいい。そう、判断した結果だった。


 私は二人の真ん中に座っており、左側には沙羅が右側には湊が座ってる。ついさっき、十年前の記憶を全て話し終えたばかりだった。三島さんではなく、三島。職員さんではなく、職員。湊の話がきっかけで、この施設の大人達に不信感を抱くようになった私と沙羅は、湊と同じようにそう呼ぶようにした。


「いや、もしかしてじゃないな。間違いなくその三島が言ってる特別ってのは、新奈が記憶を失わないって意味だろう」


 沙羅が言った内容をずっと口元に手を当てたまま考え込んでいた湊が呟く。その声に、パチっと火花が弾ける音が混じった。湊と同じことを、私も考えていた。雪が降っても、記憶を無くさない。それ以外に、私が特別だと呼べるものなんて一つもない。もし、三島が言っていた特別がそういうことなのだとしたら、十年も前から三島や職員達は雪が降る日に記憶を無くすということを知っていたことになる。どうしてこんなことを今日まで思い出さなかったのだろう。とついさっきまで自分を責めたりもした。だが、仕方なかったのだとも思う。あの頃の私は、自分の置かれている状況を理解するだけでも精一杯で、おまけに小さな身体ては抱え切れない程の悲しみや寂しさを背負っていた。胸の中に降り積もる寂しさは、当時の私の鮮明な記憶すらもその中に埋もれさせていたのかもしれない。それに、七歳の時は、理由もわからなくて雪が降る度に誰彼構わずに「昨日のことを覚えてる?」などと聞いて回ったりしていたが、八歳になる頃には雪の妖精なんてこの村に存在しないのだと理解し、それと同時に皆が信じているものを壊してしまうと仲間はずれにされるかもしれないと思った私は、誰にも自分の置かれている状況を口にしなくなった。孤独は、自分の胸の中だけに閉じ込めた。


「ねぇ、湊はどうして私に言わなかったの?」


 ぼんやりと暖炉の中の火をみつめる湊に問い掛ける。今日は一日中ずっとそれを疑問に思っていた。自分だけは記憶を無くさないということを、それを無くしてしまう村の人達に言わずにいたことは理解出来る。現に、私もずっとその考えだった。でも、せめて同じ境遇に置かれている私にだけは教えてくれても良かったのではないだろうか。そうすれば、孤独も、悲しみも、苦しみも、二人で均等に分け合うことが出来る。いや、そう出来たはずなのだ。


「……なんでだろうな」とぽつりと呟いてから口を閉ざした湊を、私と沙羅はぼんやりとみつめる。


「自分でもよく分かんないけど、俺は新奈のことを守りたかったのかもしれない。雪が降ると記憶を無くすって事も、妖精なんてこの村にいないって事も、俺はかなり早い段階で気付いた。それと同時に、それは皆に言ったら駄目だって事も子供ながらに分かった。あの日、新奈が泣きながら、雪が降る日に皆私のことを忘れちゃうの、って言った時、本当に驚いたよ。一人じゃないって分かって嬉しかったし、俺が守らなくちゃって思った。それから、記憶を失わないっていう秘密を守り切るのは、まだ子供の俺達だけじゃ無理だって思ったんだ。だから、それぞれが互いの秘密を知らずに皆と同じように生きているのが一番だって考えた。いざとなれば、俺が新奈を助けてあげればいい。そう、思ったんだ」


 最後は照れ臭そうに笑う湊をみて、私は無意識に「……ありがとう」と呟いていた。思い返せば、湊は私が泣いてるといつも真っ先に声をかけてくれていた。


──新奈、大丈夫?


──何かあったか?


──村の人たちがお菓子届けてくれたから一緒に貰いにいこうぜ。


 私は、そんな湊にいつも救われていたのだ。誰とも関わりたくない、話したくないと思っていたのに湊と沙羅にだけは私は心を開いていた。辛い時も、悲しい時も、いつもそんな私の傍に二人はいてくれた。ましてや湊に至っては、私と同じ境遇に置かれている。きっと子供の時から耐え難い苦痛と孤独の中で生きてきたのだと思う。誰にも覚えて貰えないということは、存在そのものを否定されているのと同じだ。私は自分のことですら精一杯だったのに、湊はそんな状況で私のことまで気に掛けてくれていたのだ。強い、と思った。人として、湊は本当に強い人なのだと心から思った。


「なんか湊って、新奈の彼氏みたい。妬いちゃうなぁ」


 暖炉の中の火が立てる音と、館内で流れるオルゴールの音が私達の間を満たしていた時、沙羅がからかうような口調で言う。


「大丈夫だよ。俺は新奈の事を女としてみてないし、お前らの関係を心から応援してるから」

「それは、分かってるけどさ。なんか新奈の事を誰よりも分かってあげてて、ずっと陰で守ってあげたって感じに嫉妬しちゃう」


 私は、二人のやり取りを黙って聞いていた。何だか沙羅に二人して嘘をついているみたいだった。湊と私が付き合ったのは、たった一日。たぶん私のことを女としてみてないというのも本当のことだろうと思う。でも、それを沙羅は知らない。いつか言おう、言おう、と思って今日まできてしまった。私は湊へと無意識に視線を流していた。湊のことを異性としてみたことはない。でも、湊との関係を友達と呼ぶのも違う気がした。それよりも、もっと深いところで、幾重にも編み合わされた糸のようなもので心の奥底で繋がっているような感じがしたのだ。


「で、これからどうする?」


 私が湊との名前すら思い付かない関係をどうかにして見つけ出そうと胸の中に手を伸ばしていると、沙羅が唐突に切り出した。


「どうするって?」


 ソファの上に立てた膝の上に顔をのせている沙羅の顔をみながら、私は問い掛けた。


「そのままの意味よ。三島も含めて施設の大人達がどうして雪が降る日に皆が記憶を忘れる事を隠しているのかは分からないけどさ、何か都合が悪いことがあるからでしょ? そんな大事な事を、それ以外に隠す意味ってなくない? ってか、そんな嘘を十年以上も私達につき続けていた大人達と同じ屋根の下で暮らしてるってだけで不安でしょうがないんだけど」

「確かにそれはあるな。この施設の大人達は、きっと俺達には絶対に知られたくない秘密があるんだと思う」

「やっぱり、そうだよね? ねぇ、新奈。もう、こんな所から早く出ていこう?」


 沙羅が縋るような面持ちでみつめてきて、私は曖昧に頷いた時だった。


「出てどうすんの?」


 湊が、静かな口調で言った。まるで、凪いだ海みたいで、そこに感情の乱れはなかった。


「ここから出たところで俺達には頼れる人がいないだろ? 親もいなければ、住む場所もない。ずっと俺達の家はここしか無かったんだから」


 その通りだと思った。私達には親はいない。妖精たちの庭と呼ばれる大きな囲いの中で、私達は家族とは言えないがそれに近しい形で皆で暮らし、生きてきた。でも、ここを出るということはその囲いは無くなり、皆それぞれが一人で生きていかなければならない。頼れるものは、何もない。誰も、守ってはくれない。帰る場所もない。気持ちが沈む。私の隣に座っていた沙羅も同じようなことを感じたそうで、顔を伏せ途端に悲しげな目をする。


「だからさ」と湊が普段よりも少し大きな声を出した為、私と沙羅はゆっくりと顔をあげ、湊に視線を送った。


「俺達の親を見つけ出そう!」


 一瞬にして全ての音が消えた気がした。暖炉の中で燃える木が立てる音も、館内で流れているオルゴールの美しい旋律も全て。湊の放った声以外の全ての音が私の世界から消えた。


「本気で、言ってんの?」

「親を探すことって……施設で一番の禁忌じゃなかった?」


 私も沙羅も動揺を隠し切れず、途切れ途切れになりながら言う。湊は、そんな私達をみて、にっと口元の両端を持ち上げた。


「だからやるんだよ。俺達は十七年間も嘘をつかれてきたんだぞ。そんな施設の大人達が一番やって欲しくないことは、一番の禁忌とされている自分の出生元を探ることだろ? しかも俺達からしてみれば親を見つけ出すことでいざという時の頼れる場所も作れる。こんなの一石二鳥以外のなにものでもないだろ?」


 自分の、親を探す。そんなこと、考えたことも無かった。自我が目覚めた時にはこの施設で生きていて、親はいないものなのだとそう教育されて私達は生きてきた。


──君たちの親御さんは事情があって、この妖精たちの庭に預けることになったんだ。だから、恨まないであげて欲しい。僕を含め、この施設にいる職員達が君たちのお父さんでもあり、お母さんでもある。だから、甘えたい時は僕たちに甘えればいいし、遊んで欲しい時は僕たちにそう言えばいい。君たちの親は、僕たちだと思って欲しい。


 年のはじめ。毎年の新年の挨拶の時に、三島はいつもそんな風な事を言っていた。何もおかしいとは思わなかった。子供の時からそう言われてきたせいか、そういうものなのだと認識して生きてきた。きっとそれは私だけじゃなく、この施設で生きる子供達は皆そうなのだと思う。


 でも、私は知ってしまった。本当のお母さんという存在が持つ、温もりや、全てを包みこんでくれるような安心感を。知ったのは、つい最近だった。湊が親を見つけ出そうと言った時、真っ先に私の頭に浮かんだのは百合亜さんの顔だった。穏やかで、いつも笑みを絶やさない。私が一方的に話し掛けても、その笑顔を保ったまま、うんうん、と頷いて聞いてくれた。それに、初めて百合亜さんの家を訪れ、泣いてしまった私をそっと抱きしめてくれた時の温かさ。今でもその温もりが、私の胸の中には残っている。それが、私の本当のお母さんからのものであれば、きっと私の心はもった満たされるのではないだろうか。


「会い……たい。私も、親にあってみたい!」


 私の胸の中にあった気持ちが、言葉になって勝手に溢れ出てきた。湊は、そんな私をみてふっと頬を緩めた。それから、沙羅に視線を流す。


「沙羅は、どうしたい?」


 優しい口調だった。語りかけるようで、無理強いはしていない。選択の余地が、余白として十分に残されている。そんな感じだった。


「私は……ずっと妖精を恨んで生きてきた。お母さんのお腹から妖精が私のことを勝手に取り上げなかったら、私だって施設の外に住む子供達みたいに過ごせたのにって、ずっとそう思って生きてきた。でも、妖精なんていないんだよね? 最近、それが分かってから気持ちが強くなったよ。私も、両親に会いたい!」


 その選択の余白は沙羅が自分の意思で塗りつぶし、最後は言いながら感情が高まってきたのか潤んだ声でそう言った。湊はそれを見届けてから、私達に順に視線を送った。


「見つけ出してやろうぜ。俺達の、本当の親を探そう!」


 私と沙羅は、湊の放った言葉に強く頷いた。何かが変わる。そう、強く確信した夜だった。

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