謝罪3
「……み、珠美」
声が聞こえて、我に返る。馬に乗ったまま振り返ると、閻魔が心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫か、珠美。もう関口透が勤めていたオフィスに着いたんだが、生前を思い出して辛いようであれば……」
「いえ、大丈夫です。行きましょう」
珠美は、真っ直ぐオフィスを見ながら応えた。
それから二人はオフィス周辺を探し回ったが、やはり関口はどこにもいなかった。
「関口透が所属していた部署の中も見たいが、仮の肉体だと自動ドアを通り抜けられないな……」
閻魔が困ったように言う。二人でどうしようかと考えていると、オフィスの玄関から男性が二人出てきた。今日は土曜日で、今は夜の七時頃だが、休日出勤していたのだろうか。珠美が生前勤めていた会社と同じで、こちらもブラック企業らしい。
「はあ……今日も大変だったな」
灰色のスーツの男性が呟くと、隣を歩いていた紺色のスーツの男性も溜息を吐いて応えた。
「そうだな……まさか急にあんな仕事を振られるなんて」
「俺、ここ数日子供と遊べてないよ……ホント、この状況何とかなんないかな……」
「しばらくはこの状態が続くだろうなあ……なにせ、ここ半年で二人も社員が亡くなったからな……」
その言葉を聞いて、灰色スーツの男性が頷いた。
「ああ、
「そうだな……あ、でも、知ってるか? 関口さんって……」
その後に続く言葉を聞いて、珠美と閻魔は顔を見合わせた。
◆ ◆ ◆
それからしばらくして、珠美と閻魔はある一軒家の前まで来ていた。表札には、『山之内』の文字が彫られている。そう。ここは、関口がパワハラをしたという社員、山之内
珠美と閻魔が庭に回ろうとしたその時。
「済まなかった!」
男性の切実な声が響いた。珠美達がそっと庭を覗くと、眼鏡を掛けた中年男性が、若い男性に向かって土下座をしている。二人共白い死に装束を着ているので、すぐに亡者だと分かった。
「頭を上げて下さい、関口さん」
若い男性が落ち着いた声で言う。彼が、パワハラされていた山之内良介だろう。眼鏡の男性――関口透は、頭を上げながらも苦しそうな表情で言った。
「本当に済まない、山之内。……当時の私は、あれが本当に、お前の為になると思っていたんだ……。馬鹿だよな……自分が窓際に追いやられて、初めてお前の気持ちが想像できたんだ……」
関口透は、特に目立つところのない中流家庭に生まれた。母親は優しかったが、父親が厳しく、幼い頃から透に一切の妥協を許さなかった。
「学校の成績は一番じゃないと意味がない」「お前の将来の為」「もっと勉強しろ」
そんな言葉を透に投げかけ続けた。
父親の言葉通り勉強し続けた透は、小学生の頃から大学を卒業する頃まで、トップクラスの成績を維持し続けた。友人は少なかったが、透は大してその事を気にしていなかった。
広告代理店に勤めてからも透の営業成績は良く、順調に出世していった。職場の後輩だった真理子と結婚し、真理子は寿退職。プライベートでも順風満帆かと思われた。
そんな折、透は新入社員である山之内良介を指導する事になった。良介は少し不器用だが優しく、真面目で、透は良介に好感を持った。そして、良介を優秀な社員に育てたいと思った。
透は、良介を厳しく指導した。幼い頃、自分は父親に厳しく育てられて順調な人生を歩んでいる。なら、自分も良介に厳しくすればいい。そう信じて疑わなかった。
少しでも良介の提出したデータや報告書に不備があると激しく叱責した。取引先に対する接遇も、細かい所まで指導した。
段々と良介の笑顔が減っていったが、これが良介の為になると信じていた為、特にフォローする事も無かった。
そんなある日、透はいつもより厳しく良介を叱責した。「そんな事も分からないのなら会社なんて辞めてしまえ!」と大声で怒鳴る。人事評価の時期が近付いていたので、早く良介に実績を上げてほしいと焦っていたのだ。
怒鳴られた時の、良介の光を無くした目が、何となく透の脳裏から離れなかった。
翌日、出勤した透の耳に衝撃の知らせが届いた。昨夜、良介が自殺したというのである。度々透が良介を叱責していた事は会社のコンプライアンス委員の耳にも届き、透はコンプライアンス委員に事情を聞かれる事となった。
コンプライアンス委員の質問にどういう風に答えたか、透は覚えていない。只々、頭が真っ白になっていた。どうして良介は自ら命を絶ったのか。コンプライアンス委員の言うとおり、自分はパワハラをしていたのか?良介の為を思って指導していたのに。どうして。どうして。
その日の夜、家に帰ると、透はポツリポツリと真理子に事の次第を話した。真理子は、透にお茶を淹れると、ソファーに座っている透の隣に腰掛け、穏やかに言った。
「……あなたは、厳しいお父様に育てられても、挫ける事なく結果を出してきた。それはとても素晴らしい事よ。……でもね、世の中は、あなたのように強い人ばかりじゃないの。厳しい言葉だけ掛けられると、心が折れてしまう人もいるのよ……」
真理子の言葉は頭では理解できるが、透はどこかピンとこなかった。
数日後、透に辞令が出た。窓際と言われる資料室への異動だ。移動した資料室の居心地は悪かった。
パワハラをした社員という事で白い目で見られ、仕事を回してもらえない。業務の改善案を提案しようとしても、「余計な事を言うな!」と上司に怒られる。
この時初めて、透は人に冷たく当たられる事の辛さを思い知った。そして、良介に厳しく叱責していた事を心の底から後悔した。
それでも自分には苦しみながら生きる義務があると思い、透は会社に通い続けた。そして今から約二か月前、透は心筋梗塞で亡くなった。
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