変城王1

 珠美が初めて極楽を訪れてから約二週間経ったある日。珠美はいつものように閻魔殿の広間で仕事をしていたが、周りは少しピリピリしている。

 珠美が極楽で仕事をしている頃、地獄では亡者の逃走未遂事件があったのだ。


 話に聞くところによると、ある日、極楽へ続く門の側に立っていた門番達の元に、一人の男が近付いた。


「あの……閻魔庁の審理で、極楽行きの判決が出て、その後の審理でも問題無いと言われたのですが……」


 四十代くらいのその男は、おずおずと「極楽居住許可証」と書かれた書類を門番に見せた。


 本来、閻魔庁で極楽行きの判決が出た亡者は、その後も変城へんじょう庁や泰山たいざん庁等の複数の庁舎で審理を受ける。しかし、前任の閻魔である紅蘭があまりにも有能だった為、現在閻魔庁より後の審理は実質形骸化していると言っても過言ではない。


「ふむ……確かに審理では問題なかったようだな……ん?」


 門番の一人が、眉根を寄せて声を漏らした。許可証のインクの染み具合が、普段見ている許可証と少し違うような気がしたのだ。


「……少し待ってろ。この許可証について閻魔庁に照会してみるから」


 門番は何気なく言ったが、亡者は顔を強張らせ――門を強行突破しようと駆け出した。


「あっ、こら、待て!!」


 門番達は慌てて亡者を取り押さえる。亡者は、唇を噛み締めて言った。


「くそっ……、許可証の偽造はバレないっていう話だったのに……!!」


 その後、強行突破しようとした亡者は地獄に連れ戻され、より重い刑が科せられる事となった。

 取り調べを受けた亡者は、偽造した許可証をどうやって入手したかについてこう供述している。


「先日刑務を終えて寮に帰ったら、部屋のドアに封筒が挟んであったんだよ。その中には、『あなたを極楽に行かせてあげましょう。偽物だと露見しない許可証を同封致します』というメモと一緒に偽造された許可証が入っていた。誰がくれたか分からないが、有難く頂戴したよ」


 亡者の自供を受けて、閻魔庁や地獄は大きな衝撃を受けた。許可証の偽造など、受刑者に出来るはずがない。獄卒の誰かが手引きしているとしか思えなかった。


         ◆ ◆ ◆


 そして現在。


「珠美。この書類を叫喚地獄まで届けてくれないか」


 閻魔が、珠美に書類を手渡しながら言う。


「承知致しました。今すぐ叫喚じ」

「お待ち下さい、珠美様。今牛頭ごずの手が空いているので、彼と一緒に叫喚地獄に向かって下さい」

 返事をしかけた珠美に菖蒲が声を掛ける。逃亡未遂事件が起きてから、閻魔庁は書類の取り扱いには敏感になっており、書類を運ぶ時は二人以上で行動する事になっている。


「あ……そうでした。一人では書類を取り扱わない決まりでした」

「気を付けて下さい、珠美様。地獄から逃亡者を出すという事は地獄の根幹にかかわ」

「おお、思った通り、ピリピリしてるねえ」


 不意に後ろから声が聞こえた。珠美達が振り向くと、二人の男性が近付いてくる。

 一人は柿色の着物を着た、十代後半くらいの男性。小柄で、ウェーブがかった赤い髪を肩の辺りまで垂らしている。

 もう一人は、三十代くらいの紺色の着物を着た男性。身長が高く、黒い髪を短く刈っている。


「変城王……」


 菖蒲が、柿色の着物の男性を見て言った。

 変城王とは、閻魔庁の後に審理が行われる変城庁のトップだ。

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