生き残り4
「そんな事が……」
ビニールハウスの中で、珠美は目を伏せた。
「ああ。運よく俺は生き延び、戦後は結婚し子供を儲ける事が出来た。幸せだったが、心の隅でいつも思っていた。この幸せは、慶太や達彦の犠牲の元に成り立っているとな」
雄一郎は五十代で亡くなり、閻魔庁で審理を受けた。雄一郎が生涯で殺害したのは、あの時の敵兵一人。しかも、正当防衛が成立する状況だった。
そういうわけで、雄一郎は極楽行きとなったが、雄一郎の心は晴れなかった。正当防衛とはいえ、自分は人の命を奪ってしまった。しかも、自分を守る為に友人が亡くなってしまった。
自分は、極楽に行っていい人間なのか。地獄に落ちた方がいいのではないか。そういう思いが消えず、極楽で「地獄に落ちたい」と独り言を漏らすようになった。
珠美は、何も言う事が出来なかった。重い罪を背負った事の無い珠美が何を言っても、雄一郎の心には届かない。
◆ ◆ ◆
その日の夕方、地獄に戻った珠美は閻魔の執務室に顔を出した。
「珠美、ご苦労だったな。極楽の仕事はどうだった?」
閻魔が机の上の書類を整理しながら聞く。珠美は、少し目を伏せがちにして答えた。
「忙しかったですが、薬草の知識を得られるのは面白かったです。ボランティアの皆さんも、優しく私に作業を教えて下さいました」
「そうか、良かったな」
「はい、でも、気になる事が一つ……」
珠美は、雄一郎の事について閻魔に話した。閻魔は、肘を机に突きながら言う。
「『極楽にいていい人間じゃない』か……難しい問題だな。真面目で優しい人間ほど、なかなか罪の意識が消えないものだ」
「私に何か出来る事はないんでしょうか……」
「……田辺雄一郎の幸せを願う者の言葉を彼が直接聞く機会があればいいんだけどな……」
「幸せを願う者の言葉……」
珠美はしばし考え込んだ後、閻魔を見据えて言った。
「閻魔様。突然ですが、明日、有給休暇を下さい!」
◆ ◆ ◆
二日後、珠美は閻魔に通行許可証を発行してもらい、再び極楽の薬草園を訪れた。今回は、
その中に雄一郎の姿を見つけると、珠美は真っ直ぐと雄一郎の元に歩み寄る。
「おはようございます、田辺さん」
「……ああ、一昨日のお嬢ちゃんか。おはよう。また薬草の収穫を手伝いに来てくれたのか? 地獄の補佐官なんて忙しいだろうに……」
「いいえ、今日は、田辺さんに地獄の刑務を体験して頂こうと思いまして」
「……は?」
きょとんとする雄一郎に構わず、珠美は言った。
「田辺さん、地獄に落ちたいんですよね。私、考えたんです。そんなに地獄に落ちたいなら、一度刑務を体験してはいかがかと」
「……おい、何考えて……うわっ!!」
雄一郎の両腕を、牛頭と馬頭が掴んだ。
「閻魔様には許可をもらっております。さあ、行きましょう」
「お、おい、ちょっと待て! おいいいいい!!」
こうして、牛頭と馬頭に引き摺られるようにして、雄一郎は地獄へと連れ去られた。
赤い門を通り地獄に到着すると、珠美はまず雄一郎を等活地獄へと案内した。
「田辺さん、ここは地獄の中でも一番刑が軽い部類の亡者が来る場所です。色々な刑務がありますが、今回はこちらの
不喜処とは、等活地獄の中にある小地獄の一つ。鳥獣を、大きな音を立てて驚かせた上で殺害した者等が落ちる地獄だ。
「ここで俺に何をしろと?」
雄一郎が諦めたような表情で聞くと、珠美は満面の笑みで答えた。
「ここにいる動物達のトリミングをしてもらいます」
「トリミングう?」
雄一郎は、素っ頓狂な声を上げて刑場を見回した。
「……なあ、この刑場、頭が二つあるドーベルマンとか、バカでかい
「怖くなければ刑になりませんからね」
珠美がニッコリとして言う。雄一郎は、渋々不喜処の獄卒からハサミやブラシを受け取り、ドーベルマンもどきの犬の獄卒の方へ近づいて行った。
「トリミングってのは聞いた事はあるが、あれか? 要するに、こいつの毛並みを整えればいいのか?」
雄一郎は独り言を言いながら犬の獄卒の背中にブラシを当てるが、次の瞬間、犬の頭の片方が振り向き、雄一郎の右腕を思い切り噛んだ。
「いてててて……!!」
「痛いですよねえ……。でも、受刑者は逃げるなんて許されません。田辺さんも、この獄卒の毛並みを整えるまで頑張って下さい!!」
珠美が、握り拳を作って言う。
雄一郎は、引き攣った顔で珠美の方を見つめていた。
その後何とかトリミングを終えた雄一郎は、珠美達に地獄を連れ回される。
衆合地獄では、刀葉林(葉が刀で出来ている木が生える林)でキノコの採取をし血だらけになった。叫喚地獄では、とても不味いお粥を食べさせられた。雄一郎は既に身も心もボロボロだ。
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