第2話

繁華街の人の波をまるでランウェイのように歩く一人の女がいる。

 シルバーのハイライト入りの背中までのグレージュのウェーブヘアに、スエードのショートジャケットを羽織り、タイトな黒いニットワンピース、同じくスエードのピンヒールブーティ。顔立ちも派手で、切開ラインから目尻までしっかりと引かれたアイラインに、赤リップ。まるで海外ドラマに出てくるマフィアの女のようだ。

 これから夜の街へと勤めに行くような雰囲気ではあるが、彼女は、立ち止まり、宙を仰ぐと、軽く鼻を鳴らした。

(どいつもこいつも、安っぽい欲望の臭いしかしない)

 苛立ちを溜息で一掃し、再び歩き始める。

 右も左も、ファストフードのような即物的で安易な欲望ばかりだ。通りすがりの人間の醸す、妬み嫉み性欲や物欲、自己顕示欲など様々な欲望がうずまいているが、この辺りの人間は、怒りや殺意すら薄っぺらい。

 安い出来合いのものばかり食べていると、やはり、体に悪い。彼女はそっと自分の頬に指を滑らせた。

 肌が荒れてきた。自然と辺りを見回す。


 どこかに極上の栄養素はないものか――、と。


 夜の繁華街を歩いていればファストフードは向こうからやってくる。

 しかし、所詮ファストフードはファストフードだ。

 高カロリーだが栄養がない。


「あらぁ、マギー。こんなところでなにしてるのぉ?」

 露出度の高い淡い桜色のカクテルドレスに黒髪ストレートの女が、グレージュの髪の女に話しかけてきた。

「今は舞よ。リリスだってなにやってるのよ」

「私だって、璃々子よ。なにって、ここのホステス。なかなか食いっぱぐれることはないわよぉ?」

 視線の先には高級ラウンジがある。なるほど。マギー、現舞は、リリス、現璃々子を見やって頷いた。

「また食いっぱぐれてるんでしょ。あんたは偏食だから」

 璃々子が溜息混じりに言う。

「こだわりがあるの。美食家よ」

「可哀想。お肌が荒れてるわ。」

「ここのところファストフードばかりだから」

 そう言って少ししょげた顔をした舞の頬を、璃々子が撫でる。

「人間の女の子たちが飲んでるの。安い男よりずっとマシ」

 と、持っていた小さなハンドバッグから製薬会社の販売しているコラーゲンドリンクを取り出し、舞に渡した。

「ありがとう」

「あと、舞の好きそうな男がいたわ。ここの管轄署にいる刑事。ウチのボスと仲が悪いの。マル暴か組対かまではわからないけれど、多分その辺。真壁って男よ」

「本当に? 璃々子、ありがとう」

「いいのよ。私たち同胞でしょ。たった二体の」

「そうね。他の同胞たちはずいぶん殺されたものね。エクソシストたちに」

「もう何百年も前のことだわ。忘れてしまいましょう」

「故郷に帰る方法も忘れてしまったものね」

「東洋人に擬態したおかげで生き残れた」

「昔は、こっちでは知られてなかったものね。サキュバスなんて」

「今はアニメやゲームで認知されてるようだけど」

「あら、始まりは小説よ」

「まぁどうでもいいわ。舞。私も仕事に戻らなくちゃ」

「ええ。ありがとう」

「何かあったらいつでも連絡して」

「わかった」

 チークキスを交わし、璃々子と別れた。舞はさっそく貰ったコラーゲンドリンクを飲み干す。甘酸っぱいピーチの味がした。

 不意に濃厚なカカオのような香りが漂い、舞の身体が熱くなる。

「ちょっと失礼」

 背後からの低い声に振り返ると、男が立っていた。

 百八十まではいかなくともそれくらいの身長に後ろに撫でつけた黒髪にスーツ姿だか、一見堅気には見えない。しかし、ヤクザでもなさそうだ。落窪んだ垂れ目には不健康そうなくまがあり、肌も唇も乾いている。顎もしっかりしていて、首も太く、スーツ越しでも胸板の厚さが想像できる。

「なにか?」

 舞は自分の声が上ずるのがわかった。心臓が痛いくらいに跳ねるのだ。唾を飲み込む。璃々子が言っていた真壁という男は、この男だろう。

「先ほど、あそこのホステスと話してましたね」

 と、後ろの方を親指で指す。

「すみません。私、こういう者です」

 警察手帳を取り出して舞に見せた。

 当たり。真壁恭一。さすがリリス、分かってる。と、心の中で拍手する。

「ええ。古くからの友人です」

「へえ、ご友人……。飯倉璃々子さんの交友関係に貴女のような方は見当たらなかったのですが……」

 男は疑うような、品定めをするような、嫌な目つきで舞を眺め回す。しかし、舞からすれば、それはまるで獲物を狙い嬲るような視線であり、捕食者であるはずの役目を忘れそうになっていた。

「ンンっ。言ったはずです。私は彼女の古くからの友人なんです。あなたがご存知なのは最近のものなのでは?」

 咳払いをして毅然とした態度を示したが、男から醸される濃厚な苦みばしった甘露の匂いに空腹が刺激され、眩暈が起きる。

「……どうしました?」

 男の訝しげな声がする。

「……とーっても美味しそぉ……」

 心の声が漏れる。視界が歪む。抑えていた力が内側から暴れ出すのを感じる。

「なんです?」

「いいえ……」

 この男、憎悪と孤独でできている。そして、スパイスはわずかな愛情の記憶と叶わない思慕。それゆえ他人を拒絶する潔癖さ。そして、心の奥底で燻った強い殺意。戦国時代末期から昭和中期頃までは、こういう男もそこそこの数がいた。しかし、どんどんいなくなり、もはや絶滅したかと思っていた。

 これよ、これ。こういう男からしか捕れない栄養があるの。

 舞は思わず舌なめずりをした。

「おい。ふざけているのか?」

「……ごめんなさい。そうじゃないの、唇が乾いて……、いえ、喉も……。わたし、とてもお腹が空いてるの……」

「そうですか、それではどこか入りましょうか? あなたにいくつか聞きたいことが……」

「ええ。捜査に協力します。なので少しだけ私の食事に付き合ってくださらない?」

「わかりました」

 同意を得た。舞はグッと拳を握る。力が放出され、空間が歪み、真壁がゆらりと揺れた。彼の体と意識は舞の手の中だ。悪魔ゆえの力が発動し、二人はその場から消えたが、誰もそれに気づくものはいなかった。

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Go with Devil~しかし実は隣にはサキュバス~ 森野きの子 @115ma

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